2-4

「なんのためにわたしがアイドルを志したのか。君はまだ理解していなかったのかい?」

 深夜。ライブとその後の打ち上げを終え、借り切った温泉宿に戻ってくるなり、夕食も食べず彼女たちを一人待っていた俺に向かって、開口一番、邦香は厳しい口調でそう問いつめてきた。ステージ衣装、そのままの姿でだ。

 左右にはメンバーの二人も一緒だ。残務があるのか、マネージャーの土橋氏の姿はなかった。

「すまん、議論が進むうちについカッとなって」

 邦香だけでなく、『ナーヴァニル』のメンバー全員にむかって、俺は素直に頭を下げた。

「安い挑発に乗るべきじゃなかった。反省している」

「まるで、酔って人を刺した書生のような言い草だね」

「いいじゃないですか。そういう青い人も、このプロジェクトには絶対に必要ですよ」

「黒い人代表が言うと説得力あるわ」

 結城さんが天使の笑顔を浮かべると、藤井さんがすかさずつっこむ。

 しかし彼女たちに玩具のように扱われようと、俺は頭を下げ続けるしかなかった。

 今日の俺の役割は、地方自治アシストソフトウェア『ラクシャス』について村民に説明した、という実績を残すことだった。

 故に、その機能を本当に理解してもらえたか否かは必ずしも重要ではない。

「丁寧な説明はもちろん素晴らしい。だが君がどれほど言葉を尽くしても、最新のプログラム理論を駆使した『ラクシャス』を正しく理解できる者などおそらく数%だろう」

「いや、『ラクシャス』はそこまで革新的なプログラムじゃない。目的が目的だし、機械学習の規模が大きいだけで、どちらかといえば古典的な、枯れた理論だけで構築している。安定動作のためにもその方が……とはいえ、容易に理解してもらえないのも確かだろう。だからこそ」

「そもそも、残った数%にも内容を理解してもらう必要などないんだ」

 一人でも多くの人に、と続けようとした俺は、きっぱりと断言する邦香に言葉を失った。

「当然だろう。なぜならば、現状の統治機構の全容を正確に理解するのはもはや個人には不可能なのだから。村の職員に県や国の事は判らない。逆もまた真だ。国交省について熟知していたって、農林水産行政は門外漢だし、選挙マニアだって、裁判所の人事制度はお手上げ。……しかも行政機能の実質部分は、他の組織や政治からの干渉を避けるため外郭団体に移りつつあるときている」

「つまり『ラクシャス』も同様にブラックボックスで良いと?」

「将来的には、政治・行政行為のすべてを指示可能なのだろう? ならばそのプログラムを理解するには、現状の政府機構を完璧に理解するのと同じ能力が要求されて当然だ。……少なくとも、わたしには無理だぞ」

「むしろ、だからこそ今の私たちには『ラクシャス』が必要なんです」

 邦香の言葉に考え込んだ俺にむかって、藤井さんが丁寧に語りかけてくる。

「世の中が発達して、政治や行政がどんどん複雑化して、だから人間には到底扱いきれなくなって。それを人に代わって執り行ってくれるのが『ラクシャス』なんじゃないですか?」

 正確な年齢は知らないが、藤井さんは俺たちより更にもう何歳か年上だろう。

 にも関わらず、そうして柔らかく微笑みかけてくると、たしかに彼女はアイドルだった。

「邦香とは何度も議論しました。選ぶ選挙民の良識が、とか選ばれる政治家の能力が低すぎるから、なんて理由で、わたしはプログラムに政治を任せようとは思わない。けれど、『現代の人間社会を統治する』のにそもそも人間の限界を超える能力が必要とされるなら……人が空を飛ぶためには、気球や飛行機に乗って当然だと思うんです。鳥同様に、手で羽ばたかなければダメなんて決めつけるのはおかしいですよね。どう頑張っても人は鳥にはなれない」

 とびきりな美人にもかかわらず可愛らしい、という反則のような女性に、ことさら女らしさを強調したステージ衣装姿で至近距離から見つめられて、俺は平静ではいられなかった。脇にたたずむ邦香の視線がひどく冷たい。

「誰もが幸せになれる、公平な政治……言葉にするのはとても簡単で、その理念には皆が賛成するのに、いつの時代だって、現実の政治は誰かを虐げる理由の正当化にしか使われてこなかった。わたしは、専制君主制にすればまだ可能性は残っているかもと考えていたんですけど、邦香は、そもそも人には無理じゃないかって……人間である以上、どこまでいっても利害関係者にすぎないって」

「なにしろ同種の生物同士だからね。だから人より賢いチンパンジーが現れたら、彼は公平で正しい政治を人類にもたらすかもしれない。チンパンジー社会に対しては不可能だろうが」

「……痛ててて」

 ボーっと笑顔に見とれていた俺の足を、邦香はさりげなく踏みつける。呻く俺に、藤井さんは不思議そうに首をかしげた。

「いや、理屈はなんとなく判ります。もっとも、自分がこのプログラムを組んだ動機は、政治が人には持て余すほど肥大化したから、なんて大層な理由じゃありませんでしたけど」

 俺は引きつった笑顔を浮かべながら答えた。

「なんというか、政治なんてとても単純な作業でしかないのに、どうしていつまでも人が関わっているのか不思議で。『少しでも楽をするためならどんな努力も惜しまない』というのはプログラマーの本能ですから。つまり車の自動ブレーキと同じに考えていました。車を止めるにはドライバーがブレーキを踏めばもちろん済む話です。でも、前の車が減速したら、自動でブレーキを踏んでくれるほうがもっと楽で、確実です。政治をプログラムに任せるっていうのは、所詮その程度の話なんです」

「危険かもしれない、と自動運転を否定する輩は未だに少なくないけどな。……誰が自分、だ。なによそを向いて妙に格好をつけて喋ってる」

「あら……やだ、邦香もしかして」

「違う! 誰に向かって話しを……誰がリーダーだと思っているんだ、という話で」

「え、リーダーなんて決まってないよな。最年長の藤井さんがまとめ役で別におかしくないだろう」

「『ナーヴァニル』のリーダーじゃない。このプロジェクトのだ」

「ねぇ智成くん。最年長、なんて冠は私ちょっと嬉しくないかなぁ。実は結構気にしてるんだけど」

「す、すみません」

 妙に不満顔の邦香をあしらいつつ、黒い笑顔を浮かべる藤井さんへ、失言をフォローするのは結構面倒だった。

 やがて、どうにか機嫌をなおした邦香が、俺に向かって命じる。

「とにかく今後、説明会でバカ正直にプログラムの構造や原理を解説するのはやめろ。君の自己満足で、私たちが身体を張って得た成果を台無しにするんじゃない」

「しかし、たとえ簡略化してでも、機能や原理の説明そのものは必要だろ。自動で止まる機能があるんだ、と知らせておかなきゃ、自動ブレーキの意味がない」

「それは認める。だが、その際理屈はすべて省略しろ。大切なのは結果だ。例えなにを問われても、凄いプログラムが素晴らしい判断をしてくれる、以上の解説は無意味だ」

「んな無茶な」

「さっきまでの私の話のなにを聞いていた。『ラクシャス』の完璧な理解は常人には不可能なんだ。そして中途半端な理解はあらぬ誤解を生むだけだ。だったら余計な説明などしない方がマシだ」

「確かにプログラムそのものを完全に理解するのは俺にだって不可能だ。『ラクシャス』は自分で評価関数を自動生成し膨張していくからな。しかしさっきも言っただろうが。そのベースとなる概念はそれほど複雑じゃない、というかむしろシンプルで、高校卒業程度の知識があれば誰にでも理解は容易なんだって」

「高卒程度の知能など、大半の大人は持ち合わせておらん!」

 高校進学率が九割を超えたのは七十年代半ばの筈だが、邦香の返答は身も蓋もなかった。

 するとかわって、俺をなだめるかのように、藤井さんが穏やかに訊ねてくる。

「邦香の言い分は確かに暴論。でも、それじゃ智成くんは先ほどの説明会に、『ラクシャス』の構造や動作原理について本気で関心を抱いてる人を何人くらい居ると思いました?」

 俺は、あの若手村議の顔を思い浮かべながら、わざと曖昧に答えた。

「能力や機能についての質問は、結構それなりには……」

「プログラムの判断結果については、そりゃみんな関心があると思う。だって、現実に自分たちの生活を左右するんだもの。だけど、その内容が妥当なものでさえあれば、判断原理にまで興味を抱いてる人はさほど居ないように、私には見えましたけど」

 藤井さんの的確な指摘に、俺は頷くしかなかった。

 その隣で、加えて言えば、たとえ意に沿わない結果だったとしても、過程を知らない方が諦めのつく者だって居るくらいだろう、と邦香は皮肉げに笑った。

「……だからって、説明は本当に不要なのか?」

 俺は、誰に問うともなしに呟いた。

「そもそも、『ラクシャス』はこの村に、素晴らしい政治をもたらしたりなどしない。ローコストで、これまでと同じが少しだけ効率の良い政治が手に入るのが取り柄なんだ」

 邦香の主張に一理あるのは、俺にもよく判る。実際、説明会でその動作原理に関心を示した者は予想していたより遙かに少数で、大半は『ラクシャス』がどんな判断を下すのか、その結果しか問題にしていなかった。あの村議のつっこみは、ある意味、俺にとっての救いでもあったのだ。

 そして一方で、村議会や村長を廃止しようというのだから当然かもしれないが、『ラクシャス』は一部マスコミの興味を集め始めている。

 ネットを少し泳いでみれば、世の中の疑問や不満の大半が、幼い誤解と思いこみで成り立っている現実にすぐ気づかされる。いずれ村長や村議に代わって行政を司る以上、『ラクシャス』の基本構造について説明すれば、間違いなく同様の無意味な批判の嵐が吹き荒れるだろう。

 けれど、

「智成さんの理想は、それなりに尊いと思うんですけど」

 思い悩む俺の腕を、いつの間にか結城さんがそっと掴んでいた。

「あたし、家を逃げ出してから事務所に拾われるまでの一時期、歳を偽ってスマホの販売員をしてたんです。こんなふうに成績を上げて……まぁ、風俗に行くよりはマシかな、くらいのノリで」

 俺の腕先は、さりげなく結城さんの胸元に触れていた。ステージ衣装だから見た目と違ってしっかりガードされているが、それでも伝わってくる柔らかい感触に、つい頬が赤らむ。

「つまり政治をプログラムに代行させるために、邦香ちゃんがアイドルになったのも、基本は一緒だよね」

「まぁ、そうだな」

 結城さんに問われ、邦香が頷く。

「スマホを売るとき重要なのは、それがいかに便利か、その使い方の説明だけですよ。あとはごく一部のマニアに無意味なハードウェアのスペックを訊ねられるくらいで、アプリの動作原理なんて一切解説なし。時間の無駄だもの。その隙にお客さん逃げちゃう」

 ふと気がつくと、邦香がジト目で俺を睨んでいる。俺は慌てて結城さんの胸元から腕を引いた。

「きっと『ラクシャス』だって同じです。智成さんが、それが良い物で人々を幸せにできる、と確信しているなら、理解を求めるより先にまずそれを普及させなきゃ。現実に、きちんと良い政治をしてくれるなら、その理屈にはだれも関心を抱きませんよ、おそらく選挙と同じくらいにしか」

 結城さんが、どれほど選挙に関心を抱いているのかは気になったが、言わんとしている主旨はよく理解できた。

「もちろん、便利さのアピールだけじゃ、同業者を出し抜けませんからね。他より売りたければ、軽いお触りは単純だけど効果的で……つまりそれが『ラクシャス』における『ナーヴァニル』《あたしたち》の役割だから」

「理屈と正論だけで世の中が変えられるなら、革命家なんて職業は成立しない。大衆を動かすのに必要なのはロジックではなくてエモーションだ。感情を突き動かす衝動を商品にしているから、私は偶像アイドルを選んだんだ」

 邦香はブラウスの胸元のボタンを一つ、静かに外した。

「手段は問わず、まずは注目を集めて、強引にでも実績を作る。能書きは最後だ。どっちにしろ、我々の革命についての審判を下せるのは、歴史だけなんだからな」

 そして邦香は、結城さんに対抗するかのように、胸元を緩くはだけると、気持ち前屈みになった。放置されていた俺の夕飯のお膳の傍らに置かれていたビール瓶の栓を抜き、置かれたグラスに注ぐ。

「どうだ。酌くらいは人並みにできるようになったんだぞ」

「それがどうした。意味がわからない」

「いかに過疎地とはいえ、村を一つ、根本から政治システムをひっくり返そうとしているんだ。高校の生徒会を変えるのとは話が違って当たり前だ。この程度の困難は最初から計算に入ってる。だから阿呆に一々動作原理を説明などするな。君のアプリケーションを実行する環境を整えるためなら、馬鹿な親父にブラをチラ見せしながら酌をするくらいの汚れ役は私が引きうけてやる。場合によってはそれ以上もだ。私たちはそのために売れるアイドルを目指してきたんだからな」

「……どういう意味だよ」

「ここまで言われて、本当に判らないんですか? ただ美人なだけの一般人より、全国的な芸能人になった方が効果的、ということが」

 反問に言葉に詰まった邦香にかわって、藤井さんが出来の悪い弟に対するかのような目つきで俺を眺める。

「どうせ寝るなら、できるだけ高く売りつけたいじゃないですか。なので安売りする気はないけど、かといって必要なら躊躇うつもりもない。その覚悟は邦香だけでなく私にも諒子にもあるんですよ」

「そうそう。智成さんがプログラムに関する小難しい理屈を理解させるより、あたしたちのピロートークの方が早そうだったら、さっさと話をつけてくるから」

「というわけだ。だからつまらない正義感など捨てて、まず結果を出してこの世の中を少しだけマシにしろ」

 相変わらず、涼しい顔で無茶をいいやがる、この女は。

 俺は案の定、すっかり温くなっていたビールを一息に飲み干すと、軽く息をついた。

 くそったれ、相変わらず一方的な言い分ばかりまくしたてやがって。

 しかし、邦香の言い分は確かに正しい。

 プログラムの詳しい思考ルーチン、いや、単なる基本動作原理すら説明せずに、アイドルである邦香たちがその魅力を最大限発揮して、アプリのすばらしさを訴え続ける。それがこの場合、もっとも単純で効率的な活動方法なのだろう。たとえ、真面目で賢い少数派の疑問は封殺してでも。

 だとしたら俺もそれなりに腹をくくって、その効果を最大限引き出す方向で、アプリの普及を目指すべきだろう。

 結果は手段を正当化する。それが革命であり、俺たちはすでに革命家だった。

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