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 高校一年の夏休みは、寝ている時以外、ほぼディスプレイを眺めて過ごした。風呂やトイレでさえ、タブレットを手放す余裕がなかった。囲碁そのものより対戦ソフトへの関心が主の、情報工学に長じた部員は他に居なかったから、開発はまったくの独力にならざるを得なかった。もっとも、扱う内容のデリケートさを考えれば、状況がどうあれ俺一人でコードを書かざるを得なかったが。

 生徒会執行部で決裁される議題は、大きく二つに分けられる。数字で示される予算と、文章で示される各種企画案の可否などだ。

 前者の処理は比較的容易だった。部員数の増減や各種大会などの実績をベースに評価関数を作り、前年の予算案からの部費の増減を指示するプログラムなど、今どき小学生でも書けるだろう。過去二十数年間の部費の増減と各部の活動内容を調べれば、その評価が妥当かある程度の検証もできる。文化祭などのイベント予算も同様だ。

 難易度が高いのは後者の、文章で提出される各種申請書類の決裁プログラムだった。

 以前より格段に進歩しているとはいえ、自然言語の認識処理はまだまだ発展途上だ。文化祭の喫茶店企画で、日頃の制服で給仕する店は許可し、メイド服に着替える店にはスカート丈に制限を設けさせ、スクール水着着用の店は不許可とする。アプリにそんな判断をさせるにはソフト側にそれなりに高度な言語理解が必要となる。データ収集botが『キャバクラ学園祭・スクミズday』といった文章を文化祭のサンプル例として取り込まないよう、設定を念入りに調整する必要もある。

 夏休み中の課題などは無論、邦香に丸投げした。コーディングに没頭している最中、邦香は幾度か陣中見舞いと称して、作業状況を監視しに現れた。こっちは一人暮らしだから、さし入れの食材を持ってきて何食分か調理してくれるのは正直助かった。しかし、海に行く暇なんてないだろうから、と服の下に水着を着こんで現れ、突然それを見せびらかされた時には、ひょっとしてアホの子かこいつは、とも思った。


 結果的に、九月末にひとまず最初の機械学習を終えたプログラムの完成度は、俺的にはかなりお粗末な代物だった。

「ご苦労さま。ちなみに、アプリの名前はもう決めたのかい?」

「名無しだと作業がいろいろ面倒だから、開発コードネームならな。『ラクシャス』という、インド神話に登場する悪鬼羅刹からとったんだが」

「また意味深なネーミングだね。とはいえ、いずれ一般受けするアプリ名を別に用意する必要もあるかもしれないが。これで完成と考えてもいいのかい?」

「一応、一通り動作するようにはなっている。もっとも、実用にはほど遠い出来だがな」

 『ラクシャス』は、ネット上によくある、それっぽい言葉を適当に選んで返答するbotより幾分かはまし、程度の判断力しか備えておらず、実用にはほど遠かった。だが、落ち込む俺を尻目に、邦香はそのプログラムをかなり高く評価した。

「いや、そう捨てたモノでもないよ、このソフトは。まだ多少の難が残っているとはいえ、これだけの判断力があれば、充分生徒会顧問を説得できる」

「あのなぁ、こいつは麻の葉カフェを文化祭の企画としてOKするんだぞ」

「それはつまり、まだ大麻やマリファナが麻の葉だと認識できていない、という意味だろうが、無理もないんじゃないかな。文化祭にそんな企画を立てる生徒は多くあるまい。このソフトは、過去の実績から学習するんだろう?」

「文化祭などの企画判断では基本、過去に一定数の実績が無い内容はNGになる設定だ。それとは別に、社会通念上NGであろうワードもネット上から自動収集している。だけどこいつは『麻の葉』と分けられると、『麻』は一般固有名詞、『葉』はお茶っ葉の意味と錯覚して許可しちまう」

「かもしれないが、心配は無用だよ。非合法な企画をそこまで綿密に計算して提出してくる生徒など現実には存在しない。屋台やバザー、お化け屋敷などの、よくある企画は文句の付けようがないほど見事に可否を判断・内容を修正するじゃないか」

「そりゃ、ありきたりな企画はサンプル数が多いからな」

「実用ソフトとしてはそれで充分なんだよ。『角製材喫茶』だの『女子ノーバン投球披露会』なんて企画が提出されたら、と怯える君の神経ははっきりいって相当おかしい」

「そういう『角不成り』みたいな手に備えるのがプログラマーの本領だ!」

 俺は反論したが、邦香の言い分にもある程度の理は認めざるをえなかった。

 長らく、囲碁ソフトはプロ棋士に勝てなかった。しかしアマチュアの98%に勝てるようになった時期は意外と早い。市販ゲームソフトとしてなら、その段階で充分実用的なのである。

「わたしはこのソフトを携えて、たった一人きりの生徒会執行部として立候補する。もし性能に不満があるなら、今後も改良を続けてほしい。それが助けになるなら、執行部外役員の地位も用意しよう」

 生徒会の執行部外役員は、直接執行部の決定に関与できないかわりに、部活との兼任が認められている。主に有力な運動部の部長などに用意されたポジションだ。

「というか、生徒会スタッフにはぜひ加わってほしいんだ。今後、運営ソフトの専門家として助言を仰ぐ機会は多いだろうからね。校内で大っぴらに会える関係の方がなにかと都合が良い。勿論、約束通り囲碁部は優遇するよ」

「別に妙な肩書きなどなくても、自分で書いたプログラムの面倒は最後まで見るさ。心配するな」

「君がそう言ってくれるだろう、とは判っているけどね。でも、役員の件は頼む」

 すでに決定事項だ、とばかりに宣言しながら、邦香は俺にむかって両手をあわせて小悪魔的に微笑んだ。


 10月末、邦香は目論見どおり、立候補した役員候補の中でただ一人、生徒会会長として当選した。その美貌に目をつけ、邦香を庶務として生徒会に引き込み、身近に侍らそうとした上級生の男子役員は、全員が不信任となり落選した。

 一般的に、定員と同数しか立候補していない高校の生徒会役員が信任投票で落ちるなどまず皆無だろう。うわさ話には疎い俺にまで、幾つか醜聞が伝わってきたから、邦香がなんらかの手を打ったことは間違いない。

 生徒会の規則にのっとれば無論、副会長や書記・会計の再立候補を速やかに募らなければならない。しかし邦香は見事な演説で、俺の生徒会執行部支援アプリ『デジタル執行部』――開発名『ラクシャス』――を根拠に、その不要を訴えた。外見に恵まれているとこういった局面で強い。手続き上は明らかに問題のある順序でだったが、邦香は新生徒会長として、自分以外の役職を廃止しソフトによる執行部の業務代行を認める生徒会規則改正を行い、生徒と学校に認めさせた。

 全てはあらかじめ筋書きが存在していたかのように、滞りなく進んだが、無論、一部の生徒からは激しい反発もあった。特に、闇討ちのような形で生徒会役員から排除された上級生からの怨嗟は凄まじかった。彼らはその後、邦香に妬心やライバル意識を抱く女子も巻き込んで、反生徒会勢力として行動するようになる。彼らの行動の大義名分としても『デジタル執行部』はよく持ちだされた。

 情報操作に長けた邦香でも、男子生徒の間でのみ囁かれる性的な内容を含んだ誹謗中傷や、女子生徒の複雑なスクールカーストをコントロールするのは容易ではなかったし、もっと単純に物理的な脅威も警戒する必要があった。生徒会長就任後、邦香はSNSから意識して距離を置き、登下校は必ず俺を含めた数名と共にして、休日も自主的に一人で街を出歩くのは避けていた。早々に執行部外役員として剣道部の主将を任命し、抑止力を確保したことで表だった暴力の危険は次第に沈静化できたが、生徒会での実績を大学の推薦入試に生かそうとしていた旧役員との暗闘は、結局、その後彼らが卒業するまで続いた。


 そんな新生徒会発足後、俺は執行部外役員として、恐る恐る実際の生徒会業務をプログラムに処理させてみた。

 結果は以外なほど良好だった。拍子抜けするほどに。

 生徒会執行部の判断をプログラムに代行させるにあたって、一般生徒からの拒否反応は驚くほど少なかった。下された予算案に対して不満を漏らす部は現れず、むしろ今期の会長は依怙贔屓が無くて良いと、大半の部から感謝された。様々な議題に関しては、見事な処理だと生徒だけでなく生徒会顧問からも絶賛され、役員がたった一人でも問題ない、最初から邦香の能力は疑っていなかった、と断言された。

「だから言っただろう。現実には、ソフトのあら探しだけが目的のような議題が執行部に持ちこまれる可能性など、皆無なんだよ」

 邦香は外見の印象以上に豊かな胸を張ってそう断言したが、俺は現行バージョンで満足するつもりは毛頭なかった。

 なぜならば、その後も続けていた動作テストでは、判断の取り違えも少なくなかったからだ。修学旅行時、飲酒・喫煙は禁止だが、一八歳以上を条件に性行為なら認める、という進歩的な学校はまだごく少数派だろう。

「常識的な命題しか処理できないプログラムに、なんの価値がある。作ったからには、どんな馬鹿げた内容だって正しく判断できるよう目指すのは当然だろうが」

 生徒会長当選後、邦香は全ての処理をソフトに任せているが、その下した判断には全て目を通し、念入りに検証している。能力不足でPCがフリーズしてしまった場合はともかく、アプリが決定を下せた場合には、邦香は一度もその内容を修正したことはなかったが、それはあくまで結果論だ。

「勿論、その姿勢そのものは大いに評価しているよ。というか、ぜひ次の生徒会選挙までにこの『デジタル執行部』を君の考える真の意味で完成させてほしい」

 それから邦香は軽く息をのむと、突然宣言した。

「もしそれが為し得たなら、わたしは来期の生徒会長には立候補しないつもりだ」

「なんだって? ……どういうつもりだ、ここまで俺を引っ張り込んでおいて。一年で生徒会長になったんだから、もう一期はやれるだろうが。でなけりゃ」

 確かに邦香に対する上級生からの攻撃は執拗だ。

 それを承知で、なお俺は主張した。

「いや、それは問題じゃない。ただ『デジタル執行部』が真に完成したなら、生徒会長だって不要になる。そうだろう」

 抗議する俺の言葉を遮って、邦香はさも当然のように断言した。

「むしろ、人の存在は害悪でしかなくなるんじゃないか? 人間が余計な口を挟めば、無敵の囲碁ソフトだってアマに負ける。アプリが完成したなら、執行部の判断はソフトに一任した方がより安全な筈だ。イベントでの挨拶は、成績などを基準に学校が選んだ生徒代表が行えば済む」

 ばかな……いくらなんだって、そこまで安定したレベルでの動作など一朝一夕には……

 ソフトの能力に関して、俺は反論しようとした。

 無人の生徒会、そのものについての異議は何も浮かばなかった。

「無論、完璧でなくてもいいんだ。そんなものはあり得ないからね。文化祭に、メイドカフェ三店が多すぎるか妥当かの判断は、意見が分かれるところだろう。少なくとも歴代生徒会よりは筋の通った判断が下せさえすれば充分だ。わたしは任期の最後に、来期以降は生徒会執行部を募集せず、すべてコンピュータソフトウェアに任せるよう提案するつもりだ」

 予想以上に過激な提案を聞かされ絶句する俺に、邦香はさも当然のように語りかけてくる。

「好きな女の気を惹くために部活の予算を増額したり、文化祭の企画を通す代償に身体を要求したり……君の作るアプリは、決してそんな真似をしない。わたしにとって、それだけで全てをプログラムに置き換える理由としては充分すぎる」

「……確かに、完全無人の生徒会が成立したら面白いだろう。けどな」

「これは決して悪い提案ではないはずだ。というより実のところ、そんな状況を君が想像しなかった筈がないとわたしは確信しているのだが」

 そう低く囁くと、邦香は笑った。

 あの、他では決して見せることのない、腹黒い笑みで。

「誰一人存在しない生徒会執行部で、自作のアプリケーションが全てを処理している光景を、ね」

「どうしてそんなことが言える?」

「一番最初に断ったはずだが。君については、あらかじめ調べさせて貰ったと」

 邦香はそう告げたきり、それ以上説明しようとはしなかった。

 俺は小さく息を吐いた。それが可能かと、それを望むかは、異なる次元で検討すべき命題だ。能力と願望を混同している限り、目標は達成できない。

 こみあげてくる感情は棚にあげて、俺は答えた。

「努力はする。が、『デジタル執行部』――『ラクシャス』をあと一年で完全無人でも不安のないレベルに到達させるのは到底不可能だ」

「承知した。では、来期も生徒会長に立候補する心づもりはしておこう。……無理をする必要はないからね。これまでも、君はわたしの予想以上によくやってくれている」

 無理難題だと最初から承知ならば、なぜ全てをプログラムに代行させよう、などと思いついたのか。

 俺の書いた運営ソフトは確かに見事な無難さで処理をこなした。だが、ただ一人の執行役員として独裁が許された今の邦香には、誰からも足を引っ張られることなく、より優れた生徒会運営が可能だろう。

 だが、抱いたそんな疑問を、結局俺は問い質さなかった。

「……なら、このプログラムの完成形を、おまえは何に使うつもりだ?」

 かわりに口をついて出たその質問に、邦香は黙って微笑むだけだった。

 バカなことを訊ねちまった。

 無論、俺だって返答なんか期待していなかった。だから、すぐに執行部外役員として、新たな議題のデータ入力にとりかかった。

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