2-7

「この先、政界対策ではあの先生を担いでいこうと考えている」

 その後、他愛もない村の噂話で盛りあがったあと、酒宴は適当な時間でお開きになった。

「もっとも、どうやら国政選挙に出るつもりはなさそうだから、あくまで既存の政治家に対する仲介者として、頼ることになるだろうが」

 村松氏は邦香の艶姿への未練を語りながらも、二次会へと誘う素振りはまったくなかった。この時間からでも、有力支持者に今夜の会合の結果を報告した後、事務所スタッフやブレーンたちと今後についての検討を始めるつもりだろう。

「今の人を巻き込む、ってのは悪くない判断だと思うよ」

 俺と邦香は車に乗って、素直に村への帰途についた。

「政治家としての力量には未知数な部分もあるけど、基本的に賢く、分別があって、適当に野心家みたいだから。世代も近いしね」

「薫さんはどう思う?」

「わたくしからは何も。ただ、かなり思慮深い、一筋縄ではいかぬお方かと」

 浅沼さんは車を運転しながら、淡々と答えた。

「今夜、櫻井様が智成様の下へとたどり着けたのは、偶然と幸運によるものではなく、あの先生の仕込みの成果と考えるべきです」

 予想外の指摘に、俺と邦香は顔を見合わせた。

「店の外からでも感じ取れるほど、櫻井様が現れてからの従業員の行動には不自然な部分がありました」

「あらかじめ私が忍んでくることを予期して手をうっていた、というの?」

「はい。櫻井様の性格を理解したうえで、その行動を監視していたとしたらさほど難しくはありません。駅近に会合場所を設定したのも、東京から戻られる櫻井様を慮ってでしょう」

「そう。出し抜いたつもりが、踊らされていたのは私というわけね」

 意表を突いて主導権を握ろうとした自らの蛮行が、あくまで村松氏の想定内であった可能性を示唆され、邦香は悔しそうに呟いた。

 邦香が現れた際に見せた村松氏の態度が、あくまでお芝居だとしたら、確かにかなりの愕きだ。だが、

「相手は現役バリバリの政治家だ。腹の読み合い、化かし合いで負けるのは仕方がないだろ」

「判っている。……味方にすれば頼もしい、とここは前向きに捉えよう」

 邦香はすぐに、口調を平静に戻した。切り替えの早さは、以前より成長していた。

「村民の前でこそずっと慎重姿勢でいるけれど、そもそも、この村が『ラクシャス』受け入れの検討を開始したのは、あの先生が裏で糸を引いたからだとも聞いている。我らの意図を理解したうえで、導入を明言してもらえたのは成果だ」

「どうかな。こちらの意図を理解したからこそ、ああ答えておきながら裏でサボタージュする可能性は?」

 まず無いだろうな、と内心では思いつつ、俺は一応指摘した。

「密かに『ラクシャス』受け入れに積極的だったのは、そこに新たな利権を期待していたからなんじゃないか? でなきゃ、自分たちが失職するだけの改革に前向きなのはおかしい」

 しかし、どれほど言葉を飾っても『ラクシャス』導入後、元村議に供される特権など微々たるものだ。そうでなければ村政が立ちゆかない。

「一理ある。だが、あの先生個人に限定すれば、今後の展開次第では『ラクシャス』導入の立役者の一人として、歴史に名前を残せる可能性がある。なにより名誉を喜ぶ政治家としてはさほど驚くべき選択じゃない。最優先で実利を選ぶ人間は、そもそも政治家になどなっていないよ」

 邦香は一度大きく身体を伸ばすと、シートに身を横たえた。

「加えて、あの先生が日々感じている民主主義に対する絶望感は本物だろう。馬鹿が集まって馬鹿を選ぶ、か。選ばれる側ならではの実感だな」

 まぁ、あの人の打算を越えた地点から湧き出た動機としてはそんなところだろう。

「しかし、そうなるとこれまで熱心に『ラクシャス』導入で論陣を張ってくれていた、革新系の一部の先生たちとの関係はどうする」

 俺は邦香にたずねた。

 真っ先に賛意を示してくれた彼らに、これまで『ナーヴァニル』は手厚かった。その支持者と一緒に写真を撮り、喜んで握手していた。

「水と油、とまでは言わないが、彼らと村松氏は政治家としてのタイプがだいぶ違うぞ。うまくやっていけるか?」

 そして当然ながら、彼らからも『ラクシャス』の今後について話がしたいとの打診は複数回あった。だが、これまで邦香はその誘いを微妙にはぐらかし続けていた。

 それなのに、俺と村松氏との秘密会談について邦香は即座に承諾した。

「大丈夫だ。なぜなら、彼らに対しては、これ以上どうもしない」

 邦香の返答は単純で素っ気なかった。

「これまでの支持に精一杯感謝する。ただそれだけだ。彼らは導入後みな単なる一村民に戻るのだからね。それ以上は特に必要ない」

「とはいっても、連中の上にも国会議員は居る。この先のために、一通り、渡りをつけておくのも手なんじゃないか?」

「無駄だろうな。時間と労力の浪費だ」

 俺の提案を、邦香はばっさり切って捨てた。

「彼らは善良で政治に対して真摯であり、なにより勉強熱心だ。日々、政治資金集めとコネ構築に奔走する村松先生より、はるかに政策に関しては明るいだろう。その上にいる県議や国会議員にしても同様だ」

「だったら、なおのこと」

「だがその原動力となっている正義感ゆえに、残念ながら、彼らは自らと異なる意見に対する許容範囲が狭い。宿命的に、小異が気になって大同団結が苦手だ。けれども、君も承知しているように政治の本質は結果論でしかない。その途中経過の政策に、正解など存在しないんだ。にもかかわらず、存在しない答えを求めて右往左往する勢力と手を組んでも益はない」

 邦香の言い様は辛辣だったが、事実であるだけに、何も反論できなかった。

「なにより、あの人たちは村松氏の言う民主主義信仰にどっぷりと首まで漬っているよ。サポートソフトとしての『ラクシャス』は歓迎しても、それに全てを委ねる段では必ずや反対派に鞍替えするだろう。ま、現実問題として、妙に気高い理想を抱いている連中より、富か名誉にしか興味のない俗物の方がコントロールしやすいよ」

 無言で同意すると、俺は邦香と同様にシートにもたれかかった。

「それに、どの勢力と組む以前に、政治理念やイデオロギーなど関係なく、政治家が『ラクシャス』を熱心に推進してくれる状況など、ここと同様の村議会レベルまでだろうからね」

 黙りこんだ俺の隣で、邦香は淡々と独りごちた。

「この村の村議はパートタイムだ。だから大半が村の資産家か、もしくは別に本業をもっている。議員で食べているわけじゃない。それ故、議会を廃止しての無人化も、道理と彼らのメンツさえ立ててやれば通るだろう。けれど、都市部の市議会や県議会、国会などではそうもいくまい。生活のかかった職業政治家の抵抗は凄まじいだろうな」

 邦香の懸念は俺も当初から予期していた。

「その意味でも、村松先生のような政治が家業の、それでいて生活に困窮しない程度の資産を持つ保守系政治家と組む方が、まだ可能性がある。七百人の国会議員に、四七都道府県と一八〇〇の地方自治団体の首長と議員。その秘書と関係者を含め、大雑把に就労数二十万人の産業と捉えれば、単純に消滅させても経済への影響は限定的だが」

「一部上場企業、まとめて数個潰すようなものだとしたら、結構だぞ」

「企業と違って、生産性は皆無だから社会的影響力はずっと低い。それに『ラクシャス』のオペレータとして一定数は再雇用できる」

 政治経験者の方が、ラクシャスの下す指示を理解しやすいだろうからな、と邦香は嘯くと、それきり瞼を閉じた。

 『ラクシャス』の導入を本決まりにするために、邦香たち『ナーヴァニル』のメンバーは現在、東京と村を忙しく往復する日々を続けている。

 その合間をぬって駆けつけた疲れからか、邦香はやがて穏やかな寝息をたてはじめた。

 黙ってさえいれば、あの頃より美人なんだがなぁ。

 俺の肩にもたれて眠る邦香の横顔は美しかった。和装と相まって、まるで雛人形のようだ。

 ぼんやりとその寝姿を眺めていると、ほどよい酔いもありやがて自分にも眠気が襲ってくるのが判った。浅沼さんの運転は丁寧で、心地よい安心感に包まれているのも一因だろう。

 それにしても、

 寝入り端、俺はふと思った。

 しかし村松氏ほどの人でも……アプリに政治を任せた場合の、憲法上の問題は指摘してこなかったな。

 村松氏以外でも、『ラクシャス』の可否に関して憲法論を持ちだしてきた政治家はまだ現れていない。

 『ラクシャス』のアイディアにたどり着いた、高校時代。

 俺はてっきり、それが最大の障害になるかと予想していたのだけれど。

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