第18話 お受験族の反乱
佐世保から岸和田へ。五人の佐世保っ子が佐世保・岸和田っ子になって早、一カ月余りが経ってしまった。ヤングのコミュニティは未熟や行過ぎた潔癖ゆえに、ともすれば崩壊の危機にさらされるが、ここ奥村ファミリーにいたってはノー・プロブレムであった。転入攻略に威力を発揮したファミリーなのだ。その意思形成過程はまさに民主主義の学校を地で行くもので、議論百出→討論→説得→妥協、の流れが確立していた。少々の軋轢が生じても、おばあちゃんの笑顔で雲散霧消であった。千加子も調停役に打ってつけだった。ヤングの最年長で、半年後の大学受験。遊び呆けるわけにはいかなかった。
「共同生活にはルールが必要だからサ、ルールを作っとこうよ」
始業式の翌日、皆をゲストルームに集め、五ヶ条の御誓文よろしく、五ヶ条の誓約を作ってしまった。
一、友達を呼ぶのは、日曜日の四時から六時に限る
二、門限は原則として十時。遅くなるときは、家族の承諾をもらうこと
三、掃除、買い物等、各自役割りを分担し、厳守すること
四、成績はクラスで十番以内に入ること。落ちたときは次のテストまで、トイレと 風呂それに道路掃除も課する
五、男女交際は、応分の限度を守ること
「あのサ、第五条の〈応分の限度〉ってのは、どの程度なの?」
優一が真っ先に、曖昧な表現に疑問を呈する。
「それはサ、各自の常識にのっとって判断してもらうしかないけど、だいたい分かるでしょ」
千加子の答えは歯切れが悪い。
「何かサー、俺らにクギを刺してるようで、目ざわりなんだよなー、第五条」
優一が不満顔で、三人に支持を求める。
「ユウちゃん。千加子さんは自分に対する戒めとして、第五条ば設けたんやなかかしら」
のり子の出番到来なのだ。ヤンワリと、説得力満点スマイルで優一に千加子の意図を伝える。
「なーんだ。めがねハンサムの、木下武史君とおかしなことにならないよう、自分に対する戒めとして第五条を置いたのか。早く言ってよねー、俺、頭の回りが鈍いんだからサー。でも、のり子の今の説明でよく分かったから、俺、第五条に賛成、賛成、賛成!」
真っ赤な千加子をケタケタ笑いながら、優一が賛意を表明してからかう。
「異議なーし!」
のぞみにのり子、竜児も元気よく笑顔で追従した。
五ヶ条の誓約は共同生活の維持に絶大な威力を発揮したのは事実で、五人は刺激的だがトラブルことのない日々を送ってこれたのだった。
さて時は流れ、季節はうつろい、岸和田の秋、千加子の秋、キンチョー(緊張)の秋。学問の寂しさに堪え、深夜キミを想い、コーヒーをつぐ。ああ! われ、めの子。人の子、ここ(岸和田)の子、学びの子。キミの子、恋の子、ああ! 悶えの子、と言うほどのホントウにわくわくと悩ましい五人の夏から秋への季節のうつろいであった。が、しかし、印象深かった―――熱く燃えた夏の名残りも、初めて味わう勇壮な岸和田だんじり祭の前では、五人の意識の表面はおろか、深層からもぶっ飛んでしまった。岸和田だんじり祭では臨場感満点の、アクティブでドラマチックシーンが、これでもか、これでもかと襲い掛かって来て、五人はまさに参加型お祭りの醍醐味を味わわせてもらったのだった。
大屋根・小屋根二段で、木製コマ四つの4トン超の山車(だし)。この山車を曲がり角へ突入したまま、速度を落とさず方向転換する―――やりまわしの凄いこと、凄いこと。引き手も観客も掛け声と歓声に包まれ、エネルギーのるつぼと化してしまうのだ。
昼と好対照なのが、夕やみに包まれた灯入れ曳行で、山車を包む提灯が揺れながら進む様は、言い表しようのない風情が感じられるのだった。五人は、各町のだんじりを心行くまで追いかけ、この秋初めて、岸和田のだんじり祭りを堪能したのだった。
「岸和田のだんじり祭りを、いつかハウステンボスでやってみたいね」
のぞみのつぶやきが、岸城町へ戻る五人の胸に強く刻まれ、いつの日にか遂行されるプロジェクトとして生き続けるのであった。
さて、九月のカレンダーを完全に閉じてしまうと、さらば岸和田だんじり祭、ではないが、十月は転校生たちの新たな予定が目白押しであった。そう、奥村家の庭も伝統ある岸和田の街並みも、澄んだ―――チョッピリ寂しい秋の気配に包まれ始めた十月三日の日曜日。千加子を除く四人は、念願の金剛登山を実行に移したのだ。
河内平野の近くに住まって、かの楠木正成で有名な、金剛山に足跡をしるさずんば、中世の英雄に失礼というものであろう。のり子のチャリ免取得が計画の実行に拍車をかけたのはいうまでもなく、四人はツーリングのアミューズ満喫と郷土の英雄への敬意表明。二股かけの贅沢意図であった。
―――コケコッ、コー!
金剛山の麓、千早赤阪村の田園風景には似つかわしいが、岸和田市岸城町の朝は、
「皆さーん! 朝ですよー!」
早起きドリ優一の第一声で、午前六時に明ける。早起きは三文の徳とばかり、転入対策合宿メニューの起床時間を厳守しているのだ。
「オッケー!」
各部屋の応答は、今朝は元気溌らつ。各自、部屋を飛び出し、竜児はガレージでバイク点検。のぞみ・のり子はキッチンへ直行。残った優一はその他の雑務担当、いわゆる総務部員なのだ。
ツーリングの準備終了、ブレックファーストもなごやかに幕を閉じると、いざ! 出発! である。午前九時ジャスト、
「ブルルンッ!」
竜児の豪快なエンジン音につられ、
「トトトトトー!」
「タタタタター!」
「パタパタパタ!」
と、各自、軽快なエンジン音を庭に響かせる。
「いいなー! 私も行きたいんだけど、受験がねー。―――サヨウ! おジャリもすなるお受験というものを、ワラワもしてみんとて、‥‥‥日夜頑張っているんだけど、マッコト疲れんのよねー。‥‥‥ま、いいわサ。大学に受かってから行くから。合格したら、歩いて歩いて、歩きまくって、邪馬台国論争に終止符じゃー! そう、わらわが解決するのじゃ。金剛のトップ(頂上)で、トップ・オブ・ザ・ワールドと〈六甲おろし〉を歌うぞー!」
まったく訳の分からん雄叫びを上げると、千加子は正気に戻ってしまった。
「それじゃ、事故に遭わないよう気をつけて、楽しんでらっしゃい」
柿の木にもたれ、にこっと穏やかスマイルなのだ。羨ましきこと限りなく、ではあるが、ここは、ぐっ! ぐっと、我慢のしどころなのだ。気を取り直すと、笑顔で四人に手を振り後ろ姿を見送る―――お受験日記の作者、紀貫之ならぬ、土佐日記千加子であった。
「サヨウ。本当にサヨウ。ウツツでも疲れるのじゃが、空想ゲームワールドでもお受験族は悩みの種なのじゃ。明日香・卑弥呼ロードの最終―――に限りなく近い隘路に陣を張り、おジャリ兵を伏せているのでアリンス」
おっと! いきなり、いつものように空想ワールドへ突入ですか。ま、取り敢えず千加子司令官の戦略分析をうかがいましょ。東京虎ノ門・お受験塚に卑弥呼が眠ると主張してやまない、強敵お受験族撃破の秘策でしょうから。
「そう、その通りでアリンス。さて、ワラワの分析は以下のものでアリンス」
数十年前の、中国とベトナムの国境紛争。お受験族はこれに範を得て、中国側発表の、このチャイニーズ戦略を使おうというのだ。かのベトナム戦争でアメリカに勝利し、当時世界最強と謳われしベトナム軍。このベトナム軍を瞬く間に壊滅したと巷で語られている伝説の戦略。
「サヨウ、お受験族は中国人民軍の戦略を全くそのまま、真似て真似て、真似まくりー! サヨウ。何の芸もなく当てはめようというのでアリンス。しかも誤解に基づく分析であることからたちが悪い。何じゃ、その誤解上乗せ戦略は? と、お問いになれば、お教えいたしましょう。兵をつぎ込むのです。死んでも死んでも、累々たる屍(しかばね)を越えさせ、次から次へとつぎ込んで行く戦略なのです。無茶というなかれ。お受験族の雇われ戦略参謀は、民の肉体は近代兵器に勝るとの誤解をもった〈時代錯誤官僚・筋似君(きんにくん)〉であってみればが、致し方ないといえば、致し方のない戦略であるのです。
「ひぇー! そ、その話の流れからすると、お受験族も恐ろしき数のおジャリ兵をつぎ込んでくるというのですか、司令官」
「サヨウ。退役、ではなくて降格司令官ユウ殿。その通りなのじゃ」
「そ、そ、それでは、我らはいたいけなジャリンコ兵をすべて葬り去らねばならぬのでありましょうか?」
「落ち着きなされ、ユウ殿。声が上ずっておるぞえ。よく考えなされ。おジャリ兵を粗略にすれば、この国の未来が立ち行きませぬ。〈少子・高齢化暗雲〉が大口開けて行く手に立ち込めておるのじゃからして、総合的判断力が必要場面なのじゃ。要は、ここを使わねば、のう。―――そう、頭じゃ。このあたりがワラワとそこもとの根本的な差異でありまして、司令官交代の究極の理由なのじゃ」
結局、蟻のように迫り来るおジャリ兵撃破の秘策は、マインドコントロール解除であった。お受験要塞へ忍び込み、マインドタワーの中枢を破壊するのだ。
「のぞみ大尉のダーツが一番正確じゃからして、迷路塚を横切ってマインドタワーへ大尉を運び入れるのじゃ。敵兵はユウ殿、そこもとと竜児隊長、それにのり子中尉の得意技を使って撃退じゃ」
マインドタワーの外堀で無邪気に眠るおジャリ兵たちには手をつけず、千加子司令の下、五人は富士の樹海さながらの迷路塚を、抜き足差し足のつま先走りで突破し、タワー内で子作りに励む〈お受験族・狂ママ連隊〉を壊滅して行く。
「目に毒じゃからして、シルエット越しにターゲットを葬り去るのじゃ」
弾丸バレーボールにサッカーボール弾、ハヤブサブーメにミサイルキックが面白いようにターゲットに吸い込まれていく。
「あれー! 子種が! 子種がー!」
種馬族捕虜兵たちにすがり付き、絶叫しながら悶絶する狂ママ兵士を尻目に、五人はタワー内を突き進む。
「それっ! のぞみ大尉。あのメインタワーの目玉センサーを狙うのじゃ!」
千加子の的確な指示の下、のぞみがダーツ槍を日本のホープ北口榛花選手さながら、
「トーッ!」
渾身精度で射かけると、
「キュイーン! キュイーン! ♀ ♂ + × ∞ ‥‥‥」
悪魔の塔は眩い断末魔の〈ジ・エンド光〉を四方八方へ撒き散らし、悲しげな崩壊音とともに四分五裂しながら崩れ落ちて行ったのであった。
卑弥呼が眠るといわれる箸墓が眼前に迫り来て、ラスト五指に入るお受験砦を攻略し、空想ワールドはゲームオーバーに限りなく近づきつつあった。が、これはあくまでゲーム世界の出来事でありました。現実は厳しく、来年の受験に備え、千加子は金剛山へ行けずに未練タップリに四人を見送ったのでありました。
さて、土佐日記の愛読者・千加子に送られ、岸和田を出た四人は、透きとおる秋空の下、一列縦隊でトコトコ進む。あたま竜児、しんがり優一。サンド(サンドイッチ)の中身は、のり子とのぞみだった。
天高ーく、限りなく高ーい! 秋晴れの日曜。絶好の行楽日和ともなれば道路はマイカーで溢れ、外環(外環状線)から富田林を抜けるのに車ならタップリ二時間は取られるところ、余裕のバイクなのだ。数珠つなぎの車を尻目にスイスイと富田林を抜け、千早赤阪村に入る。赤・青・黄とカラフルに、秋真っ盛りに山燃える金剛山の麓、あの千早赤阪村なのだ。素朴な、ノスタルジアそそるワンダフルヴィリッジ。ハウステンボスがノーブルで上品なイメージなら、金剛はシンプル、そう、あくまでトーキング・シンプルライフなのだ。
(‥‥‥もう! 最高!)
ハウステンボス贔屓(びいき)ののぞみさえ、シールドを上げ、叫びたくなる感動なのだ。
金剛山を間近に仰ぎ、山懐に入ると、勾配は益々険しく、カーブは緊張で手に汗がにじむ。
「おーい! ちょっと止まるぞー!」
前方彼方に金剛山を望み、左側になだらかな丘、右手は道路際からストンと深ーい谷。そんな見晴らしの良い高台前で、竜児が振り向きざま合図を送ると、皆、一斉に左のウィンカーを点滅させる。
「―――のり子。大丈夫か?」
竜児が、ヘルメットを脱いだのり子に近づき、声をかける。
「うん、大丈夫ばい。竜ちゃん、うちんために止まってくれたん?」
「そうでもなかばってんサー。もう大分、走ったけん、ここらで休憩しようかなって思うて」
本当はのり子のために止まったが、本音を漏らすと、「ごっつぁん、ごっつぁん」の冷やかしヤジが飛ぶのだ。ヘルメットを脱いで、のり子と顔を見合わせ、竜児もはにかみスマイルだった。
「うーん! 森の香が何ともいえないわ。ホント、空気がとってもおいしい。―――自然に恵まれてて、いいなぁ!」
バイクにもたれて、のぞみが胸いっぱい空気を吸い込み、ゆっくりと味わう。
「そう、そう、のぞみサン。シンプル、シンプル、シンプルなんですよ。何ともいえないときは、何もいわなくていいんですよ。―――自然のおもむくまま、‥‥‥そういえば腹の虫が泣いてたっけ。俺は取り敢えず、食欲、食欲」
優一はリュックからドーナツを取り出し、両手でパクつく。
「こんな道路ぎわに柿やみかん畑があるとサー、黙ってくすねていく、不心得者がいるんじゃねーの」
「ユウ、それはアンタでしょ。やめてよね、ドロボーみたいな真似するのは」
のぞみが、ドーナツを頬張る優一をからかう。
「何いってんだよ。真似じゃなくて、きっちりドロボーじゃねえか。俺はそんなこと、するわけねーだろ」
バイクに座りながら、たわいない会話に花を咲かす。明るい日差しに包まれて、四人もぽかぽかと暖かい。
「さあ、そろそろ行くか」
竜児に促され、再び一列縦隊で走り始めると、自然に飢えた現代人の背中、背中、背中。金剛に向かうリュック姿がワンサカわんさか、イェーイ、イェーイ、イェ、イェーイ! と、レナウンのCMソングさながら、シールドを通し網膜に写し出される。
「ピッピー。すいませーん」
クラクションを鳴らさず、愛嬌満点の挨拶警告を送り、リュックの背中をゆっくりと追い越し、登山口に着く。
「どうする? ロープウェイで登ろうか」
ヘルメットを脱いで、竜児がのり子とのぞみに声をかける。レディの意見が最優先、男二人はテニ(テニス)部とサッカー。脚力に自信ありなのだ。
「せっかくだから足使おうよ。若いんだからサー」
のぞみの返事に、
「俺はどっちかというと、ロープウェイの方がいいんだけど。だってサ、足使うのは、毎日クラブで嫌っていうほどやってんだから」
意外や、意外。優一がロープウェイに乗りたいと言う。上目づかいに頭をかいて、ぼそぼそとおねだりスタンバイ。
「なに言ってんのよ! 毎日の練習に較べたら、これくらいの登山、何でもないでしょ!」
「ふぁーい」
何せ女性上位なのだ。結論決まりなら異論は無用の如くだが、優一の民主主義ダマシイがささやかな抵抗の源であった。
「いっち、にー、いっち、にー」
カラフルなヤッケの列に混じり、木漏れ日を浴びながら山道をキャラバンシューズが軽やかに弾む。森林浴が鼻腔に新鮮。心と体が自然と癒され、和やかで穏やかな気分が芯から沸き上がってくる。
「こんにちはー」
行き交う人々と交わす挨拶も、森の精に届く合唱の響きだった。
「よし! 頂上までラスト五百メートル、競争だ!」
呼びかけ終了前の、優一・竜児の林道駆け同時ダッシュ。
「おっしゃー! ユウちゃんの勝ちー!」
軍配は鼻一つ差で、優一に上がった。
「こちとら、テニ部の四倍は走っとるけんね、毎日。竜ちゃんには、まだまだ負けんとよ。のり子カアちゃんのオッパイ吸って、もっともっとたくましくなんないよ(なりなさいよ)。―――あー! しんどー!」
山頂で倒れ込み、ハーハー息を切らしながら、優一が減らず口をたたく。のぞみとのり子も上がって来て、記念すべき頂上到着は、のぞみが腕時計で十二時三十二分と確認。
「ワー! 楽しそう!」
そこかしこにカラフルなビニールシートが点在し、なごやか談笑と時折、大きな歓声が巻き起こる。
「佐世保はこっちの方向かな‥‥‥」
山頂から北西を望み、優一が独り言のようにつぶやく。
「何いってんのよ、もっと西の方向で、こっちじゃない。どっちにしても、遥か彼方で、見えるわけないでしょ」
何と油断ならぬ、くノ一忍者め! のぞみが背後でキッチリつぶやきを聞いていたのだ。自慢顔で、優一の鼻をツンと指でつまんだ。
「それじゃ、うちらもランチにしよう」
のり子がリュックを開け、ビニールシートを取り出す。幹の直径、ゆうに一メートル。枝ぶりのよい松の根元に、丹念に赤い花柄のシートを敷き詰め、自慢の手料理をのぞみと二人で広げる。
「さあ、ランチタイムよー!」
のぞみとのり子の声に呼ばれ、
「はい、はい、はいー」
優一と竜児が笑顔の帰還。空腹で死にそうだったのだ。似合いのカップルに、周りの微笑みが嬉しい。
「何を見てたのよ?」
前後左右の好意的な視線を意識し、のぞみが少しえらそぶって尋ねる。ここは女性上位をアピールせねば、観客衆に申し訳ないのだ。
「うん、せっかく来たんだから歴史の勉強しようと思って、いろいろ見物してたんだ。なぁ、竜児」
優一も観客に少しサービス。二歳くらいの幼児をあやす竜児を引き込み、男二人の存在をアピール。
「さあ、どうだか。―――まぁ、いいわ。食事にしましょ」
苦笑しながらのぞみが引いて、ファンサービスが終わった。
「うまかね。こん高菜。おばあちゃん、野菜んお漬物、上手やけん。うちも真似してみるんだばってん、なかなかうもういかんで」
おばあちゃん特製の、高菜入りむすびを一口味わい、のり子が三人に微笑みかける。
「ね、のり子。高校卒業するまでにサ、おばあちゃんの漬物の秘けつ、盗んじゃおうよ。わたしたち家庭を持っても、奥村流漬物術を守っていくことを誓おうよ」
のぞみの遠大なヌカ味噌くさい提案に、
「うん。約束する。きっとよ―――のぞみも忘れんでな」
いやはや、当家の女二人は只者ではないのだ。台所の奥の漬物石で、未来のハズ(ハズバンド)をコントロールする気らしい。
「それじゃ、俺ら。毎日、毎日、漬物を食わされるのかよー」
未来の食卓が連想され、優一は不安と、チョッピリ嬉しくなる。おむすびを頬張りながら、照れも手伝い、いつものように茶化してしまう。四人は童心に帰り、遠足気分で笑いころげていたが、
「ね、三時まで自由行動にしない? 三時にここへ集合、そして下山ということにして。それまで自由行動をとろうよ」
海老フライを口に運ぶ箸を止め、のぞみが急にまじめな顔で提案する。
「そうね。うちも竜ちゃんとゆっくり山頂ば歩きたかし、佐世保と違う金剛ん秋ば、存分に味わいたかけん」
のり子も大賛成であった。提案のぞみ、のり子賛成、男二人は追従。このパタンがベスト・ポリシーで、優一・竜児も本音の部分では何の不満もなかった。
食事の片づけを終え、四人は二組に分かれて鮮やか色の紅葉の下を歩く。
「ね、ユウ。見て、見て! 夕陽のように赤いわ」
真っ赤に色づく頭上の楓を見上げ、のぞみが喜びの声を上げる。
「ほら、町があんなに小さいよ。ガリバーみたいな気分だな。―――明日香と箸墓はあっちだな」
眼下遠くに河内平野がのどかに霞んで、優一はメルヘンの住人になってしまったが、しばらくすると自然と瞳が奈良盆地に向かう。
「どれどれ。ユウの大好きな明日香が見えるの?」
明日香と聞くと、のぞみは優一のそばへ駆けてきて、背後から彼の体をギュッ! と抱いた。景色に見とれる後ろ姿が、抱きしめたくなるほど可愛かった。
「ねぇ、ユウ。なんか、ほっとするね。‥‥‥本当にしあわせな気分なの。もし転校せずに、あのまま前の高校へ通ってたら、どうなってんだろうね。今ごろ、わたしたち」
長い間、のぞみは優一の背中に顔をうずめ、かみしめるように言葉を選んでいたが、正面に向き直ると、目を閉じて体を委ねた。
「‥‥‥良かったよ。おまえと転校して。―――ホント、最高だよ。もう、最高! 最高! 最高!」
ここでのぞみの唇を吸ったりすると、オートマティカルに次の行動に移る。‥‥‥が、それはまずいのだ。のぞみを抱くのは帰ってからだ。今はともかく欲望を抑えねば。ホント、男はつらいのであった。
「キャー、やめて。―――もう! ユウったら、やめて、やめてー!」
悲鳴を上げるのぞみを無視して、優一は彼女の頬に、何度も何度もキスの嵐を浴びせたのだった。
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