4-3

 二階から三階へと上る途中の踊り場で止まると、俺はグロッグの銃口だけを窓から突きだし、校舎裏を駆けよってくる影に向かって幾度か目見当で発砲した。

 どれほど浅沼さんが優秀でも、校舎の両側を牽制するのは物理的に難しい。こちら側から敵対勢力が入り放題ではさすがに拙い。

 時間稼ぎが目的なので、発砲炎を見せつけるだけでもいい。狙い通り、人影は慌てたように散開し、物陰に隠れたり、吊っていた小銃を構えたりしている。

 よしよし。

 だが、すぐに反撃の銃弾が飛びこんでくる。向こうも、牽制が目的でろくに狙いなど定めていない筈だが、そうと判っていてもひっきりなしに天上が爆ぜ、窓ガラスが音をたてて割れると、気軽に窓から手は出せない。

 反撃を躊躇っていると、どうやら先鋒が階下にたどり着いたようだった。

「やばい。どうにも、現実感がないな」

 俺は、減った分の銃弾をマガジンに詰めながら独りごちた。

 ジーンの予告にあった、反政治アプリを掲げる武装した集団に包囲され、その目標は自分である。こうなっては逃げだす手段は無に等しい。俺の排除が目的なら、浅沼さんの予想どおり投降しても始末されるだけだろう。

 つまりかなり絶体絶命なのだが、不思議と絶望はあまり感じなかった。

 ――どうにでもなれ、と自暴自棄になってるつもりはないんだが。

 痛いのは嫌だし、死ぬのは勿論怖い。それなのに、なんだか妙に達観した気持ちになってしまうのは何故だろう。

 危機感が湧かずの淡泊な行動は即、生命に関わる状況だというのに。

「『ラクシャス』が成功して、満足してるつもりなど毛頭無いんだが、やっぱりそういう事なんだろうか」

 自問自答しながら、俺は気合いを入れ直そうと自分の頬を両手でおもいきり叩いた。人生の窮地は気持ちだけで抜け出せなどしないが、それがなければ何一つ始まらないのも確かだ。身を挺してくれている浅沼さんに応える義務もある。

 ――うおっ! ……なんだ!?

 そうしていると、突然ドン! という大きな音が響き、続いて地震のように激しく足下が揺れた。

 慌てて手すりを掴んで身体を支える。

 そして響いてくる、鈍く、激しい物音。割れた窓から勢いよく舞いこんでくる粉塵。

 ――爆破解体、ってあれ本気だったのかよ!

 どうやら、敵主力が校舎にまでたどり着いたのを察して、浅沼さんが先手をうったようだった。ガラガラと、コンクリートの崩れる騒音が余韻のように続いている。

 一つ上の階まで上って廊下から顔を出すと、本当に廊下の先、向こう側の階段のあった辺りが消え失せていた。外が見えている。

 ――マジでやったのか。

 決して木っ端微塵になったわけではなく、校舎の残骸が傾いで残っていたが、もう一方の階段から攻め込まれる恐れがなくなったという意味では充分だ。

 これでとりあえず、残った階段を死守するだけで良くなる。

 一瞬、下に戻って一緒に戦ったほうが、とも考えたが、それが最善策なら浅沼さんは躊躇わず指示するだろう。上に行け、というなら相応の理由があるに違いない。

 俺はグロッグを構えると、慎重に階段を上りだした。



 タン! タタンッ!

 最上階まで上り、階段の隅で立ち止まると、俺は慎重に窓から外を見あげた。

 浅沼さんが来援を予告していた海兵隊のヘリはまだ見えない。

 けれど、向こう側もドローンを飛ばしている確率は高い。屋上は当然目立つ。うかつには出られない。

 タタタタン! タン! タン!

 階下からは、ひっきりなしに銃声が響いてくる。

 それでもまだ手加減してくれているのか、爆発音は聞こえてこない。銃声も、64式や89式など自動小銃の音ではなかった。多少の損害は覚悟で、グレネードを放り込んで強引に制圧されたらさすがの浅沼さんでもお手上げだろう。

 ――助けが来るまで時間、少しでも稼がないとな。

 しかし階下の相手には打てる手がない。せめて後続が増えるのを阻止しようと、俺は覚悟を決めて床に膝をつき、グロッグを構えて右半身を窓から乗りだした。

 緊張で震える手で、狙いを定める。

 ――許せ……

 俺は、突入部隊を支援しようと壁際に張り付いていた兵士を、その頭上から撃った。

 タタン! タタン! タタタン!

 目論見通り、不意をついて数名に着弾し、しかしすぐに、散開した幾名からの反撃が来る。

 ダダダ、カキン! 

 半身を引くと、俺はプロジェクトに関わって以降、常に持ち歩いている非常セットから発煙筒を取りだした。着火すると跳弾に構わず窓から放る。

 少しでも混乱させられれば上出来だし、目立てば周辺住民のアクションも期待できる。

 思いがけぬ投棄物に動揺したのか、一瞬銃声が止む。すかさず身を乗りだし、立ち上る煙の元へ駆けよろうとする人影を片っ端から狙う。

 タン! タン!

 ――よしっ!

 一度、その身を投じてしまえば、初の実戦に否が応でも意識は高揚していく。淡泊になっていた心が沸き立ち、わずかな恐怖心など瞬く間に吹き飛ぶ。

 ――怒らせるな。けれども有効な反撃を。

 周囲を包囲しているのは、市街戦に備えフル装備したレンジャーのようだが、未だ拳銃とSMG以外は使用していない。

 襲来は実力で阻止するしかないが、損害を与えすぎると彼らが手段を選ばなくなる恐れがある。彼らの自制心を奪ってはならない。その案配が難しい。

 ジットリと掌にかいた汗をズボンの太ももで拭い、グロッグを握り直して応戦する。

 ――あと、予備マガジンは一本。バラ弾を詰め直して……

 タタン! タタン!

 もっとも、生まれて初めて人を撃った、その動揺は小さくなかった。

 高ぶった収まらぬまま、罪の意識から逃避しようとしてか、取り留めのない思考が脳裏をよぎる。

 ――ジーンは大丈夫かな。

 護衛のSPがついている筈だが、これほど大規模な襲撃を想定しているかは疑問だ。

 タン! ダダダン! ガキーン!

 恨まれているだろうなぁ、とは想像していたけど。

 覚悟はまぁ、当初からそれなりにあった。アプリによる政治は、どれほど綺麗事を語っても所詮、既得権益に対しては否定的にならざるをえない。

 政治家は人から恨まれるのが仕事だ、という父の口癖もどこか意識の片隅に常にあった。

 ――しかしそれにしても、ここまで大っぴら、かつ大規模に仕掛けてこられるものかな。

 反『ラクシャス』勢力が存在するにしても、俺が予想していたのは、個人テロレベルでの脅威だった。軽装備とはいえ軍隊レベルの小隊に襲われるなどは、完全に想定外だ。

 政治アプリが稼働し始めたからといって、治安が悪化したり入国審査が緩くなったりは一切ない。むしろアプリの効果でどちらも改善、厳格化している。

 なのに、どうして……

 カキッ……カキッ……

 グロッグのマガジンが遂に全てカラになる。俺は床に伏せて、ポケットの弾を一つずつマガジンに詰めた。手の震えはいつの間にか収まっていた。

 ――あと、どれくらい保つかな。

 突然の出来事に考える余裕などなく流され、言われるがままに逃げだしてきた。なりゆきで正体もわからぬ人を撃ち、動揺した気持ちがようやく落ちつくと、次々に疑問が湧いてくる。

 市街地で部隊を動員する困難さは、武力革命を志していた時代に思い知らされている。最低でも治安維持組織の黙認を取りつけなければならない。『ラクシャス』導入の前後で、現場レベルでの対応に違いはないだろう。

 また市街での作戦は、突入チーム以外に、周囲を確保する数倍の戦力も必要になる。ウチの強攻策チームを総動員しても、これほどの作戦を遂行できるかは微妙だ。

 階下から聞こえてくる銃声は、次第に激しさを増している。

 相手が武器使用に自制的で、浅沼さんがどれほど腕利きでも、多勢に無勢は真実だ。

 この規模の襲撃を、対ジーンと同時に実行できる能力。

 ――国外の反ラクシャス勢力に注意しろ、と警告されていたけど……

 状況変化の経緯について思いを巡らしながら、俺はマガジンに予備の銃弾を詰め終わると、再び窓から半身乗りだしてグロッグを構えようとした。

 その、瞬間、

 ヒュィーッ!

 空気を切り裂く甲高い風切り音と共に、ありえぬ方向から飛びこんできた銃弾が、身体のすぐ脇を通ってガラス窓に小さな穴を穿つ。

「……外したか」

 反射的にふり向くと同時に聞こえてきたのは、低く落ちついた声。

 しかしそこに含まれた緊張が感じ取れる程度には、俺はその声の主を知っている。

「いっそ、ひと思いに終わらせたかったのだがな」

 俺は、爆破され先がない筈の廊下に一人立つ、その姿を見た。

 見慣れた美貌。愛想のない地味なスーツを着て、にもかかわらず滲み出る壮絶な色気。

「黙って始末するなど許されん、という、これも思し召しか」

「……邦香」

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