第9話


 伝令係の彼がキッチンに立つたびにミシミシキシキシと音を立てる床のことは、気にならなかったと言えば嘘になる。

 だけど、まさか踏み抜いてしまうとは思わなかった。

 そして熱々のスープが飛んでくるとも思っていなかった。


 大昔に掛けられたとある呪いによって不老不死になったが、痛みを感じないわけではない。

 とはいえ、長くてもせいぜい数十秒から数分で消えてしまう。


 だけど、彼は私が不老不死だということを忘れているのだろう。

 火傷もすぐに治ってしまう私としては、火傷よりも男性に服を脱がされるという状況に抵抗した。


 まどろっこしくなったのか、抱き上げられると風呂場に連れてこられた。

 彼は私にバシャバシャと水を掛けていく。

 険しい顔をして「やばいな。これは跡が残るかもしれない……」と呟いているので、相当焦っているのだろう。

 だけど、当然ながらみるみるうちに赤みが取れていく。

 そうなってようやく落ち着きを取り戻したのか、彼の水を汲む手が止まった。


「……あ」

「だから大丈夫って言ったのに」

「そうだったな……。忘れて――すっ、すまん!」


 ハッとした彼は、急いで顔を背けた。

 その目にようやく、半裸に剥かれた私が映ったのだろう。

 見れば、濡れて下着が透けていた。

 本気で心配してくれたんだろうからいいけど、問題はローブも服もぼろぼろになってしまったということ。


 ここ三十年ほどはまともに服を買っていない。少ない服を繕いながら大切に着ていた。生地も弱くなっていたのだろう。

 軍人の馬鹿力で脱がされた結果、それは引きちぎられ、身頃も裂けて、ボタンも飛んで行方不明。

 繕ってどうにかなる状態ではなかった。


「ほんとにすまん!」

「いいって。だけど、困ったな……」

「俺ができることならするぞ、詫びに」

「服がないからさすがに困る。ローブもないし。着替えがない」


 軍人は私の顔を、そんなことあるか?という顔で見てきた。

 だけど、人里離れて暮らしているので、街には久しく行っていない。


 衣類はどうしても必要になりそうなときだけ、買ってきてもらえるように頼んでいた。

 最近は人に会うこともないし、追加してもらう必要もなく、デイドレス二着と夜着とローブしか持っていないのだ。

 デイドレス一着と夜着だけではさすがに生活に困る。



 ◇



「おい、あんまりはしゃぐな。はぐれるぞ」

「えー、だって。この三十年ですっかり様変わりしてるんだもの。街の様子が」


 翌日、軍人が簡単に作ってくれた朝食を食べてから二人で街へとやってきた。


 あの森から街に出るのは、それほど難しくはない。

 魔術を掛けているから街から森は遠く感じるけど、実際は城の直ぐ裏にある森に私の住む小屋は建っている。


 それでも、私が街に出たのは約三十年前だった。


「三十年も来てなかったのか?」

「うん」

「報酬はちゃんと支払われているだろ?支給品の中に銭袋が……もしかして、前の伝令係がくすねていたのか?」

「まさか!ちゃんと皆くれたよ。だけど、薬の道具や容器代も結構バカにならないの」

「そうか。それにしたってなぁ」

「お金って、時代によって変わるの。価値も形も。知ってた?」

「まぁ、一応知ってるけど」

「私が知っているお金の価値と今は違っているかもしれないし、わからないから。なんとなく、ね」

「そんなの、使ってみたら――」


 軍人が尚も続けようとしたとき、私たちの間に割って入ってきた人がいた。





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