第2話 あいか
そろそろ5限目が始まろうとしている昼休み。
学校という建物はもれなく風通しがいいものなのだろうか。
蝶のようにひらひらと飛ぶカーテンと、柔らかな午後の太陽が眠れ眠れと催眠術をかけてくる。
「あいか。コンカフェで働きたいって言ってたよね?」
机に乗せた頭の高さに目線を合わせ、学校の売店で買ったメロンパン片手に話しかけてきたのは隣のクラスの咲良だった。
同じアニメが好きだという共通点もあって、いつからか2人は“とても仲の良い友達”になっていた。
「え、私もメロンパン食べたい」
身体を起こして、言葉より先に甘くて美味しそうなそれに喰いつくと、半分に千切ってくれた。
半分もくれるの?と喜びながらも、咲良がそんな風に優しいということはもう知っている。
うん、お弁当も食べたし。とメロンパンを私の目の前に差し出しながら
「私、実はコンカフェで働き始めたんだけどあいかも一緒にどうかなって」
と言った。
かじったメロンパンを急いで数回だけ咀嚼し、まだ喉を通すには大きいままのそれを無理矢理飲み込んでから
「え、まじ!?働く!!!」
と即答した。
コンセプトカフェで働いてみたい、と咲良に話したのは、彼女が自分と違って落ち着いたお姉さんに見えたのと、なにより聞き上手だったからだろう。
アニメの話や家族の話、咲良にはなんでも話せた。
何を言っても否定をしたり、鬱陶しいアドバイスじみた事を言ったりしてこなかった。
どうでも良いことを、さも人生の終わりだというように嘆いて、励ましあって、なんだかんだで元気になって、騒いで。
ちょっとカッコいいかも、と思った男子のことを『気になるんだよね』と言ってみる。
そんな『青春』をなぞってみるが、頭の斜め上に浮いているもう1人の自分が「しょうもな」と言いながらいつも見ていた。
でも、なぜか咲良と2人でいるときには、俯瞰して悪態を吐いてくる自分がいないことに気付いた。
出逢ってまだ短いが、信頼していい、と知らせてくれているのだと思った。
『コンセプトカフェ』
という言葉が世間では何となく良いイメージでは無いということはわかっていたから、興味があるということを他の人には言っていない。
咲良も同じなのだろう、働き始めて1ヶ月ほど経つらしいのに、今日まで「家の近くの飲食店でバイトしてる」と濁されてきた。
それでも非現実的な場所で、自分でない自分を作りながらバイト出来る、というのは私にはとても魅力的だった。背徳感が好奇心をぞわぞわと撫でる。
きっかけは咲良のダンスを観た『水原まなさん』が働かないかとスカウトしてくれたことからだという。
私にはふざけてしか踊って見せてくれないが、お声がかかる、ということは相当才能があるのだろう。羨ましい。
『水色のスカート』というそのコンセプトカフェは水原まなという元アイドルが5、6年位前にオープンした。ということだけ聞かされ、数日後、咲良について行って直接話を聞くこととなった。
古着屋やアクセサリーショップ、お洒落なカフェや話題の雑貨店が立ち並ぶエリアの地下一階にある。
「へえ、ここなんだ」
地下アイドルっていうけど本当に地下にあるんだ。緊張を誤魔化すようにどうでもいいことを思ってみる。
アスファルトの道から数歩建物に入る。
階段を進むとヒンヤリと空気が変わる。
地上の雑踏も届きそうにない秘められた世界に足を踏み入れるようで、一段一段降りるごと胸が高鳴っていく。
目の前に現れた『水色のスカート』の重い扉を咲良が開くと、淡くて明るいホワイトベージュの壁に、木製の椅子とテーブルが何台かある少し狭い店内でピンクの頭をした女性がパソコン作業をしていた。
「まなさん、こんにちは」
と咲良が大きめに声をかけると、こちらに気付いてイヤフォンを外し
「あ!咲良!と、あいかちゃん!来てくれてありがとー!なんか飲む?!」
と明るい声でパタパタと動き始めた。
襟が大きめの白いブラウスにAラインの深緑のロングスカート。
そして頭がピンク。
若くもないが、おばさんでもない。年齢不詳。
だけど“やり手”ってやつだ。きっと。
だってなんか、格好良いもん。
出してくれたオレンジジュースを飲みながら、2人がけの卓に椅子を寄せて3人で座り『水色のスカート』がどういうところであるかを話してくれた。
現在キャストとして在籍しているのは13名程。
従業員のことを“キャスト”と呼ぶらしい。
それぞれがアイドルや声優、表舞台を目指しながらここで沢山の事を試し、経験し、育っていく場所。
『仕事』は飲食店としてのホール業務や物品販売そして
店内のステージでキャストが歌やダンスを披露すること。
え、えっと、私もステージするの?
思い出したように店内を見まわし、振り返ってみるとたくさんの荷物が乗っている小上がりがある。あれがステージ。
咲良がダンスで誘われて働いているというのでステージがあるタイプのコンカフェだとは分かっていたが、あれ、私も歌ったりするのか?
『まじ?私なんもできないよ?』と言う視線を咲良に送ったが、目が合う事はなかった。
うそでしょ。
あとは多分お店の流れとか時給のこととかを話してくれていたけど、私ができる“パフォーマンス”ってなんだという問いがぐるぐるまわっていて、何を聞いたか忘れた。
帰りの電車に乗ったときにやっと咲良を詰める。
「私もステージするなんて聞いてないんだけど」
「え、働く人みんなするもんじゃないの?」
ああ、ちゃんと聞いておけば良かった。
何の特技もない自分は、可愛い制服を着て接客や配膳をするだけだと勝手に思い込んでいた。
「まあ、あいかは歌上手いからうたえばいいじゃん。アニソンがいいなあー」
咲良は何が問題なのかわからないという顔でしれっといいやがった。何を想像しているのか、ニヤニヤしてるようにも見える。
水原さんは私に合格や、不合格を伝える事なく
「ここで働きたいと思ってくれるなら今週末来てほしい」と言ってくれた。
「ステージはやらないといけないんですか?」と聞くと「もちろん、やってもらうよ」と満面の笑みで即答されてしまった。
人前で歌う覚悟を固めるにはもうちょっと時間が欲しいが、断るという選択肢は無かった。
可愛いが詰まった制服、空間。交通費が貰えて近所より少し高めの時給。
「うううー人前で歌えるかなー緊張するー声震えるよー」
歌うことに自信がない訳ではないが。もう想像で緊張して声が震えている。
「あいかは大丈夫だよ。」
はあ。何がだよ。
ステージをさせてもらえるようになったら歌詞を見ずに歌えるようにならなきゃいけないんだよ?
歌はカラオケに行くと周りから褒められるのでまあまあ自信があるけど。
何を唄おうかな。好きな曲でいいのか?みんなが知っているような曲がいいのかな。
そうだ、働く時に本名と違う名前をつけてもいいと言われた。それも考えよう。
見せてくれたあの水色のワンピースは私に似合うだろうか。
どんな髪型しようかな、靴下は白が良さそうだ。
段々とわくわくする想像が不安を薄めていき、
今から大嫌いな家に帰るという現実も和らげてくれた。
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