第16話 始業式

運命と呼ぶべきものが存在するなら、のり子は潔くそれに身を委ねる決意であり実践もしてきたが、彼女のいう運命とは運命的偶然と呼ぶべきもので、滅多に起こりえない〈もし〉が三つ以上重ならねばならなかった。東高の先輩千加子の転校は、遠い記憶の中に息を潜めていたこの運命的偶然を、のり子に再認識させる事件でもあった。もし、千加子が気分転換に岸和田を訪れなければ。もし、岸和田市が魅力ある町でなかったら。もし、土生高がつまらない高校であったなら。もし、木下武史という男子生徒に出会わなければ。恐らく転校の決意はなかっただろう。


運命的偶然の不可思議に触れたとき、言葉ではいい表わせない緊張感に襲われるが、この感覚は未知の世界へ一歩を踏み出す、あのワクワクする新鮮な緊張感と奇妙な重なりを持っていた。


「こんな気持ち、本当に久しぶりだわ! 何か、こう―――高一になったような気分だわ」

 

やはり千加子も感じていたのだ。佐世保へ帰る空いた車両の中で、新鮮な身震いを隠せなかった。


「俺ら高一だから、当たり前ジャン。なー、のぞみ」

 

例のごとく、優一が入れなくてもいいチャチャを入れる。


「もう! ユウったら! 来年の三月まで、チーちゃんと仲良くしてね」

 

少しは成長したかと見直しスタンバイだったのに、以前と寸分違わぬ姉弟関係なのだ。南海電車に揺られながら、恵美子は向かいの席で苦笑いを浮かべ溜め息を吐いてしまった。


「ばってん、今日と明日は忙しか一日になりそうね。竜ちゃん、大丈夫? 今日と明日中に明後日ん始業式の準備、出来る?」

 

のり子も現実に引き戻され、あわただしい帰宅後が気になる。合格発表翌々日が始業式なのだ。


「大丈夫ばい。今日は服とカバン取りに戻るだけやけん。それに、おばあちゃんも言いよーやろう。『いざとなったら、引越しは引っ越し侍を検索して決めなさい』ってサ」

 

以前使って、おばあちゃんは余程気に入ったようで、千加子までおばあちゃんのお気に入りを受けて、


〈引越しは、侍だー! そう、検索して、安心と安値チャレンジを決定する、サムラーユ!〉

 

などと勝手に標語を作って、一人悦に入っている始末なのだ。

 

そう言えば、古来より日本は職人技を駆使した工夫国家だった。危機状況下で、国の統一のために女帝を立てた邪馬台国もその一環だったといえなくもないのだ。今の世に卑弥呼が舞い降りてきて、


「そう。ワラワが箸墓の主で、箸墓がワラワの墳墓なのじゃ。邪馬台国論争もこれで、決まり!」

 

と、告げると論争に終止符が打たれ、古王朝の謎が一気に解明に向かうのだ。そして日本に観光ブームが巻き起こり、金満じっちゃん・ばっちゃんの持つタンス預金がどっと市場にフロー(流れ)。干天の慈雨のごとく潤いに満つ経済活性で、若者にもハッピー、カムカム。車内の我が女性軍を見ていると、竜児は急にそんな期待が湧いてくるのだった。


「えっ! な、な、何や! こりゃ一体」

 

ほんのりと穏やかな気分に浸っていたのも束の間で、車内の時空が突然ゆがみ、竜児はいきなり空想ワールドへ吸い込まれてしまう。


「ちょっと待ちゃれ! そうではなく、スイッチ切り替え係がデレっと鼻の下をのばし、居眠りをしておるからではないのか」

 

優一の推理がピタっとはまるほど、突然の〈スキモノ場面〉への投げ出しであった。目の前に、限りなくオールヌードに近い、しなやかな褐色の美女たちが現れたのだ。たわわな美乳の先にちょこんと光る、金の星二つ。目がボコッ! と吸い込まれる、股間に張り付いたバタフライ。

 

―――おっとっと!

 

どひゃっ! と気が付けば、竜児の目が点になってしまう、ショートヘヤーのグラマラス軍団精鋭部隊の登場であった。


「これ、まっきら金げの赤鬼隊長。油断は禁物じゃぞ。明日・ひみロードに巣くう敵どもも、ほとんどが女性上位軍ではないか。淀川水系の分流、この尻無川に砦を構えるアマゾネス族も、超々々の、超が三つも付く女性上位の部族ではないか。おぬし、もしや‥‥‥、その川原で訓練に励むグラマラス軍団に目が眩んだのではあるまいのう。キャツラはフェロモンを撒き散らし、歴戦のツワモノをとりこにする美女ビジョ軍団であるぞよ。見るでない。見ると、キャツラの思う壺ぞ! アマゾネス塚へ拉致され、子種絞りの秘技をかけられて、あっという間に老化池の住人〈皺枯(しわが)れアメンボウ〉にされてしまうのが落ちじゃ。―――何? 秘策はあるのかとな。愚問を発するでない。『聞き飽きた』いや『読み飽きた』との、読者のお叱りを受けるではないか。サヨウ。我が常套句、〈あるに決まっておろうが〉、が来るに決まっておろうが。サヨウ。おっと、〈サヨウ〉〈サヨウ〉と何度も〈サヨウ〉を言わせるでないぞ、赤鬼隊長。知らぬ間に中国縦貫(道)の〈作用インター〉を降りて、お湯の豊かな我が愛する鳥取の吉岡温泉に着いてしまうではないか。―――ゴメンなさい。ホントウにゴメンなさい。〈わっけ、分かんないよー!〉とのダブルお叱りが飛んできますね。


ハイ、お叱りを受け、善処いたしまして、作戦披露に続けます。―――さてじゃ、赤鬼隊長。この戦略を使えば楽々危機突破なのじゃ。つまりのう、かの居眠り無視郎の、秘剣〈新月殺法〉を真似た〈アンチ・フェロモン殺法〉を使い、住吉神社のある住之江までトンズラ突っ切りをはかるのじゃ。そうでアリンス。子種供給を断てば自然と滅び行く部族に、面と向かって戦うアホなどおりゃせんがな」

 

未練がましく、降格司令官優一は千加子の真似をして、赤鬼隊長に訓示を垂れる。傍目から見てもチラチラと精鋭ヌード部隊に目が行ってしまい、全く説得力がなかった。


「何、なんと! ワシに司令官に復帰して、アマゾネス軍撃破の指揮をとってほしいと申すか」

 

住之江から少し下った大和川の川原を駆けながら、優一はフェロモンガスに脳中枢が侵され始めていた。竜児が言いもしない心地よい言葉が耳に絡みつき、ヘナヘナと大和川の堤に倒れそうになる。と、


「キエー!」

 

か、か、限りなく全裸の美女軍団精鋭が、三人一組で優一に襲い掛かってくるではないか。


「おのれ! 新撰組の〈真似まね殺法〉じゃな。これでも食らえー!」

 

目をつぶり、アンチ・フェロモン殺法・三連キックを放とうとする。が、フェロモン液が体に絡みつき足が動いてくれなかった。


「おっと、危ない!」

 

転がりながら、優一は二度、三度と辛うじて美女が突き刺すバイキング刀の攻撃をかわしていたが、


「たっ、助けてー!」

 

フェロモンねば液が体に巻き付き、サナギさながら体を被うと、プライドなど吹っ飛んで、大声で助けを求めた。


「ユウ、待ってて!」

 

アマゾネス軍の十重(とえ)、二十重(はたえ)の包囲網を撃破し、なんとも頼もしい我が方の女性軍登場。オルレアンの囲みを突破した、かのジャンヌダルクの逆を行く展開で、あまた敵兵を蹴散らし砂塵を巻き上げ、ではなく、目が釘付けになる敵の裸体をポンポン放り投げ、中央への進軍であった。


「ター!」

 

等身大ブーメランが、最前線の雑兵を目前から掻っ攫(さら)い、


「エイ!」

 

回転必殺ミサイルせんさースパイクが、シュル、ルーン! と、自由の女神ヌードの部隊長・どらきゅボンに襲い掛かり、トドメを刺す。


「わたしのユウによくも! お仕置きよ!」

 

のぞみ大尉の怒りのすごいこと、すごいこと。アマゾネス族頭領・ぼいんエロイカに、渾身の力を込め〈超特大・浣腸ダーツ〉をブッスーン! と、お尻に突き刺してしまった。


「ウーン!」

 

さすがのぼいんエロイカも巨乳をふりふり、川原に急造の―――ふきっさらし仮設トイレに飛び込んで、堪らず用を足したのであった。


「ちょっと、ユウ。どうしてわたしが、そんな下品な武器を使うのよ!」

 

少々シモに行き過ぎ、のぞみからクレームが出そうなので、ウツツワールドへ逃げ戻ります。


「お、おーい! 場面切り替え係。今度は居眠りしないでちゃんと切り替えろよ」

 

と、ウツツワールドにチェンジして、優一が切り替えスイッチ・オンを促しても、バイトの切り替え係はキッチリ居眠りで忘れておりました。


「引っ越し準備の慌ただしさに、のり子がちょっぴり不安を漏らす場面から空想ワールドへ飛んだんだから、その場面へ戻せよ」

 

と、空想ワールドで失態を演じた優一に促され、ようやくウツツワールドのその時。そう、歴史が動かなかったその時に、時制が一致する次第であります。


「そうよ、のり子。新しい高校生活は今週中に準備すればいいんだから。ウチの教頭先生もおっしゃってたもん。制服や体操服なんかはしばらくの間、これまでのでいいって。教科書も明後日はいらないし。あまり気にしなくていいわよ、ねぇ、チーちゃん」

 

来年三月まで、千加子との停戦協定発効なのだ。のぞみの笑顔も屈託がない。空いた各停車内で、皆、和気あいあいムードだった。


「そう、そう。私なんか、制服と体操服はこれまでのを使おうと思ってるくらいだもの。もったいないしさ。それに、二年四カ月の思いで詰まった高校だから、愛着あるもん。‥‥‥何かこう、悲しくなっちゃう」

 

母校と呼ぶべき東高だったのだ。‥‥‥裏切り、押し込めていた感情が急に込み上げてきて、千加子は涙が溢れそうになったが、照れ笑いで辛うじて押し戻したのだった。


「十時を過ぎているから、パパも帰ってるだろうなー」

 

のぞみに手を振りマンションのゲートをくぐると、エントランスの廊下まで懐かしく、パパという呼び名が、自然と優一の口をつく。エレベーターを降り、自宅ドアに手をかけると、やはり父はすでに帰宅していた。


「お帰り、ユウにチー。‥‥‥ほう! ユウは随分たくましゅうなったやなかか、しばらく見んうちに」

 

ドアを開けると、目の前に大きな父が微笑んでいた。


「うん、楽しかったけど、‥‥‥結構つらい思いもしたんだ。でも、ありがとう、パパー!」

 

一カ月ぶりの父は目が潤み、少しはにかんで、あの、避難所のときの微笑みだった。いろんな思いが込み上げてきて、優一は不覚にも大粒の涙をこぼしてしまった。


「うん、うん。これからも色々あるやろうばってん、頑張るったいぞ。無理だって思うたら、いつでん帰ってこいや」

 

玄関先で息子を抱きしめ、洋も天を仰いだ。


「感動のシーンだけどサー、 私たち、家に入れないよー! ‥‥‥エーン。ママー」

 

目のやり場に困って茶化そうとするが、千加子も涙がまさってしまった。


「チーちゃん。パパもユウも久し振りなんだから、もう少し、そっとしておいてよ。―――ね」

 

恵美子も目に涙をためながら、娘を抱いて耳元で優しくささやく。夫と息子が一回りも二回りも大きく見え、頼もしくて、それに、チョッピリうらやましかった。

 

その夜、倉田家では笑顔と笑い声が絶えなかった。


「何が寂しかもんか。パパはママと二人で、ばりハッピーばい。新婚時代に戻れたねーって、喜んでんだぞ。ねー、ママ」

 

飲めないビールで赤くなって、洋が何度も何度も負け惜しみを言った。


「パパにママ。俺、二人の子供で良かったよ。ホントに、ありがとう。俺サ、のぞみと結婚しても、こんな家庭を築くように努力するよ。―――明日は朝早くに出ないといけないので、いまから始業式と新学期の準備をするよ」

 

時間に急かされ、優一は一カ月前から主不在の自室へ入って、準備にとりかかった。

 

翌朝、午前六時に両親に別れを告げ、ダイニングのマイ・チェアの重い腰を上げた。佐世保と岸和田、七時間足らずの距離なのに、別れがこんなにつらいとは思いも寄らなかった。


「じゃ、のりちゃんに伝達事項を聞いといてね。お願いよ」

 

千加子が弟をエレベーター前まで見送り、センチな笑顔で念を押す。突然の転校のため、東高の始業式に出て、母校とクラスメートに最後の別れを告げるつもりなのだ。


「それじゃあね」

 

マンションゲート前で八階の踊り場を見上げ、優一は父と母、姉の三人に大きく手を振る。三人の姿がぼうっと霞んで、網膜から消え去ってしまった。

 

さて、センチメンタル・ジャーニーは、南海本線岸和田駅プラットホームでバイバイし、奥村家に到着すると、四人は二学期の始業式に向け、わくわくドキドキの夜を過ごしたのだった。


「おばあちゃん。それじゃ、行ってきまーす」

 

何とも言えない雰囲気の始業式当日。転校生たちは八時二十分前と八時ジャストに家を出て、ペアで各自の高校へ向かう。優一は一年七組、のぞみは二組だった。トランスファー(転校生)情報は電光石火で、廊下を歩く二人にナダレさながら、生徒たちが窓側に押し寄せ、歓声と好奇の瞳が襲う。


「ユウ。‥‥‥大丈夫?」

 

国賓級の歓待に、三階への階段手前で、のぞみが立ち止まって優一を気遣う。


「大丈夫だって。仲間がいるんだから」

 

のぞみの存在が不安を蹴散らし、緊張感は百万分の一。限りなくゼロで、優一はVサインの笑顔で廊下を通り抜けたのだった。


「どうだった? 転校の挨拶、アガらなかったか?」


 家へ帰って、真っ先に竜児の部屋をのぞいた。


「いやー、ちょっとアガってしもうたばい。ばってんおいが二組で、のり子が三組なんや。やけんずいぶんこころ強かったばい」


もう少しアガっていれば自慢をかますつもりだったが、優一は〈得意顔も中くらいかな、おらが自慢〉の心境だった。


「さあ、明日も今日の調子でがんばろうね」

 

向かいの部屋では、のぞみとのり子が情報交換に夢中で、ランチコール三度目にしてようやく階下へ下りて来たのであった。

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