2-2

「もしかして太った?」

「四年ぶりの女性に対して、また随分だね、君は」

 朝一の列車で村に入り、長かった一日を終え、ようやく案内された民宿で、

 開口一番、身も蓋もない言葉を発した俺に、邦香は苦笑した。

 いや、だって、

 メディアを介して、その姿は二年前から目にしていた。だから、再会前に一通り心の準備は済ませたつもりだった。俺だって四年の間に少しは処世術を覚えたのだ。綺麗になったな、とつまらない世辞の一つも口にする用意もあった。

 しかし、現実の邦香はそんな俺の覚悟を易々と粉砕した。

 こいつ、こんなに美人だったか?

 細く伸びた脚、くびれたウエストにはあの頃より一層女性的な丸みが加わり、優雅に洗練されていた。幼さが抜け、かわりにより濃く色香を漂わせるようになった顔立ち。そしてここだけは変わらない、強い意志を湛えて輝く瞳。

 何一つ着飾らない、ラフなデニム姿であっても、その魅力は些かも損なわれていない。

 久しぶりに直接目の当たりにした邦香は、どうしようもなく美しかった。

「どうせなら、グラビア映えするスタイルになった、とでも称えてくれ。事実、あの頃より二サイズもバストは育っているんだ」

 大人になる、っていうのはつまりこういう事なんだな。

 高校の頃も邦香は十二分に美しかった。生徒会長選挙が事実上ミスコン化するほどに。だがあの頃のそれは、今ふり返ってみれば素朴な、成長途上の若さと純朴さが彩る少女としての美しさ、可愛らしさだった。

 だが、今は違う。

「いらねえよ、そんな個人情報」

「それは残念だな」

 そうして、すっかり大人の女へと変容を遂げていた邦香の俺に対する態度は、だが四年前と何一つ変わらなかった。

 そんな邦香に、周囲のメンバーはやや動揺していたが、口調そのものに戸惑っている雰囲気はない。おそらく、俺への接し方がいわば身内に対するのと同様なのに驚いているのだろう。

「だが、ずっと不義理をしていたのに、『ラクシャス』のレポートを送り続けてくれたのは感謝している。四年間で本当によく改良してくれた。期待以上だ」

 続いて、邦香から紹介された二人の女性は、映像での印象以上に美人で可愛らしかった。

「はじめまして。智成さんですね。お噂は邦香から常々うかがってます。あたしは結城諒子ゆうきりょうこといいます。ぜひ気軽にリョウちゃん、って呼んでくださいね」

 小柄なポニーテールの女の子が愛らしくお辞儀をする。もはや現実感を喪失した、まるでCGで造形されたかのような、完璧な美少女だ。

 邦香と同様に部屋着の筈だが、素朴なプリントのワンピースがまるでドレスのように輝いて見える。

「こちらこそ初めまして。邦香がお世話になっております」

「きゃー、邦香が、だって。男らしぃ。智成お兄さん、ってお呼びしてもいいですか?」

「この小娘、こうみえてかなりの腹黒ですから、油断しないでください」

「えー、毒舌はあくまで世間向けのキャラ作りだってば」

 俺の腕をさりげなくつかみ、豊かな胸元に抱きかかえようとする少女の後頭部を軽く叩くと、もう一人の女性がまるで新卒の女子社員のように堅苦しく俺に頭を下げる。

「藤井凜です。あの、今後よろしくお願いいたします」

 言葉少なく、ぶっきらぼうともとれる口調で自己紹介した女性は、俺や邦香より幾分年上だった。にもかかわらず、三人の中でもっとも純朴そうな雰囲気を漂わせている。今は洗いざらしのコットンシャツ姿で、三人の中で唯一、芸能人らしさを感じさせない。無農薬無添加系の美女だ。

「表向きはボケキャラで通しているのに、本性はかなりの人見知りだから。特に動揺してる時には冷たくあしらわれるかもだけど、気にしないでね」

 藤井さんの脇から、結城さんが顔を出し、天使の笑みを浮かべる。だが確かに、笑顔の背後に醸し出された雰囲気はどこかドス黒かった。

「この度は大変お世話になります。『ナーヴァニル』のマネージャーを担当しております、土橋雄一と申します」

 そして三人の脇で、一人の男性が身を縮めるようにしてお辞儀をし、慣れた手つきで慇懃に名刺を差し出してくる。

 俺は就職活動中に学んだビジネスマナーを総動員して、ぎこちなくそれを受け取った。

 土橋氏はごく平凡で冴えない容貌をした小太りの中年男性だった。外見から受ける印象からは、とても芸能界の関係者とは想像できない、だが、アイドルグループのマネージャーとしてはその方が好都合なのかもしれない。

「この場に居るのは、全員がわたしの呼びかけに賛同してくれた同志だ」

 寂れた温泉宿。その一室で邦香は俺に向かってそう断言した。俺の隣には、護衛として当然、とばかりに浅沼さんが控えている。

「今後も『ラクシャス』に関する発言は、主任開発者として常に細心の注意を払ってもらいたい。が、このメンツの前でだけは余計な配慮は無用だ」

「そりゃ心強い、って感謝すべきなのか? こいつが『革命生徒会』の第二幕なら、八神はどうした」

「感謝など求めていない。勿論、ここに居る以外にも同志は存在する。由希乃も参加しているが……彼女は事情があってしばらく人前には出られない。すまない」

 俺が、真っ先に一番の気がかりを訊ねると、邦香は素直に頭を下げた。

 邦香がグループでアイドルデビューしたと知った時、俺は八神がその一員だと疑っていなかった。デビューが遅くなったのは、八神の卒業を待っていたから、とすら推測していたのだ。

「由希乃には、君が気にかけていたと伝えておく」

「別におまえが謝る事じゃないだろ。ただ、八神も十二分にアイドルでいけそうだったからさ」

「確かに容姿に限ればな。だが、人には向き不向きというものがあるんだ」

 そうかなぁ。あの強気な性格は、けっこう芸能界向きな気もするが。

「それにしても、事務所的にはいいんですか本当に。こんな本来のアイドル稼業とはかけ離れたプロジェクトに参加してしまって」

 俺は話を変え、土橋氏に問いかけた。頂戴した名刺が本物だとすれば、邦香の所属としているのは、俺でも名前を知っているようなれっきとした大手芸能事務所だ。

「どこまで話を聞いているか知りませんが、こいつが目指している場所はかなり先ですよ。そして突拍子もないです」

「大丈夫です。そもそも『ナーヴァニル』はあなたの作る政治プログラム……ええと、『ラクシャス』の実行環境を獲得するために立ち上げられたグループですから」

 だが、土橋氏は平然と頷いた。

「では、その目指す先も承知だと」

「弊社では、現在の我が国における『政治』とは、エンターテイメントの一分野だと認識しています。主要政党間での具体的な政策や予算配分案に誤差程度の差しか存在しない以上、その選択は単なるショーイベントに過ぎませんので」

 土橋氏はニコニコと人当たりの良い笑みを浮かべながら、かなり辛辣な意見を平然と口にした。

「しかしながらイデオロギー選択という名のグループ対抗戦は一部にたいへん根強い人気を誇ります。今後も市場規模拡大の期待できるこの分野を独占可能なのでしたら、先行投資をする価値はあります」

「選挙を廃止後、なんらかの参加型の政治ショーを新設するかは、現在検討中なんだ」

 俺の疑問顔に、邦香はすぐに反応した。

「たとえば『ラクシャス』が正式稼働をはじめたら、この村に政治家は必要なくなる。だが村長選挙と村議員選挙を同時に消滅させるならば、大規模な盆踊りのような、何らかのストレス発散の場を新たに設けるのが望ましい、という社会学者からの提言がある。あながち的はずれな指摘とも思えない」

「選挙は夏祭りと同列かよ。そりゃ何か代わりが必要かもしれないが、かといってイデオロギーをからめた選挙もどきイベントは避けたほうが……キリスト教と仏教、どちらが優れているか多数決で決めよう、みたいな笑えないショーになりかねないぞ」

「そうだね。それもまた一考に値する意見だ。だが、いずれしてもガス抜き用に選挙の代替イベントが必須、というのは学者と現役政治家の一致した見解だ。娯楽産業としての経済規模も無視しがたい。けれど、それらを仕切る能力のある企業は極めて限られる」

「だから芸能プロが一枚噛むってか? ストレス発散だけを目的に、有名無実化した政治パンダ選びを続けたところで、それで」

 商売第一かよ、という俺の内心の反発が、どうやら漏れ伝わったらしい。

「また、個人的にも櫻井さんの主張には大いに賛同する部分がありますので」

 土橋氏は慌てたように俺の言葉を遮り、言い添えた。

「一見華やかですが、芸能界ほど、名も無き大多数の怖さを思い知らされる業界もありません。大衆は常に暴君です。特に近年顕著になってきた民主主義、という名の差別と虐待の正当化に対する危惧は、無論あります」

「でしたら、なおのこそ選挙もどきなど、続ける必要もないんじゃないですか? あれこそある意味では政府公認の差別イベントですよね? 選挙も政治も、足並みを揃えて一緒に廃止してしまった方が物事がすっきり進むのでは?」

「おっしゃっている指摘はよく理解できます。確かに、その方がより効率的でしょう。しかし現在、この国には推定で三〇〇万人ほどの政治・社会問題依存症患者が存在するといわれています」

「政治依存症?」

「はい。主に政治に代表される社会問題へ病的な関心を抱き、その情報の入手・発信に執着する状態を指します」

 三日から一週間程度、各種報道を目にしないだけで精神的な安定を欠き、ニュースを確認せずにはいられなくなる、が政治・社会問題依存症と判断する一つの指標です。と土橋氏は説明してくれた。

「患者の傾向としては高齢・高学歴の男性が多く、病態としてはギャンブル依存症などと同一ですが、本人が否認する割合の多い依存症であり、治療は比較的困難です。ネット・SNS依存と併発している症例も多く見られます。彼らの問題を未解決のまま、政治とその象徴としての選挙を全廃してしまうのは、患者数も多いだけに社会不安の一因になると考えられます。それらを防ぐためにも、何らかの経過的措置は必要かと」

「智成、心配するな。土橋さんはこう見えて、国立大を出て医師免許を取得していながら芸能界へと転身してきたバリバリのエリートだ。愛想の良い外面だけ見て商売人と侮ると足下をすくわれるぞ」

 邦香はなだめるように、俺の方を軽くポンと一度叩く。

「おまえなぁ、こう見えて、は失礼だろ」

「しかもかなりのアナーキストでもある。誘ったわけでもないのに『ラクシャス』の件をかぎつけて、まだデビュー前のわたしの担当になって『ナーヴァニル』を立ち上げたくらいなんだ。……わたしの人物評を少しは信用してくれ」

「だから、本人目の前にして曲者って……わかったよ」

 邦香がそこまで言うなら、この場で理由は口に出来なくとも、土橋氏が同志として信頼に足るという確信があるのだろう。俺はおとなしく頷いた。

 土橋氏は、邦香の評価を耳にしながら平然と微笑んでいた。

「エリート、ならむしろ俺より浅沼さんの方ですよ。東大の法学部出身で公務員のⅠ種も合格していらっしゃるし」

「いえ、わたしは司法試験を通っていませんので。ただの庶民です」

 それまで、俺の傍らで自分は単なる護衛とばかりにずっと無言を貫いていた浅沼さんは、小さく手を横に振った。

「体力さえあれば、暗記問題はクリアできますから。賢さとは関係ありません。ましてやエリートなんて」

「浅沼さんは東大卒なんですか? でも、土橋さんもマネージャーでありながらお医者様というのも、それは素直に凄いですね」

「いやまぁ、僕が医師免許を持っているのは事実ですが、専門は心療内科でしてね。一般医学は臨床も研究もさっぱりで……アイドルに興味を持ったきっかけは、実は新たな認知行動療法を開発するためでした」

「アイドルを心の治療法に応用、ですか?」

「はい。精神科、心療内科、名称こそ違っても現代医学が心を扱う手法はみな同じです。一介の臨床医には実質的に薬物療法しか選択肢がありません。カウンセリング・認知行動療法などの手法を施すには、受け持つ患者の数が多すぎる」

「はぁ」

 話の展開について行けず、つい俺は曖昧な返事を返した。

「多人数を一度に、効果的に精神状態を改善する方法はないか。悩んだ末考えついた方法がアイドルのライブでした。あの観客の熱量は、患者の好奇心や意欲を改善させる認知療法として応用可能ではないかと思ったんです。……本当は宗教の方が手軽でより効果的ですが、それはそれで色々と差し障りがありますからね」

「アイドルライブを認知療法に活用ですか? また突拍子もない……とは笑えないかもしれませんね。確かに、正気を失いそうに熱狂的な時もありますから」

「集中系の瞑想と似た効果が得られそうでしょう? それはともかく、臨床医としての限界を感じた私は、手始めに、マネージャーとして行動しながら、アイドルという存在を通して意識や認知などの基本考察をはじめたんです。単に熱狂させればそれで鬱が治るというわけではありませんからね。というわけで最初は研究のためだったんですが、いつの間にかすっかりミイラ取りがミイラになってしまいました」

 土橋氏は苦笑した。

「今では自分自身がその一員としてストレスを実感する毎日です。それでも、簡単なカウンセリングや、基本的な診察くらいはいたしますので、もし何かご心配があればどうぞ」

「実際、私たちにとって、マネージャーさんがお医者様、というのはとても心強いです」

 藤井さんが嬉しそうに土橋氏を見つめる。

「スケジュールがハードになっても、健康面をきっちり管理してもらえるし。それにその……やっぱり、いろいろと病んじゃった先輩の話も耳にしますし」

「アイドルには、オーディエンスのストレスを吸収し、彼らの身代わりを果たしている側面が存在しますからね。そしてその構図はある意味、民主主義の、多数決によって一部の政治家にだけ負担を押しつける意志決定過程とも良く似ています」

 それから幾つか例をあげて、土橋氏は、芸能界と民主主義との類似点を端的に指摘した。

「昔から芸能界から政界へ転身例が少なくないのは、選挙という人気投票での優位性だけが理由ではなく、否応なしに政治への関心を抱かされる業界という面も大きいです。……芸能人には、世間から迫害され逃げこんできたマイノリティも多いですし。ですので、『ラクシャス』に期待しているのは、決して単なる商売上のメリットだけが理由ではありません」

「っていうか、今回の件に関する雄タンの事務所に対する説明って、実はけっこう後付けだよね。政治にからむのも商売になるから、なんてさ。大学病院を辞めてウチの事務所に入る決意をしたのだって、本当は『ラクシャス』の存在を知ったから、でしょ」

 判っているんだぞ、とばかりに結城さんは土橋氏の頬を可愛らしくツン、と突く。

「まぁでも、やっぱり『ラクシャス』には期待しちゃうよね。あたしたちだって、単純に多数決で物事を決める世間の中では人並みには暮らしていけないもん。……別に芸能人になりたかったわけじゃなくて、ここしか社会での居場所がないの」

 結城さんはわざとらしく小首をかしげて微笑んだ。

「クラスでダントツに可愛くて男子から一番人気の、愛人の子って。結構生きづらいポジションなんだよ」

「そういう台詞を臆面もなく口にするから、友達に嵌められたんだろ」

「えーっ、同級生の誰よりずば抜けて可愛い、ってそれだけでロリコン中年教師に売られなきゃならないほどの罪なの?」

 きつい過去を、結城さんはさらっと流した。

「まぁでも、あれがクラスの民意だったんだよね」

「諒子はまぁ、こんな感じで。私も過去に多少はいろいろとありまして……悩んだり苦しんでいた時に、『みんなが多数決で選んだ結論にいったいどんな価値があるの』って素朴な疑問を邦香に突きつけられて、決めたんです」

「この先に、たとえどんな困難が待っていても、邦香についていこう、ってね」

 俺の前で、二人はそろって微笑んだ。メディアを通して見る作り笑いではない、それは自然な笑みだった。

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