第8話 ●
視界の端で魔女を確認すると、魔女は猫の魔物を見て、ただ立っていた。
(まさか、恐怖で動けないのか?)
「おい、何してる!逃げろ!!」
声を張り上げて、もう一度魔女に視線を送るが、魔女の姿が先ほどの場所から消えていた。
どこに行った?無事に逃げたのか?と探していたら、死角から「わ!!」と大きな声が掛けられた。
「うおぉおあぁぁ!?」
緊張感が高まっているなかで、いきなり驚かすように声を掛けられた俺は、草に足を取られて尻餅をついた。
「ふっ、あはっ、あははは!はははははっ!」
薄暗い森の中に、若い女の笑い声がこだまする。
顔を上げてみると、魔女が腹を抱えて笑っていた。
「こんな状況で悪ふざけする奴があるかぁ!!魔物が出たんだぞ!?って、そうだ!魔物は!?どこ行った!?あっ!お前の足下に!」
「魔物じゃない」
笑いを収めた魔女が少し不機嫌そうに声を出す。
猫のように足下にすり寄った魔物を、魔女は当然のように抱き上げた。
魔女がするりと撫でると、魔物は目を細めて魔女に頭をこすりつける。
仕草を含め、しっぽ以外は完全に猫だった。
「どこからどう見ても猫じゃないのよ」
「猫じゃないだろ。どう見ても」
「猫!」
むっと口を尖らせて魔女は魔物を猫だと主張する。
懐いているようだし魔物と言われるのが嫌なのか。
「もしかして、使い魔とかそういうことか?」
「んー。どちらかというと、友達かな」
「友達……?ペットか…………」
「ソルっていう名前なの」
「…………」
俺と魔女の温度差に、急激に気持ちが冷めていく。
一人で慌てふためいていたことを見られた恥ずかしさと、悪ふざけをする魔女への腹立たしい気持ちで言葉が出てこない。
立ち上がって尻の汚れを払う。
内心でため息を吐いていると、魔女が「あ、怒った?ごめんごめん」と、とても反省しているとは思えない謝罪をしてきた。
無視をして、ペンダント型の方位磁石を取り出し、一人魔女の館に向けて歩き出す。このまま帰宅したいところだが、魔女の館のほうが近いので仕方がない。
「ねぇ。本当に怒っちゃった?」
「…………」
「……ごめんなさい」
ちょこちょこと後を追って来ていた魔女。
神妙な声を出すのでチラリと見やれば、眉を下げて落ち込んだ様子だった。
魔女の腕の中に大人しく収まる魔物は、金色の瞳でこちらをじっと見ている。
まるで、男ならこれくらいのことは許してやれよと言われているように思えた。
「まぁ……反省してるなら」
「本当?許してくれる?」
「あぁ」
「よかった!」
途端に明るい声が聞こえてきたので見ると、「許してくれるって」と笑顔で腕の中の魔物に話しかけていた。
「おい。本当に反省してるのか?」
「えー?してるよぅ」
ニヤニヤしながら言われても信じられない。
半眼で睨めば、「ニシシ」と悪戯な笑い声が返ってきた。
心做しか、魔物から馬鹿にされたような視線を感じる。
あー腹が立つ。
◇
「よし。できた」
「待っへまひた!」
今回持ってきた調味料を使ってスープを作った。
味見をして呟けば、後ろから催促する声。
振り向けば、薬草畑にいたはずの魔女が戻ってきていた。
ローブも脱がずに、支給品として俺が今日届けたばかりのパンをすでに頬張っている。
「おい!何先に食べてるんだ。揃って『いただきます』だろ。それにちゃんと手を洗ったか?」
叱るように口走ってから、しまったと思った。
つい、普段から弟妹に言っている言葉が癖で出てしまった。
なんでもないとすぐに取り消そうと思ったが、その言葉は出てこなかった。
魔女の表情がなぜかとても嬉しそうだったから。
「そうだよね。久しく誰かと一緒にご飯を食べることがなかったから、忘れてた」
「前の伝令係たちは?料理作ってくれていたって言ってなかったか?」
「作ってくれたけど、別々に食べてたから」
唇だけは微かに弧を描いているものの、視線を下げる魔女。
俺の目には、寂しくなんかないのだと虚勢を張っているように映った。
「まぁ、一応任務だしな。だけど、俺は一人で食事するのが嫌いなんだ。一緒に食べようぜ」
「うん!」
「よし。じゃあスープの鍋をテーブルに載せるから鍋敷きを置いてくれ」
「はい!置いたよ」
「おう。まだ熱いから手出すなよ」
俺が帰ってからも数日間は食べられるように、鍋いっぱいにスープを作った。
満々とスープの入ったでかい鍋を持ち、テーブルへと一歩足を踏み出した瞬間、バキッ!という音と共に床が抜けた。
「痛っ!」
「熱っ……!」
すねが痛くて気を取られてしまったが、魔女が腕を押さえていることに気づいた。
床を踏み抜いた拍子に、スープが鍋から零れて魔女の腕に掛かってしまったのだ。
「大丈夫か!?早く冷やさねぇと!」
「待っ、大丈夫だから」
スープの掛かったローブを脱がそうと手をかけると、ローブの前を押さえて抵抗する魔女。
「恥ずかしがってる場合じゃねぇって!火傷跡が残ったら大変だろ!?」
「大丈夫だって」
「うるせぇな!黙ってろ!女がこんな火傷跡なんて作るもんじゃないだろ!」
ローブを脱がせると、やっぱり腕は真っ赤になっていた。
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