ツイン・ドライヴ~異世界転生した大賢者、女子高生に同居する~

呑兵衛和尚

第1話・大賢者、女子高生に同居する

 チッチッチッチッ……


 時計の秒針が、静かに響く。

 深夜3時、中原杏子なかはら・あんずは熟睡していた。

 昨晩はずっと、時間が経つのも忘れて推しの作家の新刊を読みふけり、そのまま寝落ちしてしまった。

 三度の飯より本が好き、それが高じて高校では不人気だった図書委員にも立候補。

 決して社交的ではなく友達付き合いも少ない彼女にとっては、本という存在が唯一無二の親友であった。

 

「ん~、んん~、ん?」


 微睡の中、ふと、何か違和感が体をよぎる。

 未だ眠りについたままの杏子の意識は、今だ夢の中。

 だが、杏子の身体の中に生まれたそれは、必死に現実と虚実のギャップを克服すべく、必死に運命に抗い続けていた。

 

「まだじゃ……まだ、ワシは負けていない……おのれ……」


 険しい形相、額から流れる脂汗。

 杏子の中に生まれたそれは、ゆっくりと消滅していく自我を留めるために、幾つもの魔術を行使する。


――ブゥン

 幾重もの魔法陣が発生し、杏子の身体を包み込む。

 頭、胸、腹部、肩、腕、太もも、脚……

 いくつもの小さな魔法陣が杏子の身体に浮かび上がる。

 それはまるで、『セフィロトの樹形図』の如く彼女の身体に浮かび上がると、それはゆっくりと彼女の中に浸透。そして杏子の魂にも刻まれていった。


「覚えておれ、魔神シュバルナー……いつか、貴様を倒して……はふぅあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 寝言のように歯ぎしりを立てつつ呟く杏子。

 だが、最後は室内に響くような大絶叫を上げてしまった。

 全身を走る激痛、まるで体全体が虫歯になったかのように、そこに冷たいアイスクリームが零れたかのような激痛。

 布団から跳ね起き、自分の身体を抱きしめる。

 

「はふぇ……い、今の痛みはなに、まだ体が震えている……」


 ベッドのヘッドボードに置いてある眼鏡を付け、室内の電気を灯す。

 そして立ち上がり姿見を見てみるが、別段変わったところはどこにもない。


『ちょっと、杏子、どうかしたの?』

「ううん、ちょっと悪い夢を見て、それで飛び上がっちゃって……ごめんなさい」

『それならいいのだけれど。あまり夜更かしして、本ばっかり読んでいたらだめよ?』

「はーい。それじゃあ、おやすみなさい」


 部屋の外から、心配そうに話しかける母の声が聞こえてくるが、自分の身体に何も起きていないことを理解すると、母親との会話を終えて再びベッドに潜り込もうとするが。


「嫌だ……寝汗が酷いじゃない……着替えないと」


 汗が染みつき、べっとりと肌に張り付いている。

 こんな状況で寝たら気持ちが悪いし、なによりも寝汗が冷めて風邪を引きかねない。

 急いで洗面所に向かいお湯で湿らせたタオルを用意すると、部屋に戻って体を拭くために衣類を脱いだ。


『ん……んん……』

「ふぅ。やだ、体中べっとりしている……」


 急いで体を拭き、着替えてからベッドにはいる。


『ん……んん? ここはどこじゃ?』

「はぁ。さっきは変な夢をみたように気がしたんだけれど。悪夢って、起きたら忘れちゃうのよね。さ、早く寝なおさないと……」


 枕元に置かれている本をヘッドボードに置きなおすと、杏子は再び眠りにつく。

 だが、この時、まさか杏子の身体にこのような異変が起きているなど、彼女は予想もつかなかった。


――スヤスヤスヤスヤ

 杏子が寝息を立てている中、彼女の体内で目覚めたもう一つの自我は、現在の状況について思案を巡らせ始めた。


………

……


『はて。わしは勇者たちと共に魔王との決戦に赴き、そしてあっさりと敗れて囚われた上、処刑された筈じゃが』


 意識が体を支配する感覚。

 だが、どことなく違和感を感じる。

 ふむ。この体はどこかの誰かものである、つまりわしは、処刑される瞬間に、転生の秘儀に成功したということか。

 しかし、ここがどのような世界なのか分からない。

 恐る恐る目を開けてみるが、今一つ視界がよろしくない。

 今のわしは、どんな姿をしているのだ?

 あの超古代魔法文明の齎した秘儀、あれが成功しているのなら、ワシの身体は、もっとも魔力に満ち溢れていた30代にまでさかのぼり再生されているはず。


 ふう。

 両腕、両足、しっかりと意識が繋がっていく。

 どれ、どんな姿なのか、見てみようではないか……。

 

――グニュッ

「……柔らかい寝床じゃなぁ。この体の持ち主は、どこかの貴族か、はたまた王族のようじゃな……しっかし、転生の秘術で蘇ったのは良いが、どうにも誰かの人生を奪ってしまうのは心苦しいのう……」


 人差し指に魔力を集め、目の前の空間に術印を書き記す。

 そこにフッ、と息を吹きかけると、目の前に直径20センチほどの光球が浮かび上がる。

 そして明るくなった室内を見渡し、大賢者ギュンター・クーンは近くにある大きな姿見を見て……絶句する。

 そこにはやや小柄な少女~中原杏子~が写し出されていたから。

 黒髪長髪、清楚さを思わせる均整の取れた体。

 まさが自身が女性に転生するなど、ギュンターは予想もしていなかったのである。


「は、は、はぁぁぁぁぁぁ? わし、女性になっとるぞ? いや、この外見だが実は男性という可能性もある、ちょっとまて落ち着けわし……」


 スーッハーッと深呼吸を行い、どうにか心理的動揺を抑えようとするが。

 その吸い込んだ大気に魔素が殆ど含まれていないことに、ギュンターは驚いた。


「い、いかん、ここまで魔素が失われているということは。まさか世界樹まで燃やされてしまったのか? そもそも、ここは一体、どこなのじゃ?」


 この時点で、自身が女体化しているということも、頭の中からすっとんでしまっている。

 大賢者ギュンターにとって、魔素は魔術を発動するために必要なもの。

 だが、その魔素が地球ではあまりにも希薄すぎる。

 

――スッ

 そして、少ない魔素の中では、ギュンターが発動した魔術も効果時間が短くなってしまう。

 

「はぁ。これは参った。もう、今から色々と調べるのは面倒くさい、明日の朝、この屋敷の者たちから色々と情報を仕入れるとするか……」


 頭をボリボリと掻きつつ、ギュンターはベッドの中に体を横たわらせると、そのまま静かに眠りにつくことにした。



 〇 〇 〇 〇 〇



――朝。

 間もなく4月。

 北広島西高校に通っている杏子も、この春で2年生に進級。

 残り少ない1年生を楽しむために、今日も学校に向かう。

 まずはまだまどろんでいる頭を目覚めさせるためにベッドから起き上がると、カーテンを開いて朝の光を全身に浴びた。


「ふぅ……んんっ、あ~、なんだか変な夢を見ていたような気がするのですけれど……」


 メガネを付けて周囲を見渡すものの、特になにもおかしいところはない。

 そもそも、おかしいことが起こってていたら、それは犯罪者が家に押し込んで来たとか、そういうドラマティックな展開のみ。そういう場合は、今のこのようにのんびりとなんてしていられない。


「さてと、急いで用意しちゃいますか」

『ふぁぁぁぁぁぁ。もう朝か……』

「え?」


 突然、頭の中に聞こえてきた声。

 

「んんん? スマホが鳴ったの? いえ、違うわ、確かに人の声だったわよね?」

『別人? んんん、おや、これはどういうことじゃな?』

「ひっ!! だ、誰かいる……」


 杏子はとっさに扉まで移動すると、室内をゆっくりと見渡す。

 だが、いつもと同じ風景、いつもと同じ光景。

 特段おかしい光景はなにもない。

 そして大賢者ギュンターも、目を覚ますと自分の身体が勝手に使われていることに気が付く。

 肉体の支配権が奪えず、さらに転生先の自我まで残っているとは、彼自身も予想していなかったであろう。 


「べ、ベッドの下に侵入者……あはは、なんてね……」

(ふむ、ちょいと様子を見ることにするか)


 言葉に出すと杏子の頭の中に届くことは理解できた。

 それなら、この少女を驚かさないように、今暫くは言葉を発せずに様子を見ようとギュンターは考え、言葉をつぐんだ。

 そんなギュンターの意識など気が付かず、杏子は恐る恐る体をかがませると、ベッドの下をのぞき込む。だが、杏子のベッドは下段は引き出しになっているため、何者かが隙間に侵入できるようなスペースは存在しない。

 

「そ、そうよね……ということは、まさかクローゼットの中にいるとか……でも、声はすごく近かったよね! やつばりどこかにいるのかしら……」


 恐る恐るクローゼットに近寄り、そのドアノブに手を掛ける。

 もしも、さっきの声の主がここに入っていたら、私は襲われるかもしれない。

 そんな恐怖が、ドアノブを掴んだ手にも伝わり、ガタガタと震えて来る。

 ここで扉を開けて、もしも中に何者かが入っていたとするのなら。

 その恐怖心がギュンターにも届いてしまい、思わず杏子に話しかけてしまった。


『んんん、そこに何かいるのか?』

「でたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

『出たじゃと、一体なにが出たのじゃ!!』

「お、おお、おばけぇぇぇぇぇぇぇぇ、もしくは泥棒ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」


 絶叫を上げながら、杏子が部屋を飛び出す。

 どたどたと階段を高速て駆け下り、リビングでノンビリトコーヒーを飲みつつ新聞を見ている父親の元に駆け寄ると。


「おと、とおとおとおうさん、出たのでたのデタのよっ」

「どうした、朝っぱらから大声を上げて。何か出たんだ? まさかゴキブリか?」

「違う違う、ど、ど、泥棒か幽霊が、クローゼットの中にいるかも知れないのよ!!」

「なんだと!!  母さん、警察に電話する準備だけしてくれ、俺は様子を見て来る!」

「は、はいっ!!」


 娘を信用していないのではなく、万が一にも杏子の勘違いかもと判断した父は、警察に連絡する準備だけさせておくと、そのまま玄関横に置いてあるゴルフバッグから5番アイアンを引き抜いて階段を上がる。

 そしてゆっくりと杏子の部屋に入り、クローゼットに手を掛けて、ガバッと勢いよくクローゼットを開けるが、そこには誰もいない。

 杏子の話していた泥棒の姿も、まさかの幽霊の姿もどこにもなかった。


「……ふぅ。誰もいないか。窓から外に出た形跡もない、鍵はかかったままだな……杏子、本当にここに誰かいたのか?」

「え、ええ、だってだって、さっき声が聞こえてきて……」

「ふむ。取りあえず、家の中を一通り調べてみるか」


 そのまま家の中をくまなく調べてみたものの、杏子の話していた泥棒らしき人物の姿はどこにもない。とりあえず安全であると確認できたので、家族全員がダイニングに移動し、朝食を取り始めた。


「全く。やっぱり夜遅くまで本を読んでいたから、寝ぼけて変な声が聞こえたように感じたんじゃないの? ちゃんと早く寝なさいね……」

「まあ、本が好きなのはわかっているから、ほどぼとにな……」

「は、はい……おっかしいなぁ……」


 そのまま朝食を終えて、杏子は着替えて登校する。

 これは、彼女にとって新たな世界が広がる、最初の出来事であった。

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