39 事実として悪行令嬢。




 私の濡れ衣は、全て払いのけた。

 あとは、後片付けといこうか。


「第一王子殿下? 何か言いたいことはありますでしょうか?」


 優しく話しかける。


 どうせ、言葉など出ない。

 取り返しのつかない巨大すぎる過ちを、素直に認められないプライドで、葛藤が激しいだろうから、口を開く余裕などないって顔だ。

 その葛藤をしている場合ではないほどの窮地に立たされているのだ。

 国王陛下が重役を招集したこの会談は、誰をどう見ている場か。

 理解すれば、もう赤くなったり青くなったり白くなったり、と顔色が忙しなく変わるほどの混乱にも陥る。


「私とネテイト、他にも苦言を呈した方々がいたはずですわ。私は婚約者として以前に、王家の一臣下の貴族としても、進言いたしました。第一王子殿下は、強い正義感を貫く方ですが、真っ直ぐすぎて一度決めたことを曲げるなんて、お嫌いでした。なので、おそばでお支えしてきた私やネテイトは、、殿下が間違いを貫かないように、進言してきたことは気付かなかったでしょう。きっと、それは私達の過ちですわね」


 それとなく、おちょくりを入れながらも、最後の温情を与えるべく、告げた。


「はっきりと間違いは間違いだと、殿下に気付かせてやれなかったことを謝罪いたします。申し訳ございません」

「お力が及ばす、殿下の過ちを止められませんでした。我々の力不足、申し訳ございません」


 私とネテイトからの謝罪に、意表を突かれた顔になり、ミカエル殿下が固まる。


殿


 全て私達に非がある、という謝罪ではない。


 


 ネテイトが最初に言った言葉を思い出してくれただろうか。

 ミカエル殿下は、びくりと肩を震わせた。



「僕は最後まで諦めず、進級祝いパーティーの当日まで、殿下は正しい決断をすると信じていました」


 そうネテイトは告げながらも、証拠の資料を一つに集めて整える。


「流石に覚えていらっしゃるでしょう。最初に計画していた義姉上の断罪は、パーティーが終わったあとにするはずでした。なのに、エトセト子爵令嬢に、早くした方がいい、パーティーの最中の方がいい、と言いくるめられて、そして僕の制止も振り切って、パーティーの最中にことを始めました」


 トントン、と資料を人差し指で叩く。


「公衆の面前ではなく、当事者達だけで、こうして証拠を出し合って証明をして、義姉上の罪は捏造されたもので、本当の罪人は別にいると気付かせるつもりでした。僕一人で、こうして義姉上の無実を晴らそうとしたことが間違いでした。殿下を信じすぎたように、自分を過信したのです」


 ネテイトが、パーティーあとに、最小限の騒ぎだけに留めて、こうして過ちに気付かせた上で、正しい決断をさせるつもりだった。

 その主張は、大事だ。

 ネテイトが確かに抗ったことも、それを振り払ったミカエル殿下のことも、知ってもらうべきだから。


「ね、だとっ?」


 証拠を集めたハールク様が、物言いたげに、説明を求めた。


「ハールク様が証拠集めした際には、エトセト子爵令嬢がほとんど付き添っていましたよね?」

「それが? 当たり前じゃないか」

「義姉上のなりすましの方の目撃証言をした生徒や教師に、僕も確認しました。聞き出したのは、エトセト子爵令嬢ですよね? しかも、尋ね方が、長い黒髪とアメジスト色の瞳の女子生徒を見ていないか、というものばかり。そうですね。

「……!!」


 本当にネテイトは全力を尽くして、証拠を集めてくれたのだ。褒めたたえたい。なんて優秀な跡取りの義弟なんだ。


 ハールク様は、絶句した。

 まさか、自分が集めた目撃証言が、ジュリエットによる誘導尋問で引き出したものだったなんて。衝撃のあまりに、あんぐりと開いた口からは、なんの音も発せられない。


 頭を抱えたまま項垂れているケーヴィン様は、もう反応をしないようだ。


 ミカエル殿下は、吐き気でも込み上げているのか、片手で口を押さえ込んでいる。



「これは、エトセト子爵令嬢が、我が義姉上をはめたということです」



 わかりきっていることではあるが、ネテイトははっきりと断言した。


「殿下と親しくなったことをきっかけに、接することが増えた側近のハールク様とケーヴィン様とも、距離を縮めてきたエトセト子爵令嬢が原因で、お二方の婚約者も問題視していました。かく言う側近だった僕も、本当は義姉上に家族と認められていないのではないか、という仲違いを示唆する言葉をかけられました。エトセト子爵令嬢は、悪意を持って、リガッティー・ファマス侯爵令嬢を貶めるつもりでしたのでしょう」


 ネテイトが見下すように冷たく見据えるジュリエットは、カタカタと肩を震わせながら、違うと否定したそうに、顔を左右に振る。弱々しくて小さな動きだが、長いストレートヘアーの揺れでわかった。


「さて。どうして、私は貶められたのでしょうか。私、ジュリエット様とは接点があまりにもありません。強い光魔法の使い手、として記憶していた方が、婚約者である第一王子とその側近達と親しくなっていき、不適切な距離感により、大勢の方が不快感を抱かれたご令嬢。他の方々の不満を宥めて、彼女本人に三度は注意しましただけ。私自身に恨まれる理由は思い浮かびません」


 私には過去を振り返っても、貶められる確執など欠片も思い当たらない。



「――――それで、殿下?」



 私がミカエル殿下を呼べば、ハッとして私を見た。

 意識を飛ばすなんて、許さない。

 今日はきっちりと解決しないと、ね?


「殿下自身には、?」

「は、はあ? このオレが、貶めろと差し向けただなんて」

「そんなこと思いませんわ。ミカエル殿下が、そんな卑劣な手段で、誰かを攻撃する方だとは、七年の付き合いで、ないと断言出来ますもの」


 混乱のあまりの被害妄想。

 ジュリエットとの共謀ではない。疑われていないと聞き、安堵したように肩の力を抜くミカエル殿下。


「ですが、ミカエル殿下の婚約者の座を狙ったと考えるのが、妥当だと思いませんか?」


 ミカエル殿下が、息を呑んだ。



「殿下。単刀直入にお聞きしますわ。?」



 ジュリエットがやめてと言った気がするが、口をパクパクさせたようにしか見えない。


「ち、違う!」


 否定の言葉に、ジュリエットはショックを受けた顔で、ミカエル殿下を向く。

 泣きそうな顔を見ないためか、ミカエル殿下は顔を思いっきりと逸らした。


 その先には、じっと真っ直ぐに見据えている実母がいて、ミカエル殿下の顔に汗が滲み出たことがわかる。


「そうですか。否定なさるのですね。実は進級祝いパーティーの翌日、春休みの初日に王妃様から、手紙をいただきました。王妃様にも、友人以上の関係ではないと否定したそうですね」

「そうだっ」

「殿下の正義感の強さは、王妃様譲り。清廉潔白で嘘偽りなど許さないお方です。そんな王妃様に、間違っても嘘なんて吐(つ)きませんわよね」


 微笑んで見つめていると「何が、言いたいんだ」と掠れた声を出す。

 わかっているくせに。


「息子が母親に嘘をつくなんてあり得ません。同じ清廉潔白で正義感のお強い母子ですもの。……万が一でも、嘘をつけば、


 ゴクリ、とミカエル殿下が喉を鳴らしたが、お構いなし。


「この場で、王妃様に確かめていただきたいです。はっきりと確かめなければいけないのですよ。お願い出来ますでしょうか? 王妃様」


 必要なことだと子どもに言い聞かせるようにミカエル殿下に伝えてから、王妃様にお任せした。


「ええ、はっきりさせましょう。第一王子ミカエル」

「はいっ」


 突き刺すような強い声に反応して、ミカエル殿下は背筋を伸ばす。


「婚約者であるリガッティー嬢から、嫌がらせを受けていると訴えた子爵令嬢を庇ったのは、正義感だけかしら? それとも、私情があったのかしら?」

「っあ、ありません」

「……そう。ならば、放課後の誰もいない噴水のベンチで肩が触れるほど並んで座っていたという噂があるのだけれど、事実無根かしら?」

「ぇ……」

「空き教室で二人きりなのに、コソコソ話をする距離で熱く見つめ合っていた噂もあるのだけれど、それも否定するのかしら?」

「ぁ……ぇ」

「リガッティー嬢は、子爵令嬢が学園で危害を加えられたという直後から、やけにあなたから、露骨な敵意を向けられて、子爵令嬢とはただならぬ雰囲気に感じていたそうだけれど……本当に、になっていないと言えるのかしら?」


 王妃様は、一切手加減することなく、情け容赦なく、私から仕入れた情報を武器に攻めた。


 思わぬ内容による母親の揺さぶりは、効果覿面。


 ミカエル殿下は、動揺で肩を震わせるだけで、声らしき声も出せないまま、口を半開きにした状態を維持。



 こんな情報を知るはずがない。

 ゲームシナリオを知っていれば、別だ。


 私がゲーム知識を利用したのだと気付き、ジュリエットは蒼白のまま、怒りの形相に顔を歪めた。


「あんたッ」


 それでも出した声は、か細い足りない声だったから。



   バキッ!



 というへし折られた扇子の音にすら、掻き消された。



「何か言いなさい!!」



 カッと王妃様が叱り付ける怒声を上げれば、ビクンッと震えて身を縮めたミカエル殿下は、やっと折れたようだ。


「も、申し訳ございませんッ」


 それが過ちや嘘をいたことに対するミカエル殿下の謝罪の言葉。精一杯の肯定の白状。

 言い訳などない。そんな性格でもないし、言い訳していいわけもないのだ。



「これにより、動機は、殿下のお心を奪い、婚約者の座を狙ったため、私を貶めたかったのだと推測が出来ますね」


 さて。潰そう。

 プルプルと震えているヒロインを。



「あなたは大罪を犯しました。ジュリエット・エトセト子爵令嬢」



 夢見ヒロインに、現実を突き付けてやる。


「未来の王国の中枢で重役に就くはずだった方々を、唆して見事に引っ掻き回してくれましたね。おかげで多大な迷惑を、多くの方々が被りました。未来の国王になるべきだった王子を誘惑し、その王妃になるべきだった婚約者を貶めようとしたのです。王国の中枢を混乱させて、最悪崩壊に追い込む行為と繋がりますので、立派な反逆罪ですわ」

「なっ……なっ……!」

「この会談では、正式な裁きをせずに、処罰は裁判のあと、という話でありましたが、ここまでジュリエット・エトセト子爵令嬢の悪意による犯行が明らかになった以上、然るべき処罰が下されるまで身柄を拘束すべきだと進言いたします。国王陛下」


 あなたは乙女ゲームをしていただけのつもりかもしれない。

 攻略対象者なんて、シナリオ通りなら、簡単に心を揺さぶり奪えた。

 王子の婚約者の座を得るために、悪役令嬢を排除するための手段を用意した執念さは、心底理解に苦しむ。


 私を陥れようと、王子と側近を誑かして操った。


 結果、ここまで事態は悪くなったのだ。

 すでに、皆の将来をめちゃくちゃにした。

 それも、未来の王国の頂点に立つ二人も含んでいる。王国を混乱に貶めたと言っても、過言ではない。反逆罪だ。



「――――うむ。ファマス侯爵令嬢の進言を聞き入れよう。反逆罪の疑いのあるジュリエット・エトセト子爵令嬢は、罪状が明らかになるまで、身柄を拘束する。連れて行け」


 重く頷いた国王陛下の言葉に従い、待機していた王室騎士団の騎士が二人、ジュリエットの肩を掴んだ。


「そんなッ! なんで、こんなッ!! やめて!」


 ジュリエットは、無理矢理立たされた。


「助けて! ミカエル! ッハールク! ケーヴィンッ!!」


 助けを求めたところで、彼らはもう、反応すら示さない。


「彼女には、五日前の王族殺害未遂事件の関与の疑いがあります。自分はこれにて、失礼させていただき、本格的に調査をしに行きます」


 ディアス様はこのタイミングで退室をすることにして、一礼をして国王陛下の許可を取ると、ズルズルと引きずられるように、連行されるジュリエットより先に開いた扉から出た。


「お待ちください」


 私は椅子から立ち上がる。


「大罪の濡れ衣まで被せられそうになった一番の被害者として、もう少しだけ彼女と話をさせてください。すぐに済みます」


 国王陛下に頼み、許しを得てから、ジュリエットの前まで歩み寄った。


「進級祝いパーティーで、私は言いましたよね、ジュリエット様」

「!?」

、と」


 つんつん、と扇子でこめかみを叩いて見せる。


 覚えていたようで、あの時よりもさらに深く歪んだ、理解不能と叫んでいるような顔になった。


「それなのに、王族殺害未遂事件まで起こして、? なんて恐ろしい方なのでしょう」

「は……は?」

「あら? ご存知ありませんの? 愚かですこと」


 私は扇子で自分の唇を撫でて、憐れみの笑みを向ける。



「王族殺害未遂事件だなんて、関与した者は、確実に死刑ですわ」



 ピタリ、とジュリエットは息まで止めた。


「本当に現実を直視出来ないのですね? 教えてあげますわ」


 扇子を、ジュリエットに向ける。

 その扇子の上には、黒く丸い小さな玉を乗せているが、誰も気付かないだろう。

 一度、下に傾ければ、コロリと転がり、玉はジュリエットの足元に落ちては、音もなく、影の中に落ちて消えた。

 そのまま、扇子は上に傾けて、ジュリエットの顎をクイッと押し上げる。


「私に被せられそうになった王族殺害未遂事件の関与が発覚すれば、あなたは死刑です。さらに、余計な真似をしましたね。追い込もうとして、逆に自分の罪を大きく増やすなんて……なんて愚かでしょうか」


 冷酷に告げた。


「あなたのせいで、多くの方々の将来を狂わせました。償ってくださいませ」

「なっ! 知らないわよそんなの!!」


 ぺいっと扇子を振って顎を離した反動からか、ジュリエットは悲鳴のような声を上げた。



「知らない? 他の方々など、知らないと仰るのですか。だから、現実が見えていないと言っているのですよ」



 コツン、とジュリエットの額に扇子の先を押し付ける。


「あなたは、第一王子という立場ある方に近付いた。権利もあり、影響力もある方です。側近の方もそうです。貴族として育ったにも関わらず、何故わからないのですか? 影響力により、どんな波紋が広がっていくのか、考えもしなかったのですね。だから、多大なご迷惑を受ける方々のことも考えもしないし、何も見えていないとさえ思えますわね」

「っ!! やめてよ!!」


 コツコツと扇子でつついていれば、頭を振ってジュリエットは逃れた。



「罰が下るまで、現実を見て、自分の罪の重さに気付いてくださることを願っておりますわ」



 以上だ。

 ジュリエットを取り押さえたままの近衛騎士に目配せをすれば、頷きをして、連行を再開させる。


「なっ! ふざけないでっ! このッ悪役令嬢!!!」


 くるりと背を向けたけれど、ふと、頭に過ぎった。


? そういえば、去年、そんな落書きが黒板に書いてありましたね」


 変な落書きだと、一瞥しただけだったけれど、今思えば、ジュリエットが、私の反応を見張って、転生者か確かめるために書いたのだろう。





 フッ、と顔だけ振り返った私は、嘲笑った。


 怒りの感情が爆発したみたいに顔を真っ赤にしたジュリエットは、金切り声を張り上げたみたいだけど、扉が閉まったので、すぐにそれらしき音は聞こえなくなる。



 はい。悪行を重ねたご令嬢は、潰し終わった。


 最後は、後片付けだ。



 席に戻るところで、王室魔術師長のオオスカー侯爵様に、じとーと見られていることに気付く。


 彼には、バレたみたいだ。

 まぁ、彼に教わった闇魔法だから、バレるのも無理はない。


 笑みを保てば、オオスカー侯爵様は、何もなかったように前に視線を戻した。見て見ぬフリをしてくれるようだ。

 害はないものね。ありがとうございます。


 ネテイトの肩に手を置けば、彼も立ち上がる。

 打ち合わせはしていない。けれども、言うべきことは決まっている。


「この度は、我々の未熟さのせいで、混乱が広がり、多大な迷惑をおかけしました。こうして、この場を設けてくださったことに感謝申し上げます。申し訳ございません。ありがとうございました」

「申し訳ございません。ありがとうございました」


 ネテイトの誠意を込めた一礼は、招集をかけて会談を設けた国王陛下の方に向けられているけれど、王室魔術師長、王室騎士団長、宰相、そして王妃様にも向けられた言葉。

 私も義弟に続いて、頭を下げた。


 将来の王国を任されるはずだった私達は、期待されていて、順調に教育を受けて成長してはいたのだ。それでも、未熟さ故に、防げなかったこと。


 私やネテイトだけが、謝ることではない。

 全員が未熟さと過ちの失態と被害について、心から詫びないといけない。


 だから、ケーヴィン様が飛び上がるように椅子をぐらつかせる勢いで立ち上がった。


「あッ」

「やめろ。今のお前の謝罪など、形ばかりだ」


 謝ろうとしたが、その前に王室騎士団長である父親に肩を掴まれては、ケーヴィン様に制止を告げる。

 謝罪の言葉を阻止された。


 現状、絶望に打ちひしがれているケーヴィン様達は、反省の心があるとは限らないから、それもそうだ。

 自分達が信じていた事実を愚かな過ち、今置かれている自分の状況。その衝撃を受けて、三人揃って、絶望感で重苦しい空気に押し潰されるように、顔を上げられないでいた。


 自分のことで精一杯で、他者へ気持ちを向ける余裕などないのだから、誠意のある謝罪など出ないと一目瞭然。


 そう見なされて、止められて当然。

 ケーヴィン様は、力が抜けたように、ストン、と椅子に腰を落とした。

 ケーヴィン様だけではない。ハールク様も、そしてミカエル殿下も、この場の謝罪を禁じられた。


「騎士団長様の言う通りですね。自分自身の過ちによる危機だけに、今は手一杯でしょう。愚かな過ちと己を見直し、それから心からの謝罪をし償うべきです。は、恐ろしいですね。しかし、早い段階で、解決に向けて用意と準備が出来ていたファマス侯爵の次期当主ネテイト様は、十分よくやってくれたと思います。だけのことでしょう。あまり、自分だけを責めないでいただきたいのは、私の気持ちです。お心に留めておいてください」


 便乗した宰相は、冷たさを帯びた横目で息子のハールク様に視線を向けつつも、柔和な物腰に思える口調で、未熟、過信、破滅、とチクリと刺す言葉を放つ。

 そして、ネテイトは十分に力を尽くしたと褒めて、逆に真っ向から衝突したハールク様が悪いのだと、遠回しに言っている。

 捏造証拠を用意させられていたとも気付かなかったハールク様の未熟さ、そして過信。


 次期宰相を目指していたハールク様にとって、現宰相である父親に追い打ちを叩き付けられたようなものだ。

 グッと唇を噛むハールク様は、そこに血を滲ませた。そして膝の上に拳を固めて置いているであろう姿勢を強張らせて、震えている。激情を叫ばないように、と。


 思わぬ、労いとお褒めの言葉に「……ありがとうございます、はい」と照れたであろうネテイトは、言葉少なめに返事をする。

 国王の相談役という責任重大であり、頭脳明晰さが人並み以上に必要な役職を務めている方から、認められている発言。

 お世辞ではない。ただの慰めでもない。個人的にそう思ってくれている。光栄な言葉。

 ネテイトは、顔が緩まないように唇を噛むけれど、血を滲ませるハールク様とは全く違う。


 第一王子の側近はもう辞めたようなものだし、願い下げのポジション。

 他に仕事がないわけじゃないが、次期宰相を目指してもいいのではないか。


 なんて、ちょっと過っただけなのだけれど、宰相が少し細めた目付きが獲物を捉えたような何かに見えてしまった。


 んんん? 我が優秀な義弟ネテイト、宰相の後継者候補になったのでは?



「ご苦労だった。ファマス侯爵家の二人は、正しい判断で最善を尽くしてくれたと余も思うぞ。ファマス侯爵夫妻と、また改めて此度のことを話そう」


 国王陛下のお言葉に、私とネテイトは頷きで応える。



 ……改めて話すこととは、どこまで含めているのやら。



 終わらせませんわよ?



「それでは、これで、今日は終わりとなりますわね」


 私は微笑みを浮かべて、右手で【収納】から書類を入れた保護ファイルを取り出す。

 そして、私と国王陛下の間に位置するテーブルの上に静かに掌ごと置いた。



「第一王子ミカエル・ディエ・ハルヴェアル殿下と、リガッティー・ファマス侯爵令嬢の婚約解消の契約書にサインですわ」



 語尾にハートマークをつけるような明るい声で告げる。

 国王陛下の顔が強張り、眉間にシワを作ってしまう。


 やはり、躊躇われるのか。

 往生際の悪さは、父と子の共通点かしら。



 色んな意味で狙われている人気者はつらいわ。 



 でも、王族の婚姻による拘束を、いつまでも受ける理由などない。


 七年の婚約関係に解消の承諾を。



 私に自由をお与えください? 陛下。



 

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