第2話・女子高生、大賢者を認識する。
おっかしぃなぁ……。
登校中も杏子は頭を
今朝の出来事が夢であったのかと考えつつも、まだ読みかけの小説を鞄から取り出し、ノンビリと続きを読み始めるが。
(……こ、この世界は一体なんじゃ? わしが知っている王国でも魔族領でもない。この、目の前を走る奇妙な箱はなんじゃ? 中に人が入っているではないか……ええい、視界が悪い、もっとよくわしに世界を見せぬか!!)
杏子の身体を制御できないギュンターは、 ややジト目になりつつも周囲を見渡す。
幸いなことに、眼球の動きを操ることはできないものの、どうにか伏せがちな顔でも視界を得ることは出来た。
そしてギュンターは理解する。
昨日のぼやけた世界は、今の杏子が付けている眼鏡によって鮮明に見えているということを。
そしてその鮮明な世界は、ギュンターにとっては予想もしていない世界であったと。
(ふむ。魂の定着は成されているか……この体の中にも、我が魂から伸びた『生命の樹』は根を張り同化している。ふむ、魔力回路も安定しているところを見ると、本当にわしの転生先として肉体改造は終わっているが、なんらかの事故でこの体にも魂と意識は残っているようだな……)
杏子の脳内で腕を組み、胡坐をかいて納得するギュンター。
しかし、昨晩は自由に体を操れたのに対して、今は指先一つ、眼球一つも自由にできない。
その原因がわからなければ、ギュンターはこのまま彼女の深層心理の中でしか活動することができない。
やがてJRバスが到着すると、杏子はいつものようにバスに乗り、空いている席を探してそこに座る。幸いなことに最後尾の席が空いていたため、そこに移動して座り、また小説を読み始めた。
だが、ギュンターは気が気ではなかった。
先ほどから見ていた地上を走る金属の箱、その中に杏子が乗るなど思っていなかったのである。
そしてバスが走り出すと同時に、必死に窓の外を見ようと視線をずらしていたのだが、杏子の視線はまっすぐに手元の小説に注がれている。
その結果、杏子が乗った馬車の中にいた、別の狂気に気が付かなかった。
――ガタン
バスが少し加速する。
そしてバス専用レーンを外れて車線を変更すると、本来の路線を大きく外れた明後日の方向へと走り出した。
一体何事かと騒ぎ始める客たち。
だが、次の瞬間、その騒ぎは悲鳴に切り替わった。
「Em ê vê otobusê bikar bînin. Jiyana we dê ji bo danûstandina bi hukûmetê re were bikar anîn!」
( このバスは、我々が利用させてもらう。貴様たちの命は、政府との交渉に使わせてもらう!)
一人の外国人がそう叫ぶと、運転手の首筋にナイフを突きつける。
そしてバスの中に点在していたらしい別の外国人たちも素早く付近の乗客を捕まえると、ナイフを突きつけて動かないように叫ぶ。
一人、また一人と椅子に座らされて、ナイフや銃を持った外人に見張られ、外部に連絡されないようにスマホを提出するように促される。
それは最後尾席に座っていた杏子も例外ではない。
『悪いな、お嬢さん。今、外に連絡されるのは気まずいのでね、痛い目に合いたくなかったら、スマホを出してくれないか?』
「は、はいっ……これです」
異国の言葉でそう促されると、杏子もブレザーのポケットからスマホを取り出して手渡す。
『うん、いい子だ。だから命は取らないから、静かにしていろよ』
「ひ、ひゃい!!」
そのまま男はその場から離れる。
すると、隣に座っていた女子生徒が、杏子にこそっと呟く。
「あ、あの外国の言葉が判ったのですか……」
「え、あの人たち、日本語を話していましたよね?」
「「え?」」
杏子には、あの外国人たちの言葉が日本語に聞こえた。
だが、彼らは日本語を話していたのではない。
こうなると小説を呼んで気を紛らわすなんてことが出来るはずもなく、杏子は小説を鞄に仕舞うと、じっと下を向いて静かにしている。
(ああ、どうやら外国語を自動的に翻訳する
そう考えていると、ギュンターにも杏子の感情が流れてくる。
昨日の夜から起こった、一連の不可思議な現象。
そんなことに巻き込まれてしまったという不安と、そして今、バスジャックという非日常に巻き込まれた恐怖。
「うっ……ううっ……ううっ……」
俯いた杏子の目から、ポトッポトッと涙がこぼれる。
それは膝に落ちる前に眼鏡に溜まり、やがてそこから零れていく。
「ふぅーっ、ふぅーっ」
頬とメガネを拭くためにハンカチをポケットから取り出し、そして眼鏡をはずした時。
――シュンッ
杏子の視界がぼやける。
そこは暗い空間。目の前に二つの大きな穴が広がっており、そこから杏子は外の風景を眺めている。
「え? これって何? 一体、なにがどうなっているの?」
今いる場所も分からず、そして自分に何が起きているのかさえ理解できない。
ただ、なんとなくだけれど、杏子は今、自分の深層心理の世界に立っているということが理解できた。
そして眼鏡をはずした瞬間、彼女の深層心理に住み着いていたギュンターの視界が大きく広がる。
それは昨晩の、彼女の肉体を自由に扱えた時のように。
『……ははぁ、なるほどのう。ヒントはこのメガネか……』
メガネを拭いていた手を止め、ギュンターはゆっくりと眼鏡を観察する。
すると、そのツルと耳あての部分に刻まれている紋様を見て理解した。
それは何のことはないデザイングラス。
とある眼鏡デザイナーが刻んだおしゃれな紋様だが、これこそが、ギュンターを彼女の深層世界に閉じ込める鍵。
それが外された今、ギュンターは自由になったのだが。
「さて、この体の宿主のお嬢さん。ちょいと体を使わせてもらうよ」
『え、なに、一体なにがおきているの? 私の身体を勝手に使っている貴方は誰ですか?』
「うーん。まあ、今朝からお嬢ちゃんが話している幽霊のようなものじゃな。ちょいとこの現状を収めるまで待ってくれ、そのあとでわしの話を聞いてもらうと助かる」
小声でぼそぼそと、深層世界の杏子に話しかけるギュンター。
その穏やかな声で、杏子も今はとりあえず、この正体不明の人物に託すことを考えた。
『わかりました。ただ、その体は私のものです。後で必ず返してください』
「約束しよう。ロスヴェルデ聖王国宮廷筆頭大賢者・ギュンター・クーンの名において誓おう。では、ちょいとあの暴漢どもを退治してくるとするか」
『え、あ、あの、退治ってどういうことですか!!』
そう叫ぶ杏子をよそに、ギュンターは両手を組み、素早く印を紡ぎ始める。
すると彼女の体内、魂の根源に刻まれた『生命の樹』が活性化し、体内に魔力が満ち溢れる。
(さて、この世界には魔術はない……ということは、ここで派手な魔術を行使すると、この子に負担がかかってしまうな……)
そう考えて、無詠唱で
――シュンッ……トスッ
それはまっすぐに外国人の頭に突き刺さると、そのまま全身を麻痺させる。
さらに次々と
――ビリリツ……
だが、魔素の少ない世界での高位魔術の発動は、その行使者にも多大なるペナルティーを与えてしまうことを、ギュンターと杏子はこのあとで身をもって知ることとなる。
「さて、このあとは、乗っている人たちに任せても大丈夫じゃな……では、一旦、この体を返すので、わしが話しかけても驚かないようにな」
『は、はい。助けてくれて、ありがとうございます』
その杏子の言葉に笑顔で頷くと、ギュンターは眼鏡を掛ける。
その瞬間に、深層心理世界の杏子とギュンターの意識は入れ替わった。
「あ、あれ、あれれ……」
自分の身体が戻ってきたことをも杏子は手を握ったり頬を軽く抓って確認する。
「本当だ……」
『さて、それじゃあここから先は、わしの話を聞いてくれ……実はな』
バスが一旦停車し、警察が来るまでの間。
ギュンターは自分の故郷の事を話し始めた。
緑豊かな王国に、突然進軍してきた魔王国。
それを指揮する魔王シュバルナーと、奴と戦い戦争を止めようとした若き英雄たち。
ギュンターもまた、彼らと共に魔王を討伐すべく魔王国へと向かい、長い戦いの末に魔王シュバルナーを追い詰めた。
だが、そこで仲間の一人が裏切り形勢は逆転。
ギュンターを始めとした英雄たち囚われ、そして見せしめとして処刑台に乗せられ、首を跳ね飛ばされた。
『そしてわしは、首をはねられる瞬間に、古代魔術の秘儀を試した。どうせ死ぬのなら、少しでも生きて復讐する機会を得たいと思ってな。そして結果として、わしは賭けには勝ったものの、まったく知らないこの世界に転生してしまったというわけじゃ』
「そうでしたか……ということは、朝の、あの幽霊のような声も、ギュンターさんだったのですね」
『うむ。あの状態でわしが声を出せればよかったのじゃが、外に聞こえない以上はただ騒動が大きくなると思って黙っていたのじゃよ……すまなかったな』
「理由は分かりましたので、許しますよ。それで、いつ、この体から出ていくのですか?」
ギュンターの言葉のすべてを信用したわけではない。
だが、それを信用に足らしめる自実を目の当たりにした以上、杏子もどうにか納得するしかなかったが。
『うむ、それは無理じゃな。わしの魂とお嬢ちゃんの魂は融合しておる。それに、昨晩はこの体も魔術師として必要な体に作り替えられてしまったからなぁ』
「はぁ?」
杏子は、思わず大きな声で叫ぶ。
そんな事実など、信じたくはないし認めたくもない。
『ということで、今しばらくはお世話になる。なあに、心配するな。そのメガネはな、わしの意識をこの深層心理世界に閉じ込める役割を持っている。それを付けている限りは、わしはお嬢ちゃんの身体を勝手に使えはしないから安心しろ』
「安心しろといわれましても……」
『それにな、お嬢ちゃんさえよければ、魔術が使えるように色々と教えてやることも可能じゃ。わしはいくつもの神の加護を持っている。その中には、【森羅万象】という万物全てを理解できるスキルも保有しておる。それがあれば、お嬢ちゃんだっこの世界で魔術師になることも可能じゃぞ』
まさかの魔術の修得。
それを聞かされて、杏子の心は少しだけ傾く。
普段は眼鏡を掛けているので余計な事をする筈もないので、安全である。
夜は眠っているため、体を使われることはない。
そう考えた杏子は、不承不承ながらギュンターの存在を認めることにした。
「では、本当に余計なことはしないでくださいね。それならまあ、私の身体に同居していることを許します」
『そうかそうか。では、今後もよろしく頼むぞ』
「はいはい。よろしくお願いいたします」
どうにか意見が一致する。
すると、ちょうど警察車両や代行バスが到着したらしく、杏子たちも簡単に事情聴取のためにバスから降りようとしたのだが。
――パラパラパラパラッ
椅子から立ち上がったとき、スカートの中から、大量の破れた布地が床にこぼれた。
そして股間が異様にスース―し始めた時、杏子は素早く椅子に座りなおした。
「な、な、なんで私のショーツがボロボロに破れているのですか!!」
『おお、なるほど。魔術の基礎であり、均衡を示すイエソド。そこに魔力が集まることで、この世界では魔力が生み出されるのか』
「な、な、なにを言っているのですか、つまり簡単に説明してくれますか!!」
顔を真っ赤にして、自分自身に向かって叫ぶ杏子。
すると、ギュンターは何も悪びれずに一言。
『この体で魔術を練ると、発動の際に対外放出される魔力の残滓により、身に付けたものが粉砕する。先ほどの
下帯、すなわちショーツ。
つまり杏子は、魔術を使うたびに下着や衣服が吹き飛ぶということになる。
最悪の場合、魔術を使った直後に全裸で佇む可能性もある。
「……ていけ……」
『ん、なんじゃ? 今、なにかいったか?』
身体をブルブルと震わせて呟く杏子。
そして今度は、ギュンターにもわかりやすく。
「このエロ魔導師が、この私の身体から出ていけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
この杏子の絶叫により、外で待機していた警察官たちがバスの中へと駆けつけてくる。
そしてスカートをはいていることが功を成したのか、いそぎ事情聴取を終えた杏子は近所のコンビニに飛び込み、どうにか事なきを得たのであった。
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