第3話 悪を喰らう者

「アラタ君、君は首だ」

「……そうですか」


 ニヤニヤと笑みを浮かべる同僚の男。それとは対照的に申し訳なさそうな顔をする社長。

 大体の状況は把握できた。少女を庇った時点で予測できていたことだ。


「アラタ君。君がレルク君に暴力を振るっていたことが確認された。そんな人物はわが社には置いておけないんだ。だから、今日中に社宅からも荷物をまとめて出て行ってくれ」

「分かりました。お世話になりました」

「再就職、精々頑張るんだな、独活の大木クン! はっはっはっ」


 俺の肩に手を置いて、高笑いをしながら歩き去っていく同僚の男。あの様子だとこの街のあらゆる場所に俺の悪評がバラまかれている所だろう。再就職は絶望的と考えたほうが良さそうだ。


「すまない。アラタ。君が悪くないのは分かっているんだ。けれど、アイツはこの街の知事の息子だ。知事の認可が無ければ隔離員は働かせられない。だから……」

「謝らんといてください。社長。今まで本当にお世話になりました。職歴も学歴もない俺を雇ってくれたのには感謝しかありません」

「すまない……、すまない……!」


 涙ぐむ社長にもう一度深く礼をして、俺は職場を後にする。

 さて、これで学歴なし職なし家なしだ。これからは野宿となるだろう。

 まあ、サバイバル技術は相応に磨いてきたので、特に困ることはない。だから大丈夫。大丈夫。きっと大丈夫なはずだ。


「貯金は万が一のために残しておくとして、ああ、週刊少年ジャックも買えなくなっちまうな」


 それだけは少しおしい。週に一度の楽しみなのだ。けれどまあ、仕方ないことだ。俺一人と他の従業員の生活となれば、どちらを斬り捨てるべきかは、おのずと決まっている。


「ま、ヨロイクマでも狩って、今日は焼肉パーティにするとするか。仕事納めではあるしな」


 自分から望んだことではないが。

 そう切り替えようとしていると、端末が鳴った。社用端末だ。返し忘れてしまったらしい。


「いかんな。返しに行かないと窃盗とか言われそうだ」


 そう言って端末を持ち、そしてそこから事態が知らされた。


『バルザルク湾海上にて、武装豪華客船がテロリストの襲撃を受けている模様! 直ちに隔離員は豪華客船内から一般市民の避難誘導を行ってください! 豪華客船内にはアド・アステラの学生も乗っており、戦闘が発生する恐れがあります! 直ちに現場へ急行してください!』

「……まずいな」


 今のサクラさんは戦えないはずだ。そして他のアド・アステラの生徒も彼女よりは弱いだろう。今朝の事件を知らない人間が事件を起こしたとは思えない。


 向かわなくてはいけない。

 俺はその場で軽くジャンプをして上空に上がると、全力で空を踏みしめた。アスファルトを蹴り砕かないための、二段ジャンプだ。そのまま俺は連続で空を蹴って、加速していった。

 手を震えさせながら。


 □


 思い出されるのは過去の情景だ。

 アヤノはパラダイムに目覚めた。他界介入オザーフォース、つまり他の生物への干渉を得手とする能力だ。治癒能力が代表例であると言えるだろう。しかし彼女が目覚めた力はその真逆だった。

 他の生物から生命力を奪うのだ。これでは花を育てることなんかできやしない。


「どうして、こんな力なの……」


 そうして涙ぐむ少女に俺は何も言ってやることはできなかった。

 触れただけで花を枯らし、動物を衰弱させ、人をも殺しかねないチカラ。そんな力を持つ彼女から人は離れていった。

 けれど俺はずっと彼女の友人のままだった。


「どうして、アラタは私から離れないの? 私はこんなに危ない力を持っているのに」


 君と約束したじゃないか。ずっと守ってみせるって。

 少女は呆気に取られて、その直後に俺を抱きしめようとして、すんでのところで思いとどまった。そんな彼女に俺は言った。


「俺がメチャクチャ鍛えまくって、君に触れられても大丈夫な、頑丈な人間になってみせるよ。だから約束して。ずっと友達でいてくれるって」


 少女はまた泣き出してしまった。思えばあの子は泣いてばかりだった。

 最期の時もそうだった。


 □


 俺の家族と俺、そしてアヤノは、一緒に出掛けることが度々あった。彼女の両親は非常に忙しかったからだ。

 あの時もそうだった。彼女と俺の家族は一緒にピクニックに出かけて車で道路を走っていた。

 目的地に着くまで俺と少女は歌っていた。楽しみで仕方なかったから。


「本当に仲のいい子たちね」

「これは将来は本当の意味で家族になるかもな」

「えへへ」

「父さん! 何言ってんだよ」


 頬を染める彼女。ムスッとする俺。けれど彼女はそんな俺を見て上目遣いで言った。


「いやなの? 私をお嫁さんにするの?」

「…………いやなわけ――」


 そう言いかけた時だった。

 土砂崩れが起きたのは。

 慌てて父がブレーキを踏むも、俺たちは土石流に巻き込まれてしまう。

 土に埋もれる車。その直前で、俺は見た。

 明確に口の端を吊り上げた、二足歩行の獣を。


 そこで俺の意識は暗転した。

 意識を取り戻すのにどれだけかかっただろうか。

 俺の隣には額と口から血を流す少女がいた。そして前の座席は完全に巨大な岩に潰されていた。

 血が後部座席にまで滴り落ちている。両親の命はもう……。


「あ、ああああ、あああああああああ⁉」


 口から意味のない絶叫が溢れる。それと同時に微かに力が抜ける感触があった。

 少女の手が俺に触れたのだ。

 ソレが俺を冷静にさせた。


「このままじゃ、アヤノまで死んじゃう……!」


 助けなければ、いけない。その手段は、俺にはない。彼女は額から血を流している。吐血もしているということは内臓にも損傷があるのだろう。当然顔色も悪い。俺はどうすればいいか考えた。そしてすぐに結論が出た。


 俺には彼女を救う手段はない。

 けれど彼女には彼女を救うパラダイムちからがある。


「アヤノ、お前に、俺の全てをあげるから、どうか生きてくれ……!」


 少女と手をつなぐ。昔は、パラダイムに目覚める前はよくつないでいた。久しぶりに少女の柔らかな感触が手のひらに伝わり、その直後。

 俺の体から大事な何かが抜けていった。

 きっとそれは命と呼べるものだった。


 □


「アラタ……」

「アヤノ……」


 俺と少女は、不思議な空間で対峙していた。

 きっとここは彼女の内側だと言えた。


「どうして、あんなことしたの? アラタだけだったら助かったじゃない……!」

「約束したじゃないか。ずっと守るって」


 それだけ言うと、彼女は俺を抱きしめた。力が抜ける感触はなかった。彼女のぬくもりが伝わってきた。


「アラタ、約束して?」

「良いよ。何をだい?」

「生きて」

「え」

「私が居なくても、幸せに生きて。約束だよ」

「待って、待ってくれ! アヤノ‼‼」

「バイバイ、ずっと、ずーっと、大好きだよ」


 そして俺の目の前から彼女は消えて……。


 現実に戻ると、俺の隣には、陶磁器のように真っ白な肌をした彼女がいた。

 それが、俺と彼女の別れだった。


 □


 それから俺は、彼女の家族に責められた。葬式にも顔を出させてもらえなかった。お墓の位置も知らない。俺には知る権利がない、と言われた。

 あの時彼女から伝わってきた温もりは、彼女の命だったのだ。俺が与えた、俺の命でもあったのだ。


 だから彼女は死んだ。

 俺のせいで。


 あの時、もし、俺がいまのような強さがあったら、彼女を死なせることはなかったはずだ。それどころか、土砂崩れそのものを受け止めて、車に被害を出すこともなかったはずだ。


 俺は悔やんだ。己の無力さを。それまでだって鍛錬はしてきた。

 けれどその日以降の俺は死に物狂いで自分を鍛えることにした。

 ほとんど自殺まがいの鍛錬を十年間続けた。

 色々な場所に行って、色々な形で死にかけて、それでも彼女の約束を胸に生き延びて。でも心のどこかで俺は死にたかったんだと思う。


 でも死ねなかった。死ぬわけにはいかなかった。

 そして今日、俺はその鍛え上げた力で、戦おうとしていた。

 手を震わせながら。


 □


「大丈夫、私がいるわ! だからみんなは避難を優先して!」

「負けないで、サクラ様!」「頑張って、サクラ先輩!」


 後輩や慕ってくれる同級生を先に武装豪華客船内のシェルターへと逃がす。

 あそこなら安全だ。たとえ私であってもあそこの防備を破ることはできない。

 けれど、私は?


(今は、非常にまずい……)


 ヨロイクマに襲われて、まともな儀式はできなかった。故に貯蓄はほとんどない。一応アラタさんに背負われている間に、少しだけ森から力を分けてもらえたが、今の私は等級換算で『注視能力者ステージ3』にも満たないだろう。そしてその数少ない貯蓄も、テロリストから人々を守るために使ってしまった。


 その状況でテロリストたちが攻め込んできた。

 あるいはこの状況を知っているのかもしれない。随分街中では派手に戦ってしまったし。

 そう考えていると、突如として船の壁面が爆発した。その穴から一人の男が進み出てくる。


「よおよお、さっきは随分俺をコケにしてくれたなァ」


 仮面をかぶった男が、記憶に残る声で、私に話しかけてきた。


「まさか、お前! あの時の!」


 この国唯一の『重視能力者ステージ4』とか言っていた、あの男! アラタさんを殴った奴!


「そうさ、俺がこの国唯一の『重視能力者』だ。そして、テメエをたおして『巨視能力者ステージ5』となる男さ」

「ふざけたことを! そんなことのためにこの武装豪華客船を襲ったんですか⁉ 重犯罪ですよ!」

「はっ、それがどうした。この国の領内で起きたことはなァ、全部お前らアド・アステラの生徒の尻ぬぐいをしてやったことになるんだよ。学生がテロリストに応戦するも敗北し、殺害されるも、駆け付けたこの国唯一の『重視能力者』によってテロリストは殲滅される、そういうシナリオさ」

「テロリストすらお前たちの策謀だというんですか⁉」


 ここまで人々を逃がす際に、少なくない負傷者が出た。それでも死者はいなかった。それも私が全力を尽くしたからだ。もし私が居なければ、アド・アステラの生徒たちも、他の乗客たちも死んでいただろう。


「この国にはな、一刻でも速く『巨視能力者』が必要なんだよ。他国の介入を退けられる強大な能力者がなァ! 俺はソレに抜擢されたってわけさ。喜べ、この国最高の探究者誕生の礎になれることをな」

「どこまで身勝手なんだ、お前たちは……!」


 私は怒る。しかし今の私には力がない。

 男は、手のひらを私に向けた。


「あばよ。火葬の手間は省いてやるよ」


 爆炎が吹き荒れた。それに私の視界が埋め尽くされた。その後には、焦げた甲板だけが残っていた。


「ははははははは! 塵も残さず消え去ったぜ! 呆気ない最期だったな! アド・アステラのガキが! 俺様に楯突くからこうなるんだよォ!」

悪党ローグにも劣るな、お前は」


 男の背後から、声が投げかけられた。


「は? なんで、テメエがここにいる?」


 そこには、筋骨隆々、二メートルを超える少年が立っていた。

 天喰アラタが、立っていた。

 私を抱えて。


「もう大丈夫。君の味方がここにいる」

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