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 アイドルとは一体どのような存在なのか。

 『ラクシャス』の普及問題に関係して、最終的に俺がもっとも意識したのは、そんな一見まったく関係のなさそうな命題だった。

 邦香たちの容姿は確かに秀でている。だが冷静に眺めれば、歌はカラオケの上手な素人レベルだし、お芝居だって学芸会も同然だ。

 にも関わらず、人はこれほどまでにアイドルに熱狂している。うごめくサイリウムの波、飛び交う嬌声と喚声。若い者はともかく、俺と同世代どころか、彼女らが娘や孫でもおかしくない年配者まで、すっかり夢中だ。

 彼女たちの一挙手一投足に、押しかけたオーディエンスが右往左往し、廃校の小さな体育館の床が揺れる。俺はパイプ椅子に腰を下ろし、足を投げ出して『ナーヴァニル』の舞台を眺めながら、とりとめもなくそんなこんなをぼんやりと考えた。

 『ラクシャス』普及の問題そのものは、些か予想外の形であっさりとケリがついた。

 アプリのリリース初期には、負に作用していた同調圧力が、ある程度のシェアを獲得後、突然正の作用へと一転したのだ。事前のシミュレーションでも予想されていた現象ではあったが、その圧力は予想以上だった。

 加えて、新たなデータ回線契約の商機を嗅ぎつけた三大キャリアが、競って特典として実質的なスマホ代無料キャンペーンを村内限定で打ちだしたのも普及を後押しした。

 結果、『ラクシャス』はプロジェクト開始後、わずか約九ヶ月ほどで無事ローンチに成功した。邦香が最低で一年、最長で二年と見積もった当初のスケジュールからは、三ヶ月ほども早かった。しかし結果的に、普及に対抗する勢力の正体をあぶり出す時間は残らなかった。

 もっとも、多少の紆余曲折はあったものの、想像以上に順調だったと内心小躍りして喜んだ俺とは違い、到着時に案内してくれた村役場の職員などからすれば、これは当然すぎる結果だったらしい。むしろ、時間がかかって申し訳なかったと謝られたりした。

 正式版リリース後、半年ほどで同調圧力が普及側に働くまでアプリのインストールが進んだ理由は、俺が書いた『ラクシャス』のソースが優秀だったからでは無論ない。

 おそらくは、そもそもこの村で暮らす皆が、限界を感じていたのだろう。

 人が減り、それ以上に若者が減り、それ以上に活気が消え失せた。

 そんな村が求めていたのは、画期的な政策、斬新な政治主張でもなければ、熱い政策議論でもなかった。毒にも薬にもならず平凡だけれど安定した、少しだけ未来に希望の抱ける、コストのかからない政治。それだけで充分であり、それ以上は望まれていなかったのだ。

 『ラクシャス』はそんな村民の願望に、見事なまでに一致していた。であれば、それを選ばない理由はなかった。

 何の根拠もなく、漠然とした先入観によって、村民にとって未知のプログラムに村政を任せるというのはかなり大きな決断だろう、と俺は勝手に想像していた。だが、現実は必ずしもそうではなかったらしい。

 もっとも、それも全てはリリース最初期の、多くのアプリのローンチが頓挫する最初で最大の壁を、アイドルである彼女たちの魅力で強引に突破できたからでもある。いや、さらにそれ以前の、村政をアプリに任せる、という提案自体、『ナーヴァニル』肝いりのプレゼンテーションでなければ、検討すらされなかっただろう。


 インストール数が過半数を越え、現実に村政を担いだした『ラクシャス』は、俺が予想していた以上に稼働直後から安定して動作した。スタート時の印象はその後の命運を左右しかねないだけに、まずは一安心だ。邦香たちも大喜びしていた。

 アプリが動作しさえすれば後は用無し、と掌を返すわけにはいかないから、彼女たちは相変わらず村通いを続けていたが、年明け以降、その頻度は明らかに減った。今後も徐々にフェイドアウトしていくのだろう。もっとも、観光大使は当分続けるだろうし、その後も名誉村民を名乗ることがほぼ既定路線になっている。彼女たちと村との縁はおそらく生涯続くだろう。

 いずれにしろ、実務担当の俺や土橋氏にとって村との関係はひとまず終わった……筈なのだが、現実はといえば、俺に関してはその後もある意味で邦香たち以上に濃厚に、非公式な相談役のような立場で関わりは続いている。村役場の職員にとって『ラクシャス』は完全にブラックボックスな存在なので、些細な問題でも全て連絡が来るのはある意味致し方がない。邦香にはいい加減メインの開発スタッフを増強するよう希望していたが、送り込まれてくるのはデータ収集ルーチンのオペレータなどサポート要員ばかりで、本体部分は相変わらず俺一人で全てみていた。なので、こちらの縁も当分は切れないだろう。



 こうして、地方自治版『ラクシャス』は、過疎の村でひっそりと産声をあげた。

 その反響は、意外な形で俺たちにもたらされた。

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