3-1

「カエデ1よりミズキ1、聞こえるか」

「ミズキ1、感度良好、どうぞ」

「カエデ1、デルタⅥに到着。フタヒトヨンゴより支援ねがいます。宛、B《ベー》ナナサンマルからC《ツァー》ナナサンフタ。目標・軟。送れ」

「デルタⅥで支援? 予定にはなかったけど……フタヒトヨンゴ、範囲BナナサンマルからCナナサンフタ、目標・軟、支援了解。フタヒトヨンヨン、修正射。フタヒトヨンゴ、効力射。送れるのは二分間、十二発だ。送れ」

「フタヒトヨンヨン、修正射了解。効力射二分。感謝する。終わり」

 ハァハァハァ、

 荒れる息をこらえながら、俺は方眼の描かれた衛星写真を片手に、もう片手に双眼鏡を握って、駆け上ってきた尾根の先にある斜面を見下ろした。

 持続的な林業を可能とするため、というお題目のもと民間企業によってすっかり丸裸に剥かれた斜面の向こうには、狭い渓谷の両岸に張り付くように立ち並んだ建物群が見えた。

 これから、制圧すべき目標はあの温泉街だ。

 事前に設定したタイムテーブルからは想像以上に遅れはじめている。間に合うだろうか。

「……すみません、ようやく全員着きました」

 やがて、背後から俺以上に激しく息をきらせながら、藤井さんが現れた。

 藤井さんが隊長を務める第二分隊は、隊員全員が女性だ。そのうち七割がデビュー予備軍の女の子である。

 彼女らは全員が日頃、アイドルの必須技能として厳しいダンスのレッスンを受けており、可愛らしい外見からは想像しがたいほど体力がある。とはいえ、総重量十五㎏の背嚢を背負い、六四式小銃を構えての尾根登りはさすがにこたえたようだ。皆、足取りが重い。

 彼女らに小休止を命じて、俺は藤井さんと今後の作戦について打ちあわせた。

「思ったより斜面に足をとられてしまって。制式のブーツには再考の余地が」

 俺は藤井さんにコンパクトな双眼鏡を手渡した。全身のみならず、その顔にまで迷彩の彩色が施されており、アイドルの面影は何一つない。

「その話は今はいい。それより、あと四十五分以内に突入するよう下命されたホテルはあれだ」

 温泉街の中で一際背の高い、もっとも規模の大きな建物を指さす。それは、作戦前の会議で提示された第一目標だった。

 この温泉街を守るには、あのホテルの上部に指揮所を置くのが一番合理的だ。上流側も下流側も容易に肉眼でチェックできるからである。

 藤井さんは双眼鏡を覗きこむと、その周囲を確認した。

「よかった。心配していた警戒車両やバリケードらしきものは見あたりませんね。それでも、圧倒的に近づく側が不利ですけど」

 今は分隊長を務めている藤井さんだが、中枢幹部の一員として一通りの士官教育は受けている。

「だからこその尾根を越境しての強襲だろう。ここから温泉街の中心付近まで直接下りたら、打ち合わせどおりまず俺の分隊がこちら側のコンビニを確保する。そうしたら、おそらく防衛線に設定されているこの道路を藤井さんたちがむこう側から……」

 俺は拡大された衛星写真の上を指でなぞりながら、何度も繰り返しシミュレーションをして決定した作戦を、念のため再確認した。

 そもそも、狭い峡谷沿いの温泉街だけに、攻守双方とも、戦術的な自由度はさほど存在しない。

「向こうの体勢が整うまえに指揮所を強襲してケリをつける。予定に変更はない。だが」

「この伐採状況は、想定外でしたね」

 藤井さんも、樹木がすっかり伐採され、丸裸になった尾根からの斜面を見下ろす。

「ネットで公開されている衛星写真が、最新の状況と限らないのは承知していましたけど、さすがにここまで現状と異なるとは。こんなに無思慮に山の木を切って、将来大丈夫なんでしょうか」

「近年は大規模な台風が増えたしな。しかし、今必要な心配はそれじゃない」

「苦労して、まっすぐ尾根目指して登ってきたのが裏目にでちゃいましたね」

 藤井さんは苦笑した。

 渓谷沿いに伸びている一般道を素直に進んだ場合、警戒している部隊にとって容易に捕捉可能だ。我々の規模では温泉街を目にすることもなく壊滅させられるだろう。

 だから稜線を越え、山林を抜けての奇襲なのだが、事前の作戦会議で候補に挙がったルートは二つあった。

 標高差を無視して最短距離を進むか、多少遠回りにはなるが尾根の鞍部を越えて温泉街へと回り込むか。

 結論として、俺たちは遠回りをして敵に発見させるリスクが増えるのを嫌い、最短距離を直登してきた。だが、

「こんなことなら、向こうの低い楽なコースを選べば良かった」

「念のため確認するけど、待ちかまえていると考えるべきだよな」

「これだけ視界が開けているなら、ここの警戒には索敵用のドローンを飛ばした上で、外縁部の林の中に狙撃兵を数名配置するだけで事が足りますよね。市街中心部のちょうど真上ですし、私が指揮官なら絶対に置きます」

「かといって、迂回には時間がかかるし、左右の林にはまた別のトラップや警戒センサーがないとも限らない」

 これだけ見通しがよい一帯があるなら、その周囲を敵が迂回する確率は高い、と彼らも予想するだろう。

 元々、尾根を越えて以降はいずれ発見される、との前提で作戦は組まれていた。そして傾斜のある地形では、上から攻める方が有利なのは戦国時代から変わらない鉄則だ。

「どうせこの先は時間との勝負なら、まっすぐ下った方が早い。下手に策を弄するより、重迫の支援を受けながら強行突破しよう。砲撃はもう依頼してある。あと……六分後だ」

「強攻策ですか。悪ければ何名か落伍者が出るでしょうが……仕方がないですね」

 藤井さんは、固い表情で頷いた。

 一見するとたんなる寂れた温泉街だが、ここは平安時代からの旧街道も通る、交通の要衝である。決起部隊が関東の平野部に攻め込むにしても、逆に山間部にたてこもるにしても、絶対に確保しておきたい拠点の一つだ。

「了解です。ウチの子たちにバンザイ突撃をさせるつもりはありませんけど、速度を味方につけるしか方法がないのも確か。全員に、迅速な行動を徹底させます」

「一分前に着弾位置確認用に一発くる。その修正データは俺から送信。前方の林間部に効力射が始まったらこの開けた部分を一気に駆け下りて、林に入ったところで分隊を再編する。効力射は二分間だ」

「ヤー。では強攻時の先陣はこっちに任せてください。智成さんの分隊は一呼吸、三十秒遅れでお願いします。ドローンは発見次第それぞれが墜とすって事で」

「……これだけ幅があるんだ。同時に下りるのがベターな判断だと思うが」

「ナイン。どうして、ウチの分隊は可愛い子ばかりかきあつめたかご承知ですよね。こういうシチュエイションのためじゃないですか」

 藤井さんは、軽蔑するような視線で俺を見た。

「一、智成さんたちより小柄で軽装の私たちの方が効率よく狙撃兵を掃討できます。二、特機の精鋭といっても、所詮は童貞ですよ。初見のアイドルを躊躇なく撃てる肝の据わった兵がどれほどいるか。三、私たちの死体の方が、ずっと世論に対するインパクトがある。命のコストパフォーマンスに優れています」

 そう言いきると、藤井さんは腕時計を確認した。

「あと三分半ですね。隊員に指示します。では」

 そう言い残すと、俺の返事を待たずに自らの分隊へと駆けていく。

 確かに、藤井さんの言い分は正しい……まだ、覚悟が足りていなかったのか。

 俺は複雑な気分でその華奢な後ろ姿を見送りながら、自らの分隊へと歩み寄った。



 俺と藤井さんの覚悟の確認は、だが結局、かなり中途半端な状況で終わった。

 予告されていた時刻に、指示した目標よりやや手前に着弾した観測用のカラーマーカーを確認した俺は、マニュアルどおりその修正データを送信した。その後、タイミングをあわせて藤井さんの分隊は稜線から飛びだしたが、効力射はなぜか斜面を駆け下りる藤井分隊の真上に降っていた。

「状況中止! 状況中止!」

 それは決定的な破綻であり、俺は反射的に無線に向かって怒鳴った。

 身を隠す物のない急斜面のただ中で立ち止まった藤井さんたちは、呆気にとられたように、頭上にたなびくカラフルなスモークをただ見あげていた。


「結局、誰のミステイクだね」

 三週間あまりの集中訓練の最終演習が不完全燃焼に終わった反省会の冒頭。邦香はそう淡々と口火を切った。

「ちょっと、邦香」

「判っている。必要以上に糾弾するつもりはない。誰にだって失敗はあるからな。だが、責任の所在は常に明確にしておく必要がある。その内容についてもだ。でなければ訓練の意味がない」

「そのとおり。ミスしたのは俺だよ」

 邦香をなだめようとする結城さんに、ありがとう、と目礼しつつ、俺は片手をあげた。

「重迫分隊に対する、効力射の修正方向の指示を間違えた。俺は目標とするグリッドの値の増減だと勘違いしていたんだ。……申し訳なかった」

「とんでもない。作戦前に修正値の正負の意味を確認していませんでしたので、責任の半分以上は距離の増減だと一方的に思いこんだ重迫分隊こちらにあります」

 頭を下げる俺に向かって、土橋さんが慌てて手を振る。

 それから俺たちは、自分の方が責任が重いと互いに主張しあった。

「ミスを認め合う麗しい人間関係は結構だが、肝心なのは再発防止だ。責任の大小より、そっちをしっかりと話し合っておいてくれ」

「勿論だ。重迫分隊を含めた支援部隊への指示の伝え方はもう一度、ルールを確認、再定義する」

「その内容は直接地図や航空写真にプリントするなど、全隊員に周知を徹底してくれ。状況次第で、分隊長以外が着弾観測を担う可能性は十二分にある。もしこれが本番で起こったら全てを台無しにするからな」

 邦香は強い口調で確認すると、だがこの問題はこれで終わりだ、とばかりにわずかに口調を変えた。

「しかし見方を変えれば、その一点さえ除けば、今回の演習は必ずしも悪い内容ばかりではなかった。多少の遅れはあったにしても、基本的にそれぞれが部隊単位で自立的に行動できていたからな。……火力支援の失敗はそれとして、演習自体は最後まで続行してもよかったように思うが、あそこで止めたのはどうしてだ?」

「とっさの判断だったからな。理屈じゃないが……あれは致命的な失敗だった。今考えると、それを無かったことにして先に進めると、どこか気のゆるみにつながる、と感じたのかな。演習で得られる経験より、その悪影響の方が問題だと」

「良い止め時だったと思います。どのみち、温泉街にたどり着いてからあとは、実戦的な演習は不可能なわけですから」

 すでに演習で可能な経験は大概得られた後だったと、藤井さんは俺の判断を支持した。

「智成さんの言うとおり、たった一つの失敗だけどそれで完全な負け戦、そう全員の心に刻みつけておくのも、大事な事だと思います」

 その後、改めて演習の内容について、各分隊ごとに最初から結果報告と内容確認、問題点の洗い出し等を済ませて、反省会は予定時刻より少し早く終了した。

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