3-4

「忙しい最中に、こんな田舎まで呼びつけて済まないな」

 強攻策チームのもう一人のリーダーである土橋氏から呼びだしをうけたのは、丁度大規模演習のレポートがまとめ終わった、秋も深まった年の瀬の頃だった。

「とんでもない。でも、よろしいんですか。こんな場所で暢気に土いじりなんかしていて」

 土橋氏が待ってたのは、傾斜のきつい山間地にひっそりと開かれた細長い畑だった。今は収穫が全て済んだのか、植え付けられた作物はまったく存在せず、ただ土塊が無造作に転がっている。

「どうだ、見事な畑だろう。今年の夏から始めたんだ。もっとも、長いこと耕作放棄されていた休耕地でね。結局、雑草を抜いて耕すだけで半年が過ぎてしまった。作付けは来年からだよ」

 土橋氏は鍬を地面に下ろすと、首に巻いたタオルで額の汗を拭った。

 野良着で周囲を見回す姿には、どんな時でも整ったスーツ姿の印象が強い敏腕マネージャーの面影はどこにもなかった。輝くような笑顔も、昔の張り付いたような鉄壁の愛想笑いとは大違いだった。

「なんでも近年、猪の被害が酷くて見放された畑らしいんだがね。おかけでしばらくはタダで使っても良いといってくれた。春になったら何を植えるか、今から愉しみだ」

 年相応に落ち着いた口調も、おそらくは本来こちらが地なのだろう。

「悠々自適の田舎暮らしは結構ですが、『ナーヴァニル』は大丈夫なのですか? 紅白、決まったって聞きましたけど」

「あの子たちのプロデュースについてはもう、事務所に全て任せているよ。そもそも、彼女らは誰かの言いなりになって動く人形ドールじゃない。今更、回りであれこれお膳立てせずとも、自分らで全て判断できるさ」

「でしたら『ラクシャス』については?」

 俺は手みやげとして持ってきた、何本かのペットボトルと菓子の袋を差しだしながら土橋氏に改めて訊ねた。

「別にここでリタイアされたとしても、勿論それはそれでアリですけど……連絡の一つも頂けると助かるんですが」

「だからこうして、君を呼んだじゃないか」

 ペットボトルの蓋をひねりながら、土橋氏は苦笑した。

「遅くなって悪かったとは思ってるよ。ただ土でも耕しながら、今後についての考えをまとめたくてな」

 今後について、か。

 年配の土橋氏から悪びれずに言われたら、とてもそれ以上は追求できない。

「まぁ、せっかくだからメシでも食っていってくれ。頂き物の野菜ばかりだが美味いぞ」

 そう告げると、軽やかな足取りで畑の脇を下っていく。俺は素直に、その後ろを追いかけた。


 昭和の気配が色濃く漂う、錆びたトタン屋根の半分崩れかけた古屋だったが、土橋氏の人柄そのままに、内部は几帳面に整理されていた。

「済まないな。谷間だから身体が冷えただろう」

「お気遣い無く。冬場の山中行軍はこんなものじゃないですから」

 くべられた薪が時折音をたてて爆ぜる囲炉裏の脇にこしかけて、熱いお茶を頂く。

「どうだね。藤井くんと編成している部隊の様子は」

「なんとか二個中隊ほどの実働戦力は確保出来そうですが……クーデターの実現には到底足りません。まだまだ道遠しですね」

「だろうな。わずか二年あまりでそれだけの戦力を用意したのはたいしたものだが……二個中隊では国をひっくり返すにはいかにも不足だろう。我々にチェ・ゲバラはおらんのだし」

「かといって、これ以上規模を拡大すれば、さすがに隠し通せません。というか」

 俺は一瞬躊躇ったあと、素直に白状した。

「公安筋には、すでにウチの内情は筒抜けだと思います。ここまで部隊編成を進めているのに、あまりに動きが無さ過ぎる」

「探られている痕跡がないのか?」

「ええ、まったく。すでに部隊に工作員が潜入していて、我々は泳がされているとしか考えられません」

 俺は、確証が得られず、どうしても藤井さんには相談できなかった疑念を土橋氏に打ちあけた。

「勿論、隊員の身辺調査は最大限行っています。しかし数百人の過去を完璧に辿るのは現実的に不可能です。向こうもプロだ。潜入させる人員の経歴は完璧に作り込んでいるでしょう」

「ならどうして、君たちは泳がされているのだ? クーデターを成功させるには足りないとはいえ、内乱を企む数百人規模の武装集団を放置しておく理由はなんだ?」

「我々が現実を悟り、諦めるのを待っているのだと思います」

 悩んだ末、たどり着いた結論を俺は土橋氏に披露した。

「たとえどんなにつまらない組織にも、必ず〝大人〟は居ます。まして公安ならさすがに小役人ばかりではないでしょう。杓子定規に検挙して手柄を見せびらかし、得意がって世間を騒がすより、我々が自ら断念するまで忍耐強く泳がせ、全て無かった事にして人知れず幕を下ろす。そんな高度な判断の出来る者がこの件を仕切っているとしか考えられない」

「つまり我々の知性が試されているわけだ」

「ですね」

 俺は頷いた。

「現状を再確認した結果、藤井さんとは、クーデターの断念でほぼ一致してます。……で、土橋さんの方の様子はどうかな、と」

 そうして俺は改めて、土橋氏の率いる秘密班の進展状況をたずねた。

「そうだな……本当に、長い間連絡をせず済まなかった」

 向かいに座った土橋氏は、湯飲みを置いて、深々とそう頭を下げた。

「櫻井くんにも迷惑をかけると判ってはいたんだがな。なかなか自分の踏ん切りがつかなかったのだ」

「いえ、理由は大体想像がつくので謝る必要はないと、あらかじめ邦香から言付かっています」

 俺が告げると、まったく、あの子には勝てないな、と呟きながら土橋氏は身体を起こす。

「俺も同感です。土橋さんは担当がアレでしたし。そもそも無理をしてまで計画を進めていただく必要はなかったんです。ただ、進展状況を確認したかっただけで」

「言い訳するわけではないが、一通り、計画の立案は済んでいる。段取りも七割方は終わったかな。藤井くんのチームから必要な銃器を融通してもらったら、後は実行メンバーを選ぶだけだ。作戦の成否は、良くて五分五分か」

「ならよかった。極端な話、実行の前段階として地下に潜ったんじゃないか、という見方も一部にあったんです。しかし打ち合わせが皆無でいきなり事に及ばれても、さすがに対応に困りますし」

「まぁ、絶対に成功させようとしたら、そのくらいの秘密主義は必要かも判らんがね。予告もなく政府中枢を壊滅させて、後は君らでよろしく、と押し付けるほど無責任ではない」

 強攻策チームの中で、土橋氏が担当していたのは、政府要人へのテロ計画だった。

 少人数の秘密班により、複数の要人を同時に暗殺、政府の動きを一時的に封じる作戦は、『ラクシャス』導入の契機を生み出す、もしくはプロジェクトメンバーの身に危険が及んだ場合の対抗策など、攻守両面を睨んだ秘策だった。

 無論、秘密班の存在を承知しているのは、『ナーヴァニル』のメンバーなど中枢のごく一部に限られている。

「暗殺計画を立案した動機の一つは、現政府が我々メンバーを偶然を装って始末し、プロジェクトを闇に葬り去ろうとしたした場合に備えてだった。しかし現状、『ラクシャス』はそこまで彼らの脅威となりえていないようだ。向こうにその動きは一切見えない」

「ええ。一方で攻勢策としても、現状で数人、政治家を暗殺したところで世間の非難を浴びるだけです」

「その通りだ。そもそも、テロ単体で歴史を動かすのはほぼ不可能だ」

 俺の情勢分析に、土橋氏は満足げに頷いた。

「せいぜい変革のきっかけを生み出す事しかできん。暗殺計画が効果を発揮するのは、世論が圧倒的に『ラクシャス』を求めていながら、現政府が拒絶している場合など、特殊なシチュエイションに限られる」

「ですから、秘密班の活動を休止させた判断は何も問題ないです。万一の場合、いつでも再起動できる備えは欲しいですが。……だとしたら、こちらに隠遁されていたのは、テロが不要だと判断した故にですか?」

「いや、そうではない」

 俺の確認に、土橋氏は首を横に振った。

「まったくの無関係ではないが、あくまできっかけにすぎない」

「暗殺計画を中止にしたのなら、新たに土橋さんに担って頂きたい仕事がいくつもあります。今はもう、直接動くと目立ちすぎるので自分が来ましたが、邦香もそう希望していました。戻ってきてまた以前のように手伝って欲しいと」

 『ナーヴァニル』発足時以来のマネージャーである土橋氏は、邦香の意向にもっとも忠実な懐刀的存在だった。

「メンバーの二人、結城さんと藤井さんがそれぞれ懐柔策と強攻策のチームリーダーとなって以降、邦香を直接支えうる気心の知れたスタッフが不足しているんです」

「おいおい。最側近の君がそんな弱気でどうする」

「嬉しいお言葉ですが。俺はまた別口で動いてまして」

「そうか。まぁ君は君で、プログラムチームを一手に引きうけていたな。しかし、いずれにしてももう、プロジェクトに戻るつもりはない」

 土橋氏は淡々と、気負うことなく断言した。

「櫻井くんにもそう伝えてくれ。期待に添えなくて申し訳ないと」

「……理由をお伺いしても?」

 正直、返答そのものは決して意外ではなかった。

 主要メンバーと連絡を絶ち、寒村へと身を隠した時点で、その決意には半ば想像がついていたからだ。

 ではあっても、理由を訊ねずには帰れない。

「俺には言いづらいなら、他の者をよこしますが」

「とんでもない。話を聞いてもらうには君が一番の適任だろう。だからといって、理解を期待しているわけじゃないが」

 土橋氏はそう断ったあと、他のメンバーにどう伝えるかは君に任せるよ、と言い添えた。

「この事案について考えだしたきっかけは、クーデターを成立させうる世論の条件だった。クーデターにしろテロにしろ、実行後に世間の大多数がその行為を支持してくれなければ単なる犯罪に終わってしまう」

 そして、おもむろに語り出す。

「だから『ラクシャス』の支持層を増やす結城くんチームの活動が結局、最重要となるわけだが……その進展状況は君も聞き及んでいよう」

「当初はとても順調でしたが、最近は伸び悩んで……一部で反『ラクシャス』運動が生まれつつある、とか」

「ああ。そしてこの後の展開は容易に想像がつく。……どうしてアイドルのマネージャーになど転職したか、君に話した事はあったかな?」

 土橋氏は突然、口調を変えてたずねてくる。

「確か、現代の情報化社会によって精神を消耗させた人々に、認知行動的な療法をアイドルのライブを用いて施せないか、と思いついたからと伺ってます」

「そうだ。そして社会を変えるのも人の精神を癒すのも、根本は変わらない。個人か集団かの違いこそあれどちらも重要なのは意識の改革……しかし、それはどうやら難しいようだ」

 われらがトップアイドルの力をもってしてもな、と言いながら、土橋氏は手にしたカップをコトン、と置いた。

「情報化社会によって、人は変わった。比喩的な意味ではなく、医学的な意味でもな。特に、ネット社会に没頭している人々は残念ながら難しい」

 土橋氏は小さく溜息をつくと、口調を変え、俺へと向き直った。

「SNSによって、情熱的な革命は永遠に過去へと葬り去られた、というわけだ」

「なんとなく、仰る内容のイメージはできますが、詳しくご説明いただいても?」

「もとより以前から、傍証としてその可能性を示唆する研究は少なくなかった。そして最近、ついにその現象を本題とした論文が南アジアの研究者から発表された」

 それから、土橋氏は自らが隠遁するきっかけとなった、ある一本の医学論文が導き出した結論を判りやすく俺に説明してくれた。

「生じる現象そのものは、七〇年代に始まった自己啓発セミナーがブームになった頃からすでに指摘されていた。確証バイアスとは、簡単にいえば、人の脳は同じ主張を繰り返し告げられ、それを信じると、以降内容の真贋を判断する機能を喪失してしまう、というものだ。新興宗教の布教などで用いられる手法も一緒だな」

 より効率よく対象に主張を信じ込ませるため、感情的に高揚と絶望を繰り返させたり、同じ内容の文書を延々と読ませたりと、八〇年代になると様々な手法が開発されたらしい。

「しかし二〇世紀中は、それらにも限界はあった。同じ文章を延々と語り続ける、繰り返し読み続ける、というのは控えめに言っても苦痛だ。しかし、二一世紀に入り電子情報化社会が訪れて、状況は一変した」

「つまり、それがSNSですか」

「そうだ。その状況に嵌った者は、文面を多少変えただけの同じ主張を、一日中延々と繰り返し読み続ける。しかも自発的に。八〇年代の頃から、丁寧に説明された長文より、ただ主張しか存在しない短文を繰り返し読ませた方が、はるかに洗脳効果が高いのは知られていた。現在のSNSはこの条件にぴったり一致する」

 同じ内容の文章を毎日数百回も自発的に読ませる手段など、スマホが登場するまで存在しなかったからな、と説明しながら土橋氏は自分のスマホを取り出す。

「これまで、洗脳は確証バイアスの強力な一種と考えられてきた。しかし彼らの研究によれば、人の脳の高次な機能は、意外と簡単に失われてしまうようだ。SNSによる自己洗脳は、認識のバイアス《偏向》ではなく、判断能力の喪失によって発生する知的障害の一種である、というのが論文の結論だ。この国に限らず、世界中で同様の現象は発生している。南アジア諸国もかなりの情報化社会だからな。彼らも警鐘を鳴らすために危機感から始めた研究だったようだが、すでに遅きに失したかもしれん」

「高次な機能が失われる、というのは……具体的には、どれくらいSNSに没頭すると、どのような現象を引き起こすのですかぎ?」

「彼らの集めた統計によれば、SNSの多用によって障害が発生する閾値は、個人差がかなりあるようだ。十数年、SNSに熱中していても、意識して対立意見にも目を通し、それを理解しようとし続けている場合には、まったく正常な人も少なくない。一方で、自ら望む一方的な意見ばかり、無批判に読み続けていれば、僅か一、二年で判断力を喪失する例もある」

 知的障害を引き起こすかどうかは、あくまでSNSとの向き合い方によって大きな差がある、と土橋氏は強調した。

「自己洗脳を引き起こす条件は年齢によっても当然異なる。一般的に、加齢が進んでいるほど発生しやすくなる。認知障害の一種ともいえるからな」

 発生条件についての土橋氏の説明は、いかにも納得しやすかった。

「判断能力喪失の例えとしては、原発が判りやすいかな」

 原子力発電については、今も賛成派と反対派が活発に活動している。

「仮に原発は危険だ、そう反対しているなら、技術が進歩して安全性が確立されれば、反対する理由はなくなる。経済性に優れている、と賛成するなら、再生エネルギーの単価が安くなれば、そちらに乗り換えなければならない」

 しかし、賛成派にも反対派にも、それらの前提条件を提示されても、主張を変えない、変更するのが不可能な者が一定数存在するのだという。

「本人たちは、正当な他の理由を見つけているつもりだが、実際の現象としては主張を変更するという脳の能力をすでに喪失してしまっているからだ。別のヨーロッパのグループによる実験では、政治活動に熱心だとする者の中には、政党の公約をまったく別の党と入れ替えても、なんら違和感を抱かずそれまでと同じ政党を支持する者も多いらしい」

 主義主張・支持政党、それらの合理的な変更が不可能になっている状態は、すでに高次な機能が失われていると推測される、というのが土橋氏の説明だった。

「民主党から共和党、もしくはその逆へと支持する政党の変更が不可能な人々の存在は、米国でも問題になっていた。統計学的に、彼らの大半が判断能力を喪失しているのは証明されていたんだが、医学的な根拠がなかった。今回の論文が、それを実証したというわけだ。皮肉なことに、政治への関心が強い者ほど自己洗脳の罠に陥りやすい。選挙の前だけ、適当に候補者の情報をさぐる、それくらいの方が健全な判断力を維持し続けられる」

「無党派層、というと政治に熱心な人々から得てして軽蔑的に語られますけど、彼らの方が賢い、というわけですか。確かに皮肉ですね」

 それは、医学的な解釈はともかく、かなり以前から指摘され続けてきた現象でもあった。

「しかも、すでに脳の高次機能を失い、考えを変えられなくなっているのか、正しいから変えていないだけなのか。自覚するのは困難なのが悩ましい」

「自己の無謬を自己が証明するのは理論上不可能だからな。エネルギー問題に関していえば、産業革命当時にも、石油がエネルギーの主力になって以降も、石炭にこだわり続ける者が少数存在したらしい。だが原発に執着する人々の割合は、たぶんこの時の比ではないだろう」

「つまりそのような、従来の主義主張を変更するのが不可能な人々が多数存在する状況では、もはや『ラクシャス』が多数から支持され、クーデターにしろ多数決にしろ、導入される可能性は無い、と。だから土橋さんは断念したという事でいいんですね?」

「いや、そうではない。あの論文は導入の可能性そのものを否定する内容ではない」

 俺が念のため確認すると、土橋氏は首を横に振った。

「むしろ、主義主張とはまったく異なる内容でも、思考に偏向バイアスをかけ、自らを偽って賛成する可能性があると証明されたと解釈すべきだ。平和を守るために軍備を整える、という矛盾に疑問を抱かない平和主義者は多いだろう。それが『ラクシャス』導入の決定的な障壁になるわけではない」

 そう主張しながら、なぜか土橋氏の言葉には力がなかった。

「SNSにおける状況から鑑みて、一部の人々にとって政治が精神の負担となっているのは明らかだ。その政策による直接的な影響以上に、多くの人々の喜怒哀楽、感情を揺さぶり、関心を支配して意識を疲弊させている。個人的には『ラクシャス』導入を是とする理由の一つに、その影響を低減する事にあった。政治的な関心が、SNSによって自己洗脳へと変換されているなら尚更だ。だが……なんだか、もはやそれも空しくなってきてしまってなぁ」

 土橋氏はスマホをしまうと、疲れたように肩を落とした。

「自ら望んで脳を洗って阿呆になって喜ぶ猿に、我々が命がけで『ラクシャス』を提供する必要が本当にあるんだろうか。つい、そう考えてしまうのだ」

「土橋さんの活動の動機からすると、確かにそう考えても不思議はないですね」

「君は、自らの欲望のために『ラクシャス』を開発したのかね?」

「いえ、まったく。邦香から頼まれたのが発端で、その後は腐れ縁に逆らいきれずズルズルと……とはいえ、今ではそれなりに愛着はありますよ」

 実際、まったく思い入れがなかったのなら、非合法武装組織の幹部になどご免こうむる。

「ですから『ラクシャス』の国政導入を目指してあれこれ活動しているわけですけど、主に自分が作ったアプリに対する思い入れなので、それを受け入れる側の事情には正直、そこまで興味はないですね」

「なるほど。優秀なプログラマーらしい発想だ。羨ましいな」

「真面目なお医者さんは大変ですね」

 俺がからかうと、ようやく土橋氏は生気の戻った目で俺を見あげて微かに笑った。

「ですが、音信不通になっていた事情はわかりました」

「櫻井くんに伝えてくれるか。『ラクシャス』を見限ったわけではないが、今となっては、人々がそれを望むなら手伝おう、くらいの気持ちだと。革命を起こすほどの情熱は抱けなくなったと」

「了解しました。邦香には上手く言っておきますよ。土橋さんはここでゆっくり休んでいらしてください」

「秘密班の他のメンバーには、もし今後も積極的にプロジェクトへと関わる意志が残っているなら、君に連絡をとるよう伝えておこう。血の気の多い奴も何人か居るが、君なら使いこなせる」

「正直、物騒なスタッフはもうこれ以上抱え込みたくないんですが」

「なに、藤井くんほどじゃないさ。彼らも決起部隊でならまだ働きようがあるだろう」

 俺が嫌がるのを見て、土橋氏は嬉しそうだった。

「まぁ、心残りがないよう、若い者は最後まで精一杯足掻くがいいさ」

「ありがとうございます。……せっかくですから、もし結局全部ダメだった場合に我々が隠居する場所を確保しておいて頂けますか?」

「承知した。望むところだよ」

 俺が頼みこむと、土橋氏は大きく頷く。

 その表情は、大きな肩の荷が下りたかのような、穏やかな好々爺然としたものだった。

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