第17話 星の王子様
転校の感動がようやく日々の生活に溶け込んで、転校生であることの違和感も薄れ始めた九月十二日の日曜日のことだった。千加子は大阪難波にある平成満願予備校の〈日曜サプライズ特訓〉出席のため不在だったが、四人はキンモクセイの香り漂うリビングで、智子おばあちゃんを囲み庭の木々を眺めながらアフターランチのひと時を楽しんでいた。
「ユウったら、いくらナシが好きだからって、人の分まで食べないでよ。五つむいただけだから、一人、一個なんだからね。おばあちゃんの分、ちゃんと残しといてよ。―――もうっ! 大きいのを取ろうとして。私が公平に分けるから」
のぞみが呆れ顔で、配膳係交代のためラタン・チェアから立ち上がったとき、門前に黒塗りのリムジンがスーと音もなくすべりこんで来た。
「えっ!?」
一番驚いたのは、のぞみだった。タンクトップの大胆姐御が、眉をひそめ不安を顔ににじませたのだ。
「‥‥‥さ、優一君と竜児君は、のぞみちゃんをつれて二階へ上がってて。のりちゃんはゴメンやけど、応接間に二人分のアイスコーヒー運んできてな」
おばあちゃんは少しもあわてず、テキパキと四人に役割分担を告げる。心の準備は疾(と)うに出来あがっているのだ。備えあれば憂いなし。にこやか笑顔で、二人の訪問客を出迎えのため玄関へ向かった。
「‥‥‥ユウ。お祖母ちゃん一人で、大丈夫かしら?」
不安に駆られたのぞみも、抱きしめたくなるほどセクシーだ。
「大丈夫だって。おばあちゃんに、まかせときなって」
竜児の手前、抱くわけにいかず、優一は取り敢えず欲望をサスペンド。自信満々笑顔でのぞみを安心させた。おばあちゃんが圧倒的に有利なのは、車を降りたアイとみどりの仕草からすぐ分かった。千加子のいう、あの〈毅然ツンツン母娘〉が、いかにも自信なさ気に、キョロキョロとあたりを見回しながら歩いてくるのだ。のぞみを人質に取られた被害妄想弱点もあるが、何より、智子おばあちゃんの真っ正直な生き方に完敗したのだ。イタ・フレンチ旅行からの帰国後すぐ訪れなかったのがその証左で、優一は二人の心理を的確に見切っていた。
「ようよう、来てくれはりました。おかあさんもみどりさんも、―――いや、いや、堅苦しい挨拶は抜きにして、さあ、上がって、上がって。この時間に岸和田へ着いてくれたんやさかい、暗いうちから佐世保を出て、車に乗りっぱなしでお疲れやろ」
玄関先で改まろうとする二人に、おばあちゃんは朗らか笑顔でマイペースを通す。
「‥‥‥はい。おじゃまします。―――さ、お母さん」
蚊の泣くような声でみどりが無言のアイを促し、玄関へ入る。応接間に通されソファーに腰を下ろしても、アイとみどりは気まずそうに俯いていたが、コーヒーを運んで来たのり子が部屋を出ると、
「智子さん、ごめんなさい。のぞみに家を出られて、よく分かりましたよ。自分がどれほど意地の悪い嫌な女だったかが。私は、嫉妬してたんですよ。のぞみにあなたの血が流れていることを。‥‥‥どうしようもないほど似てるんですよ。だから和之さんにもつらく当たって、―――和之さんを死なせたのは、私みたいなもんですよ。本当にすみませ‥‥‥」
急に堰を切ったようにアイが口を開くが、最後は言葉にならず、娘にもたれてハンカチで顔を覆った。
「‥‥‥お母さん。―――お義母さん」
涙声で二人を見回すだけで、みどりもなす術を知らなかった。
「おかあさん、もうエエんや。もうエエんや。私も和之の葬儀のときはキツイこと言うてしもて、ホンマにゴメンやで。さ、もうエエんや。もうエエんや」
おばあちゃんは目をしばたきながら、アイの手を握って慰めの言葉をくり返した。
「さ。気持ちが落ち着いたところで、のぞみちゃんに二人の元気な顔見せたげて。―――のぞみちゃーん! 早う、下りて来たげて」
おばあちゃんに呼ばれ、のぞみが応接間へ下りて行くと、よほど会いたかったのか、
「のぞみちゃーん!」
アイとみどりはのぞみに駆け寄り、おいおいと、抱き合って泣いた。
「‥‥‥こんにちは」
二階の三人も応接間へ下りてきて、アイとみどりを交え、七人で中断した団らんを再開する。
「な、俺の言った通りだろ。お祖母さんもおばさんも、転校を認めてくれるって」
ここぞ! とばかり、優一は背もたれに腰掛け、皆を見回し存在をアピールする。ユウちゃんの面目躍如の瞬間なのだ。
「‥‥‥うん」
頼りないけど、時々ずしりと存在感を増す。そんな優一が死ぬほど好きだ。三日前、新たな一歩を踏み出し、のり子シンドロームに感染したこともあって、今日ののぞみは特に神妙であった。はにかみながら優一を見上げると、彼の腕を抱いて体をもたれかけた。
「優一君、ありがとう。これからも、のぞみをよろしく頼みますよ」
孫の仕草は女の決意であった。アイは観念して、二人の仲を皆の前で認知し、優一に孫を託したのだった。十九年前、自分が引き裂いた二人の子が、こうして結ばれるのは、これも運命なのか‥‥‥。
「はいはい、分かりましたよ。こちらこそよろしくね、お祖母サン」
おっちょこちょいの調子モンは、言わなくてもいいことを言ってしまうから困りものである。上機嫌で、ついつい調子に乗って、ポロッと口から出てしまった。
「私もよろしくね」
弾みとは恐ろしいもので、なごやかな雰囲気に乗せられて、みどりまで優一に微笑みかける。
「ハイハイ。よろしくお願いしますよ、お母さん」
ここまで言うと、馬鹿以外の何ものでもない。言いたい気持ちをアイスコーヒーとともに飲み込み、優一は照れながら頭をかくだけにとどめた。
「―――な、のぞみ。ご婦人方は女どうしで積もる話もあるだろうからサ、俺と竜児は失敬するほうがいいだろ」
千両役者は引き際が肝心、というより、急に名(迷)案が浮かんだのだ。
「一体、どこへ行くつもりなの?」
怪訝顔ののぞみを無視して、
「それは秘密、秘密。さ、竜児、いくぞ。早く早く」
優一は竜児を急き立てたが、応接間を出るとき、
「どうぞ、ごゆっくり。僕らはチョット、リムジンで某所へのドライブを楽しんできますから」
愛嬌タップリに用件の一部を伝えたのだった。
「某所って、どこへ行くつもりなんや?」
「実は、成り欽ちへ行って、少し驚かしてやろうと思ってんだ」
下駄箱の奥から、一番粗末なゴムサンダルを取り出し、優一は竜児にニヤッと笑いかけた。クラスメートの成り山を少しからかってやるつもりなのだ。優一のクラスに成り山欽悟という生徒がいて、国道26号線沿いに、世界でもワースト・テンに入ろうかという金ピカの邸宅を構えているのだが、彼に始業式のお返しをする絶好のチャンス到来であった。始業式初っぱなに、
「なあ、倉田。今日、僕んとこへ来ぇへんか。ベンツ乗せたるで。一カ月したらキャデラックや。それからもう一カ月したら、リンカーンに乗せたるで」
自己紹介がすんだ優一に、成り山が隣の席から下卑た笑顔で話しかけてきた。
「もう! 成り欽いうたら、ほかに言うことあらへんのか。うっとこの高校、疑われるやんか。―――倉田君、成り欽ちゃんの言うことなんか、無視しいや」
後ろの席から、ソバージュヘアに瓜実(うりざね)顔、はっとするふくれっ面チャーミングの金子かすみが警告を発してくれたが、名前とアダ名のピタハマリに、優一はプハッ! と吹き出してしまった。
「何いうてんねん、金子。僕は倉田に、ニュータウンの中を案内したろと思てんやで。何でみんな、僕の親切、分からへんねんや。ホンマ、悲しいわ」
弁解口調も東田と似ていて、空想ワールドへイメージを飛ばすと、ぼてナマズにぽちゃダヌキ。妖怪退治の腹ごしらえは当然、ナマズどんぶりと狸汁。この連想に、のぞみなら抱腹絶倒ものだが、優一は辛うじて笑いをかみ殺した。
「何で一カ月しないと、キャデラックに乗れないんだよ」
こういうヤカラは相手にしないのに限るが、警告をくれた金子に敬意を表し、一発やり込めてやろうと思った。
「それはな、キミが僕に忠誠を尽くすかどうか見るための、ジュクリョ期間なんや。僕とこのお父ちゃんも、新入社員にはそないしてんやで」
いやはや、世間にはよく似た父子がいるものである。東田父子の〈岸和田・成り金バージョン〉とでもいうべき成り山父子なのだ。
「俺はここ一年ほど、五千万円以下の車には乗ったことがないんで、あんまし安物に乗ると車酔いするんだ。だからご遠慮申し上げるよ」
皮肉タップリの辞退だったが、まんざら嘘でもなかった。家に車がないので、五千万円はおろか、ここ数年、車らしきものに乗った記憶がないのだ。
「倉田もみんなと一緒やな。無理せんと、素直に僕の親切、受けたらエエのに」
貧乏人が見栄張って、と言いたげな口調で成り欽は鼻で笑ったが、今日はゲンブツ披露で、優一は成り欽の鼻を明かしド肝を抜いてやるつもりなのだ。
リムジンのコックピットで、文庫本片手にゆったり読書の田中さんに、ウインドーをコンコンとたたき合図を送る。
「こんにちは」
ウィーンと! と窓が下りたところで、早速、事情を話し協力してもらう。
「よっしゃよっしゃ。なかなか面白そうやな」
麻のホワイトスーツに蝶ネクタイ、ロマンスグレーとふさふさ雷鳥アゴひげ。上品が板に付く二十年のベテランドライバーだが、ユーモアのセンス溢れるオジサンでもあるのだ。
〈スペシャル・スーパー・ランド・デベロッパー〉
26号線海沿いの金ピカ五階建ビル。その屋上に、ところ狭しとそびえ立つイルミネーション付き特大看板。パチンコ屋と見紛う社屋が、何を隠そう成り欽宅であった。
「不動産屋って名前の方が、ずっと分かりやすいのにサ」
リムジンを降り、張り巡らされた頑丈な鉄柵に苦笑いを浮かべながら、いかつい狸レリーフ門の監視カメラに背伸びし、ヌッ! と片手Vサインの顔を近づけベルを押す。本日休業の表示看板どおり、会社は今日は休みのようである。
「アンタ、一体どなたやの?」
ぶっきらぼうな母親らしき声の主に、
「成り欽ちゃんのクラスメートの、倉田でーす」
優一はクローズ・アップの口から白い歯を出し、ニカッと笑いかける。
「おお、倉田か。何や、五千万円の車でも見せに来たんか」
同じくぶっきらぼうで、皮肉タップリの成り欽の嫌み声。
「うん。取り敢えずウチで一番安い一億の車に乗ってきたんだけどサ、ゲート、開けてくんないかな」
「えっ!? あれ、ホンマやったんか!! ちょ、ちょっと待ってや、すぐ開けるさかい」
驚いた声に続き、キィーン! キィーン! いらだち気味の金切り音が近隣に響き渡る。
「ア・ブ・ラを、差せっ!」
優一の独り言が届いたわけではあるまいが、いきなり電動ゲートがガァオーン! と左右に開いた。
―――おっとっと!
これは! タヌコンヌ・ルイ・タヌコビッチ伯爵のタヌキ荘へやって来たのか!? ここに来て、邪馬台国畿内大和説の最大の論敵、タヌ国説に直面であった。タヌキ県タヌコ村、ムジナ古墳が卑弥呼の墓。そうであるなりポンポコリンと、論客タヌキの大整列なのだ。外観以上にド肝を抜かれる邸内で、トンネル状の細く長い通路に陶製の大ダヌキ・小ダヌキが兵馬踊さながら延々と居並び、背後に短足もっこり盆栽が控えていた。
「ひゃー! 千加子司令官。一体どうしたらいいんだよう!」
などは禁中の禁。空想ワールドは弱気バイバイ、強気ゴーゴーなのだ。千加子になりきれ! そう、司令官としての力量アップの姉になりきるのじゃ。そうすればおのずから道が開けるのであった。
「よし! 竜児。敵は幾万なりとても、玉だ! 玉ハンマー袋を見切れ! 当たると死を招くぞ! 振る前に先制攻撃だ! 箸墓は目前ぞ! われらオノコだけで、この人垣、ではないタヌ族の百万兵を突き破るぞ!」
蹴りとサッカーボールでタヌ族下半身への集中攻撃。アイアンハンマーさながらの〈玉々〉反撃をジャンプと地伏せでかわし、〈玉〉抜き突破。腹を突き出し〈玉〉ハンマーと肉弾戦法オンリーのタヌ族精鋭を、バッタバッタと抜き倒すのだ。
「イヤー、〈玉、玉〉ではなく、〈また、また〉爽快」
〈玉〉の汗を拭きながらウツツ世界に戻ると、恨めしそうな陶製タヌちゃんの目に〈玉〉の涙が光る。信太の森の白狐なら、さしずめ〈恨み葛の葉〉であるが、ここは〈恨み玉の葉〉場面で、その恨めしそうなタヌちゃんたちを尻目にリムジンは〈玉〉ジャリを踏んでガレージに滑り込んで行く。
「また又、おっとっと!」
ラブホ(ラブホテル)の隠しカーテンかと見紛う、ビニールの青垂れブラインドをくぐると、目が点ならぬ〈玉〉になるかの、ぱっと視界が開ける百万坪―――は超大袈裟な、百坪ほどのガレージが目の前に飛び込んできた。この玄関手前のガレージには、くだんの外車が三台、なぜか知らんがバックに並んでいた。ガレージ前をわざとゆっくり走り、もったいぶるように玄関へリムジンが滑り込む。
「ひゃっー! 欽悟ちゃん! こないだツタヤの宅配DVDで見た―――星の王子さま役の、エディ・マーフィーちゃんが乗ってたのと同じ車やんか! 欽悟ちゃん! アンタ、ホンマにエエお友だち持ってるなあ」
あれれ! 空想ワールドへ逆戻ったのか。誰が見ても親子としかいいようのない、栄養満点コロコロ親子が黄金まがいものドアを開けて飛び出してきた。天然ウェーブの引っ詰め髪にトンボメガネ、丸々お腹の汗かきダヌキ。千加子ならさしずめ〈なん・ポコ〉と命名する南洋風ムジナの登場は、サンダルとバミューダの優一が、〈星の王子さま〉と呼ばれ始める瞬間でもあった。
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