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 寂れた駅前だった。むしろ、鉄道網が維持されている事自体が驚きだった。

「人口は、昨年ついに千人を割り込みました」

 ロータリー、と呼ぶのが躊躇われる、まっさらな駅前の広場に止まっていたのは、地味な背の高い軽自動車が一台きりだった。

「高齢化率は七割を越えています。つまりこの村は現在、三百人いない現役世代からの税収で成り立っているわけです」

「更に、その中には子供も含まれているんですよね」

「未成年者は幼児から中学生まであわせて二十名足らずです。高校に上がると、ほぼ全員進学のために村を出ていきますから」

 無人の駅舎で俺を待っていたのは、一回り以上年長に見える愛想の良い男性だった。垢抜けては居ないが清潔感のある、ポロシャツとスラックス姿だ。村の将来はお先真っ暗ですが、今日の財政という意味では子供が少なくて助かっています、と彼は笑った。

「平成の大合併に乗り遅れたのが致命的でした。当然、地方交付税だけが頼りです」

 当初、年上の職員による出迎えに恐縮していた俺は、話の端々からほどなくその理由を悟った。三十代も半ばのその男性は村役場でもっとも立場が下のようだった。つまりすでに十年以上、正規職員の採用が途絶えているのだ。

「パートなら若い子も何人か居るんですがね。経費抑制のため特定の仕事をこなせるだけの時間しか雇えなくて。村のイレギュラーな仕事は全て自分の担当です」

 おかげで水道の修繕から独居老人の遺産整理まで、なんでも一通りこなせるようになりました、と男性職員は笑った。

「しかし、だからこそ今年、アイドルグループの『ナーヴァニル』さんから観光大使就任のお話しを頂戴した時は、役場中がひっくり返りました」

 『ナーヴァニル』は、邦香がリーダーを務めるアイドルユニットだ。

 高校卒業後、二年ほど音信不通だった邦香は、俺が大学三年になり就職活動を始めた頃、ようやくアイドルとして世間に姿を現した。二十歳でのデビューはアイドルとしてはかなり遅い。だが、そのハンディを邦香は自身の明晰な頭脳と、ドジを売りにしたさらに年上のメンバーと、逆に毒舌をふるうまだ幼い十代半ばのメンバーとで埋めた。

 少人数グループにも関わらず三人のキャラがあまりにも異なる『ナーヴァニル』は、そのギャップと厳選された美貌を武器に飽和状態のアイドル産業の中でまたたくまに頭角を現した。

 そして大学四年の正月。突然届いた邦香からの年賀状には、内定している就職を辞退してほしい、との懇願のようでいてその実命令でしかない指示が記されていた。

「メンバーのどなたかが当村の関係者なら、まだ判るのですが。ご親戚レベルでもこれまでまったくご縁がないにもかかわらず、何故……しかも、観光大使就任に付帯する条件にこれまた驚きました」

「村議選廃止を検討のニュースは、自分もよく覚えていますよ。だから邦香は……櫻井さんは提案したんじゃないでしょうか。なにか力になれることがあれば、と」

 俺の言い直しに、男性職員は一瞬、驚いたように視線を向けてくる。

「失礼。櫻井さんとは、彼女がデビュー以前の高校時代に友人だったものですから」

「名前で呼べる異性の友人が作れるなんて、都会の学校がうらやましいですね。自分の通った田舎の高校では、互いを名前で呼んでいる男女は即、そういう関係だと宣言しているも同然でした」

「むしろ自分には、女子と深い関係になれる高校生活の方がよほど羨ましいですけど」

「そこはまぁ、このあたりは娯楽が少ないですから」

 俺の正直な感想に、男性職員は苦笑した。そこだけは明らかに可愛そうな青年を見る年上の笑みだった。


 やがて車は、村役場へと到着する。庁舎は廃校となった小学校の建物を利用しており、駐車スペースは昔の校庭だった。片隅に残された雲梯が妙にシュールだ。

 庁舎にはすでに机が用意されていたのみならず、全職員が俺の到着を待ちかまえていた。

「はじめまして」

 あまりの手回しの良さに面食らいながら、全職員の前で俺はまず一礼した。昔の教室をそのまま使っているとおぼしき事務室に集まったのは総勢三十名足らずだが、これで村の労働人口の一割、と考えると恐ろしい。

 経歴など、自己紹介を簡単に済ませると、早速本題に入る。

「自分がこの四月より正式採用される地方自治アシストソフトウェア『ラクシャス』の運用アドバイザーを勤めさせていただくにあたって、まず最初に皆様のご心配を払拭したいと思います」

 ゆっくりと、丁寧に、そしてにこやかに宣言する。

 なにしろ、こちらは大学新卒で、まず間違いなくこの場の最年少である。それが今後、名目はアドバイザーとはいえ、実質的に管理職として過去に例のない政治代行アプリのローンチを指揮することになる。既存の職員から疎まれ、嫉まれるのはある意味当然の立場だ。

 せめて第一印象くらい良くしたい。

 だから平凡なこの服装だって、実はスタイリストの助言を受けて選んできた。派手すぎず地味過ぎず、万人から好感を抱かれるように。

「これからこの村に導入されるプログラムは、決して皆様の仕事を奪いません」

 だがその俺の言葉に、集まった職員の懐疑が晴れた様子はなかった。

「何故なら、この『ラクシャス』はこれまで村長や村議会の担ってきた判断の代行が主な役割だからです。役場の実際の業務に関しては、これまでどおり皆様のお力が必要になります」

 邦香と幾度となく検討した結果、アプリの正式名は結局、開発コードネームをそのまま転用することになった。

 生徒会時代には、わざわざ用途に準じた名前を改めて用意したが、あれは予想以上に不評だった。それなら、なまじ平易なネーミングより、一般には知られていない意味深な単語を流用した方が、まだしもだろう、という結論に至ったのだ。無論、我々のセンスの無さが一番の問題だろうが。

「逆に言えば、このソフトが入っても、残念ながら現場の方々は少しも楽にはなりません」

 俺が冗談めかして告げると、ようやく少し笑いが生まれた。

「一方で、これまで課長さんや助役さんが担ってきた、村政上の高度な判断も今後はソフトの担当分野になります」

 そう告げながら、俺は長々と言葉で説明するより、現物を見てもらった方が早いだろうと、抱えてきたノートパソコンの電源を繋ぎ、画面を立ち上げる。

「さっそくですが、この村の基礎的なデータの入力を一通り済ませた、デモンストレーション用の体験版を用意してきました。ご覧下さい」

 マウスを操作し、アプリを立ち上げながら、俺は精一杯柔らかい口調で語りかけた。

「たとえば今年度、予算総額二億五千万円で村内の橋を耐震化する場合、どの橋を優先して幾らを割り振るのか。そのような判断は今後、これから導入するアプリの指示に従って、予算を執行していただくことになります」

「詳しい内容については、無論のちほどゆっくり説明してもらうが……そもそも、その判断をソフトに一任する理由を説明してほしい」

 だが年長の、明らかに管理職の男性職員がやや厳しい口調で問いただしてくる。

「その例えで言えば、確かに村の予算は限られている。だから基本的な費用対効果をプログラムが計算するところまでは理解できる。しかしそれをより有効活用するには、村内の事情に詳しい職員の助言が不可欠ではないだろうか」

「仰る疑念は理解できます。だがそのご質問に対しては、様々な事情を考慮できるソフトこそ、もっとも効率的な耐震化計画を策定可能だから、としかお答えできないのですが……では一例の続きとして、『ラクシャス』の想定した被害想定図と耐震化案をご覧いただいた方が話が早いと思いますので、こちらをどうぞ」

 俺は持参してきたプロジェクターで、村の地図を古めかしい壁の黒板に映し出した。

 鮮やかな記された被害想定図に、そこかしこで感嘆の声が漏れる。

「想定は震源がある程度離れた場所の大規模地震。赤いドットは昼間に、青いドットは夜間に住民が存在する確率の高い場所を示しており、細い矢印は予想される避難経路です。グレーの各種ゾーンは火災・地盤異常などの発生地域。グリーンの四角は避難所の設置場所。青の矢印は救助隊と援助物資の移動ルートです」

 俺はレーザーポインタを手に地図の情報を説明した。

「なお、橋梁の脇の数字は現在の耐震能力をポイントに換算したものです。この被害想定図を判断ベースに、耐震化の順序と予算を策定したものがこちらの図です」

 俺は村内の地図に、それぞれの橋の耐震化の時期とその予算をオーバーラップさせて表示した。

「まず前提として、この図は、自分がソフトに作るよう命じたわけではありません。『ラクシャス』の村議会部プロセスが、橋梁の耐震化が必要だと判断し予算配分を行った段階で、行政執行部プロセスにて自動で作成されています」

 それを目にした職員から、挙手と共に幾つかの疑問が呈される。

「この予定ですと、集落の中心から多少離れた橋も初年度から耐震化を始めることになっています。一年でも早く一人でも多くを救うには、単純に効率が悪いと思われますけど」

「村の中心部に集中的に予算を投入していない理由は幾つか存在すると考えられます。正確に把握するには、膨大な数の評価関数の役割を解析する必要があるので、これはあくまで推測ですが」

 俺は個人的な想像だと断ってから、理由を説明した。

「まず民主主義的な理念として、人口集中地帯だけを優先して救う判断は誤りです。何事も東京優先の施策には皆様も異論がおありでしょう? 現実的な懸念では、集落の中心部ばかり優先すると村周辺部での人口流出が今後さらに加速するかもしれません。また、主要橋梁の耐震化が早期に終了すると、それらを目的とした国と県からの補助金の減額が懸念されます。これは村の財政にとって致命的です。結論として、集落の中心部に位置しているものの避難経路上は重要でない大型の橋梁の幾つかは、耐震化を後回しにした方が効率的である、と『ラクシャス』は判断したのでしょう」

「この図では、全体として、東側の村道ばかりが優先されているように見える。それは何故だろうか?」 

「おそらく、高速道路がこの村のさらに東を通過しているからです。西側から、救助や救援物資が来る可能性はほとんどありません」

「それは承知している。だが村道はこの地域の幹線道路だ」

「村道の西側部分は、それによって恩恵を得る他の町村が予算措置して耐震化を行うべき、との判断と思われます。ソフトは逆に、東側の村外にある幾つかの橋梁の耐震化も提案していますので」

 だがこの問題に関する指摘はもっともで、これは現在の縦割りの地方行政ではかなりの困難を伴う指示だ。いずれ、ソフトになんらかの修正が必要だろう。

「なお、予算対策も兼ね、村道から県道への昇格を陳情する、という案も提示されています。村道が、さらに奥の町村にとって重要な道であるならば、県道化は筋論としては正しい筈です。もっとも、要注意マークありの提案で、村でコントロール不可能な道路となった場合のデメリットも併記されていますが」

「予算額の脇に記されたマークと数値は何ですか?」

「村内の業者に発注するか、村外の業者に依頼するかの判断です。小規模な橋梁であれば村内に拠点のある工務店でも施工は可能ですが、単価は割高になります。しかし地域経済の縮小を避けるためには非効率を承知で、ある程度村内に発注する必要があります。その割合を計算したものです。数値の意味は、ええと……注釈にありました。業者選定の口利きポイントだそうです」

「口利きポイント?」

「『ラクシャス』は事前に、全国すべての県と市区町村の戦後八十年分の行政データを機械学習しています。その結論として、小規模自治体による公共事業の場合、全国ほぼ等しく村議や助役による非公式な業者の口利きが存在しており、入札制度を厳格に運用するよりは、今後もそれを有効活用する方がより効率的だと判断したみたいですね。『ラクシャス』導入により今後村長・村議は廃止されますが、口利き・斡旋ポイントの分配制度はこれまでとは異なる形で導入予定となっています」

 俺の説明に、年長の何人かが苦り切った表情を浮かべ、年若の幾人かが笑いを漏らす。

 あまり、驚きの表情が無いのは意外だった。

「『ラクシャス』の機能の一端はご理解いただけましたでしょうか。実際の運用については、明日以降、各課をまわって順次説明させていただきます」

 俺はそう告げると、プロジェクターの電源を切った。大きく一礼する。

 ……っと、まいったな。

 そして、改めて挨拶を口にしようとしたのだが、どうやら俺個人に対するより、導入予定のソフトへの興味の方が勝るようだ。それからしばらくの間、俺は『ラクシャス』への質問に忙殺された。


「お疲れ様です」

 昼食前に、俺はようやく質問責めから解放された。その一瞬を待っていたかのように、一人の女性がやや控えめに声をかけてくる。

「ええと、どちらの課の方ですか?」

「浅沼薫と申します。櫻井様の指示により、本日より智成様の護衛を務めさせていただきます」

「邦香の? それも護衛?」

 俺は驚いて、改めて彼女を見直した。

 身長こそ高いが、細身の美人だ。清楚なスカイブルーのツーピース姿は、荒事に似つかわしくなかった。胸元こそ控えめだが、腰元から踝まで女性らしい美しい曲線を描いている。そして確かに、地味な装いにもかかわらず、他の職員より明らかに垢抜けていた。

「邦香と同じアイドルグループの一員、の方がまだ納得がいくけど」

「ありがとうございます。ですが、とても櫻井様と一緒に踊れる歳ではありません」

 彼女は照れたようにうっすらと頬を染めた。その姿は、良い家のお嬢様にしか見えない。

「今後『ラクシャス』プロジェクトが順調に推移した場合、智成様の身に直接的な危険が及ぶ可能性が存在します。櫻井様は、多少気が早いけれど、私に護衛につくように、と。お許しいただけると嬉しいのですが」

 身の危険、か。邦香が目指している先を考えれば、確かにあり得る話だけど。

「男性の要員も検討しましたが、あまり目立ちすぎない方が良いとの判断で私が選ばれました。表向きは智成様の秘書として扱ってください」

「腕に覚えなんてありませんけど、俺、そんなに弱そうに見えますか?」

「そうですね、私よりは」

 彼女はクスッと笑うと、承諾を躊躇う俺に向かって小さくお辞儀をした。

「ですが、護衛の本分は対象にかわって危険を引き受けることです。悪意ある銃弾の前に個人の能力差など意味がありません。仮に智成様がどれほどお強くても、護衛は必要です」

「そして身代わりとなって撃たれるだけなら、女性でも良いと」

「体格の大きな男性の方が遮蔽物としては効果的ですが、犯人がアマチュアの場合、外見の整った女性護衛には抑止効果が期待できるとの事例もあります。私でも、それなりの役には立つかと」

 仕方がないか。

 断る筋がないのは、はじめから判っていた。俺は条件つきで彼女の警護を認めた。

「秘書は無理です。俺はこれから職員の皆さんとできるだけうち解けて、アプリの立ち上げに協力してもらう立場です。美人秘書付きだなんて若造が偉そうに、と反感を抱かれるのは避けたい。……本社からプログラム開発のサポートに派遣されたアシスタントという名目ではどうですか?」

「承知しました。それで結構です」

 お互いの立場と関係が決まったところで、村に一軒きりの食堂に赴き、昼食を食べながら、簡単に打ち合わせをする。大半の職員が弁当持参の村役場なのはこういう時に都合がよかった。

「櫻井様は今週末の夜にもいらっしゃいます。村議の廃止はすでに議会の基本同意を取り付け済みですが、村長の廃止にはまだ村内に反対意見を持つ抵抗グループが存在するからです。可能ならば週末までに智成様が『ラクシャス』の有用性を見せつけ、少しでも多く職員からの支持を集めておいてほしい、とのご伝言です」

「そうらしいね。しかし、村長を六期も勤めれば充分好き放題しただろうに。まだ権力にしがみつきたいとはなぁ」

「いえ。現村長はむしろ『ラクシャス』推進派で、強行に村長廃止に反対しているのは、現村長と対立するグループです。次は自分たちが甘い蜜を吸う番だったのに、と」

「なるほど。つまり今の村長は誰かに利権をくれてやるくらいなら、コンピュータ任せにした方がマシ、という判断か」

 相変わらずこういう嗅覚は鋭いな。

 全国に数多存在する消滅寸前の自治体から、この村を見つけ出してきた邦香のセンスに俺は感嘆した。

 『革命生徒会』の頃も、邦香は他人の不和に敏かった。教師の力関係を見抜きライバル心を上手に操りながら、非民主主義的な生徒会を成立させた。

「しかし、浅沼さんは名目だけじゃなくて、本当に秘書的な仕事もしてもらえるんですね」

「IT系には人並み程度の知識しかなくお力になれませんが、アシスタントとしてスケジュール管理くらいでしたら。なお、今後は人前では浅沼ではなく薫とお呼び捨てください」

「なんかそれ、余計な誤解を招きそうだけど」

「当面、活動資金の都合上智成様の護衛は私一人です。周囲から愛人と認識されていれば、プライベートを常時ご一緒しても問題がなくなります。女性の私が選ばれた理由の一つでもあります」

 思いもかけぬ提案に鼻白む俺に、彼女は笑った。

「誤解が不愉快でしたら、真実となるよう努力くださっても良いのですけど。年上は対象外ですか?」

「もしも、俺が他の女性を口説きたくなった場合はどうすればいいわけ?」

「さあ。仮定の質問にはお答えいたしかねます」

 澄まして答える姿に、俺は彼女が邦香の一味だとしみじみ実感した。

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