第10話

「魔女様!?まさか、魔女様では!?」


 腰の曲がった老婆が杖を放り出し、私に縋ってきた。


「え?あっ!もしかして母をご存じなのですか?それか、祖母かな?」

「あ、あ……。そうね、そうでございますね。てっきり魔女様かと……。実はお祖母様には大変お世話になりまして――」


 老婆が声の届かない距離まで行くと、それまで黙っていた軍人に肩を掴まれた。


「おい。やっぱり嘘ついてたんだな?魔女の孫ってのが本当なんだろ!」

「ううん。あなたには嘘ついてない。今は嘘ついちゃったけど……」

「は?」

「今のが、しばらく街に来なかった理由。街の人と顔見知りになると、何年経っても歳を取らなければ変だなって思うでしょ?今みたいに、私のことを知ってる人が私を見たとき、子供や孫と思われてもおかしくないくらいの期間、開けるようにしているの。化け物みたいだと自分でも思うけど、でも、できれば化け物と思われたくないから……」

「……そうか。だから、服を持ってなかったのか」

「うん。街に来ない期間は人に会わないから必要もないしね。今みたいに来られる期間にたくさん買い物をするの。だから、あなたが担当のうちにできたらまた来たいな」

「そんなこと、いくらでも」

「あ、でも……」

「なんだ?」

「ここ最近はあの家に来るのは伝令くらいだから、あと十年もしたら顔見知りは誰もいなくなる。いつでも好きなときに買い物できるようになるのかも」


 本当は別の理由もあったけど、軍人はこの説明で納得してくれたらしい。

 それからしばらく軍人は黙ってしまった。





「わざわざ送ってくれてありがとう」

「いや。街に買い物行きたいときは言ってくれ。また連れていく」

「うん、ありがとう。それじゃあ気を付けて」

「これ」


 軍人がポケットから小さな包み紙を取り出し、ずいっと差し出してきた。

 両手を出すと、手のひらの上にそれが乗せられる。


「ん?あっ!えっ……。クッキー?どうして?」

「見てたろ、クッキー。前任者からのクッキーを楽しみにしていたようだし、食いたいのかと思ったんだけど」

「あ、なるほど……。そっか……」

「なんでそんなに微妙な反応なんだよ?」

「そんなことないよ。いつの間に買ったんだろう?って思って。本当に貰っていいの?」

「服をだめにした詫び」

「ふふ。嬉しい……。ありがとう」

「おぅ。じゃあ、また来週」

「うん。気を付けて」


 三十年ぶりの街はお店が結構変わっていて、楽しかった。

 三十年前にはなかったお店や、見たことのないものに目を奪われていた自覚はある。


 そして、街歩きをしているときに、確かにクッキーに目をとめた。

 そのお店は以前と変わらずそこにあったので、ここは変わっていないのだと考えながら見ていた。

 だから、そんなに物欲しそうに見ていたつもりはなかったのに。


「あっ、そうだ」


 歩き出した軍人だったが、何かを思い出したようで、振り返った。


「名前、聞いてなかった」

「名前?」

「あんたの名前」

「……ない」

「ない?ナイって名前……じゃないよな?名前がないってことはないだろ」

「昔はあった気もするけど。呼ぶ人がいないと、自分の名前も忘れてしまうものなの」


 彼は懐疑的な顔をしたが、次の瞬間には何か思い付いたような表情をする。


「魔女は名前を明かさないものなのか?」

「さあ?そういうわけではないと思うけど。とにかく、私の名前は気にしないで」

「名前を呼ばなければいけなくなったとき、困るだろ。他の人に魔女ってことを知られないほうがいいんだろうがよ」

「……そうだけど。でも、今のまま魔女って呼んで」


 無理やり『名前はない』で通して、軍人を見送った。

 軍人の後ろ姿が見えなくなると、手の中の小さな包みに視線を落とす。

 紙袋の口が何重かに折られ、紐がかけられている。


 紙袋に掛けられた紐を解き、口を広げて中を覗けば、てらてらと赤やオレンジに光るものが見えた。

 花の形を模して、真ん中にジャムがある。


「あ。ジャムクッキーだ……」


 一人で呟けば、近くの茂みがガサガサと音を立てた。草を掻き分けソルが出てくる。


「あ、ソル。見回りに行ってたの?おかえり」

「クッキーって何?」

「これ。ジャムクッキー貰っちゃった」

「あいつから?」

「あいつなんて言い方。……怒ってるの?」

「別に……」

「それじゃあ、悲しかった?寂しかった?忘れられていて」

「なんでだよ。今更だろ」

「だって――」

「それ、腐らせる前に食べろよ」

「あ、うん。わかってるよ」

「……食べるの手伝ってやろうか?」

「だめ!」

「冗談だ」

「絶対だめだからね!」

「わかったって。それより、今度はあいつにあまり気を許しすぎるなよ」

「わかってるよ」


 ソルが予想したように、私はしばらくそのジャムクッキーを食べることができなかった――――

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