04 愚痴を聞く先輩は。




 美形な冒険者の先輩であり、指導者のルクトさんに続けて愚痴る。


「愚痴まで付き合ってくれるルクトさんに感謝です。ルクトさんは、盲目になるほどの恋をしたことがありますか?」

「んー。ないなぁ。恋ってはっきり呼べるような恋をした覚えすらないや。何? 恋愛問題なの?」


 18歳になっても、初恋はまだってことか。ビックリ。

 まぁ、私も現世では似たようなものだから、そこのところの追及はしない。


「そうですね……私ではなく、誰かさんの恋愛のせいによる大問題なんですよー」

「他人の恋愛のせいで、大事に? はた迷惑だな」

「そう! そうなんです! 本当にはた迷惑!!」


 声を上げてしまう私に、ルクトさんはクスクスと笑うけれど、耳を傾け続けてくれた。


「一番の元凶は一人の女性なんですけど、彼女に恋したのせいで、友人達は傷付くだけではなく、将来さえも揺らがされてしまって……もう、酷い状況!」


 昨日堪えていたため息の分のように、力強く嘆く。


「将来さえも、かぁ……。リガッティーも?」

「え?」

「傷付いた?」


 口元は笑みを浮かべているけれど、ルクトさんのルビー色の瞳は、私を気遣う気持ちが宿っていた。


「んー……少なからず、は?」

「なんか、曖昧だな」

「ええ、まぁ……長い付き合いだというのに、裏切られた上に、努力を無駄にされたも同然でして」


 考えてみたけれど、傷付いたとは少し違うと思う。

 裏切りのショックはあれど……。

 肩を落とす。


「失望が、大きく占めていますね……」

「失望か……」

「見据えていた未来を、壊されたのです。しかも、周囲を巻き込んでの共倒れですよ。悲惨です」

「共倒れで将来が? ホント悲惨だな」

「はいー。はぁ……。燃え盛る問題の火消しをしたあとの自分の歩むべき未来を考えるべきなんですが…………ストレスが大きすぎるし、先ずは火消しをするべきだし、もう考えても考えても答えが見付からないと判断し、とりあえず、気晴らしを挟むことにしたのです」


 ルクトさんは相槌を打って、串を動かして、別の面を焼くように調節する。それを見ては、揺らめく焚き火を見つめた。


「そうか……まぁ、根を詰めて考え込まず、気晴らしをするのもいいだろう。……でも、なんでまた、冒険者?」


 大きな問題から離れて気晴らしをすることは、わかってくれたが、どうして気晴らしに”冒険者”を選択したのか。

 そこが一番疑問だと思われるのも、当然だ。

 焚き火の明かりを宿すルビー色の瞳と見つめ合う。



「冒険をしようと思い立ったから」



 ケロッと言い退ける。

 意外な答えだったのか、ルクトさんは眉を上げた。


「前から、冒険したかった?」

「ええ! もちろん! それに……今がチャンスなんですよ」

「チャンス?」

「今だけが、こうして冒険を楽しむチャンスなんですよ。今を逃したら、冒険者登録も出来なかった身なんです」


 両腕を広げて、空に伸ばす。んーっと、背伸びした。


「解放感で自由を感じているところ?」

「その通りです!」


 にっこりと笑って見せれば、ルクトさんも同じような笑みを返してくれる。

「ほら、頃合い」と、私の分の焼き魚を差し出してくれた。

 受け取ってみれば、串まで熱を持っていたので、息を吹きかけて冷ます。それから、身にかじりつく。

 ほふほふと熱さをやり過ごして、塩漬けされた魚の白身を堪能した。

 片手で口元を隠して。


「美味しいです」


 と感想を言う。


「口に合って何より」


 ルクトさんも、サクッと魚を一本、たいらげた。


「一本で足りる? もう一つ、どう?」

「いえ、十分だと思います」


 ルクトさんの方が足りないだろうし、私ももう一本は食べ切れないので、遠慮しておく。


「そう。携帯食も試す? 干し肉とクラッカー」

「なんの干し肉ですか?」

「んー……忘れた」


 あはっ、とルクトさんは茶目っ気いっぱいに笑った。


「いや、なんですか。なんの肉かわからないって……」

「なんであれ、食べれる肉だから、そんな警戒しなくても」


 二人しておかしくて笑いつつも、ルクトさんから差し出された干し肉の欠片を受け取る。

 【収納】から出したけれど、干し肉なら、日持ちして保存可能だろう。

 確かに、とにかく、食べられる肉のはずだ。

 かじって、口の中で咀嚼。旨味が広がる。ちょっと、塩っけばかり口にしているけれど、悪くない味だ。


「遠出して、携帯食で済ませることになっても、大丈夫そうだな」


 私の様子を見て、ルクトさんはそう判断して、二本目の焼き魚を食べ終えた。


「でも、冒険者活動は、期間限定になるんだろう?」

「はい、そうなってしまいますね……。本でしか知らない遠くの地まで冒険したい欲はありますけど」


 遠出は無理そうだな、とルクトさんは言いたいのだろうけれど、きっとその通り。


「じゃあ――」

「あっ! 新人の指導についてですが」

「んっ?」

「あれ。今何か、言いかけましたか?」


 ルクトさんの言葉を遮ってしまった気がする。

 ルクトさんは首を振って、私の話を聞くと示す。


「新人冒険者は、30日間、指導者とペアを組んで活動することになってますが……ルクトさんのランクアップの条件はどうなのですか? もしや、そちらも30日間の指導をすることが条件ですか?」

「うん。その通りだ」

「あぁ! なら、私を担当するのは、時間の無駄になってしまうのではっ? きっと30日間も、私は続けられないかと……」


 シュン、としてしまう。せいぜい半月。多くても、15日しか、活動が出来ないと思う。


「そんなに気にしなくても大丈夫さ。リガッティーの指導が30日出来なくても、他の新人で日数を満たせばいいんだから」

「そうなのですか?」

「でも、代わりに、他の新人を担当するなら、30日間付き合わないといけない」

「手間がかかるじゃないですか!」

「あははっ! 気にしてくれるなら、きっちり30日間、オレとペア組んで、指導を受けてくれよ」


 私ではない新人の担当をすると、その新人が指導期間を終えるまで、付き合う羽目になるということ。

 やっぱり私の担当は無駄な負担でしかないというのに、ルクトさんがケラリと笑い退けて、さして気にしていない様子。


「約束出来ませんよぉ……」


 ガクリ、と頭を垂らす。しっかりと付き合えればいいけれど。


「ランクアップしたくないの?」

「Fランクから、Eランクへ? ……Eランクの依頼を受けられるからですか?」


 私のランクアップを尋ねられた。でも、遊び半分な冒険者をする私には、ランクアップは関係あるのだろうか。


「もっと刺激的な冒険が出来るぞ」


 遊びに誘うような、無邪気な笑みを向けられた。

 ちょっと少年っぽさがあって、キュンとしてしまう。

 ……キュン、である。

 流石、イケメン。


「とっても魅力的なお誘いですけども……やっぱり約束は出来ませんね」

「律儀だな。でも、数日でも、気晴らしに付き合ってやるよ」

「ルクトさんには時間の無駄では? あっ。私といると楽しいからですか?」


 私の気晴らしに時間を潰すことを選ぶのはどうしてか。

 冗談で言ってみれば。


「とーぜん!」


 ニヤリ、と歯を見せて笑って答えた。

 ……つくづくイケメンすぎるわ。この若き冒険者。


「でも、本当に難しいですって……」

「そうか? オレも学園に通いながら、冒険者活動一年でAランクに上れたから、リガッティーだって隙あらばで冒険すればいいじゃん」

「そんな両立なんて……」

「リガッティーは器用だから、可能だと思うけど」


 新学期に入ってからも、学園生活しながら、冒険者活動をする。

 なかなか、ハードな生活だ。

 王妃教育を受けながら、学園に通っていた頃と、どちらが難しいだろうか。


 ……気持ちとしては、前者が楽かしら。

 冒険を楽しめるならば。


「あら? 学生生活と冒険者業を両立してたってことですか!? それでAランクにアップ!?」


 学生兼冒険者だと明らかになり、私は驚愕してしまう。


「うん」

「……まだAランクの冒険者の凄さはわかりませんが……異常な最速ランクアップだとは思います」

「うん。だから、有名なんだ」


 クスクスと、ルクトさんは笑う。

 とんでもない人だと、改めて思った。大物冒険者すぎる。


「一体どうやって両立しながら最速で…………ん? ……さっき、って言いました?」

「んー、うん」


 最速ランクアップは、どうやったのかと尋ねたかったけれど、おかしい点に気付いて問う。

 肯定されてしまった。


「私……って言いました?」

「……」


 いや、言っていないはずだ。

 冒険者登録の際でも、学生とは言っていない。年齢的に学生だという可能性も考えられるけど、当てずっぽうな口ぶりじゃなかった。


 ルクトさんは、口を開かない。

 ただ、ニコッとだけ、笑みを見せた。



「んっ!!?」



 とんでもない衝撃を受けて、震え上がったあと、硬直してしまう。

 やがて、あんぐり開けた口をワナワナと震わせた。

 そんな私の反応を、愉快そうに眺める意地悪な笑みを浮かべるルクトさん。



!!?」



 ルクトさんは、クククッと喉で笑うので忙しいようだ。これは肯定を示しているに違いない。


「わかった! だからずっと笑ってたんですね!? 王子の婚約者だった貴族令嬢が新人冒険者になったから!!」

「ブフッ!」


 耐えきれなかったみたいに、噴き出してはお腹を押さえて笑うルクトさん。


「意地悪な人!! だから顔を合わすなり、ポカンってしてっ……!! 愚痴の内容だって、昨日のことだとわかっていながら……意地悪!!」

「あっはっはっ! ごめんて! 昨日初めてまともに見たお嬢様だって、気付かないふりをしようとも思ったんだけど……いや、ごめんごめん。オレも同じ学園に通ってるって遅かれ早かれ知るだろうから」


 一際大きく笑い声を上げては、出てきた目尻の涙を拭って、ルクトさんはそう弁解した。

 気付かないふりをしていたが、明かすべきだと思って、こうやって話したとのこと。


「んもうっ!!」


 恥ずかしくて、両手で赤くなる顔を覆った。

 未来の王妃だった貴族令嬢だと知りながら、普通に接していたなんて。とんだ大物である。

「怒り方まで可愛い」なんて、からかう始末だ。


「……つまり。昨日のパーティーに、いて……しっかりと現場を見ていたと?」

「もちろん。四年生に進級したからな」


 さも当然に答えるルクトさんを恨めしげに見ては、また顔を隠して小さく呻く。


「侯爵令嬢様だから、態度変えた方がいい?」

「…………いえ。そのままでいいです。私も変えませんので」

「りょーかい」


 ホント。肝が据わっている人だ。

 手を退かして、横目でまじまじとルクトさんの顔を見る。その視線に、首を傾げられた。


「何?」

「貴族の方ではないですよね? 見覚えがありません」

「ははっ。流石に貴族だと、学生と冒険者の両立は無理だろ?」


 やっぱり。彼は平民の生徒だ。


「いや、侯爵令嬢だと知っていて、私に両立を勧めた口で言わないでほしいです……。四年生になったのですか?」

「そ。リガッティーは三年生だろ?」

「はい。……進級おめでとうございます」

「リガッティーもおめでとうさん」


 ルクトさんも笑いを収めてくれたので、私も落ち着き始めた。


「オレには想像しか出来ないけど、立場上、重荷がとんでもないから、こうして大胆な気晴らしをしてるんだろ? 気兼ねなく、一緒に冒険しようぜ」

「ハハッ……それで付き合うと言ってくれたのですね。ありがたいです」

「せっかくの縁だし、これくらいの手助けをしたいんだ。それに、本当にリガッティーといるのは、楽しいから。嘘じゃないぜ」


 立場上の重荷か……。

 婚約破棄問題で同情による手助けをしたいという気持ちは、私も本当にありがたいと思う。

 けれども、気晴らしという名のをしていることに、少なからず幻滅されているかもしれないと、笑みが薄くなってしまうのを感じた。


「そんな顔をするなよ。じゃなくて、だろ? 心を解放して、ストレス解消をしてるだけ。今が冒険のチャンスなら、とことん楽しめばいいさ」


 表情だけで、考えを見透かしたように、優しく笑いかける。

 そう言ってくれるならば、冒険者としても、学生としても、先輩であるルクトさんに甘えさせてもらおうか。

 はい、と小さく返事をした。


「さっき、長い付き合いで努力を台無しにされたって言ってたじゃん? みんなが見ている場で、婚約破棄なんてサイテーだと思うし、何より将来も台無しにされたんだろ? なのに、昨日の君は毅然としてた」


 前を向いて、ルクトさんは昨日目撃した私のことを語る。


「君のために駆け寄りたい友人であろう生徒達にも、堪えるように指示していたのも見えたし、複数で責め立てようとする男達と対時する姿が凄いと思った。威風堂々とあんな事態を一旦終わらせて、帰っていく姿まで、かっこよかったぜ」


 褒めて、慰めてくれているのだろうか。

 私に顔を向け直したルクトさんは、まだ優しげな笑みだった。


「あと、あれだな。魔族を卑下する発言に、撤回しろって力強く進言したのは、痺れたぜ。確かにあれはいただけない発言だった。……祖母が魔族のハーフだったから、オレも魔族の血が流れてるんだ。差別発言をする輩は未だにちらほらいるけど、一国の王子は言っちゃいけないだろ。魔族の血が流れるオレ達は庇われて嬉しかったし、あとスカッてした。でも、何より、リガッティーの気高さが眩しく見えたんだ。あの場で、不名誉で傷付けられたのに、君は一番、差別発言に怒りを露わにした。自分のことよりも、間違いだと進言しては撤回を求めたことに、感銘を受けたよ」


 眩しそうに目を細めて、私を見つめてくるから、心臓がやけにうるさく跳ねる。


「だから、惚れ惚れした君の気晴らしの手助けが出来るなら、これからも努めたいんだ。王妃になる未来と侯爵令嬢の身分のせいで、不可能だった冒険者活動に、オレが付き合う。いや、付き合いたいんだ」


 穏やかな声だけど、確かに真剣な気持ちが伝わるものだった。


「……それなら……うん。改めて、よろしくお願いしたいです」

「やったね。おう。改めて、よろしくな」


 ルクトさんに押し負ける形で、差し伸ばされた右手を掴んで、また握手。


「それで…………ぶっちゃけると、結婚する相手がいるっつーのに、うつつを抜かして浮気をしたから、酷い事態になってるんだよな?」

「ええ、まぁ……それだけなら火遊び程度で済む話だったのだけど、冤罪をふっかけて私が悪いと周囲に公言したことが、大火事の放火になったわけです……」


 ぶっちゃけの通りだと頷いては、補足しながら遠い目で森の奥を見つめる。


「その火消しはまだ済んでいないって、さっきの話で言ってたように聞こえたが?」

「大人がいる場で、当事者が集まって対決するまで、待っている現状です。せめて、公の場で婚約破棄を宣言しなければ、修正も可能だったものを……」


 うんざりして額を押さえた。あとからなら、いくらでも嘆くことが出来る。まだまだ愚痴を垂れ流してしまう。


「それまで、数日が時間があって、その間に冒険者活動をしたいってことで、合ってる?」

「そうです」

「髪色も格好も変えているのは……誰にも言わずに家を抜け出してきた?」

「……そうです」


 ルクトさんの視線が、私の髪を撫でるように滑っては、短パンに留まる。凝視しないでほしいと、手で遮っておく。


「ごめん。学生服ですら、膝丈のスカートだから、貴族令嬢が短パンを穿くのが意外過ぎて……」

「それは言わずに、胸にしまっておいてください」

「了解」


 口にされると羞恥心が湧くので、胸に秘めてほしい。

 ちゃんと顔を背けてくれた。


「春休み明けの放課後とか、休日とかも、無理そう?」

「んー……傷心を理由に、しばらくは将来のことは放っておいてもらおうかとは思っています。頑張れば……30日間の冒険が……出来る、かしら? ……やはり確かな約束は出来ませんね」


 自分の顎を摘まんで、真剣に考えてみるけれど、両立は無理そう。


「本当に律儀。いい加減な約束も口に出来ないって、真面目だなぁ。傷心を理由に、好きにさせてもらうってこと? 不可能ではないってことだろ?」

「可能とは、はっきり言えません。いい加減に約束出来ないですよ。ルクトさんのSランクアップがかかっているのですから。……最高ランクなのでしょう? まだまだ、どれほどの凄さかはわかりませんが、最高ランクの地位のはずですし、相当な努力じゃないですよね。学園に通いながらの最速ランクアップですもの……遊び半分な私とは、天と地の差で違う」


 きっとルクトさんは、冒険者として頂点を目指しているのではないか。

 そんなルクトさんの最後のランクアップに、生半可な約束など出来ない。


「相当な努力かぁ……。もしかして、自分と重ねてる?」


 また頬杖をついて、ルクトさんは首を傾げて、私を覗き込んだ。

 驚きの表情をしてしまう。


「オレも学園に通いながら、努力をして最速ランクアップでAランク冒険者まで上り詰めたように……。リガッティーは、未来で王妃になるためにも努力をしながら、学園に通っていたんだ。自分のように、その努力を台無しにされたくない。他でもない、自分のせいで」


 パチクリ、と私は目を瞬かせた。


「……言われてみれば、そうかもしれませんね」

「ははっ! 無自覚だったか!」


 指摘されなければ、自分もルクトさんの積み上げた努力を、台無しにすることが嫌だったのかもしれない。

 納得してしまった私を見て、ルクトさんは笑い声を上げた。


「だったら、頑張って、オレと30日間の冒険をしようぜ」


 軽い調子で、誘ってくるイケメン。


「心はそうしたい気持ちでいっぱいです。でも頭は、無責任な約束をするべきじゃないって考えているんですよ……」


 ぷくーっと頬を膨らませて見せる。この葛藤を理解してほしい。

 でも、このイケメンは、ただただ笑顔で、待っている。

 果たせるとはわからない約束をすることを。


「……では、こうしましょう。春休み明けに、出来そうなら約束します」


 ぱぁあっと瞬く間に、喜びで明るい顔になったルクトさん。

 舞い上がる前に、手を上げて制した。


「事態収拾が済まないと、なんとも言えないのです。婚約破棄の直後で、まだ受理されていない今だからこそ、こうしてほぼ自由になっている状態なのです……そのあとは、明確にはわかりません」


 フルフルと首を振れば、青く染まった髪が視界の隅で揺れる。


「受理されていない? 婚約破棄は出来てないってことか?」

「今は婚約破棄は保留中です。本人同士が解消したいと喚いても、王家と侯爵家が契約した婚約なので、ちゃんと無効にする契約書にサインをしないと成立しません」

「あー……お偉いさんは、大変だねー……」


 意外というように目を見開いたルクトさんは、どうやら、すでにミカエル殿下と婚約関係にないと思っていたらしい。

 横顔はつまらなそうに森を見つめていたけれど、ちらりと後ろに目を向ける。何かを気にしているようだ。


「……なんです? 何を気にしているのですか?」

「んー……怖がらせたくないけど、


 そっと小声で教えてくれるルクトさんに、今日何度目かわからないほどの驚きを受けた。


「別に悪意や敵意は感じないけど、監視されてるのか?」

「よくわかりましたね。私にはがついているのですよ」

「知っていたのか」


 苦笑付きで頷いておく。

 実は、王妃教育の最中に教えてもらって、初めて知ったのだ。

 王族に嫁ぐと決まった女性は、監視がつけられる。王家の影とも呼ばれて、諜報活動に徹した隠された存在。

 闇属性が得意で、それで気配を消しているため、私も闇魔法で探って身近に監視者がいると、やっと実感したくらいだ。


「心配しなくても無害ですよー。干渉もしません。よって、冒険も止めてきません」


 グッと親指を立てて、言い退ける。

 呑気な私に、ルクトさんは流石に顔を引きつらせた。


「見張られているのに、そんなに気にしないわけ?」

「ずっと前からですからね。……諦めれば、楽な時もありますから」

「な、なるほど……」


 遠い目をしながらも、水を出しては喉を潤す私を見て、戸惑いつつも理解したと頷くルクトさん。

 口にはしないけれど、昔からついている監視だと伝わっただろう。

 まだ婚約破棄が保留中だから、監視は続いている。


「あっ! 四六時中監視されているのか? いや、日中だけでも監視されているなら、昨日挙げられていた罪が濡れ衣だって証言してもらえるのでは!?」

「ええ、はい。必要ならば、証言してもらえますよ」


 気が付いたルクトさんは、声を上げた。

 ちゃんと私が無罪だと信じてくれていて、ちょっと嬉しさを覚える。


 私に監視者がついていることを知っているのは、国王と王妃ぐらいだ。

 ごくわずかな上層部も、王家の影の存在は知っているらしいけれど、大半は影とは名乗らず、他の役職で現れて情報を渡すとのこと。

 国王だからこそ、知っている。王子は王太子になった際にやっと、王家の影の存在を教えてもらえるそうだ。

 よって、ミカエル殿下は、知らない。

 王妃教育の過程で、現王妃も自分に影という監視者がいると知ったそうだ。

 監視者の一番の目的は、婚姻を結んだ王子以外と、肉体関係を持つことを阻止するため。秘密の恋人の子を孕まれては、困るのだ。他の者と肉体関係を持った時点で、処罰が下ると脅しを釘さされた。

 ミカエル殿下は、結婚したあとにやっと、相手に影の監視者がついていたと知ることになるらしい。


 つ、ま、り。


 私の無実を証言してくれる王家の影という存在がいることを、全く知らないのだ。

 あの小賢しいヒロインでさえも。

 これは、予想していないだろうなぁ。でっち上げの証拠は、無駄なチリ紙となる。どんまい。


「なんだ。あんな断罪なんて、簡単に返り討ちに出来るじゃないか」


 拍子抜けと言いたげなルクトさんに、困った笑みを向ける。


「証言してもらうためには、監視者の主人の許可が必要ですから、簡単とは言い難いです。でも、最後の切り札ですよ。……使わないで済めばいいですけどね」


 監視者の主人。つまりは、国王夫妻の許可が出ないと、証言はしてもらえない。

 この切り札があるから、無実だと言い張れる。

 切り札を使うことなく、ネテイトの力で解決してほしいと願う。

 返り討ちにする手立てが他にもあると、ルクトさんは察したようだ。追及は、遠慮してくれた。


「それで、どうしてわかったのですか? 監視の存在に」

「ん? 森に入ってから、【探索】の魔法を使っているからだ」

「【探索】! ルクトさんは無属性の魔法を極めているのですか!?」

「はははっ! 食いつきがいいなぁ。便利だから、習得したまでだよ」


 ご機嫌な笑みになるルクトさんは、ちょっぴり自慢げに言う。

 しかし、堂々と自慢していいことだ。少なくとも、私はそう思う。

 無属性の【探索】魔法は、前世の世界で言えば、レーダー探知機だ。

 周囲の生き物の存在に気付ける魔法。

 王家の影の存在すら探知するなんて、とんでもなく質がいいに違いない。


「だから、さっきの魔獣が見える前に気付いたのですか……いや、範囲が広大すぎませんか?」

「ん。学園の教室の三倍くらいは、気を張っていれば余裕で戦闘準備出来るからな」

「危険な地に身を置く冒険者としては、重宝する魔法ですが……学園では学べないですよね?」

「魔法の教師も教えてはくれないね。でも、王都学園の図書室は、便利な魔法が載った本が山ほどある」


 ニヤリ。悪いことをしているみたいな笑みを浮かべるルクトさん。

 確かに、学園の授業では、【テレポート】も【探索】も教えてもらえなかった。

 言う通り、王都学園の図書室は、とんでもない量の魔法の本がある。一年では読み切れないほどだろう。


 ……つまり。

 王妃教育のせいで学べなかった分の魔法は、図書室でじゃんじゃん学べるってこと?

 ……春休み中だけど、学園に行こうかしら。



「リガッティー」



 学園の図書室に行くことについて、気が逸れていた私の肩を、ルクトさんがつついて引き戻した。

 かと思えば、ずいっと美形な顔を近付いてきた。


「【探索】魔法。教えてほしい?」

「いいんですか!? ぜひ!」


 とんでもなく大物冒険者であり、学園の一学年上の先輩である、私の指導者。


 愚痴は聞いてくれるし、新人冒険者の指導以上の教えをしてくれるし、美形で目の保養だし、素晴らしすぎる!


 最高か!! 世界一のイケメンだ!!


 私は両手を顔の前で合わせて、お願いしますと込めて、笑みを溢した。



 

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