3-3
「現実的に無理、か」
『ラクシャス』の国政導入が、プロジェクトの目標として認められた秘密会議から二年後。
「あの時、村松さんが仰った言葉の重さが、今更ながらにこたえますね」
深夜、マンションの狭いリビングで、ようやく実施までこぎ着けた初の大規模演習の結果を整理しながら、藤井さんは悔しそうにポツリと呟いた。
「ありったけの人脈を駆使して隊員をかき集めて、危ない橋を渡りながら強引に武器弾薬を調達して……その結果がこれですから」
現在、一通りの基本課程を修了し現場に投入可能な状態にあるスタッフは、支援部隊も含めて約二百人。一個中隊規模だ。
更に、現在訓練中の人員がほぼ同数。
それが藤井さん率いる決起部隊の全てだった。
「いや、むしろ二年という限られた時間の中で、最大限の結果を出してくれたんじゃないかな。想像していた以上に演習中の動きもよかったし」
「ありがとうございます。でも、結果としてこの体たらくじゃ」
俺が褒めると、困ったように藤井さんは俯いた。
「結論としては、仮に現在訓練中の部隊全てを戦力化できたとしても、私たちの実力で占拠可能なのは地方の小都市が限度、ってことですよね?」
「……県庁所在地は、ちょっと手に余るかな」
俺は渋々うなずいた。
「一般の機動隊が相手なら、装備の差がかなりあるからね。三倍くらいの戦力比まではなんとか対処できると思う。でも、東京から
「六四式にM2迫撃砲まで調達したのに、到底陸自は引っ張り出せないレベル、か」
「特機の主装備はラインメタルのMG3だからね。市街地で対軽装甲集団に限れば陸自の普通科部隊より強力なくらいだもの。仕方がないよ」
警視庁特別機動隊は、バブル崩壊をきっかけとして九〇年代に始まった、右派勢力を中心とした第二次学園紛争に対応するために設立された部隊だ。だが少子化に伴い学生運動が下火となって以降も、保守勢力の中心的存在として規模は拡大の一途を続けている。
「そりゃ払い下げの七四式を前面に展開できるなら話はまた変わるだろうけど、さすがに簡単には投入できないでしょ。市街地でポンポン105㎜撃つわけにもいかないし」
「そうですね。トレーラーと回収車の用意がまだですし、なにより未だに保守部品が満足に調達できないから、訓練もろくに……あれに関しては、結局無駄金になっちゃいましたね」
耐用期限を過ぎて解体され、スクラップとして㎏売りされていた七四式戦車の部品を密かに買い集め、再生して隠匿していたのは、第一次学園闘争で夢敗れ、八ヶ岳山麓でペンションを営んでいた元活動家の一群だった。
実行部隊を立ち上げるにあたって、あらゆる伝手を使って人材と装備をかき集めていた際、彼らはどこからともなく話を嗅ぎつけ、先方から七四式の話を持ちこんできた。
当初、藤井さんたち決起部隊幹部は予定以上に強力な装備が手に入ったと狂喜乱舞したが、実物で訓練をはじめるなりすぐに現実へと引き戻された。強力な戦車がその性能を発揮するには、大量の弾薬と燃料のみならず、訓練された専門の整備チームと、多種多様な消耗品が必要不可欠である。
実戦力としての運用が現実的でないは、素人目にも明らかだった。
「まぁ、あれは自称革命家への退職金だと思って諦めるしかないさ。それに実戦投入は難しくても他に使い道はあるでしょ」
俺はそう藤井さんを慰めると、改めて手元のファイルを眺めた。
「だけど、わずか二年で本当によくここまで部隊を育ててくれたと思うけど」
「やっぱり、限界も見えてきちゃいましたよね」
告げづらい指摘に、つい言いよどんだ俺の言葉を引き継いで、藤井さんはきっぱりと断言した。
「これ以上の規模に部隊を拡大すれば、絶対に隠し通せなくなるし、かといって現有戦力で武力革命を成し遂げるには、圧倒的に実力不足で」
泣き笑いのような表情を浮かべた藤井さんは、三十路をまわっても一線の現役アイドルとして活躍しているだけあって美しかった。営業のための笑みではない、年上美女の憂いを帯びたその表情に、判っていてもつい勘違いしそうになる。
「私たち、この先、どうしたらいいんでしょうかね」
「どうもしなくて、いいんじゃないかな」
僅かに視線を逸らしながら、つとめて淡々と答えた。
「そもそも、力ずくで全てをひっくり返すなんてのは無理筋だと、気づいてない奴はいないだろ」
武力革命の実現性が極めて低いことは、プロジェクトの主要な全員が最初から認識していた。にもかかわらず、邦香が革命軍の編成を指示したのは、一つは藤井さんたち強硬派の未練をきっぱりと断ち切るためだ。
理性で理解していても、感情がそれを承諾するとは限らない。そもそも感情が理性を優越するようなキャラクターであれば、『ラクシャス』で世界を一変させよう、などと一念発起したりしないだろう。
しかし二年という時間とプロジェクトの予算の八割をつぎ込んで、その結果を目の当たりにすれば、さすがに現実と向き合えるようになる。
「物理的に、有無を言わさずこの国を変えちまおう、ってのはやっぱり無理があるよ。だからこの結果は邦香にとっても想定の内の筈だ」
「でしたら、私たちのこの二年間の努力は無駄だったと?」
「とんでもない。たった二年でこれだけ訓練された部隊が手に入ったんだから」
無駄なわけがない、と俺は首を横に振った。
「心強いよ。藤井さんたちの血の滲むような努力のおかげで、この先、俺たちが陰で物理的に潰される心配はかなり減った」
邦香が藤井さんたちに物理的な行使力の整備を指示したもう一つの、本当の目的は、おそらくプロジェクトの自衛力確保のためだ。
優れた理想を掲げ、人々の支持を得た革命が、一発の銃弾によって水泡に帰した事例は歴史上少なくない。
まして、その程度に差はあれど、邦香達の方針は民衆からの公的な承認を拒否している。その分、世論の支援は期待できないから、『ラクシャス』に反対する者たちが、即物的な方法で俺たちの排除を試みる可能性は十二分にありえる。
それを防ぐには、こちらも対抗できるだけの実力を身につけるしかない。
「藤井さんの部隊は、確かにこの国を根底からひっくり返すには力不足だけど、権力者に雇われた右翼左翼や、警察の非公然部隊からの自衛には充分な戦力だ。最初から、邦香の意図していたのもそこら辺だと思うよ」
「防衛戦力として、ですか」
藤井さんは一瞬目を見開いたあと、小さく頷いた。
「この二年、自分たちが革命を起こすことばかりを考えていて、逆に暴力で排除される可能性には考えが至っていませんでした。でも、確かに必要ですね」
「今は浅沼さんの率いるチームが、手分けしてスタッフの身辺警護を担当してくださっている。でも、これは単独犯のテロリストによる襲撃を想定したレベルだから、組織的なバックアップをうけた複数犯が相手だと荷が重いらしい。なので一通りの訓練が終わったら、引き継ぎを検討して欲しいそうだ」
浅沼さんたちSPは、あくまで平時の要人警護が本分である。その主装備は防弾ベストと小型拳銃であり、自動小銃を装備した兵士による分隊規模の襲撃に対応できないのは当然だ。
「引き継ぎと言われても、現実問題として私たちにSPは無理ですよ。オフィスビルへの強硬突入とかは訓練しましたけど、要人護衛に関してはまったくノウハウがありません」
藤井さんは軽く思案しながら提案した。
「とはいえ、浅沼さんたちチームの支援なら可能だと思います。身近な警護は今後も彼女らに任せたまま、私たちはさらにその外側を警戒するような役割分担でなら……早々に、教官に相談してみます」
藤井さんは決起部隊の精神的なトップだが、本職はアイドルであり当然本格的な軍事知識とは無縁だ。部隊を編成・訓練するに当たっては、アフリカに本拠地を置く
「だけど、主要なスタッフに三交代で六人編成のチームを貼り付けて、入れ替え要員まで計算に入れたら……今いる二百人でも足りないかもしれませんね」
「今後は、全員が個別に行動する機会を極力減らして、護衛チームの負担を減らすよう努力させるけど、それとは別に拠点のサーバーを警備してもらう必要もあるからね。やっぱり現状だと戦力はギリかな」
「でしたら、これ以上目的もなく隊員数を増やしても、と思って第三期の募集には待ったをかけていたんですけど、再開しましょうか」
最初、すっかり沈んでいた藤井さんの表情は、話が進むにつれてようやく少し生気を取り戻した。
「うん。この前届けた105㎜無反動砲とRPG-7で重火器の調達は当面打ち止めだから、支援部隊を増やすのはしばらく無理だけど」
「了解しました。それじゃ三期は全員突撃隊要員で」
どこか安堵したような態度で藤井さんは確認堪忍すると、手にしていたファイルをパタンと閉じた。
そして大きく一つ伸びをする。
「結局、夜中までかかっちゃいました。今からじゃもう、お店も閉まってますよね」
「コンビニ以外だと近くで開いてるのは飲み屋くらいかな。バイパスまで歩けば、ファミレスもあるけど」
狭い室内には、俺と藤井さん以外、人影はない。
北関東の地方都市、駅前の地味なマンションの一室は、支援者の名義で借りたプロジェクトの裏拠点の一つだった。
「だったらなんか適当に用意します。確かまだ、冷食のストックはありましたよね」
そう言いながら藤井さんは立ちあがると、台所に入る。
しばらくすると、冷凍のパスタを二つ解凍し、大きな一つの皿に盛りつけて戻ってきた。
「できました。ナポリタンカルボナーラ。略してナポナーラ、というのはどうでしょう」
「カルボリタン、じゃないんだ。渦をまいた色合いが、どうにも魔女のパスタ、って感じだね」
単調な冷凍食品にせめてもの変化をと、千切ったレタスの上に二つを混ぜて盛りつけ、切ったミニトマトとカイワレを散らした一品に、俺は苦笑した。
それなら、と出してきた安ワインも白赤両方並べて、等量ずつグラスに注ぐ。
「絶対に外さないカクテルですね」「いや、そんな大げさなものじゃないから」
一昔前のロゼワインには、こうして作られたのも多かったんだよと、つまらない蘊蓄を披露しながら軽く乾杯する。
「いただきます」
それぞれ、パスタを小皿に取り分けてサラダと混ぜて食べる。冷食ベースの創作パスタにしては、味はなかなかだった。
「あ、意外といけますね、これ」
そうして遅い夜食をとりながら、二人、『ラクシャス』の置かれた現状について語り合う。
「しかし、こっちはどうにも思うようになりませんけど、諒子たちは比較的順調みたいですね」
「うん、そうだね。勿論、向こうは向こうでまた別の苦労があるみたいだけど」
この二年間、藤井さんのチームが強攻策による導入を目指して決起部隊を整備する一方で、結城さんの懐柔策チームは、活動の一環としてその後も地味に地方過疎地での『ラクシャス』普及啓蒙を続けていた。
その甲斐あってか、今では『ラクシャス』を導入した町村は全国で三十を超えていた。先日は始めて、中国地方の中堅市でその導入が議題に上がり、大きくニュースに取り上げられたほどだ。
当初、アイドルグループの主導する政治改革として、露骨に際物扱いされていた『ラクシャス』だが、最近では地方政治の一つの選択肢として、前向きに評価するメディアも増えてきている。
「俺が予想していたよりずっと、多くの町や村に採用されてるのも確かだ」
「さすがですよね。諒子って、一見軽くて頭の悪いギャルっぽいですけど、中身は誰よりしっかりしてますから。あの子が懐柔策チームをリーダーとして引っ張ってるからこその成果ですよ」
「うん。それは俺も感心してる。もっとも、関心を抱いてくれる地域は多くても、なかなか、選挙を完全に廃止してまで導入してはもらえなくて、けっこう苦戦してますと本人は嘆いていたけど」
俺は、プロジェクトのメンバーの中では数少ないどのチームにも無所属として、こうして決起部隊の編成に参加する一方で、町村の要望に応じてアプリのインターフェイスを修正するなど、普及活動を続ける結城さんたちのサポートもしていた。
「それでも、この活動をはじめた当初よりはずっとマシな反応ですよ。最初の、あのネットで袋だたきにされていた状況と比べたら」
よりによって女子供が政治の真似事を、とそれは罵詈雑言の嵐だったと、藤井さんは笑う。
「それが今では、お洒落な中高年男性向けメディアが、もし我が町に『ラクシャス』がやってきたら、なんて特集を組んでくれるまでになりました。本当に、これ以上わたしがムキになる必要はないのかもしれません」
全身全霊をかけて訓練して、その力でプロジェクトのみんなを守る。それはそれで、大切な役割なんでしょうから、とどこか寂しそうに藤井さんは呟いた。
「結局、諒子たちの方法論が正しかった、って事なんでしょうね」
「それはどうかなぁ。確かに今のところ、『ラクシャス』を導入した自治体はどこも上手く回っているから、おしなべて評判はいい。でも、世間は飽きっぽいし、人々の欲望も限りがない。今は良くても、いずれ、逆風が吹き出すとおもうけど」
「このまま、全国に徐々に普及していって、その先に……っていうのは虫が良すぎる願いだと?」
結果的に『ラクシャス』が成功するなら、つまらない意地はそろそろ捨てなきゃ、って最近自分に言い聞かせてたんですけど、と藤井さんは困惑したように俺を見る。
「もちろん、俺だってそうなって欲しいと願ってるよ。心からね。そうすればもうこれ以上、邦香や藤井さんたちが苦労する必要がなくなる。でも」
俺はそこで一端言葉を切った。あまり、予言めいた不吉な予想はしたくない。
その先を言い淀んでいると、藤井さんは朗らかに笑った。
「そうですね。あんまり、先走って考えるのはやめにしましょうか。私たちの悪いクセです。これって」
「ああ、確かにそうだな」
俺も笑って頷くと、話題を変えようと、三人のアイドルとしての近況へと話題を切り替えた。
「最近は、三人とも単独での仕事が増えてきたんだって?」
「はい。どうやら土橋さんの指示で事務所が意図的にピンの仕事を優先しているようで。そろそろ、個別のキャラを確立した方が良いから、と」
グループが飽きられる前に個性をアピールした方が先々芸能界で生きていける、ってことらしいです、と藤井さんは笑った。
その愛らしい笑顔を目の当たりにすると、目の前の美しい女性が自分より年上だという事実が、どうにも信じがたくなってしまう。
「それにしても、昔はグラビアのお仕事って正直、あまり好きじゃありませんでしたけど、来なくなるとそれはそれで妙に寂しいんですよね。なんていうか、女として評価されなくなってきた、みたいな」
「そんな、今でも充分需要はありそうに見えるけど」
「ふふっ。智成さんにそう言っていただけるのは凄く嬉しいです」
それからしばらくの間、藤井さんの最近の仕事や、芸能界にしていのとりとめのない雑談を続ける。
やがて、パスタを全て平らげ、二人とも良い感じにワインの酔いがまわってきた所で、藤井さんはふと訊ねてくる。
「だけど、もし一度事が始まってしまったら、『ラクシャス』が上手くいってもいかなくても、その先、私たちがアイドルとして生きていくなんて絶対無理ですよね?」
「芸能界については詳しくないけど、そんな事はないんじゃないのか? むしろその後のために、土橋さんたち事務所の方は色々と考えてくださっているんだろうし」
俺はやわらかそうな桃色の唇を極力、意識しないようつとめながらそう答えた。
「そりゃ藤井さんたちが先頭きって武装蜂起してのクーデターに失敗した場合には、さすがに無理だろうけど、それ以外なら案外平気だと思うよ」
「いいえ、無理ですよ。っていうか、それじゃ嫌なんです」
だが、俺の言葉に藤井さんは大きく首を横に振った。
「たとえどんな形でにせよ、この革命に失敗しても許されるのだとしたら、世間は所詮私たちなぞ単なるお飾りの女の子、としか認識していなかった、って意味ですよね? でも、邦香は最初から覚悟を決めている。己の全てを賭ける覚悟を。たぶん諒子もとっくの昔に。なら当然、私だって」
しかし、そう告げる藤井さんは、言葉とは裏腹にどこか迷いがあるように見えた。
勢いよく、グラスに残ってた薄桃色のワインを飲み干す藤井さんに、俺は恐る恐る告げた。
「あまり無理する必要はないと思うけど」
「なんですか?」
「これはその……もの凄く事の根本に遡る話なんだけど、『ラクシャス』、つまり全自動で動く政治プログラムをさ、たとえば革命とか、つまり誰かの人生を犠牲にしてまで世の中に認めさせるのはちょっと違うんじゃないのかな、ってこと」
俺は言葉を選んで慎重に告げた。
「最近、いろいろ状況を整理しながら、改めて確認したんだ」
藤井さんは少し酔った表情で、不思議そうに俺を眺めている。
「細かくなら色々と理由はあるし、その時々で微妙に動機も変わる。けれど結局の所、俺は政治なんてつまらないものに皆が、世の中の人が時間を費やさずに済ませたい。そう思って『ラクシャス』を作ったんだな、って」
「政治、ってつまらないもの、ですか?」
「ああ、俺にとってはね。だって政治なんて突き詰めれば富と労働の単なる分配作業だろ。だったら、余計なことは意識せずさっさと機械的に済ませればいいじゃないか。人種や性別に対して公平だったり、伝統文化を大切にするなんてのはさ、これまでの歴史的な積み上げを分析した結果、その方が効率よく世の中をまわせる、って結論になったからにすぎない。なので、期待してくれているみんなには悪いけど、もともと『社会を良くする』なんてのは『ラクシャス』の主目的じゃないんだ」
「そうなんですか? 『ラクシャス』を導入した村を眺めている限り、政治も社会構造も随分改善されているようですけど」
「これまでが悪すぎるから、『ラクシャス』の作る普通が良く見えていただけだよ。そもそも良い社会、なんて定義は人によって大きく違う。だから、そんなご大層な理想はきっぱりと諦めて、そこそこの政治で済ませるかわりに大幅に労力が省けるのが『ラクシャス』最大の取り柄だ。……なのに、その導入に手間がかかったり、あまつさえ誰かが人生をかけるような事態になったら本末転倒だろ」
それは、これまであまり他人に大っぴらに告げたことのない、俺の本音の一つだった。
基本的に、すべてのプログラムは人が楽をするために存在している。ならば、実行にあたって、楽になる以上の苦労が要求されるなら、そのプログラムは存在価値がない。
「藤井さんも結城さんも、革命を成功させるための手段にすぎないというけれど、俺にはなんだかんだいって二人ともアイドル稼業を結構愉しんでいるように見える。だから、『ラクシャス』の成否にそのキャリアを託すような真似はしてほしくないんだ」
途中から多くのメンバーが加わったプロジェクトの中でどこか俺が浮いているのも、政治になんらかの意味を感じているが故に革命に真剣な彼らと、政治なんてつまらないものはプログラムに任せてしまえ、という根本的な認識のズレがあるからだ。
「自動小銃振り回して、兵隊の真似事をしている時点で、あり得ない話じゃありませんか? それって」
俺の本気の語りかけを、藤井さんは笑ってあしらった。
「たとえ能力や技術は足りていなくても、志願した隊員には全員、共通した強い思いがあります。私だってアイドルとしてのキャリア、なんてつまらないものじゃない。『ラクシャス』に文字通り生命をかけているんです。でなきゃ、武力革命なんてできないもの」
「まぁ、そうだよな。みんなの気持ちは判ってはいるんだけど、それでもね」
矛盾は当然、自覚している。けれど、告げずにはいられなかったのだ。
「演習に参加していながら感じたんだ。なんか、最初の頃に思い描いていたのとはどこか違うなぁ、って」
俺はグラスに残っていたワインを飲み干すと、紙パックのワインをドボドボと注いだ。
「邦香に声をかけられた頃はさ。ぶっちゃけ、こんな、悲壮感に満ちた展開は予定していなかった」
「どうしてですか? 革命ですよ。滂沱のような血を流さずには収まらないでしょう」
藤井さんもワインをお代わりする。俺同様、結構酔っているようだ。
「私はむしろ、もっとグチャグチャで凄惨な未来を覚悟していましたけど」
これまで、藤井さんと食事する機会は幾度もあった。
にもかかわらず、年下の俺に対して丁重な口調が改まらないのがなんだか寂しかった。互いの距離を詰めるために、こちらは少々無理してでも、ぞんざいな物言いを選んでいるというのに。
「予想していなかった、というなら、こんなふうに、夜中に智成さんと二人きり、差し向かいで飲む日が来る方が、よっぽど意外でした」
「はい?」
だが、相変わらず慇懃な口調とは裏腹に、突如、要旨の急展開した話についていけず、俺は間抜けな声をあげた。
「それに、いつまで待っても、邦香と良い仲になってる気配もないし」
藤井さんは、斜に構えると手にしたグラスのワインをクルクルと回した。
「それともアレですか? 完璧な偽装を保っているだけで、裏ではとっくに一線を越えているんですか? 私や諒子の気づかないところで二人、しっぽりとお楽しみですか」
「ちょ、ちょっと待ってよ。突然一体なに? なんかさっきと話が全然別になっているんだけど」
「どこも違いませんよ。だって未来予想の話ですから」
しかし、藤井さんは当然のように首を横に振った。その瞬間に白くて細い襟足が目に入り、意味もなくドキッとする。
「三人でグループを結成した一番最初から、諒子も私も、てっきり邦香の男なんだと決めつけてました。一度話に聞いただけで判りましたもの。邦香がどれほど信頼していて、そして慕っているかって。だから直接会ってから以降は、あの諒子だって一切手を出さずに見守っていたんですよ。なのに一向に、そんなそぶりを見せないのは何故なんです?」
なんでだ! どういう展開だよ、これは!
「そんなに、私たちが信頼できませんか? ……それとも、邦香との関係を誤魔化しておけば、私たちともちょっとした火遊びが楽しめると、そんな下心があると期待してもいいんですか?」
藤井さんは、艶やかな手つきで、背後にある寝室の無愛想なベッドを指さした。
「智成さんがそのつもりなら、私はいつでもウェルカムですよ? 諒子はあばずれを気取っていて、実際仕事のためならすぐ寝てますけど、気持ちはびっくりするほどピュアですよね。でも、私は全然違いますから」
同僚の欲望を身体で解消するくらい、全然平気ですので、と笑う藤井さんの眼差しは色っぽく潤んでいた。
「それにいつも済ましている智成くんが、ベッドでどんな雄に豹変するのか。ちょっと興味もありますし」
しかし、そう嘯く藤井さんの指先は、ほんの僅かにだが震えていた。
「つまり、そういうプログラムだ、って事なんですよね、『ラクシャス』というのは」
「そういうプログラム?」
「私たちと違って、智成さんにとっては政治なんてつまらないんですよね。人間は、そんなくだらない行為に時間と労力を割かずに、もっと人生を豊かにすごすべきだ、と。たとえば、美味しい物を食べて、良い女を抱いて」
藤井さんの腕が、ゆっくりと俺の胸元に伸びてくる。甘い吐息がかかる。
「それが『ラクシャス』を開発した智成さんの思想だというなら、もっとちゃんと実感させてくださいよ、私たちにも。身をもって」
ヤバッ、本気でこのまま流されたいんだけど、俺。
「血と硝煙と汚泥にまみれたグチャグチャな世界は、智成さんの未来予想ではなかったんでしょう?」
「かといって、藤井さんとそういう関係になる未来も予想していなかったんだよな」
俺は、精一杯の理性を振り絞って、濡れた瞳で見つめてくる藤井さんの身体をそっと脇へと押しやった。
「別に、それが嫌なわけじゃ決してないんだけどね」
「だったらどうして? そんなにも、邦香への義理立てが大事なの?」
「まさか。仮に邦香とそういう関係だったとしても、そんな聖人君子じゃないっすよ、俺は。なかなか女性と縁遠い人生なんで、いただける据え膳は有り難く頂戴します」
不満そうに頬を膨らませる藤井さんにむかって、俺は苦笑した。
「ただ、そんな俺にも多少の条件ってものがありまして」
「なによ、年増は対象外ってこと?」
「違いますよ。年増だなんて、現役アイドルに向かってあまりに失礼な。……だって、誘われた理由があからさますぎて、さすがにちょっと萎えるので」
美しく整った顔に手を伸ばし、その頬を、軽く引っ張る。子供のように、わざと無邪気に。
「たとえどれほど極上の美女でも、現実にぶち当たって、革命を挫折した腹いせを男で晴らそう、って誘いには残念ながら食指が動かないんです」
「やだ、そんなつもりじゃ」
俺の指摘に、藤井さんは、大きくその目を見開くと、横に首を振ろうとして……そのまま力なくうなだれた。
「なかったんだけど……でも、そうね」
やっぱり、勿体ないことしたかな。
これほどの美女から、酔ってベッドに誘われるなど、二度と無い幸運だろう。
しかし、
「やっぱり、そうなのかしら」
「でなけりゃ、俺みたいな平凡な男に、藤井さんのような超絶美人がその気になる筈がありませんよ」
「もぅ、その超絶美女に誘われて、平然と断れる男が平凡な筈、ないでしょ」
諒子にもっと、効果的な誘い方を教わっておけばよかった、などとぼやきながら、緊張が解けてぐったりとした藤井さんは勢いよく残っていたワインを飲み干した。
そして、今度は本当に無防備に、身体ごとしなだれかかってくる。
「だから、邦香だって諒子だって、あなたのことを……それなのに……」
俺は慌てて、その華奢な、だが見た目よりずっと女性らしい起伏に富んだ身体を抱きしめた。
「少しくらいは……私だって……」
うわ……勘弁してくれ……
そして、俺に抱きしめられたまま、藤井さんはそのままスヤスヤと、安らかな寝息をたてはじめる。
平凡な淡い黄緑色のブラウスの襟元が乱れ、高価そうなレースの肩ひもが覗く。先ほどまでの作為的な眼差しより、よほど色っぽくて魅力的なその寝姿に、それからの俺は理性を総動員しなければならなかった。
丁寧にその身体を持ち上げ、奥にある狭い寝室のベッドに横たえてから、そっと部屋を後にする。
やっぱり、勿体ないことをしたかな。今からでも戻って……いや、でも……
内心でくり返し逡巡するが、結局、俺はそのままダイニングの床に寝袋を敷いて寝た。
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