第20話 sparking area
所業施設に併設されたライブハウスの、関係者しか入れないエリア。
何に使うのかわからない謎の機械たち。
自分が立つことなんて考えもしなかった大きなステージと、端まで自分の声が届くのだろうかと心配になるくらいの広い客席。
隣で歩く咲良の腕を掴みながらずっと「わぁー、わぁー」と小さくうなる。
10年以上のキャリアがあるバンド、動画共有サービスやSNSで再生回数を伸ばし始めている5人組女性アイドルからデビュー間近のイケメンダンスボーカルグループ、新進気鋭のトラックメーカーと、ツムギさん。
様々なジャンルのアーティストの裏の姿を間近で見ながら興奮しっぱなしだった。
「もー、みこ、うるさーい」とNEIさんに言われ、咲良は「やめなよ」と話かけに行こうとする私を止めるのに隣でずっと忙しそうだった。
「はしゃぐな」
とルウナさんに真剣な顔で小突かれてから、ようやく少し落ち着いた。
「私たちはオープニングアクトを任されてる。今日のお客さんの気持ちのベースを作るのは私たちだよ。きょう、ここに来てもらった感謝を伝えることと、絶対に後悔させないって約束をする時間だと思ってる。前座だからとか、プロじゃないからとか浮ついた気持ちでやんないで。見にきてくれた人が帰り道に、寝る前に頭から離れないくらいのステージをトップで見せてやろうよ!」
見たことのないルウナさんの真剣な表情。グッと色が変わる咲良とNEIさんの眼。
3分前の自分を思いっきり殴ってやりたい。
「はい!」
とバレー部の後輩が腹の底から声を出した。
じんわりと汗が滲むくらい動きを繰り返す。
開場時間になり、緊張が指先を痺れさせている。
楽屋として与えられたこの部屋には水色のスカートからきた4人と、動き回っていてまだ最初の挨拶しか出来ていないまなさんの荷物がある。
「みこ、」
壁に向かって1人で歌詞を唱えているとルウナさんが笑いながら肩を叩いた。
「あ、すみません」
何故か反射的に謝ってしまった。
「ちょっと、やめてよ」
笑いながら、はい、とチョコレートフラッペをくれる。
「あ、ありがとうございます」
一口だけ、と思ってストローに口をつけたが美味しくて止まらない。
カップの半分ほどを一気に吸い込んでしまうと、とうとうルウナさんが爆笑しだした。
「なにそれ、反応が全部素直すぎてちっちゃい子みたい!」
恥ずかしい。最後まで飲み切れそうだがやめておく。
「ごめんね。みこは水色のスカート以外のステージに立つの、初めてだもんね」
他のライブハウスでも歌い踊るルウナさんとNEIさんや、大きな大会の舞台で戦ってきた咲良とは経験値がまるで違う。
こんな舞台で気持ちを高める方法も落ち着かせる方法も知らない。
「ここにくるまでずっと、なんで私を選んでくれたんだろう、ってことしか考えられませんでした。正直ずっとふわふわしてて。第三者みたいな意識しかなかったって、ここまで来てさっきルウナさんに叱られてやっと気づいたんです」
うん。と表情で返事をしてくれる。
「他のメンバーをお店に置いてきてまで選ばれた理由なんかどうでもいい。私はステージ上で答えを見せるだけです」
ふっと笑って肩を抱き、椅子に座らされた。
隣に座っていたNEIさんがスマートフォン片手に
「頑張りすぎ過呼吸なるよ。マンヂョンチュツゥォ。」
と何かを唱えた。
「え、なんですか?」
「さあ。『急いてはことを仕損じる』って意味だって。ワタシ、チュウゴクゴ、ワカラナイケド。頑張りすぎダヨー。過呼吸なるアルヨー」
「なんですか、その下手な中国人訛り」
ストレッチしながら咲良が即座に突っ込み、続ける。
「私今から『戦う地獄少女』の“マヒカ”降霊させますから静かにしてください」
すかさずルウナさんが
「えー!じゃあ私は『ゼッタイ!アイドル希望!』の“ノゾミ”降ろすー!!」
と楽屋が急に騒がしくなった。
いつもの水色のスカートのオープン前とも違う雰囲気に、自分だけじゃない、咲良も、NEIさんもルウナさんも緊張していながら私を気遣ってくれているのだという優しさを知る。
指先の痺れはもう感じていなかった。
「ありがとう」を言いかかったけど、その言葉は終わってから伝えるべきだと残りのフラッペと一緒に一気に飲み込んだ。
始まる。
心臓の爆音が耳に届くのを紛らわせるようにSEが鳴る。
走って飛び出す。
8月の日差しのような照明が一瞬目を眩ませる。「こんにちはー!!」と手を振り、小走りで大きなステージの中央に向かう。
次第に目が慣れてゆっくり見えてくるお客さんたちの姿。
良かった、居てくれた。観客がゼロなことなど無いのはわかっていたのに、心底ホッとした。
NEIさんが水色のスカートのことを紹介した後、個々が自己紹介をしていく。
「現役高校生、水色のスカートの元気な末っ子!七海みこです!」
程よい緊張と興奮、自分の声が思ったより出る。
大丈夫、楽しめる準備は整っている。
照明が少し落ち、3秒使ってそれぞれと目を合わせながら始まりの体勢に入る。
ふーっと息を吐く。
短いカウント音で始まる、イントロがない曲。歌い始めは私と咲良のユニゾン。
絶対に外せない。
どきどきしたい。わくわくしたい。お客さんと一緒につくる『水色のスカート』という場所を紹介するような一曲目。
何度も練習しながら、この曲を作ってくれたまなさんの気持ちをその都度噛み締めてきた。
これを歌えるのは私たちだけ。
思いを乗せて届けられるのは水色のスカートのキャストだけ。
知らない人たちにも、精一杯、伝われ。
最後のポーズを決める。
はあ、はあ。
軽く息が上がる。思いっきりやった。
たった二曲だ、体力を後に残しておく意味などない。
手が震える。これは弱さじゃない。
楽しい。楽しくてしょうがない。武者震いだと、見極められる冷静さもある。
2曲目のイントロが流れる間、NEIさんが客を煽る。
3人は舞台上の隅まで駆け回り、手を振り、後方を指を刺す。4人のソロが長めの曲。
咲良のパートは歌詞がほとんどなく、フリーのダンスを魅せる。
コールを促し、サビで爆発する。
咲良と、NEIさんと、ルウナさん、と視線をぶつける。
間違いなくこの世でいま、一番楽しんでいるのは私たちだ。
「水色のスカートでした!ありがとうございましたー!!」
暖かい拍手の中、深くお辞儀をしてステージを後にする。スタッフさん達の邪魔にならないところまで移動し、4人で抱き合った。
やった、間違いなくやりきった。
「みんなめっちゃ良かったよー!!」
と駆けてきたまなさんが私たちを両腕で包んだ。
「咲良ぁー!さすがだよ!一瞬でカッコイイを魅せてくれたね!」
感極まって泣く咲良にハグをして優しくなだめる。
「みこ!どしたの!?別人かと思ったよ!最高に良かったー!!」
私の頬を両手で挟みグリグリと潰す。
「MCでみんなのこと引っ張っていってくれてありがとね。NEIにやってもらってほんと、よかった」
固く手を握られたNEIさんがまなさんを見つめながら顔をくしゃくしゃに崩した。
「あんなに素敵なパフォーマンスしてくれたのに、客席満員にできなくてごめんね。もっとたくさんの人に観てもらいたかった」
と悔しそうにルウナさんの頭を撫でる。
思いっきり頭を横に振る目からは今にも大粒の涙がこぼれ落ちそうになっていた。
「私たちをここに連れてきてくれてありがとうございます」
全員でお礼を言い、楽屋に戻った。
「常連さん、何人かきてくれてたね。みこ、みえた?」
NEIさんがタオルで汗を拭いながら言った。
「え……全然わかりませんでした」
自分に必死すぎてそんな余裕全くなかった。
そうだ、まなさんもいつも観てくれている人をちゃんと感じながらパフォーマンスしている。
独りよがりだった自分を反省した。
「ちょっとまた!もー!そういう意味でいったんじゃないからっ!」
いつの間にか目の前に来ていたNEIさんが正面から両肩を掴む。
まだ始まったばかりなのに、ノートに書き記しておきたいことをたくさん得られた。
興奮で忘れないように携帯のメモにすぐ綴ろう。
今の気持ちを、時間で風化される前に熱いまま残しておきたい。
「わたし」
トーンを落とした自分の声に咲良とルウナさんも注目する。
「もう一度。今度は自分の力でここに来たいです。まなさんが用意してくれた場所じゃなくて、七海みこに『お願いします』って言ってもらえるアイドルに、私。なります」
『スパーキングエリア』と題された東京でのライブステージ終演後の夜行バス。
私たちは余韻に浸りながら水色のスカートがある都市への帰路についていた。
斜め後ろのルウナさんは、私の隣に座る咲良とアニメの話で盛り上がっていて、「オタクがうるさいよー。みこの隣に行かせてよ」とNEIさんに嫌がられている。
バスが出発する。動き出す窓の黒に自分が映る。
水色のスカートに入ってもうすぐ一年。
入って3ヶ月程経った頃だっただろうか、私がここで改めて“頑張ろう”と気合いを入れ始めた時だ、バックヤードでまなさんに
「お母さんにここでこういう活動しても良いってキチンと了承してもらったから」
とさらっと言われた。
バイトするにあたっての同意書は父にお願いしたが、緊急連絡先としては母の携帯を記していた。
あの母に説明するのも、水色のスカートに対してなんだかんだ言われるのも鬱陶しかったから。
悪いことをしたわけじゃない。「色々気をつけろよ」とありきたりなことだけを言ってその場ですぐサインしてくれた父だって保護者だ。
母とやりとりをした、ということは何か気付かれたかもしれない。
「崩壊してるんですよー」と笑って家族関係を話せるくらいの度胸はまだなかった。
顔色の悪さが後ろから声をかけてきたまなさんにバレそうなくらい、どう返事するか迷う時間が経ってしまっていた。
どの程度、まなさんが把握しているのか確かめようとゆっくり振り返る。
引き出しにしまってあるファイルの中から一冊取り出したところだった。
手を動かしながら雑談っぽく装おうとしているように見える。
ああ、これはきっと、気まずい話になりそうだ。
「母……何か失礼なこといいませんでしたか?」
ファイルを広げて何かを探すようにめくりながら
「私のことを、心配してくれるんだね」
と涼しい顔で続ける。
「何度かお家いったり、カフェで会ったりしたよ。最初は、そんな未成年を人目に晒すようなこと!って怒られちゃった」
私が言わなかったせいだ。
「すみません」
「でもね、たくさん話した。動画みせて、私がみこから感じ取ったこと。想像にしか過ぎないけどきっとみこが水色のスカートに対して思ってくれてること」
クリアファイルから一枚の紙を取り出し私に向けた。
水色のスカートで働くことの同意書に、サインされた、母の名前。
「思いっきり、やればいい」
そう言って紙をしまったあと、鍵付きの引き出しにファイルを戻してバックヤードを出て行った。
母の小言が少なくなったと感じていたのは気のせいではなかったのか。
水色のスカートのことに関して私に何も言わないのはなぜだろう。
2人してその話に触れないような嫌な雰囲気を初めて壊したのは“スパーキングエリア”のために東京に行くことが決まったときだった。
流石に親に何も言わずに東京にいくというのは良くない気がしたからだ。
その時は「ああ」と曖昧に返事した母だったが、出発の日、スーツケース片手に玄関を出る瞬間
「頑張ってね!」
と大きな声が部屋の奥から聞こえた。
扉が閉まる数秒、こちらを向いて立っていた母の姿が目に映った。
ばたんと閉まる戸をもう一度開けて「頑張ってくるね」と言わなかったのは込み上げる何かをその目から流したくなかったから。
いってきます。と呟いて鍵をかけ、大きく息をした。
お母さん。頑張ったよ。でもまだまだ。
私はやっと、きょう始まった。
いつの間にか咲良とルウナさんの話も終わり、それぞれが溜まっていたメッセージやSNSの確認、ゲームなどで携帯を触る時間になっていた。
「ねえ、」
静かになった車内、咲良が小声で話しかけてくる。
きょうの“ありがとうございました”を伝えるためのSNSの文章を作成しながら「ん」と答える。
「水色のスカート投稿見た?明日から一週間、店内で私たちの今日の映像流してくれるって」
アリスさんから聞いていた。
メンバーが大きなステージで輝く姿を、実際見に行けないここのお客さんたちに見せてあげたいとまなさんに頼み込んだことを。通ったんだ。
「そうなんだ。嬉しい」
水原まなが居なくても水色のスカートは止まらない。
もっと、たくさんの人に知ってほしい、私たちを。
手元の文章に”ぜひ水色のスカートに遊びに来てください!“と書き加えた。
「楽しかったね。」
「うん。本当に楽しかった。水色のスカートに誘ってくれてありがとうね。じゃなきゃ私がこんな気持ちになることも、何かやりたい、ってことを見つけられることもなかった」
「私もわかったよ、きょう自分がやりたいこと」
なに?の目線を咲良に送る。
「もう一回ちゃんとダンスと向き合う。客席からの声で、たくさんの挙がった手で、思いを込めた踊りは人の感情を動かせるってわかった。すっごく気持ちよかったんだ。ソロコンテスト、優勝めざすよ。」
こちらを向くまっすぐな目。
車内の灯りが消えた。
「頑張ろうね。」
前を向いて咲良にも、自分にも言った。
「うん。頑張る。」
咲良も同じように言い、ブランケットを肩まで掛け直して目を閉じた。
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