第16話 12月30日 

 大晦日イベント前日、他のキャストが開店準備や明日の作業をしている中、私とこぐまちゃんは近くのカフェでまなさんを待っていた。

 改めて大晦日イベントのタイムテーブルとそれぞれの動きを確認していると、こぐまちゃんに「アリス、ちょっと」と言われ、何もわからないまま連れてこられたのだ。


 4人掛けのテーブル席に並んで座ってから、まなさんから話があるらしいということだけを伝えられた。

 こぐまちゃんの表情を盗み見る。何も話してこない。

 いつものポーカーフェイスだけど、少し怒っているような気もする。

 

「アリス!こぐま!ごめん、待たせた!」

息を切らせてやって来たこの人はいつも慌ただしい。


「仕込み進めたいから早くして」

 こぐまちゃんが急かす。

 昔からの知り合いらしく、まなさんへの話し方もぶきらぼうさはそのままだが、今日はなんだかそれだけではない気がする。

 本当に仕込みがしたくて怒っているのか、これから話される内容に対するものなのか。


「あーはいはい、ごめん!あ!アイスコーヒーで。

それで、準備は進んでる?」

謝罪と、注文と、問いかけ。

「そんな話はいいって。早く本題」

明らかにイライラしている。やっぱり怒っているんだ。

 なんだろう、そしてその話しに何故私が居るのだろう。


 こぐまちゃんの態度を受け、まなさんはふうーと吐く長いた息でこれからする話への空気に変えた。

「そうだね。わかった」

 その雰囲気に合わせる様に私も姿勢を整える。


「そうだな、何から話そうかな。まず、来年の5月に東京のキャパ2000人超えのライブハウスで私主催のライブをする」


「……大きいイベントですね」

 この場で初めて出した声は出し始めが少し枯れた。なんだ、嬉しい報告じゃないか。


「そうだね。私単体では初めての大きさ。親交のあるバンドとか、アイドルとか。元セブンジャムリボンの子とか出てくれるんだけどね。そこで水色のスカートから4人選出してグループでステージしてもらおうと思ってる」


 水色のスカートから。

 周年の月に決めたのはそういうことか。

 嬉しさが口元を緩める。

 しかし、言葉を噛み締める毎に苦味が広がっていく。

 こぐまちゃんが出るということは絶対あり得ないし、弾き語りをする私を選ぶとも考えにくい。

 音楽ライブであろうから漫才やマジックをする子たちを抜いても、アイドルを目指したり歌やダンスをするキャストはその数の倍ほど居る。


「少なくないですか?」


 全員出してあげないのは何故なのだろう。


「それには、プロデューサーとか大手事務所のスカウトする人とかに観に来てもらうよう頼んである。

“センター”はつくりたくなかったから偶数で、私が自信のある子と期待を込めた子をしっかりじっくり見てもらいたいと思っての、4人」


「最初と言ってること違うじゃん。まなちゃんがプロデュースしたり推薦することないって言ってなかった?」

黙っていたこぐまちゃんが口を開く。

「それは本当に悪いと思ってる。でも色んなおもいして頑張ってきてくれた子達を無責任に放っていけなくて。私に出来る最後の責任だと思って決めた」


放っていく?さいご?なにが?どれが?


「最後って、どう言う意味ですか?」

最悪の答えを聞く準備をして恐る恐る聞く。

 まなさんが覚悟を込めた声色で話しを続けた。


「私にはやりたい仕事がたくさんあって、それにできる限り挑戦してきた。一緒にやりたいって人も助けてくれる人もたくさん繋がって、それに連れてまたどんどんやりたい事が増えてって。あっという間に時間が過ぎててね。その中で自分の夢みたいなものが小さくあったんだけど後回しにしてたの。それが段々大きくなってそれにはまあ、期限もあって」


“期限”

 まなさんの母性にも似たキャストたちへの愛情の深さとおおよその年齢からして、それは、引き留められない夢だと容易に予測出来た。


「みんなのことを見ていけば見ていくほど自分のこどもが欲しいって思いが強くなっていったんだ」

視界の端に膝の上で固く握るこぐまちゃんの両手が映った。

「でもどっちも中途半端にできないし、急に放り出せないから。実は去年結婚してね。ちょっとづつ仕事をセーブしていってて。こっちにももうほとんど来ないつもりで。水色のスカートは……」


 水色のスカートは。聞きたくない。 

 こぐまちゃんにも更に力が入ったのがわかった。

 閉店?


「全てをあなたたちに2人にお願いしたいの。」


 私とこぐまちゃん、交互に目を合わせるまなさん。

 自分がどんな顔をしているのかわからないが、込めていた力が抜け、頭の中が一瞬で空っぽになった。

「は……」

こぐまちゃんから声なのか呼吸なのかわからない音が鳴る。


「あなたたちにはその力がある。あなたたちは賢い、私には自信がある。アリスとこぐま2人なら絶対やっていける」

再びこぐまちゃんの膝の上の拳が強く握られ、小さく震えている。


「ほらまた……やっぱりなんか変だと思ったんだ。まなちゃんは勝手だ。いつも。全部」

本当に。勝手だ、けど。

「そうだね、あの店を押し付ける感じになっちゃうよね。こぐまは、いや?」


「押し付けるとか。そんなんじゃなくて。……ムカつくな」


「こまき。どうかな」


「……ばかじゃないの?」


 こぐまちゃんの美しい顔が歪む。

 まなさんが笑う。

 これはきっとイエスということなのだろう。

 初めの機嫌の悪さと、短い会話のスピードの中に、二人の歴史が詰まっている気がした。


 それにしてもなんて策士だ。

 ここを見据えてみこの教育係なんて今まで無かった制度を私に振ったのだろう。

 おかげで私もこの依頼を断るという選択肢が浮かばないほど、女の子たち成長する姿を見ることに魅了されてしまった。まんまとハマっている。


「アリス」

まなさんの目が私をとらえる。

 アリスは、どう?とその目が言っている。


「私も。こぐまちゃんとこれからの水色のスカートを守って、つくっていきたいです」


 自信は、無い。

 ただ、少しワクワクする期待感を楽しめると、充実した自分に成れることを知っている。

「ありがとう」

満面の笑みから安堵した感情が溢れていた。


 大きな告白でエネルギーを使い果たしたが、まだ気になることが残っている。

「あの、4人って、誰かはもう決まってるんですか?」


「うん」口に運んだアイスコーヒーで話の空気をリセットし、ゆっくり4人の名前を告げた。


 キンと周りの音が聞こえなくなった。願ったその人の名前が無かったから。


「ましろ、外したんだ」


 やっぱりそうだよね?出なかったよね、ましろちゃんの名前。

 なんで?なんで、あんなに頑張ってたのに。


 周囲全ての光を宿らた目でまなさんを観ていた。 顔を赤くして息を切らせて歌い踊る練習をしていた。

 まなさんのことを語る時の笑顔、「絶対アリスの手の届かないとこ、先にいくから」そう言ってくれた声。

 選ばれなかったとましろちゃんが知った時、彼女はもう絶対にやっていけないだろう。まなさんがそんなこと分かっていないはずが無い。

 

 言いたい言葉を堪えたかけらが目から溢れてしまいそうだ。

 ずっと一緒にやってきて、作り上げてきた。身も心も捧げたような彼女が選ばれないなんて。


「なんで……」

やっと口から出た言葉は、後ろの席の笑い声で掻き消されるほど弱かった。

 こぐまちゃんが肩に触れ

「ちゃんと聞こう」

と言ってくれた。とても優しい声で。

 二人の状態を確認したまなさんは話を続ける。


「次のステップに届けるために業界関係者も来るから、自分の未来の為に頑張っている子、を選んだ。

この意味、あなたたちならわかるんじゃないかな」


 私たちへの愛情溢れたこの人から出たその言葉に、氷水に突き落とされたような冷たさを感じた。

 が、その温度が胸にいっぱいに詰まっていた疑問をスッと通過させた。

 同時に、悔しさは全て悲しさになった。

 “その意味”がわかってしまったから。

 あの日、

「私も絶対アリスの手の届かないとこ、先にいくから」

そう言ったましろちゃんは、嘘を付いていた。


 本当はきっと、私もあの時気付いてしまっていたんだ。

 彼女の悩みに、迷いに。


 ましろは“アイドル”になりたいんじゃ無い。


「それにこのイベントは、私が表に出る最後にするつもり。だからただのお思い出作りじゃなくて、ちゃんと私が水色のスカートを作ろうと思った時の気持ちに忠実でいたかった」


 それでも私はたくさんたくさん言いたくて、訊きたいのに、こぐまちゃんはずっと静かに聞いている。何個も年下なのに、なんて大人なのだろう。

 言葉の代わりに次々出てくる涙が恥ずかしくて必死に拭う。


「アイスコーヒー、なくなっちゃったな。ちょっと甘いものでも食べようか」


 そう言って落ち着く時間をくれた。

要らないと断ったがまなさんは私の分のパフェをオーダーしてくれた。

 届いたいちごパフェにスプーンを入れる。

 ひんやりとしたバニラアイスとすっぱい苺が熱を冷ましていく。

 まなさんが自分用に頼んだホットのお茶を口にしたあと、こぐまちゃんがミックスジュースを一口飲んで言った。

「で、ましろのことはどうするつもり?」

同じ気持ちだったようだ。私が聞きたかったことを訊いてくれた。


「ましろは本当に頑張ってきてくれた。真面目に真っ直ぐ。もう、自分としてどうなっていきたいか考えて欲しいっていう私の言葉も届かないくらいに。

もっと早くに、もっと正確に導いてあげられたかもしれないのに。“水原まな”を彼女のゴールにさせてしまったのは私の大きな責任」

 

 まなさんはどんな瞬間も自分の様になれとは言っていないし、自分をみて学べとも言っていない。

 ましろのことは好きだし心配だけど、まなさんがましろを洗脳した訳ではない。

 私ももっとちゃんとましろをみて、何か言えたのではないかと思い返すと自分に腹が立つ。

 そう考えることができるくらい、少し時間を置くと取り乱していた感情が落ち着いた。


「ましろちゃんを思うととても気の毒だけど、まなさんがそこまで責任を感じることなんですかね……」

言わなくてもいいようなことをぼんやりとくちにする。

 まなさんがふっと微笑んだ。


「そうね。でも、ましろにも、みんなにも、私が与えたものばかりじゃない。私はみんなからたくさんもらったものを返すだけ」


「また出たよ、愛とかそういうやつ」

こぐまが呆れたように挟む。


「だからましろには、ましろに合う気持ちをちゃんと返す」


 ほっとした。

 どうするかは私の知るところではないが、この人は絶対に放り出さない。

 それだけ分かれば私が考えるのはもう未来のことだけだ。


「……アリス、戻ろう」

こぐまちゃんが席を立つ。

同じ思いなのだと聞かなくても理解できた。

「うん」


「まなちゃん。ありがとう」


最後にそう言い捨てて早足で店の扉へ向かうこぐまちゃんの後を、まなさんに会釈してから続いた。


 黙って前を歩くこぐまちゃんの後ろ姿に追いつく。いつもそうだ、口からは何も出ない。

 しかし、全身から放ってる感情に話しかける。


「楽しみだけど、まなさん、いなくなっちゃうんだね。寂しいね」


「うん。」


「でもさ、まなさんの赤ちゃんとか、たのしみだね」


 この子は寂しいを殺そうとしている。

 大好きな“まなちゃん”が遠くなるような寂しさを、“まなちゃんの幸せ“で相殺しようと戦っている。


「こぐまちゃん、大丈夫だよ。私が居る。私にも、こぐまちゃんが居る。一緒に頑張ろう」


 足を止めてうつむくまるで子供のような横顔。

 堪らなく愛おしくてぎゅっと包んだ。


「しあわせそうでいいなあー!私たちも彼氏欲しいよね!」

「私は別にいい」

 そう言うと思った、なんて言いながら笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る