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 美しくし清楚でたおやかな外見に似合わず邦香は暴君だったが、常に聡明で公平だった。旧役員が全員卒業してからは、生徒の大多数から慕われ、その一部からは熱狂的に愛されていた。そして俺の前でだけ、時折何故か饒舌だった。

「わたしは、事の最初から君がこのプログラムに前向きな理由を多少なりとも心得ていた。なのに、依然として君に自分の事情を説明しないのは不公平だとは思わないかね?」

「いいや、ちっとも」

「本当に興味がないのかい? そうつれない事を言わずに訊ねたまえ」

 高校三年の十二月、世間ではクリスマスが盛んに祝われている夜、邦香と俺は相変わらず生徒会室にいた。すでに引き継ぎは滞りなく終了していたが、俺たちが入り浸って八神が文句を言うはずもなかった。

「つれなくて結構だ。俺は八神の事情や動機だって知らん」

「由希乃は虐めだよ。中学時代、こっぴどくやられたのだろうさ。そんな匂いがする」

 こいつ、まさか酔ってるのか。

 それまで、邦香が握っているグラスの赤い中身はブドウジュースだとばかり俺は思いこんでいた。誰だって元生徒会長が生徒会室で公然と飲酒するなど想像しない。

「他人より可愛いだけで、女性社会においては容易に優位に立てる。だが、度を越すと嫉みと共に虐めの標的にもなる。かわいそうだが、由希乃は容姿が飛び抜けて秀でているにもかかわらず、性根がまっすぐ過ぎる。結果、さんざん虐げられて……高校デビューと同時に、今度は虐めのない学校にしたいと生徒会に名乗りをあげた。確認したわけではないがね。おそらく間違いないだろうさ」

 邦香の推測に異論はなかった。そのくらいの事情は、女心に疎い俺にだって予想がつく。

「つまり、お前も自分に虐められた過去がある、って言いたいのか?」

「まさか。君も本気で思ってなどいないくせに。そんな陳腐な動機」

 俺の問いかけを、邦香は鼻で笑った。俺は答えず、手にしたボトルを奪いとると、その中身を景気よく自分のカップに注いだ。芳しいアルコール臭が室内に漂った。

「わたしは由希乃とは逆だよ。つまり、虐めていた側だ」

 そう言い切るなり、ふと、断罪を待つかのように僅かに顔を伏せた。

「お偉い生徒会長様が、軽蔑したかい?」

「それがどうした。世の中の九割は虐めっ子だ。確率的に当然だろう」

 俺はそう言いきると、一息にカップの中身をあおった。生まれて初めて口にしたお酒は、想像していたよりずっと美味かった。

「大多数が加害者でなきゃ、虐めは成立しない」

「まったくそのとおりだがね。だからといって免罪の理由にはならないだろう」

 邦香は顔をあげると、俺の言い分に苦笑した。どこか、安堵した態度だった。

「小学校五年の冬にね、突然、一人の友達が転校した。わたしは変わらず友達のつもりだったから、六年に進級した後、彼女へ手紙を書いた。元気で過ごしていますかと」

 うわっ、なんだこれ……妙に目がまわるような……ふわふわした……

「本人からの返事はなかった。ただ、後日学校でスクールカウンセラーに呼びだされ、厳しく注意された。……これ以上、あなたたちが彼女を虐めることは許さないと」

 少し遅れて現れたアルコールの影響に、俺が戸惑っている前で、邦香は自嘲するように呟いた。

「青天の霹靂だったよ。わたしにはまったく自覚がなかった。虐めが罪悪だと承知していたし、ただクラスの友達と一緒に、親しみを込めて彼女をからかっているだけのつもりだった。直接的に危害を加えたことなど一度もなかったし……自分が度し難く愚かだったと本当に理解できたのは、中学に進学し少し経て、自分が上級生に目をつけられてからだ」

 まぁ、わたしは自分が虐められて、黙って引き下がる性格ではないから、すぐに止んだがね、と邦香は微かに笑った。

「子供とは自分に素直で、正直で、つまるところただの猿だ。確かにわたしは動物的本能に従いあの子を虐めていた。正当化するつもりはないし、許されるとも考えていない。……ただ、言い訳ではないが、あの子に対するあれは確かにクラス大半の総意だった。それだけは確かだ。君の指摘したとおりだよ、虐めとは、消極的か積極的は別に、周囲の大多数が荷担しなければ成立しない」

 邦香は再び、手にしたカップの中身を一口飲むと、小さく息を吐いた。

「あの時、一切の大人の干渉を退けてクラスで決をとったら、圧倒的多数であの子を虐め続けると決まっただろう。……あれは極めて民主的な結果だった」

 再び俯いた邦香にむかって、俺は慎重に声をかけた。

「だから、選挙で選ぶ生徒会長なんていらない、というわけか」

「その通りだ。君は話が早くて助かる。……多数決で物事を決める愚かさを、その結論に従う無責任さを、わたしのあの一件で骨の髄まで思い知った。皆で自分たちの長を選ぶ……なんと無駄で愚鈍な行為なんだろう。まったくもって馬鹿げている」

「選ぶ側が賢くなれば済む話じゃないのか、それは」

「まさか。断言していい。そういう意味では、人は賢くなどならないよ。絶対に」

 俺の反論に、邦香は語気を強めた。

「それは全ての大前提になる。なぜなら、そうでなければ生物種として致命的だからだ。公平で慈悲深い生き物が大自然の生存競争を生き抜けるかい? ……君だって、とっくに承知している筈だ」

 邦香は、真正面から俺を見つめる。二年半を共に過ごしてもなお、その美貌を直視すると俺は軽い息苦しさを覚えた。

「知っている、ではなく判っている、だ。そうだろう?」

「……真顔で、否定の無理な問いをするんじゃない。悪趣味な奴だな」

「悪趣味な女だ、ではなかったので許してあげるよ」

 邦香は嬉しそうに笑った。

「とにかく、そういう訳でわたしは実のところ、多数決や選挙が大嫌いだ。わたし達のような愚か者が集まって、知恵を巡らしたところでたかがしれている。……かといって、この世のどこかには自分より優れた賢い人間が居るはずだ、と夢想するほどには、愚かになどなれないんだ」

「だから、プログラムに生徒会長を勤めさせよう、か」

「我ながら単純な動機と結論だと承知しているよ。でも、他にないだろう?」

「……確かに、信じがたいほどくだらない理由ですね」

 邦香からの問いかけに対する返答は、思いもかけない方向から聞こえた。

「由希乃!?」

「まぁ、仰るとおり多数決で虐められる側に廻ったので、あたしは。虐めていた側の葛藤なんて皆目理解できませんけど」

 珍しく狼狽える邦香の前で、生徒会室に入ってきた八神はドカッと椅子に座りこむ。

 俺は邦香と八神の間に割って入り、訊ねた。

「いつから聞いてたの? 人が悪いなぁ」

「そっちこそ。とっくに執行部外役員を退任しておきながら、なにイブの夜に会長といい雰囲気になろうと企んでいるんですか。さっさと廃部寸前の囲碁部に引きこもってください。まったく油断も隙もない」

 八神は憎々しげに俺を睨みつけると、躊躇うことなく置かれていた邦香のカップを口元へと運ぶ。

 その平然とした態度は、どうやら飲み慣れているらしい。

「ですけど、会長がどうして無人の生徒会にこだわっていたのかは、ようやく納得がいきました」

「理由が理由で、軽蔑したかい?」

 邦香は俺を脇に押しのけて由希乃を見ると、やや苦しげにたずねた。

「無意識の虐めが原因で人間不信に陥っていることですか? 同情する気も納得する気もありませんけど……仕方がなかったんだ、と言い訳している人よりは、まだマシなんじゃないですか」

 八神はどこか開き直った口調で、邦香に答えた。

「でも、不思議ではありますけど」

「何が?」

「愚か者が集まって多数決したところで愚かな結論しか導けない。だから生徒会はPCに任せてしまおう。そこまではいいです。だけど」

 八神はそこで一端、続きを躊躇うかのように言葉を切った

「生徒会運営がどれほど合理的で賢くなったとしても、結局、あたしたち生徒の側の問題は何一つ解決しません」

 生徒会なんて所詮、学生生活ではただのおまけですよ、と八神はいった。

「虐めがどうの、っていうのを先輩が本当に気に病んでいるなら、改善しなきゃいけないのは決して、生徒会なんかじゃないと思いますけど」

「……かもしれない。だが、わたしには他に方法が思いつけなかった」

 八神のストレートな指摘に、邦香が力なく俯く。

「人はある意味、周囲に流される弱い生き物だ。だから環境を整えれば、少しは何かが変わるんじゃないか、と思ったんだ」

 俺はその二人を眺めながら、残った液体を一息に飲み干した。喉の奥が熱い。

「ま、要するにここに居るのは、どちら側に立っているかはともかく、人間という動物の群に対する不信はみな一緒ってことか」

「ちょっと、余り者の分際でなに格好よくまとめようとしているんです」

 俺が告げると、八神が即座につっこんでくる。

「そもそも会長が理由を告白してくださっているのに、自分はだんまり、ってどういう了見です。恥ずかしくないんですか?」

「だって、俺の事情は承知してる、ってこいつが言うから」

「あたしは知りません! 別に知りたくもないですけど」

「ならいいだろ、別に」

 俺が肩をすくめると、八神が興味はありませんけど、と食い下がってくる。

 そんなふうにして、

 俺と八神は共謀して、話題をそれまでの邦香の告白から少しだけ遠ざけた。



 邦香がただ一人きりの生徒会役員として会長に君臨した二年間、旧役員との暗闘は存在したものの、一般生徒からの評判は上々だった。二年目には具体的に『デジタル執行部』によるサポート内容を公表したが、それでも高評価が失われることはなかった。むしろ、邦香の平等な施策の源として大いに歓迎すらされた。

 事実、たとえば部活動の予算においては、体育系の部活では競技会などで成績を上げれば増額されたし、マイナーな文化系の部活の日々の活動もきちんと評価されていた。一方で、単なる成果主義に陥ることもなく、部員数や過去の実績などにも相応の配慮があった。無かったのは邦香との個人的な交友関係の影響だけだった。

 それらはある意味、全て当然で、当たり前の生徒会活動でしかなかった。なので美人会長が目立つだけの平凡生徒会といった陰口も叩かれたりした。しかし、そもそも生徒各人が主役の学生生活において、所詮背景でしかない生徒会活動など凡庸で安定さえしていればそれで充分である。それを最小限の労力で得ようというのが、そもそもの『ラクシャス』の思想なのだから。

 もっとも、公平で欠点の少ない生徒会の存在が、生徒の社会性の発達と活力をスポイルしている、という批判は最後までつきまとい、そしてそれは間違いなく事実だったが。


 しかし結局、隠れた最終目標だった生徒会長の廃止までは在学中には適わず、俺と邦香は高校を卒業し、それぞれ異なる道へと進んだ。

 『デジタル執行部』――生徒会版『ラクシャス』は、俺と邦香で協議した結果、八神の、そしてさらなる次代への生徒会へと引き継ぐことにした。ただし、開発ソースと実行コードは公開せず、ネット経由での自動データ収集機能は削除され、今後どれほど蓄積した経験により判断精度が高まろうとも、あくまで生徒会運営支援のサポートソフト以上には発達しないアプリとして、だった。


 お互い、クラスでのつきあいは上辺だけだったから、同窓会などに縁はなかった。したがって、卒業を機に邦香の名前を耳にすることもなくなり、大学で就職活動を始めた頃には、結局あの夜が今生の別れだったのかな、だからこそ……などと俺は悟り始めていた。

 そのくせ、

 下宿の一室に設置したサーバーは、四年間、ネット経由で常に情報を収集し、世界中の政治経済活動について休まず機械学習を続けていたのだけれど。

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