水色のスカート
羽守七つ
第1話 咲良
「すごく、いいね。」
桜色やパステルカラーの装飾と、先に待っている光溢れた暖かい季節への期待で、買い物客の気持ちも一層華やいでいるような雰囲気がフロア中に漂っていた。
その女性が初めて話しかけてくれたのは、そんなちらほらと春を意識させるアイテムが出始めるショピングモール。
一階のイベントスペースで行われたそこまで大きくないダンスコンテストで、ジャッジ賞を獲った時だった。
今まで挑戦したコンテスト会場でも見かけたことがあるピンクの髪。きょうはベージュのトレンチコートを羽織っている。
舞台上で踊っている時にも目を引いたその人は「上手いね」でも「カッコ良かった」でもなく「いい」と言った。
この人と、賞をくれたジャッジ1人の心には刺さったかもしれない。でも、いつも順位がつかない事に私はモヤモヤしていた。
小学2年生の頃からHIPHOPダンスを習い始め、中学生からはチームで活動し、たくさんの大会で準優勝や優勝を獲っていた。
エントリーに名前があると明らかに私たちを確認して、ヒソヒソとライバル視される。謙遜しながらも誇りだった。
自分の一つ年下から一つ年上の、女子5人のチーム。同じ先生のクラスで、ある意味ライバル同士の寄せ集めだった私たちは、例外なく、みんな仲良し!とはいえなかった。
持ち物、服装、髪型、ダンスへの知識や情熱。様々なものでマウントを取り合うくせに、遊びや話しの仲間に入れないと分かりやすく機嫌を損ねる年頃の女の子。
それを面倒だと思っていても、結果が出せるものだから抜けるにも抜けられない。
他のメンバーがどう思っていたかは知らないが、自分は割り切って上手く立ち回っていた。
一つ年上の子が「高校生になるタイミングで抜けようと思っている。」ともっともらしい理由をつけてチームを去った頃、ジェンガのバランスが崩れるようにチームは解散に至った。
それからは誰かと組んでチーム仲という下らない理由で心をすり減らして戦うより、一人で自由にやっていこうとソロコンテストに出るようになった。
戦い方は全く違った。
持ち時間全て私だけに視線が集中し、1カウントも気が抜けない。
見せ方も表情も、その日のコンディションも、背負う雰囲気も、自分だけの責任。
賞は獲れなかったけど良くできた。という自分勝手な満足も、出し切れなかった辛さも1人だけのもの。
何より、結果が出ない。
いつからか踊ることが楽しく無くなってきた。
立ち位置がどうとか、ソロパートの多さなんかによるいざこざはあったけど、今回の衣装かっこいいよね、とか、レッスンシューズお揃いにしようよとか。
同じ方向を向いた仲間と泣き、笑い、自分たちにしか味わえない感情を共有出来る。
辛くなると良いことだけ思い出してしまう。
中学校を卒業したらダンスを辞めよう。
今回はそう思ってエントリーした最後のコンテストだった。
ソロになった頃くらいから、ちょくちょく大会会場で見かけるようになったピンクの髪の毛のその人は
「もうすぐ卒業だよね?」
と続けた。
「え、あ。」
話しかけられたことと、自分の年齢を知っていることにびっくりして、その人の目を見ながら頭を軽く縦に動かした。
「高校生になったらうちでアルバイトしない?」
アルバイト?
唐突すぎて意味がわからなかった。
ダンスのインストラクターにでも誘ってくれているのだろうか。
こんな結果も出していない子どもに?まさか。
「ごめんごめん!怖いよね!いきなり」
可愛らしい笑顔で、でもいわゆる”おばちゃん“のような手振りをしながら笑った。苦笑いで答える。
さっきまでコンテストで賑わっていたこのイベントスペースでは着々と片付けが進んでいて、衣装を着た出場者たちもパラパラとその場をあとにしている。
どう反応して良いかわからず、そんな周囲の様子と目の前のピンクの人とを交互に目に映す。
「これ、私のSNSアカウント。気になったらメッセージ下さい。」
準備していたのだろう。何の無駄な動きもなくスッと小さな紙を差し出した。
水色のスカート
水原まな
淡い水色に白で箔押しされた名刺にはいくつかのSNSのアカウント名と携帯番号が並んでいる。
「水色のスカート……」
店名?なんか、怪しくない?
眉間に深い皺が寄りそうになるのに気付き、慌ててまばたきで消した。
目だけを水原さんに戻す。
さっきとは違う。口元だけは微笑んでいるが、力のこもった目で私を見て言った。
「まってる。さくらちゃん。」
「じゃあね」と言って軽く手を振り、休日を過ごすファミリーや、コーヒーショップの新作を手に持つ女子高生たちの間に消えて行った。
誰彼構わず、ではない。
順位を取れない踊りを一人、舞台上でもがき動いているさくらという名の『わたし』を認知してくれている。
きょう踊っていただけの私を見て、何気に声をかけてきたわけではないことを知った。
まさか、私を観に来ていたのだろうか。
『先に帰ります』と母からのメッセージを確認し、目的もなくコスメショップに入る。
商品を手に取ってみるが、字を追っているだけで脳は何も働いていなかった。
無意識に手にしていたのはポップに“春の新色・初恋ピンク”と書かれていたアイシャドウ。
最後だ、と決めたコンテストの結果より“水原まな”のことが頭の大部分を占めていた。
帰りの電車のなか
「咲良です。先ほどはありがとうございました」
とだけ自分の連絡先を知らせるメッセージを送った。
なぜか無視できなかった大人の人からの誘い。
送ったことに少しの後悔と、何かが始まるかもしれない期待に、ドキドキしていた。
無事高校に進学したゴールデンウィーク最終日。
新しく友達になった子たちの“連休の思い出”投稿を流し見していると
「高校入学おめでとう!たくさん楽しんでね!」
と交換したSNSのメッセージに水原さんから遅いお祝いの挨拶が届いた。
「ありがとうございます」
と返信してベッドに寝転んだままヘッドボードに携帯を置く。
ファン、とまたすぐにその人からのメッセージが通知音を鳴らした。
身体を起こして確認する。
「ダンスは続けてるの?」
どう返そう。
だらけていた脳が思考を始めた。
日常会話程度の返事であればこの速度の流れのまま「はい」だけで済むが、あの時、あの場であったこの人は、その事を詳しく聞きたいはずだ。
「レッスンは週一回程度に減らしました」
中学生まで自分の大部分を占めていたストリートダンス。
結局全て無くしてしまう勇気が無かった。
何かにすがるような、自分の中の何かを探したいような、週に一度のレッスン時間80分。
髪を引きずる未練の時間をまだ私は棄てられないでいる。
「そっか、ちょっとでもやってくれててよかった。
バイトの話、改めてしたいんだけど会えないかな?」
まだそう思ってくれているんだ。
そろそろバイトを始めようと思っていたし、何よりなぜこの人はこんな私を誘うのだろう。ということが知りたくて会う事にした。
週末の昼に指定されて向かったのは繁華街の地下へ続く階段の前。
流行りのファッションや写真映えするスイーツがいち早く集まるエリアなので友達とよく来るのだが、少しだけ中心から外れたこの通りにある、気にしたこともなかった建物。
今日までの間、『水色のスカート』のことを軽くホームページやSNSの発信で見てみた。
メイドを意識させる膝丈までの水色のワンピースを着て微笑む女の子たちの写真。
可愛さをアピールする写真に、数秒の動画で流行りの曲を踊る動画。
アイドルの曲やアニメソングを唄うワンコーラスの切り抜き。
店内で開催されるイベント情報。
ステージのあるコンセプトカフェ。
水色のスカート。
興味と恐怖のどきどきで目の前の階段を降りる足が進まない。
アルバイトってもしかして私もアレをやるってこと?
怖いな、ここの地下だよね?
なんかやばそうじゃない?
やっぱり、行くのやめようかな。
とにかくあんな“カワイイ”世界に、何で、私?
戸惑っていると急に後ろから「咲良ちゃん!」と声をかけられて「ヒ」と咽喉が鳴った。
「来てくれてありがとうねー!とりあえず入ってよー!」
心臓をバクバクさせる私の横を過ぎ、前を行くピンクの頭。
あー、もう戻れない!着いていくしか無い。
「よし」と心の中で覚悟を決め、水原さんに続いて階段を降りた。
十数段の階段を下りきるとアンティーク調の木製扉が待っていた。
重そうにその防音扉を開き、パチパチと部屋の電気を点けながらずんずん奥に入っていく。
白熱灯に浮かぶ、そう広くない店内に並ぶ2人掛けのテーブル6台とカウンター席5席。
そして小さなステージ。
「最近コンテスト出てないの?」
キッチンに入って冷蔵庫を開ける。
流れるように動きと言葉を繰り出す。
「あ。はい」
どうすれば良いのかわからず、一歩店内に踏み入れたところで立ち止まっていると
「ここ、どうぞ」と小さな紙パックのオレンジジュースを出して椅子に座るよう促してくれ、「換気ー」と言って店舗のドアを全開にしてストッパーをかませてくれた。
その行動に身体の硬さが少し緩んだ。
「またコンテスト挑戦するの?」
着席するかしないかのタイミングで話を続ける。
「……いえ。今は、考えていません」
「そっかー、頑張ってたもんね。ちょっと休憩だね」
私の緊張を解くように微笑んだ。
休憩
そんなんじゃないんです。
辞めるための納得したい理由を探しているんです。
中身が飛び出ないように慎重にストローを紙パックに刺す。
「じゃあさ、その間だけでもでいい。咲良ちゃんがまた真剣にコンテストに挑戦したいって思えるまでの間、ここのメンバーになって欲しいんだ」
働いて欲しい。ではなく、メンバーになって欲しいと言った。
「メンバー……?ですか」
離れたかった、求めていた言葉。
「うん。ここはね、まあ、主にアイドルを目指す女の子が働いてる」
「お店のアカウントで見ました。私、そんなカワイイアイドルとかになりたいと思っていませんし。歌えないし、ダンスのジャンルもストリートなのでここの雰囲気とは全然違います」
コンテストを観に来ていたのならわかっているはずだが。ここは私が来る場所ではない。
「でもね、アイドルを目指す子ばかりじゃないんだ」
そういってテーブルに置いてあったパソコンを開き、カタカタと操作した後、画面をこちらに向けた。
何度か見た水色のスカートのホームページ。
“キャスト”にカーソルをあわせてクリックすると10人くらいの女の子達の写真が並んだ。
「この辺はまあーアイドルとか目指してる子たちね」
見た目はそれぞれ。特に可愛い人も居れば、美人な人、そうではない人。私より相当お姉さんといえるような人も。
「この子は声優になるために頑張ってて、この子は役者目指してる。劇団に入りながらバイトしてて、ここのステージでは短い一人芝居とか朗読とかしてる」
「……へえ」
テーブルに両手をついて覗き込んだ。
「この子はね、ふふっ、ステージでマジックもやってくれてる。すっごいの!でも全然タネ教えてくれない」
楽しそうに話す。
「でー、そうね、この子には機械系も任せてる。お店から配信とかもするんだけど、私そういうの疎くて。こっちの子は大学生。自分の生き方見つけたくてここ来たいって言ってくれたの。写真は載ってないけど、キッチンの子とか、衣装作ってくれてる子もいるよ」
それでそれでと愛おしそうに写真を指さし、一人一人の事を思い浮かべながら話していく水原まなをいつの間にか見ていた。
パソコンの画面から目を離した水原さんとパチっと目が合った。
「だからアイドル目指してほしいとか、咲良に何をして欲しいとかじゃないの」
いつの間にか呼び捨てだったが、なんだか嬉しい気持ちになった。
この画面の中の人たちのように愛おしい対象に入れてもらえて、こんなふうに自分のことを話してくれるのかな、なんて。
気になっていたことを訊く。
「まなさんはいつから私のことを見てたんですか?あの声をかけてくれたショッピングセンターの時が初めてじゃないですよね?」
何度か見たそのピンクの髪。
家族か知り合いが出場者の応援をしに来ているのだと思っていた。
「そうだね、ダンスだけじゃなくて色んな“現場”に行くようにしてる。生の空気感は画面越しじゃ感じられないからね。咲良をちゃんと意識して見始めるようになったのはまだチームで活動してる時だったかな。キャストの子に連れて行ってもらったの」
驚いた、そんな前から。
「中学生だったよね。チームの中でも一番目を惹いたな。自分をみて!っていうオーラをバシバシ感じて、動きが大きいのに綺麗で。何より本当に楽しそうでキラキラしてた。だけど、いつの間にか一人になってて、なんか雰囲気も変わった。んー、落ち着いた、っていうか……」
言葉を選んでくれているが、言いたいことはわかる。
勢いが消えた。やる気が見えなくなった。きっとそんなところだろう。
ダンスを専門的にしていて見極める役でもない人にも、そう思わせてしまっていたんだ。
そんなに心情が漏れていたのなら入賞しなくて当たり前だな。
「そうですか」
じゃあなぜ?と誘われた理由を続けて聞きたかったが、傷付きたくなくて勇気が出なかった。
情熱がなくなってしまった自分にとって、前向きで気を遣ったフォローは無意味だ。
「あの、もし、ここでバイトするってなった場合私は何をすれば……」
そんないまの私がここで何をするのだろう。
きっとこの人が求めているキラキラした人材とは真逆だ。
落ち目真っ只中の自分が、その優しい瞳に映る為に期待されることは何だろう。
「今できることとか、少しでもやりたいと思っていることを悩みながらでもここで見つけたり、見つけた事を育ててくれればいいの。ここじゃない、と思ったら辞めればいい」
意味がわからなかった。
その理由でわざわざスカウトされる程の。
「“私”をここに入れて何か水原さんが得することがあるんですか?だって私は有名なダンサーでもないし、可愛くもないし愛嬌もありません。誰かが私を見たいと言ってくれるとは思えません。」
人と喋る事は得意ではない。
でも今、この人は、私のことを聞きたがっている。そのことに対して遠慮や要らない気遣いは必要ない。
真剣に聞きたいことをきいて、言いたいことを言いたい。一瞬でそうさせる人だった。
「自信なさすぎだね。何言ってんの、私がたくさん会場で観てきた中で咲良を選んだんだよ?」
「でも多くの人はそうは思っていません。たくさんの票を獲って、順位に入ることができない。自信のない表現は誰の心にも刺さりません」
自分の口からそう言えてしまえると思うと悲しくなる。が、自己評価はズレていないはずだ。
「私はね、たくさんの事を学ぼうとしていたり、知りたがったり。やっと見つけた夢に向かって突っ走っていたり悩んだり迷ったり。そんな子に震えるくらいの魅力を感じるの。他には、」
目を合わせて続ける。
「咲良みたいに、自分の居場所をもがき苦しみながら探していたり。」
ばれているのかとドキッとした。
たった数回、たった数分のダンスを観ただけで?
次第に、勝手に分析するな、という苛立ちが湧く。
「少しでもその子たちの力になりたいの。学ぶ場所や自信をつけていく場所、自分が輝けるんだっていう場所を見つけることに関わりたい。お節介だよね」
その通り。お節介。綺麗事。
この人がわかってもらおうと話せば話すほどイライラする。結局、見せ物にしてお金儲けに使いたいってことでしょ。
「その過程を“楽しみたい”ということですか?なんか、悪趣味じゃありませんか?」
自分が苦しんでいることを楽しまれているようで腹が立つ。
「そうだよね。でも多くの大人になってしまった人達は自分ではもう経験出来なかったりするんだ。全力でもがいたり、間違いかもしれない方向に進むこと。経験値から安全でできるだけ傷つかない方を選ぶ。コンテストに出る子供たちをみて、自分も熱くなってるお母さんたちもキラキラしてるって思った。その子にダンスを教えている先生も。誰かを素直に応援できて自分の夢にもなる、その子に力をもらって活力になる。あなたたちは生きてくれているだけでこの世界を明るくしてくれると思ってる」
推し活、ってやつか。理解は出来るが。
残念だがそんなこと、こっちは知ったことではない。勝手に誰かの夢を乗せられても迷惑だ。
自分のことさえ重いのに、誰かの想いを背負うなんてまっぴらごめんです。
「私は有名になろうとか、ダンスで生きていきたいとかそんな立派な夢はありません。高校を卒業したら、なにも考えずに行ける程度の大学生になります。その辺の小さい会社とかでただの事務員とかになるかもしれません。もしかしてダラダラ短時間のバイトだけして生きるかも。期待されたハッピーエンドは無いと思います。応援してもらっても困ります!」
ムキになっていることに気付く。
同時に今、私は、だれに怒りを向けているんだろう。熱い内臓に小さな氷が滑り落ちた。
「いいんだよ。間違えたり、迷ったりして。ハッピーエンドなんか用意しなくていい。こっちだって望んで無い。そんなのはテレビに毎日映るアイドルになりたい子や、ドーム目指すぞっていうバンドマンに任せとけばいいの。どうなるかわからない、ここに来る人に、お隣のお嬢さんを見護る様な気持ちになって欲しいと思ったら咲良を選んでた。私がみたいもの、応援したいことはみんなも見たいものだって自信がある」
自信。そして、あまりにも強くぶつけてくるエネルギーに噛み付く牙を削がれていく。
こんなにも理路整然とした自分の思いと熱意で攻撃された私の幼稚な言い訳たちは、自分の弱さを知って腕を振り回すのをやめた。
この人は子どもがいるのだろうか。
なぜかそう思った。母性の様な思いを受け取ったからかもしれない。
「……まなさんは、育てるのが好きなんですか?」
自分ではズレているとは思わなかったが、突飛な質問だったのかまなさんは一瞬きょとんとした。
「えっと、んー。育てるってのはおこがましいな。見せてもらってるだけ。だって本当に子供を育てている人たちの足元にも及ばない。咲良のお母さんの咲良への気持ちとは全然比べ物にならない」
子どもは居ないのか。では“母の気持ち”とは、想像としてということ?
「えっと、もしかして母と話したんですか?」
「うん。咲良と連絡先交換したじゃない?あの日会場に居たお母さんとも交換して、今までずっと連絡とってたの」
「え」
知らなかった。
今日もバイトの面接に行ってくるといっただけで、母とは『水色のスカート』の話はしていない。母も微塵もそんな素振り見せてこなかった。
だって……
「だって大切なお嬢さんを預かるわけでしょ?こんな訳わかんないとこで」
笑いながら言った。
「……そうですね」
“コンカフェでバイト”は、正直少し言いにくい。
いや、少し、でもない。
「最初はすっごく怪しんでたよ。たくさん質問も受けたし。実際の営業時間にも来てもらってステージも見てもらった」
「わざわざ?すみません」
申し訳なさがさっきまでの水原まなへの怒りを塗り替えた。
きっと失礼なこともたくさん訊いただろう。
「ううん。ダンスの大会で咲良をみてるお母さんの事もみてたから私。心配しながら応援してて、咲良を信じて、息を止めてるのかなって思うくらい真剣に動画を撮ってる姿。たまに小さく頷いたり、笑顔になったり、眉間に皺を寄せて唇を噛んだり。咲良の感情が乗り移ってるみたいだった。踊ってる咲良が本当に大好きなんだなってすごく感じたよ。だから私もたくさん話した。ここへの思い。お母さんにも、安心して水色のスカートのステージに立つ咲良を応援して欲しかったの」
想像できる母の姿。思い。
ここに来るまで私に何も言わなかったのも、母の気持ちを先入観として私に与えたくなかったからだろう。
「言ってたよ。咲良は小さい時から色んなことと戦って自分でちゃんと決断してきたから、あの子が決めることなら応援します。って」
母には迷惑をかけてきたと思う。
小学校に入ってからダンスを始めて、あの先生のレッスンを受けたいといえばレッスン料を出してくれ、週に何度もあるレッスンの送り迎えや、他県でコンテストがあるとなれば何時間も車を運転してくれた。
次のコンテストはあの子よりいい位置に選ばれたいから練習したい、といえば貸しスタジオをとってくれたし、チームのメンバーと揉めれば母に当たる私を、上手く踊れないと泣きわめく私を、いつも受け止めてくれた。
先生と連絡を取り合ったり、母の性格上本当は行きたく無いであろう、チームのお母さんたちとの懇親会に行き、次はいつ、どこの大会があるかスケジュールを組む。
そして、私が選んだことに何も言わない。
今の、私の現状に対しても。
なのに、そんなにも信じて尽くしてくれているのに
私は今、腐っている。
「私なんかじゃ咲良のお母さんの思いと比較できる立場じゃないけど、私も咲良が咲良であるために力になりたいの。他人の私がそう思うくらいの魅力が貴方にあるって私は思った」
目の前に母がいるような気がした。
実際そう思ってくれているかはわからないが、母の私に対する愛情を代弁しているのではないかと。
「そんな。そんな思いに応えられる自信ないです。私は。そんなに思ってくれるほど私凄くないんです。水原さんみたいにこんなお店開くとか、色々成功してる、凄い人に期待してもらっても、重いです」
また怖くなる。キッパリと力を持って拒絶した。
だってもう、自分にがっかりするのは、しんどい。
「無理です。」
途切れ途切れ絞り出した声は壁に吸われ、静かになった地下の飲食店の店内。
私とまなさん。
静寂が自分の熱さを知らせる。
ゆっくりと水原さんが口を開く。
「貴方は今、私のことを凄い人って言ってくれたよね?でもそれはほんの小さな世界だけのことなの。
今、この店の上を歩いているほとんどの人は私のことなんて知らない」
水原さんは携帯を取り出して動画を再生した。
画面に映ったのは、私だ。
もう反省しても意味がなかったので、見ていなかった最後のコンテストで踊っている私の動画。
「ほら、ここの音と表情がリンクしてる。」
響く重低音を感じて前を睨む私。
「私、ここが好きなの!」
転調するタイミングで爆発するように弾く胸。
私も、好き。
違う、もっとここは低く……
一緒に画面を観ながら勝手に動いてしまいそうになっている自分にハッとして恥ずかしくなった。
力を込めて身体を止める。
踊りたいと、身体が言った。
それに気付いたまなさんが優しく微笑む。
「貴方はまだみんなが知らない世界をここのメンバーに、ここにくるお客さんに開いて、そして素晴らしいものをきっと教えてくれる。」
そうなのだろうか。
そう思ってもいいのだろうか。
貴方の言うことを、素直に受け取ってもいいの?
「ほら、最後。笑ってる。」
やりきった笑顔。知らなかった。
いつも一人で反省するために動画を見ていたからこんなところまで見ない。
ひとりでもちゃんと『楽しい』と笑えていたんだ。
こんな私を、こんなにも強く欲しいと言ってくれる人がこの先どれくらいいるだろう。
いないかもしれない。そんな人に迷惑をかけるかもしれない、失望させるかもしない。
でも自分を信じる力が欲しい。
この人のもとで、私は私を知りたい。
水原まなに、自己中心的に甘えてみたい。
帰って母に言おう。
これまでたくさん、たくさんありがとうと。
もう一度ダンスが楽しくて仕方ないと言える私になりたいと。
次はきちんと誰かを、自分を、おもって踊ってみたい。
「……まなさん。」
再生し終わった携帯の画面が暗くなる。小さな四角、黒の中に映る自分に言う。
「私、頑張ってみたいです。」
まなさんがこちらに目を向けたのを確認して目をあわせる。
「迷惑かけると思いますけど。よろしくお願いします。」
深く下げた頭を戻すと緩んだまなさんの表情があった。
「ありがとう、咲良。よろしくね」
ぎゅっと握手をしてきたまなさんの両手に負けないように、私も力を込めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます