2-8
『ありがとうございました! ナーヴァニルでした! また後でね!』
10月。
具体的な導入スケジュール、実例をあげてのQ&Aにまで踏みこんだ、二期目の公開説明会はおおむね成功裏に進んでいた。
約束どおり、村松氏が動いてくれたのだろう。今期の説明会では、いつの間にかどこかふんわりとした雰囲気のもと、『ラクシャス』の導入がすでに既定路線になっていた。誰かが決定したわけでも、どこかで明確な合意があったわけでもない。にもかかわらず確かに存在するその空気感に、申し分ない結果でありながら、俺は薄ら寒さを感じた。子供の頃から同調圧力は苦手だった。
結果的に、二期目の説明会はその理念と原理についてではなく、実際の運用面に関する内容が主になった。
「はい。たとえ参加者が少数でも、試験運用は始められます。村議会版『ラクシャス』は完全な分散コンピューティングとなっていますので」
『ナーヴァニル』ミニライブの途中に設けられた説明時間。俺は集まった村民の前で、前回の反省を踏まえ、より簡素で実践的をことさら心がけて説明した。
俺自身はそれまで意識していなかったが、武道館公演を済ませたことで『ナーヴァニル』の知名度はこの村でも更に上がり、説明会に集まる村民の数は一期目より大幅に増えていた。彼女たち目当てに、縁故を頼りに紛れ込んだ村外の者も少なくないようだった。
「『ラクシャス』はご協力いただける村民の方々のスマートフォンにおいて、バックグラウンドアプリとして動作します。集計用のサーバを役場に用意しますが、主体となるのはアプリ側です。また、原理的にはサーバ不在でも稼働可能です」
「みなのスマホを使って村に関する一切合切を計算する、というのかね? そんな真似をして大丈夫なのか?」
「大規模な分散コンピューティングは、スパコン以上の演算能力を手軽に達成する手段としてもう二十年以上前から用いられている、すでに確立された技術です。皆さんお持ちのスマートフォンは、平時にはその5%も能力を使用していません。余ったうちの何割かをご提供いただくだけで、立派に村を運営していくことができます。勿論、主要なアプリが動作する際にはプログラムが自動停止しますので、皆様がスマホ使用の際に不自由を感じることは一切ありません」
具体的なバックグラウンド動作の条件とか、通信帯域の利用率についてなどの、事細かな説明は勿論しなかった。
「当然、強制ではありません。ご協力いただける村民の皆様だけ、アプリをインストールしてくだされば結構です。ガラケーのお好きな方だっていらっしゃるでしょうし」
そう言いながら、俺は自分のガラケーを取りだしてみせた。
会場に軽いどよめきと笑いが起きる。実際、純粋な通話用としてはガラケーの方がずっと便利なので、バックアップを兼ねて俺は以前から二台持ちだった。
「最低動作必要数以上に、アプリをインストールしてくださるスマホが増えれば、『ラクシャス』の予測精度は更に向上します。とはいえ、それは99%を越えた後の、小数点以下四桁とか五桁といったレベルでの精度差なので、運用上さしたる意味はありません。メリットはむしろ、セキュリティ対策としての暗号化により多くのリソースを割けること、および機器の不調による通信途絶や、非常時に失われる個体が生じた場合のバックアップとしての役割にあると考えています」
「自分のスマホにアプリをインストールした場合のメリットはなにか用意されているんですか?」
「稼働後、『ラクシャス』がどう判断するかは不明ですが、現在の所、協力くださる方への村民税の軽減など直接的な優遇策は検討していません」
想定問答集のトップにあった質問に、俺はにこやかに答えた。
「しかし『ラクシャス』インストールのメリットは勿論存在します。アプリの入ったスマホがあれば、その所有者に関すること限定ですが、村役場の窓口で扱うほぼ全ての業務が、自分のスマホ上で処理できるようになります」
住民票の申請から健康相談まで、あらゆる行為がスマホ一つで可能になると、俺は強調した。
「また単なる事務手続きに留まらず、アプリは『ラクシャス』のアンケート端末としても機能しますので、所有者は村政へ自由に意思表示が可能になります。その直接提言の優先順位は決して低くありません。また決定事項の判断プロセスを自由に閲覧できますので、なぜ『ラクシャス』がそのような判断を下したのか、疑問に感じる政策については詳細に至るまで内容の検証が可能になります」
俺の説明に村民のごく一部から、だが小さくないどよめきがわき起こった。
「本当かよ。村政の意志決定過程を、村民であれば誰にでも無条件で見せるつもりなのか?」
「至極当然の処置です。そもそも、全ての行政文書を公開するのが、民主主義国家の原則です。なのに機密文書が存在するのは、意志決定過程を知られると困る誰かさんが居るんでしょうね。『ラクシャス』においても、公文書の扱いに関しては民主主義と同様に考えています」
俺の当てこすりに、場がドッと湧く。話の流れにのせて俺はさりげなく、『ラクシャス』は民主主義とは異なる政治思想であると明言した。
「むしろ、万が一そこに誤解や過ちが存在した場合、皆様にそれを指摘し正していただきたいわけで、全村民が行政文書の全てに目を通す状態こそ、『ラクシャス』にとって理想的な動作環境ともいえます」
「村民であれば本当に誰でもどんな内容についても閲覧できるのですか? 仮にそうしてみたいと私が望んだ場合、目を通すべき文書は、どのくらいの量が予想されますか?」
「閲覧の可否は『ラクシャス』が指定しますが、個人のプライバシーに踏みこむ内容でなければ原則許可される筈です。なお処理する情報量ですが、数値と表、それに政策判断の元となった参考資料も含めれば、一つの政策決定につき少なく見積もっても毎日文庫本一〇冊程度は発生しそうです。また各種政策はそれぞれが連動して影響しあっていますので、ある政策判断を理解するために目を通すべき情報、というのは結局村政に関する全ての情報となってしまう可能性もあります」
意気込んで訊ねてくる市民活動家らしい女性に俺が答えると、彼女はどこかげっそりした表情にかわった。
「一件あたりの処理量は、実際に村政の運営を担い、そのフィードバックが蓄積されていくとさらに膨張するかもしれません。少なくとも、動作原理上増えることはあってもまず減る可能性はありません」
「その文書には内容の要約や、重要度の指標などはつけられているのですか?」
「残念ながら要約などは作成されません。優先順位を示すパラメータは存在しますが、それを活用するにはまず、『ラクシャス』がどのようにデータを処理しているのかの原理を理解する必要があります」
実際に『ラクシャス』が残すログは、大部分が無機質な数字の羅列であり、人が書いた行政文書のように読みやすい代物ではない。解読には、相応の数学的能力と根気が必要になる。
だが、それも今アナウンスするつもりはなかった。
「しかしながら、膨大な情報の機械的な処理は『ラクシャス』がより優れた村政を執行するために絶対必要な条件です。どんな些細な課題、政治的な決定についても、『ラクシャス』は中世以降の世界中のおよそ一七〇万地方自治体において類似の問題を扱っていないか検索し、その結果を踏まえて政策を判断します。世界中の膨大な過去の実績を参照するのは人には到底不可能な行為であり、『ラクシャス』導入最大の利点です」
「しかし国民性の違いを考慮せず、諸外国の政策を真似てばかりで大丈夫なのかね?」
神経質そうな、中年男性の指摘に、俺は心の中で、言い方、言い方と何度も繰り返した。
「もちろん、政策の検討にあたってはこの村と、参考自治体との間に存在する環境の違いに関して、極めて多様な補正がおこなわれます。年代背景、産業構造の差異、年齢構成比、男女の就業率の差、収入の偏在、気温や降水量の違いなどありとあらゆるものをです。『国民性の違い』というのはそれら複数の影響を一括して語る言葉と捉えてよいと思われますので、心配は不要でしょう」
返答してから、これはこれでダメかなと、内心密かに落ち込んだ。
無数の差異による影響を個別判断せず、『国民性の違い』と称して一括で処理するのは単なる怠慢にすぎない。今の返答ではそれをやんわりと指摘したようなものだ。
「なるほど。たとえ成功していたとしても、いきなり共産圏の政策を無条件で導入したりはしないんだな」
「はい。というより共産圏に限らず、どんな地域のどんな政策も、そのまま真似する可能性はまずありません。それがいかに大成功していようと、です」
だが、幸い俺の失態は誰にも気づかれずに済んだようだ。
「内容の一部に共通点のある東欧の寒村と中米の僻地で成功した政策を掛け合わせ、北海道での事例を参考にそれをこの国向けに微修正する。『ラクシャス』であればそんな人では容易には行えない高度な政策判断が可能です」
俺は一端そう話を締めくくると、集まった村民を見回した。
どうやら、大半はそろそろ話に飽きてきたようだ。追加の質問を求める挙手も見あたらない。
「以上のような理由から、『ラクシャス』の導入はこの村により一層の発展をもたらしてくれると、自分は確信しています。長々とご静聴、ありがとうございました。なにとぞ皆様の賛同とご協力を今後ともよろしくお願いいたします」
時間も丁度よかった。俺が頭を下げると、散発的な拍手が聞こえた。
「お疲れ」「ご苦労様です」「後はまかせろ」
そして、舞台から下りる俺とすれ違いざまに、新たな衣装へと着替えた『ナーヴァニル』のメンバーが台上へと駆けだしていく。
『おまたせー! みんな、話はわかった!? この村のために大切な事だから、あたしたちと一緒に協力してね! ……それじゃ第二部、はじめるよーっ!』
やがて、すぐに爆発的な拍手と歓声が沸き起こり、ドラムが響きはじめる。
なんとか今回も無事収まったか。
内心で安堵しながら、俺は舞台袖から、彼女たちのライブの様子を眺めた。
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