第3話 七海みこ

 面接日の時に「来て」と言ってくれた週末。

 咲良と一緒に向かったその日の水色のスカートには水原さんは居なかった。


 オープン前の店内に入ったところで「おはようございまーす」というと、奥からいかにも陽キャな先輩が

「あいかちゃん!?よろしくー!!ましろでーす!」

と緊張するわたしに駆け寄ってきた。

「よ、よろしくお願いします……」

と戸惑う私と、それに慣れている様子の咲良の周りを、いやー高校生コンビ!かわいいー!いいなあー!と跳ね回っている。


「名前は“あいか”のままでいくの?」

 目の前で止まる白い肌のきめの細かさに驚きながら

「いえ、えっと、変えようと思って。『七海みこ』ってどうですかね……」

 と訊いてみた。


 深い意味なんて全くない。響きがかわいいから。

“あいか”で無ければ何でもいい。

 咲良は「私は私のまま頑張りたいから」と本名でここに入っていると、きょう来る途中で聞いた。

 かっこいい。

 きっとステージもしっかりしてるんだろうな、とまた少し不安になっていた。


「ななみみこちゃん!いいじゃん!かわいい!おっけ。あ、一応教育係としてまなさんから言われてるひと紹介するね。ちょっと待ってて!」

とましろさんはバックヤードに消えていった。


 急に静かになった店内で

「教育係って、怖い?」

とこっそり咲良に確認する。

「誰だろう、私には付かなかったけど。仕事はその日同じシフトに入ってる人に教えてもらってたよ」

 口元に手を当てて考えている。水原さんに相当出来ない奴と算段されたのかな。


 ましろさんと再びホールに出てきたのはスタイルが良く、長い黒髪が似合う飛び切り美人な女性だった。漏れ出そうな息を飲み込む。


「おはようございます。教育係ってアリスさんなんですね!」

 咲良が美人に挨拶をする。見惚れていないで自分も自己紹介をしなければ。

 できるだけ元気よく。これからきっと一番お世話になる人、第一印象が大事だ。


「こんにちは!七海みことしてこちらで働かせていただきます!ご指導よろしくお願いします!!」


 地下空間を静寂が包む。

 キッチンで働く換気扇が急に、ゴーと存在感を示す。

 深く下げた後頭部に、自分以外の3人の目が丸くなっている雰囲気を感じる。

 一気に静かになった店内にましろさんの吹き出した口からの音が響いた。


「やだー!みこちゃんって体育会系?あ、あれだ!アリスがこわい顔してるからー!」


 ましろさんが大笑いでアリスさんの肩をバシバシ叩いている。

 中学の3年間、試合では負けることの方が少ない、部活動の中でも一番厳しいと言われていたバレーボール部に在籍していた。


 聞こえないのは言っていないのと同じ。

 語尾を伸ばすな。

 “あいさつ”はバレー部のあいかを引っ張り出してきた。

 トーン間違えたかな。


「スミマセン……」

恥ずかしくなって急いで上げた赤い顔を両手で隠す。

「こわい顔してたかな。私も教育係なんて初めてで、ごめんね。アリスっていいます」

 しゅんとしてしまったアリスさんを見て、美人すぎて『冷たそう』という印象を勝手に持ってしまっていたことに申し訳なくなった。


「いえ、すいません!緊張しちゃって変な感じになっちゃいました」

「ううん、上手く教えてあげられるか自信無いけどよろしくね。私じゃなくても聞きやすそうな人でいいから、わからないことはなんでも聞いてね」

話すと柔らかい、というか

自信がなさそうな雰囲気。こんなに美人なのに。



 その後、全体朝礼で先輩キャストたちと顔を合わせ、アリスさんにオーダーの取り方や料理の提供の仕方、どういう風にステージが行われるかのを教えてもらった。

 営業が始まり、仕事を覚えながらも、毎日行われるという先輩たちのステージを見せてもらう。


 ましろさんはそのまんま元気いっぱいの笑顔でお客さんを乗せてアイドルの曲を歌い、アリスさんはアコースティックギターで弾き語りをしていた。

 NEIさん、という頭に2つお団子を作ったキャストさんは私や咲良が好きなボカロの曲をダークな雰囲気で披露していた。

 すごい。

『バイト先の先輩』が一気に『ステージの人』になる。

 私もあんな風にできるのだろうか、違う自分になることが。



 その後5回ほど出勤し、少しづつ全体に慣れ始めた頃。

七海みこがはじめてステージに上がる日がやってきた。

 リハーサル参加のため早めに家を出ると、予定時刻の20分前に到着した。

あまり早く着くのも迷惑かもしれない、と5分歩いたところに見つけたコンビニに入る。


 この辺りでは珍しくもない、褐色肌の外国人男性と、真っ青な耳下までの髪に半袖のユニフォームから黒の七分袖をのぞかせている女性がレジで待っている。

水と林檎のグミを選び、この人の腕には何が描かれているのだろうと思っていると無意識に女性側の台に二つを乗せていた。


「レジ袋要りますか?」

容姿と業務的な声色に勝手に“圧”を感じてドキドキする。

「いえ。」

 バーコード決済の画面を開いて見せた時にお姉さんの顔を盗み見る。

携帯から支払いが完了した音が鳴ると、お姉さんがパッとこちらを向いて目が合った。


「ありがとうございました。」

 にっこりと微笑んだ笑顔はコンビニの自動ドアを過ぎても離れなかった。


 またきっとここに来るだろう。

 あの笑顔を見るために。

 なんなら次は彼女の分のグミまで台に乗せるかもしれない。「あなたの笑顔に元気をもらいました」なんて言いながら。

 アイドルはふとしたところにも潜んでいるものなんだ。



 オープンより丁度1時間前の水色のスカートの扉を開けた。

既に先輩たちは開店準備をしながら、練習を行っている。


「みこちゃん、次どうぞ。」

そう言ってアリスさんがマイクを渡してくれる


 練習はたくさんしてきたつもりだった。

 が、ステージでのリハは散々だった。


 リズムをとる動きがぎこちないのがわかる。

友達とのカラオケとは全く違う、思っているように自分の声が返って来ない。

全身が引きつって上手く動けない。

先輩たちを目の前にしても緊張したのに、本番ではお金を払ってここに来て食事をしている『お客さん』がいるのだ。


 大丈夫だろうか。


 一気に汗がふきだした。自分から声が出ているのかさえ分からなかった。

もう何時間後かには本番だ。

“七海みこステージデビュー”としてネット配信もしてくれるという。


「大丈夫。力抜いて。最初から自身満々で上手く出来たらこれから応援しがい、ないでしょ!」


 アリスさんが明るく励ましてくれたので、そりゃそうだ!と無理矢理自分に言い聞かせた。

 きょうまで出勤する中でお話しして「頑張ってね」「ステージ楽しみにしてるよ」と声をかけてくれたお客さんたちに、いいとこみせるんだ。


 コンビニのお姉さんの笑顔を瞼の裏に思い出して呼吸の速さを落ち着ける。


 目を開けて店内を見渡すと、端の方に咲良を確認した。

 今までも咲良のステージ中は仕事を教わってたり、シフトが被っていなかったりで、きちんと見たことがなかった。

イヤフォンをしながら小さく手足を動かして集中しているようだが、感情は読み取れない。



「みんな集合ぉー!」

 ましろさんが集合をかける。明確には決まっていないらしいがキャストのリーダー的存在。


「新メンバーのステージデビューってことで!『水色のスカート』みんな張り切って!楽しんで!がんばろー!!!おー!!!」

 他のひとは関係ない、いまは自分を頑張るしかない。



---------



 22時、退勤。

 はっきりいって覚えていない。

 呆然としながら帰りの電車に乗った。


「ちょっと七海みこさーんゾンビ化してますけどー」

 肩を指先でちょんちょんと突く咲良。


「何よ。からかってんの。ホント緊張して死ぬとこだったよ。咲良はどうせ上手くやってるんでしょ?」

ふてくされながら責める。

「そんなことないよ、震えまくってたじゃん。足ガクガクでステージ地震起きてたよ。気付いてなかったの?」

何バカなこといってんの、とか言いながら笑えて、やっと現実世界に戻った気がした。


 ステージ直前は本当に逃げ出したかった。吐きそうで涙目になった。

 ましろさんみたいに、アリスさんみたいに、本当にあんな風に出来るときが来るのだろうか。


 でも、私は咲良よりも頑張らなければならない。

 もう一つバイトしているコンビニより時給がいいし、興味があることで稼げるのは嬉しい。

 終わった後は楽しかった、とも多分、思えた。

 お店の人たちやお客さんに求められて、たくさんシフトに入りたい。


 私には何より、お金がいる。



咲良と別れて自宅に近づく足がだんだん重くなる。

マンションの敷地内は重力が2倍になっている。

他よりも暗く見えるドアに鍵を差し、ただいまと口の中で呟き玄関を開けるとリビングからテレビの音が聞こえてきた。


はあ。


「あいかぁーおかえりー!」

母だ。化粧も服装もキレイにきめている。


「いたんだ」と言いながら冷蔵庫からお茶を取った。

「いや、今から出るぅ。てかさーあんたバイトしてんでしょ?お金、もう渡さなくていいよね?」

 はぁ?

「何言ってんの?高校生が稼ぐバイト代だけでご飯食べられるわけないでしょ?」

えー、と言いながら財布から一万円を取り出し

「これでい?ママもお金ないんだから。あとはあの人に言ってよね。じゃーねー」

とテーブルに置いて女は出て行った。


「毒親。」


 紙幣に呟いた。

"あの人"とはあの女の夫。つまり私の父親だ。

 父は仕事が忙しいらしく、出張なんかで家にほとんど居ないひとだった。


「私の作ったご飯なんて食べてくれないじゃない!」

「寂しいのに!あなたは何にも分かってくれない!」

「どこいってたの?出張なんて嘘でしょ!あたし知ってるんだから!!」

「私たちのことなんてあなたはどうでもいいんでしょ!」

「死にたい。」

いつからかそんなヒステリックな女の声を聞いて私は育った。

 父はごめんな。といつも私にそっと言った。


「あの人他に女いんのよ」と言いながら母は度々中学生になったばかりの私を置いて、当てつけるように何処かへ出て行くようになった。

 ふらっと夜中か朝方に帰って来て、寝て、また出ていって。帰ってこなかったり。


 もういつからだろう、母の手料理は食べていない。

 父に不倫相手がいるかは知らないが、この家も生活費も、私の学費や母に内緒でくれるお小遣いもしっかり払ってくれている。

家族の温かさなどとっくに欲しがらなくなった私の目には、私たちから逃げる父より、近くで私に当たり散らす母の方が最低な人間に見えている。


 今日も水色のスカートの帰りにコンビニで唐揚げと千切りキャベツのパックを買い、昨日炊いて保存しておいた冷凍ご飯をチンして食べた。

平日はコンビニで、週末は『水色のスカート』でバイトに明け暮れる女子高生。

 SNSのいいね稼ぎの為の話題のスイーツも食べないし、流行りのコスメも買わない。

 そんなものより、お金を貯めてここから離れたい。



 咲良は『水色のスカート』には週末に入るくらいだった。

 私はコンビニのシフトがない平日も『水色のスカート』に出勤することにした。


学校が終わってから着替えに帰って電車に乗る。

片道約40分の移動は辛かったがすぐ慣れた。

早めに着いた日はあのコンビニに行く。

会える日の方が多いので、きっとあの青い人は重宝されているのだろう。


 慣れないのはステージだ。

平日はお客さんも少ないがやっぱりマイクを持つと緊張する。


 ステージに立ち始めて3回目の今日も「新しくキャストになりました!現役女子高生の七海みこです!」なんて言って歌うだけで精一杯だった。

 怖くて間が持たない。こんなんじゃつまらないやつだと思われてしまう。


 アリスさんに相談してみようかな。

教育係だと紹介されて、オーダーの取り方や配膳の仕方、常連さんの名前なんかは教えてもらったけど、ステージのやり方はきちんと教わっていない。

 たくさん話しかけてくれるましろさんや他のキャストさんとは違って、アリスさんとはほとんど雑談をしたことがない。

 一緒にシフトに入った日は時間を潰すようにキッチンの皿洗いを手伝ったり、その辺の棚を拭いたりしていた。


 こわい、という訳ではない。

アリスさんの方が私に気を遣っている気がするのだ。

申し訳なさから話しかけるのを躊躇ってしまう。

 教育係初めてだって言ってたし、もしかして年下すぎる私に話しかけるのが嫌なのかも?

でもいつもノートで何かチェックとかして、みんなの体調を気にしたり、キッチンとの伝達も抜かりない。

 責任感が強く、水色のスカートにかける想いもきっと強いアリスさんだ。


 もしかしたら、こっちから相談すれば喜んでるくれるかもしれない。


 予想は的中した。


「アリスさん、相談いいですか?」

と思い切って話しかけると、うっとりするような美人の顔を少し緩めてくれ、多分、だけど嬉しそうにしてくれた。

 その顔を見て私も嬉しくなった。


 歌う前のおしゃべりをどういう風にすればいいのか質問してみる。

「私も喋るの苦手で、そこがすごく大変だったな。

ここにきてからギターを始めたんだけど、弾き語りが出来るようになるまで練習することより、話すことのほうが苦痛だった。ましろとかすごいよね、内容全然面白くないのによく喋る」

 ふふっと静かに笑う。


“美人”の上に”可愛らしい“を加えて頭のデータを更新した。

この人は本当にここでの時間を大切に思っている。


「ギターを持って出るようになってから心強くなったな。居場所の無い手の、落ち着いて良い位置を作ってくれてるみたいで。昨日はあの曲練習したけど上手くいかなかったからまた今度ね。みたいなどうでもいい独り言でもいっか、って思えるようになった。多分、よくないんだろうけど」

 アリスさんの笑顔は内容を聞き逃すくらい美しい。


「でも、本当に何でもないことでいいんじゃないかな。夕陽が綺麗だったとか、雨で髪がまとまらないとか」

 "日々の何でもない事を拾って、人に話すこととして覚えておく"ってことを意識するようにしていると言った。


「それでいいんじゃないかなーって思って。そんな毎日何か起こるわけないじゃない?夕陽が綺麗だと思った自分を知ってもらう、とか。雨の日は嫌いなんだなーって思ってもらうというか。いや、あくまで私の考え方だからね。とりあえずそれを積み重ねてみて、みこちゃんはみこちゃんの答えに辿り着いたらいいんじゃないかな」


 まだ何者でもない私を知ってもらう。

進化することを楽しみにしてもらえるか、

期待を持ってもらえず飽きられるか。

 そういうことだろう。

 なんでもやってみるしかない。



 助言をもらった日から2日後のステージ直後、肩を落とす私にアリスさんが声をかけてくれた。


「みこちゃん!頑張ったじゃん!」

「アリスさん!さいあくですよぉ」


 MCでここに来る途中の電車でうとうとして3駅乗り過ごした話をした。

 しかし、いつも早めに着く電車に乗るので全然遅刻しなかった。そのせいでオチが無かった。

 話し始めたはいいが途中で着地点がなかったことに気付いて、焦って、変な感じで誤魔化して歌い始めた。

「あー悔しい。何でシュミレーションせずに見切り発車しちゃったんだろう」

「それで良かったんじゃない?」


 ダメ出しを期待したが違った。

「何か成すには絶対に悔しい思いをしなきゃダメ。向上しない。それに、さっきの話のオチはそのまんまでいいじゃん。いつも早めの電車に乗るので、遅刻してアリスにめちゃくちゃ怒られたー!とか、練習出来てませんー!っていうオチはありません!

以上!みたいな感じで」


アリスさんはあははと笑っている。

納得できたような、なんだか無責任なような。

 でも、そうだ、これも上手く繰ればアリスさんとのエピソードとして次のMCで話せるネタになる。

 アリスさんにありがとうございます!と言うとやたら真剣な顔の私にびっくりしてから嬉しそうに笑顔をくれた。



 そうして何度かステージをこなすうちに上手く話せるようになってきた気がする。

 歌詞を間違えて泣きたいほど悔しくなったり、自信のない曲では声が震えたけど、水色のスカートで過ごす時間はとても楽しかった。



 金曜日に水色のスカートに出勤した帰り。

 週末を迎えるウキウキ感と、今日のステージは自分なりに上手くいった、という満足感でおかずとちょっと高いプリンを買って帰った。


 重力と暗さを無視出来たのに、自宅の玄関ドアを開けるととても嫌な気配を出して大きなおばけがじっとりとこちらを向いていた。

 居る。

 母のヒールが並べられずに脱ぎ捨てられている。

 リビングに続く廊下にばらばらとバックや服が落ちている。


 ゆっくり拾い進みながら、罠にかかろうとしている小動物が自分に重なった。


「あー!あぁーちゃあーん!おかえりぃー!」


 抱きついてくる。

テーブルに並ぶ缶や瓶。お酒臭い、相当呑んでいる。

 ただいま。と顔を背け、ゆっくり腕を離そうとすると

「なんだよ!!!」

と思いっきり突き飛ばされた。


 転けずに耐えれたが、びっくりしてバッグと買い物袋を落としてしまった。

「あいつも!」

私の夜ご飯。割引シールの貼られたひじきの煮物と鯖の塩焼きが喚き声と共に床に叩きつけられた。

「お前も!!」

レジ袋からこぼれ落ちたプリンが彼女の手から私の横を通り、後ろの壁に向かって飛んでいった。

「そうやってみんな私を無視して嫌って見放すんだぁぁああ!!うわぁああん」


プリンは蓋が弾け、中身が壁に散った。

 あぁ。楽しみにしてたのに。

 喉の奥が詰まる。なんとか熱さを飲み込んだ。


 泣き伏せる女を無視してレンジで温めた冷凍ご飯にお茶をかけ、食品トレーの中で崩れたおかずと一緒にキッチンに立ったまま飲むようにかき込んだ。口の中を鯖の骨が刺す。

 使った食器を洗う頃には女はそのまま眠っていた。

彼女に薄いブランケットをかけ、お風呂場へそっと向かう。

 

 シャワーでシャンプーの泡と涙を流し落とした。

プリンは結局食べられないまま、拭き取ったティッシュと一緒にゴミ箱に捨てた。

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