3-5
やがて、国政版『ラクシャス』導入を目指し、プロジェクトチームが各々活動をはじめて3年が経った。
結局、決起部隊立ち上げ時以降、その是非についての正式な討論の場は一度として設けられ無いまま、いつしかメンバーの誰しもが武力革命の可能性について語らなくなっていた。
一方、懐柔策チームの地方自治レベルでの地道な普及活動は比較的順調だったが、ある一つの大きな壁に突き当たってもいた。
「ダメだ。市長だけは変わらず選挙で決めて利権を貪り、実務はアプリに任せる。そんな都合の良い政治プログラムなど作らないと、何度断ったら判るんだ」
導入後数年ほど経った地域で、経済政策や少子化対策など複数の課題における有用性が実証されて以降、もはや過疎地域では『ラクシャス』導入の検討が一種のブームになっていた。だがその一方で、世間では別バージョンを求める声が次第に増えつつあった。実務の大半をアプリケーションに任せて成果を上げ、しかし民主主義を大義名分に一部の政策だけ自分たちに都合よくねじ曲げる。そんな目論見のもと、完全な独立型ではない、外部から政策に直接関与する機能を備えたハイブリッド版『ラクシャス』のリリース要望が次々とプロジェクトに寄せられたのである。
内務省など、地方行政を所轄する官庁からも、半ば国策として、ハイブリッド版を作るよう行政指導されたりもした。
プログラミング的には、さほど難しい修正ではない。もし、選挙による議会政治と併用可能な『ラクシャス』をリリースすれば、ブームに乗って町村部のみならず、大都市の市部や区部でも、大幅に普及したかもしれない。
だが邦香は、それらの一切を問答無用ではね除けた。断固として認めなかった。
「理念がそもそも違う。我々が作っているのは政治家が楽して甘い蜜を吸うためのソフトじゃないんだ。単なる政策補助アプリは絶対に作らない。そう念を押してくれ」
けれど、邦香が幾度拒絶しても、改訂版を求める社会的な圧力が弱まることはなかった。民主主義の御旗のもと、マスメディアを中心に、左右保革問わずあらゆる政治勢力から、政治のコントロール下で機能する『ラクシャス』が求められた。
俺たちがどれほど丁寧に説明を繰り返しても、『ラクシャス』は既存の政治という概念を打破することは叶わず、あくまでその補完的存在としてしか扱われなかったのだ。
厄介だったのは、村政版『ラクシャス』リリース以降にプロジェクトへと加わったメンバーの中に、少なからず彼らと同調する者が含まれていたことだ。
「確かに一〇〇%、プログラムの性能を発揮することは出来ないかもしれません。けれど、たとえそれが八〇%でも、これまでよりずっと世の中は良くなるじゃないですか」
一部のメンバーはそう主張し、理想を一時棚上げして、議会政治と平行して動作する機能限定版の『ラクシャス』をより早くより多く普及させるべきだと邦香に訴えた。
「完全にプログラムに政治を任せきって、将来、AIの暴走みたいな事態が起きないとも限りませんから、人が政策に介入する余地を残すのは、実際有りだと思いますよ。というかむしろ、万が一の安全弁として絶対備えておくべきです」
「『ラクシャス』は過去の政策とその結果を参照し、膨大な数の条件分岐を行っているだけで、知性など存在しない。だから本質的にはAIではないし、暴走もあり得ない。そもそも、政治で世の中が良くなるという前提自体が間違っている。『ラクシャス』の目的は政治にかかる手間を減らすことであって、改善じゃない」
またあるメンバーは、俺がどれほど動作原理を丁寧に説明しても理解せず、『ラクシャス』に政治を一任する危険性を主張し始めたりした。
母校の文化祭を見に行かないか、と邦香から誘いのメールが届いたのは、そんなふうに周囲からの圧力が最大限に達してプロジェクトが行き詰まり、にっちもさっちも行かなくなり始めた時だった。
「懐かしいね。あの制服が、まだ変わっていなかったとは」
「でも昔より、スカートが少し短くなった気がするけど」
「なんだ、陰でこっそり女子のスカート丈なんかチェックしていたのか? 案外ムッツリだったんだな」
俺の素朴な感想に、邦香は声を上げて笑った。
「あの頃だって、みんなウエストで折ってスカート丈を上げるくらいはしていたさ。でも確かに、わたしたちが通っていた頃より総じてスタイルが良くなっているかもな。だから丈は同じでも、可愛らしく感じるんだろう」
箸が転がっても可笑しい、という年頃そのままに、笑い声と歓声に満ちた校内を二人並んで歩く。邦香は足取りも軽くやけに積極的だ。お互いに学生時代、あまり文化祭を楽しんだ記憶はなかった。邦香は生徒会長としてそれどころではなかっただろうし、俺は学校行事へ積極的に参加するキャラではなかった。だが、様々な展示や模擬店を回りながら、妙な格好つけをするべきじゃなかったのかもなと、俺は少しだけ後悔した。
一通り、文化祭を邦香と愉しんだ後、俺たちは屋上へと出た。
屋上からの景色は何も変わっていなかった。海岸沿いの松林と、その先の海。あの頃よりは増えた対岸の高層マンションが、海上で蜃気楼のように揺れている。
「生徒会版の『ラクシャス』は今でも使われているのかな」
「どうだろう。便利なプログラムではあるからな。未だ現役だとしてもおかしくはない」
俺が独りごちると、邦香は当然のようにそう答えた。すでにベースとなるOSのサポートは終了しているが、スタンドアロンでの運用であれば不都合はない。
今日の邦香は淡く青みがかったクリーム色のスーツ姿だった。父兄に紛れて違和感のない服装を目指したようだ。その意図に反して、均整のとれた美しいプロポーションは人目をひきまくっていたが。
どちらからともなく、屋上の端、給水パイプに並んで腰掛ける。
「ドローンとか飛んでないか?」
「見あたらないな。さすがに衛星を使っての監視はないだろうし」
見晴らしが良く、フェンス以外何もない屋上は、盗聴される危険性が少ない。藤井さん配下の護衛チームも学外で待機しているようで、学園祭の最中はその姿を見かけなかった。
「で、話は? まさか文化祭を懐かしむためだけに、俺を呼びだしたわけじゃないんだろう?」
「それも目的の一つだったのは確かだよ。何しろわたしのせいで、君はろくに学生生活を楽しめなかっただろう? 罪滅ぼしを兼ねて、一度くらい学生気分で文化祭を回るのも悪くないだろうと思ってね。それも可愛い女子と一緒に」
「ふざけんな。何様のつもりだ、その上から目線は」
潤いの少ない学生生活だったのは事実であり、そしてその原因の大半が目の前の女にあるのも確かだ。だが、それはあくまで自ら選び取った結果にすぎない。
「しかももう女子って歳じゃないだろ。図々しい」
「そこを指摘されると苦しいな。これでも、理想のお嫁さんコンテストでは毎年ランキング入りしているんだが」
二十代半ばに至っても、邦香が相変わらずトップアイドルの一人である事実は承知している。
『ラクシャス』の知名度が上がるに反して、近頃その人気が陰り気味であることも。
「だがまあ、幾つか相談があるのはその通りだ。取り巻きを振り切って二人きりで会ったからと、痛くもない腹を皆に探られるのは避けたい。ここなら二人きりで会う大義名分になるし、話の前に、初心をふり返っておくのも悪くはないと思ってね」
村政版『ラクシャス』立ち上げ時のメンバー以外とはほぼ接点のない俺と違い、邦香の側近は、プロジェクト内の各勢力から満遍なく選ばれている。
「この学校で最初の『ラクシャス』が稼働してからもう十二年だ。まだ十二年、というべきかは悩むが。この小さな学校の生徒会運営アプリが、今や国政を担おうか、というレベルにまで進歩した。その一方で、お互いあれから色々とやってきたが、そろそろある限界らしきものが見えてきたように思う。まず、この現状認識に何か異論は?」
邦香はなにやらゲームイベントが催されている校庭を眺めながら、穏やかなに口調で語り始めた。
「いや、まったく無い」
「ならば、これからどうするか……という話をする前に、幾つか、確認しておきたくてね」
俺の隣で、邦香は僅かに俯いた。
「十二年前のわたしのあの依頼、君には正直、迷惑だっただろうか」
並んで座る邦香の表情は伺えない。
「だとしたら、遠慮無くそう言って欲しい」
「いや、少しも迷惑なんかじゃなかったよ」
自分でも驚いたことに、俺はそう即答していた。
「やりがいがあって楽しかった。でなけりゃ、干支が一回りするほどの間、こんな破天荒な話につきあえるかよ」
「本当にそうならば喜ばしいのだが。しかし、当初から一貫して、その……君からは『ラクシャス』に対する、ある種の熱意が感じられなかった気がする」
なんだ。
なんだかんだで長い付き合いだ。邦香が気づいていないなどとは、勿論俺も思ってなかった。
だが、改めて指摘されると、些か胸が苦しい。
「これまで成し遂げてくれた成果には満足している。プログラムの基幹部分を、たった一人で全て書いてくれている君には感謝しかない。もちろん、君がその内容にプライドと愛着を抱いているのも判っている。しかしそれとは別に……なんといったらいいのかな、不眠不休で仕上げた作品に対する執着心を、君からはあまり感じなかった。いつもどこか達観して、淡々と高みから眺めているかのようだ」
邦香は続けた。
「今となっては個人で、今後の世界の在り方を変えようというアプリを作っているんだ。本来ならもっと、高揚感とか、達成感とか、我が子に対するような愛着を抱いても良いはずだが……わたしの誤解、ではないだろう?」
「まぁ、そうだな。」
俺は素直に頷いた。
「自分のどこかに、突き放した、冷めた感じがあるのは否めないな」
「だとしたら、ここから先は、君はもう関わるべきではないのかもしれない。プログラムはこの先、自力でアップデートしていけるのだろう? つまり君の一番の仕事はすでにもう終わっている。出来上がったアプリを普及させるだけなら、我々のような愚か者での集団でも用が足りる」
「用済みだからさっさと消え失せろ、というなら、考えないでもないがね」
俺は小さく笑った。
「確かに熱意が一部、欠落しているのは確かだが、どうせここまできたなら、最後まで結末を見届けたいってのも本心だぞ。無論、俺抜きで『ラクシャス』のローンチが成功する筈などない、という自負もある」
「しかし、この先は本当にただ眺めているだけではすまない……比喩でなく、血塗られた世界になるかもしれん。さしたる思い入れのないプログラムに、生命をかけるのは馬鹿者のすることだ」
「おいおい。こう言ったらなんだが、つい半年前は、自動小銃担いで雑木林を行軍してたんだぞ俺は。そんなちゃちな脅しが効くか。……それに、どこか冷めて眺めているからって、思い入れが存在しないのとはまた違うんだ」
俺は青空を見あげて小さく息を吐いた。遠くからは、相変わらず高校生たちの歓声が聞こえてくる。
「俺の父親の話、おまえは知ってるんだよな」
「世間に流布している噂くらいはね」
「大体の噂は本当だよ。まだネットでの流言飛語が生まれていない時代だったからな。あの人は、しがない地方政治家でありながら、大風呂敷を広げて自滅した馬鹿野郎さ」
父は、田舎の旧家出身者として半ば義務のように地方政治家となった。三十代はどこにでもいる利益誘導型の保守政治家だったが、母と結婚して以降、突然何を思ったのか、中央集権型の国家観を否定して、地方自治こそが近代社会の基準だと説く、地域政党を立ち上げた。
まず社会の最小構造体として家庭がなにより大切であり、その補助機構として地方自治が存在し、その下に国家が位置する。健全な家庭、充実した自治組織を築き上げれば、国家は自ずと回る、というのが地方政治家としての父の主張だった。
一頃、時代の寵児としてマスコミに持ち上げられもしたが、その末路は惨憺たるものだった。
「家庭こそが人間社会の基本単位だ、とぶち上げておきながら、最後は本人がアル中になって一家離散させたあげくのたれ死んでいれば世話無いよな」
「自分の親にむかって、そんな言い方をするものじゃない。お父上の挫折は、それほどに深かったという証明だろう」
アルコール依存症のせいで挫折したわけではなく、政治家として挫折した結果、お酒に依存されたのだから、と邦香は指摘した。
「かもしれないが、残される側がたまったものじゃないのに違いはない。……だから、あの人に対して俺は証明してみせたかったのさ」
「なにをだね?」
「政治なんてものは、単なる条件分岐で処理すれば事が済む、純粋な事務作業にすぎない、って事実をね」
俺が中学生となった頃はもう、父はアル中として末期状態にあった。
酔って、吐いて、殴って、息をするように政治への執着を叫んだ。
「俺が生まれる以前は知らないが、少なくとも俺が物心ついて以降は、あの人にとって、政治は宗教だった。その存在意義は議論する対象ではなく在って当然で、人類社会にとって思想信条は一番重要な要素だと疑問すら抱かず神格化していた」
民主共和制であろうと社会民主制であろうと立憲君主制であろうと、とにかく、それを議論することこそが人の生きる意義だと信じていた。
「しかしそんなものは、あの人の勝手な幻想でしかない。人はいつの時代も、知識が足りず技術が未発達で合理的な判断が不可能な事柄を、思想として処理してきた。政治もそうだった、というだけさ」
まだ医療が未発達だった時代、瀉血するか否かは、思想の問題だった。雪道を走るのにFFとFR、どちらが優れているのかも。ロックは日本語で歌うべきか否かすらも、思想だった。
しかし技術が発達し、情報が蓄積されると、必然的に解答は確定する。現代にはことさら病人から血を抜きたがる医師など存在しない。
「今じゃ信じられないが、車の自動運転は危険だから人が操縦すべきだ、なんて思想がまかり通った時代だってあったんだ。相対時速二百キロですれ違う乗り物を、人が直接手で操作するなんて正気の沙汰とも思えないのに」
「しかし、それが時代の変化ってものだろう」
「そうだ。だから二、三百年前までは、政治は選ばれた一握りが扱うのが当然だったし、百年前には男が担うべき義務だった。それが、万人に門戸が開かれたあげくに、コンピュータの発達により自動化されるのは歴史の必然でしかない」
「お説はごもっともだな。なら、どうして『ラクシャス』の普及に熱が入らないんだ?」
えっ?
「自らの家庭を崩壊させたお父上の間違いを証明する。なるほど。善し悪しは別として、動機としてはアリだろう。しかしそれなら、もっと熱心にこのプロジェクトにのめり込んでいてもおかしくない。にもかかわらず、先ほど指摘したとおり、君はどこか冷めている」
予想だにしていなかった言葉に黙りこんだ俺を、興味深そうに邦香は眺めてくる。
「そもそも当初から今のように熱心だったら、わたしだって君に、早めに抜けろ、なんて忠告はしないさ。もっとも」
邦香はそこで言葉を切ると、小さく溜息をついた。
「意識と心は、必ずしも一致する存在ではない、とは理解しているがね」
意識と心の一致、か。
「そうだな」
まるで懺悔するかのような、邦香の呟きに、俺は自然と頷いていた。
「あの頃の俺は、馬鹿親父が間違っていたのだと証明したかった。お袋と俺をないがしろにして、酒におぼれてつまらないご託ばかり捲し立てて……なのに、確かに心のどこかに、まだガキな自分が居るんだろうな。世間では晩節を汚したと決めつけられているけど、俺の父親は凄い、たいした親父なんだ、ってあのアル中を信じたい、幼い頃の自分が」
『ラクシャス』を作って、証明したかった。あの親父が間違っているのだと。政治なんてくだらない、ただの作業で、そんなものに人生をかけるのは馬鹿者の所行だと。
なのに、
おそらく俺は今でも心のどこかでまだ、信じていたいのだろう。
親父の人生は、無駄ではなかったと。
「まったくもって、クソッタレだけどな。自覚はまぁ、無かった訳じゃない」
「だから、全力でアプリを作っていながら、どこか冷めていた、か」
「勿論、『ラクシャス』成功の方がずっと俺にとっての優先順位は高いぞ。親父の件はあくまでおまけ、保険みたいなものだ。それに、そもそも政治プログラムなんぞにムキになるのは、まるで父親みたいで嫌だ、って気持ちもある」
俺が両足を投げ出し、大きく空を仰ぎ見ると、邦香は何故か嬉しそうにクスクスと笑った。
「なんだよ、その笑いは」
「こうして君の本性が一つ、暴けたんだ。嬉しくない筈がないだろう」
「やめろ。滅茶苦茶むかつく」
「渾身の作である『ラクシャス』が普及すれば良し、挫折したら、政治には人の思想が必要なのだと父親の人生が肯定されるのだからそれも良しと。なるほど、君が妙に冷めたというか、複雑な態度だったのは納得がいった。どちらに転んでも、君には何かしら失い、同時に得るものがあるわけか。わたしもまだまだ人が見えていない、未熟者だな」
「勝手に他人の気持ちを推測して判った気になってるんじゃねぇ」
憤慨する俺の横で、邦香はくり返し愉快そうに頷く。俺は容赦なくその後頭部をひっぱたいた。
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