第10話
「魔女様!?まさか、魔女様では!?」
腰の曲がった老婆が杖を放り出し、私に縋ってきた。
「え?あっ!もしかして母をご存じなのですか?それか、祖母かな?」
「あ、あ……。そうね、そうでございますね。てっきり魔女様かと……。実はお祖母様には大変お世話になりまして――」
老婆が声の届かない距離まで行くと、それまで黙っていた軍人に肩を掴まれた。
「おい。やっぱり嘘ついてたんだな?魔女の孫ってのが本当なんだろ!」
「ううん。あなたには嘘ついてない。今は嘘ついちゃったけど……」
「は?」
「今のが、しばらく街に来なかった理由。街の人と顔見知りになると、何年経っても歳を取らなければ変だなって思うでしょ?今みたいに、私のことを知ってる人が私を見たとき、子供や孫と思われてもおかしくないくらいの期間、開けるようにしているの。化け物みたいだと自分でも思うけど、でも、できれば化け物と思われたくないから……」
「……そうか。だから、服を持ってなかったのか」
「うん。街に来ない期間は人に会わないから必要もないしね。今みたいに来られる期間にたくさん買い物をするの。だから、あなたが担当のうちにできたらまた来たいな」
「そんなこと、いくらでも」
「あ、でも……」
「なんだ?」
「ここ最近はあの家に来るのは伝令くらいだから、あと十年もしたら顔見知りは誰もいなくなる。いつでも好きなときに買い物できるようになるのかも」
本当は別の理由もあったけど、軍人はこの説明で納得してくれたらしい。
それからしばらく軍人は黙ってしまった。
◇
「わざわざ送ってくれてありがとう」
「いや。街に買い物行きたいときは言ってくれ。また連れていく」
「うん、ありがとう。それじゃあ気を付けて」
「これ」
軍人がポケットから小さな包み紙を取り出し、ずいっと差し出してきた。
両手を出すと、手のひらの上にそれが乗せられる。
「ん?あっ!えっ……。クッキー?どうして?」
「見てたろ、クッキー。前任者からのクッキーを楽しみにしていたようだし、食いたいのかと思ったんだけど」
「あ、なるほど……。そっか……」
「なんでそんなに微妙な反応なんだよ?」
「そんなことないよ。いつの間に買ったんだろう?って思って。本当に貰っていいの?」
「服をだめにした詫び」
「ふふ。嬉しい……。ありがとう」
「おぅ。じゃあ、また来週」
「うん。気を付けて」
三十年ぶりの街はお店が結構変わっていて、楽しかった。
三十年前にはなかったお店や、見たことのないものに目を奪われていた自覚はある。
そして、街歩きをしているときに、確かにクッキーに目をとめた。
そのお店は以前と変わらずそこにあったので、ここは変わっていないのだと考えながら見ていた。
だから、そんなに物欲しそうに見ていたつもりはなかったのに。
「あっ、そうだ」
歩き出した軍人だったが、何かを思い出したようで、振り返った。
「名前、聞いてなかった」
「名前?」
「あんたの名前」
「……ない」
「ない?ナイって名前……じゃないよな?名前がないってことはないだろ」
「昔はあった気もするけど。呼ぶ人がいないと、自分の名前も忘れてしまうものなの」
彼は懐疑的な顔をしたが、次の瞬間には何か思い付いたような表情をする。
「魔女は名前を明かさないものなのか?」
「さあ?そういうわけではないと思うけど。とにかく、私の名前は気にしないで」
「名前を呼ばなければいけなくなったとき、困るだろ。他の人に魔女ってことを知られないほうがいいんだろうがよ」
「……そうだけど。でも、今のまま魔女って呼んで」
無理やり『名前はない』で通して、軍人を見送った。
軍人の後ろ姿が見えなくなると、手の中の小さな包みに視線を落とす。
紙袋の口が何重かに折られ、紐がかけられている。
紙袋に掛けられた紐を解き、口を広げて中を覗けば、てらてらと赤やオレンジに光るものが見えた。
花の形を模して、真ん中にジャムがある。
「あ。ジャムクッキーだ……」
一人で呟けば、近くの茂みがガサガサと音を立てた。草を掻き分けソルが出てくる。
「あ、ソル。見回りに行ってたの?おかえり」
「クッキーって何?」
「これ。ジャムクッキー貰っちゃった」
「あいつから?」
「あいつなんて言い方。……怒ってるの?」
「別に……」
「それじゃあ、悲しかった?寂しかった?忘れられていて」
「なんでだよ。今更だろ」
「だって――」
「それ、腐らせる前に食べろよ」
「あ、うん。わかってるよ」
「……食べるの手伝ってやろうか?」
「だめ!」
「冗談だ」
「絶対だめだからね!」
「わかったって。それより、今度はあいつにあまり気を許しすぎるなよ」
「わかってるよ」
ソルが予想したように、私はしばらくそのジャムクッキーを食べることができなかった――――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます