第15話 コングラッチュレーション

男と女。この不可思議な生命体の、不可解な行動。一方の存在が他方に影響を与え与えられ、まさに二変数のスパイラル的産物なのだ。千加子の転校決意は如実にこれを物語ってくれたのだったが、翻れば、のぞみと優一、のり子と竜児も、この〈男と女方程式〉の射程内の範ちゅう行動といって良かった。


「このf(x,y)を積分すれば、当然、数学上の解が得られるんだけど、xに女、yに男を入れると社会学への積分公式応用になって、行動予測に役立つんじゃないのかな」

 

などと、千加子は積分公式を持ち出し、転校決意の正当化を暗に示唆するが、


「チーちゃん。男と女がからむんだったら、どっちかというと、文化人類学への積分公式応用なんじゃないの。それに積分なんて、高一の範囲じゃないのに、なんで知ったか振りして、積分の話題なんか持ち出す必要あんのよ?」

 

意図が見え見えで、のぞみと優一はすんなりと是認できるはずがなく、発言のたびにクレームをつけ、チクリチクリと嫌みを言うのだった。いずれにしても、〈男と女〉千加子方程式の解は、のぞみと優一には迷惑千万で、全く嬉しいものではなかったが、のり子と竜児には実に喜ばしく、有能なコーチ・ゲット以外の何ものでもなかった。千加子の加入により、学力の恐るべき飛躍的向上がもたらされたのだ。この点は、のぞみと優一も渋々ながら認めざるを得なかった。


「そうなのじゃ。球団首脳も親会社も、ワラワのような名指揮官を選んでおれば、ヘッジ郡ファンド村のハゲタカ族の襲撃を食うことはなかったのじゃ。箸墓へスパっ! と鉄の道を敷いておれば、われらも安心してとっくの昔に桜井へ着いていたものをのう。さて、我が行く手を遮るハゲタカ族の撃退はいかにしようか。さあ、皆の衆。忌憚のない意見を述べるがよい。我が愛する甲子園塚が、このままではハゲタカ族のウンチまみれになってしまうであろう。見よ! あの憎々しげな首領の顔を。箸墓への途中、ゆっくりと我らが休むはずの安息〈蔦の広場〉を、まるで我が物顔で闊歩しよるではないか。あー! 口惜しい!」


〈ヘッ!!〉と、作者まで訳が分からず勝手に驚いてしまう、千加子の口からヘッジの三文字が飛び出しましたが、いきなり空想ワールドへの突入ですか? ヘッジ郡ファンド村の強欲塚にミイラ卑弥呼がネンネ。モイスチュアーの滴りもないカサカサ主張一族。この〈乾燥類・不毛目・砂漠科〉のハゲタカ族出現に千加子の絶叫がグラウンドに木霊してしまい、観客の目にもおぼろげながら、おかっぱ頭のハゲタカ族首領の顔が浮かんでくる。が、いまいち鮮明ではなかった。いずれにしても、畿内大和説検証のための箸墓への行程が、強欲のハゲタカ族出現によって著しく阻害されたことは事実であった。


「司令官。ハゲタカ族を登場させるのは場面にふさわしくないというか、チョット無理ではありますまいか。お気持ちは分かりますが、阪神族と阪急族は既に合併という形での決着を見たことですし、『何で、明日・ひみロードに〈球団〉なんて言葉が出てくるんだよう!』と、読者のお叱りの声が飛んできましょう。ここは私怨を捨てて、箸墓への王道を歩まれるのが得策かと―――」

 

降格司令官優一が正論を述べようと新司令官の前にひざまずくが、タイガース族出身の赤鬼隊長に遮られてしまった。


「我がオーラん源・甲子園塚防衛んため、一刻ん猶予もあらんゆえ、ここは口惜しかですが、断腸ん決意でハゲタカ族の権利ば買い取って、神聖な甲子園塚から立ち退きば迫るというんはいかがかと」


「それは、名門ブレーブスを消滅させた、というかオリックス族に売却したハンキュウ族の考えと、非常によく似た策―――というより正にパクリじゃな。確かに乗っ取り防止策としての、ホワイトナイト(白馬に乗った騎士)登場もよいがのう、強欲ハゲタカ族には通用せぬし、買い取り値がかさんで結構ムカツクではないか。ワラワはポイズンピル(毒薬)をドカチョーン! とハゲタカ族の口に放り込む方が好きじゃからして、甲子園塚防衛のための、もっともキャツラにふさわしい撃退法を考えてくれぬかのう」


「司令官、こん策はどうやろう。つまりやなあ、ハゲタカ族はヘッジ郡ファンド村から届く強欲ファンドば食料にしとーけん、まずこれば断つ。すなわち兵糧攻め作戦ば取りながら、これと平行して、わずかな屍肉ば目ん前にちらつかせ、ヘトヘトに疲れさせて撲滅するんです」

 

のり子中尉の秘策はなかなか理に叶ったもので、元断ち・先断ち〈袋のハゲタカ作戦〉と呼ぶべき戦略であった。まず活動の源を遮断し、それに加え、強欲ハゲタカに新たな餌である誘因を見せびらかして勢力を分散させ、消耗死に至らせるというものであった。


「よし! それでいこう。さすが我が佐世保東高校の後輩、ではなく、させぼ郡タイガース族の出身じゃ。のり子中尉、この作戦はソチに任せるぞ! 全権委任じゃ」


「はっ! それではさっそく、―――ター!」


〈袋のハゲタカ作戦〉は、のり子の独壇場であった。巨大ブーメをブッスーン! とパイプラインに突き刺し、食材の強欲ファンド流を塞き止めると、次はグライダーブーメの両翼に屍肉をぶら下げ、蔦のからまる甲子園塚の上空をゆっくりと泳がせたのである。


「いやー! 爽快じゃのう。強欲ハゲタカたちが力尽きて、次々と屍肉池へ落下しよるわ。おうおう、おかっぱ首領の末路や哀れ。グライダーブーメに首を引っかけ、のたうちまわっておるではないか。それでは、ワラワがきゃつの足を引っ張って、ムナカミ、ではなくムナクソ悪い断末魔の叫び声を聞きながら、最後の屍肉解体は、明日・ひみロードの民の子孫で、最強軍団〈東京地検特捜族〉に委ね、わがオーラの源・甲子園塚で勝利の美酒をあおるのじゃ。馬鹿っパゲタカ族め! タイガースファンの怒りを知るのじゃ! ‥‥‥えっと、それから―――」


「チーちゃん。いい加減にしてよ。ウツツか空想ワールドか、その中間の疑いある、このサスペンドの状況を一体、いつまで引っ張るんだよう。これじゃ、紙面がいくらあっても足りないよう! そろそろウツツワールドに戻らないと、飽きられちゃうんだから」

 

確かに愚弟の言う通りで、少々引っ張り過ぎであった。優秀な上司は、愚かな部下であってもその正当な進言は聞き入れねばならぬのじゃ。さて、ワラワの顔も立つ収めどころは‥‥‥、よし! これでいこう。


「いかに邪悪な者どもが乗っ取りを謀ろうとも、わがタイガースは不滅です!」

 

と、千加子はこぶしを突き上げ、四十年前に、ジャイアンツファンのみならず日本の全ベースボールファンを号泣させた、ミスター・ジャイアンツのパクリフレーズを口にする。知らぬは、タイガースファンの怒りを知らぬハゲタカ族のみで、全ベースボールファンがパクリと気づく世紀の感動フレーズを修正パクリして、ウツツワールドに完全復帰。そうなのです。ここでも、名指揮官というか、オジャリたちの名ティーチャーを目指すぞー! と、球場とテレビ前に陣取るベースボールファンの声に押され、感動の余韻ホカホカ保存のウツツシーンへスキップでーす。


「さあ、あと一週間だから、今日から私がみんなのティーチャーになって、二時から五時までのサードメニューは集中特訓に切り替えるからね」

 朝食後の、あの衝撃の告白による大、大、震撼が収まらぬランチタイム。千加子は「エヘン!」と咳払いで皆の注意を引き、またまた物議をかもすカリキュラム変更をぶち上げたのであった。


「‥‥‥またかよう。大体、思いつきでカリキュラム変えられたら、こっちは迷惑なんだよぅ。―――それに集中特訓つったって、‥‥‥一体どんな内容のものをするんだよぅ! チーちゃんの講義なんか受けたら、今まで勉強したのが、全部出て行っちゃいそうな気がするよぅ!」

 

不満顔の弟が真っ先に反意を表明する。


「何を申す、ユウ殿。ワラワは先ほどまで、そなた達のために、一週間分の夏期集中特訓の講義案を作成していましたのじゃぞえ」

 

おっと、引く気のないときの、訳の分からない武家表現が飛び出しましたよ。ぐぐっと、満点迫力で反対分子を鎮めにかかる。


「ね、百聞は一見に如かずやけん、一度、千加子さんの集中特訓ば受けてみましょうばい。それから決めたらよかやなか。うちと竜ちゃんはどっちかというと、受けたかし。―――ね、竜ちゃん」


「‥‥‥うん、おいものり子に賛成」

 

当然、これも読み通りの賛成票なのだ。優一とのぞみに気を遣った、遠慮がちな竜児が続く。


「そやそや。一回受けてみて、それから決めたらエエねん。後片づけはおばあちゃんがしとくさかい、今からやってもらい。さ、早う」

 

待ってました! 最強の味方が支持に回ってくれました。数の上でも三対二。文句なしの千加子の勝利で、優一とのぞみも渋々、重い腰を上げてゲストルームへ向かった。


「―――それでは始めるわよ。取り敢えず、数Aからやろうかな。南君とこは工業高校で、応用数学系を習ってたらしいけど、原理は同じなのよね」

 

四人がゲストルームのソファーに腰を下ろすと、千加子は壁のホワイトボードを背に、ティーチャーの真似ごとを始める。


「まず試験の範囲だけど、高一の一学期に習ったとこだから、〈式の計算と数〉それに〈式と証明〉までが数Aの範囲よね。数Ⅰは、‥‥‥〈二次関数〉までかな。ユウやのぞみちゃんの高校は〈三角比〉まで行ってるけど、公立高校はそこまで行ってないでしょう。今日は取り敢えず、式の計算の中の、因数分解を説明するわ。試験に一番出やすくて、しかもちょっとしたパタンで、ほとんどの問題が解けるから」

 

千加子はクルッと背中を向け、ホワイトボードにマジックチョークを走らす。


「まず第一は、共通因数があればそれで各項をくくる。第二は、項が二つしかない場合は二乗引く二乗の公式。例の、aの二乗マイナスbの二乗のパタンがほとんどだから、和と差の積、つまり(a+b)(aーb)に持っていく。―――第五として、以上のパタンに乗らないときは、次数の一番低い文字に着目して、それでくくって、先ほど書いた四つのパタンに乗せればほとんどの問題は解答可能だから。―――最後に、これらでもどうしても因数分解できないときは、第六のパタンとして―――」

 

カリカリとノートを走る鉛筆音が、途中から二つ増える。反対派二人も無視しえない講義内容であるのだ。


「‥‥‥へぇー! こないだから解くのに難儀してた問題も、第六のパタンに乗せると簡単に解けるわけだ。―――なるほど、なるほど」

 

ノートにミミズの這う字を記し、優一は舌を巻き感心の腕組だった。


「チーちゃん、すごいわねぇ。でも、自分で考えたことなの?」

 

天敵のぞみもノートを取り終え、上目遣いに千加子の顔をのぞき込んだ。


「実は、予備校の夏期講習をベースにしてんの。―――でもパタン化は私の考えよ」

 

正直は最良の統治手段、いやいや、共同生活の基礎的条件なのだ。すべて、ワラワのオリジナルであるぞえ! と、一発かましてやっても良かったが、当家のオーナーの孫なのだ。千加子はグッ! とこらえて、控え目笑顔で肩をすぼめ、正直に出所を明かした。

 

予期せぬ特訓がサードメニューに割り込んできたが一週間の短期で、しかもワンメニュー変更に過ぎなかった。四人は転入試験前日に、当初の学習予定をほぼ完璧に消化してしまった。


「さあ、今日の勉強はここまでにしましょ。明日はテストだから、夜の部の予定は没にした方がいいから」

 

共同生活一週間。千加子は奥村ファミリーでの地位を築くことに成功した。来年三月までの居場所をパーフェクトに確保したのであった。試験一日前の三十日、特訓と合宿の同時終了を提案すると、


「そうだね。少し余裕を持って、リラックスした方がいいもんね」

 

四人に全く異論なく、素直に賛意が表明されたのだった。


「本当に充実した夏休みだったわ。もう思い残すことはないわね」

 

ソファーで体を伸ばし、のぞみが感慨深げに四人を見回す。


「俺もよく続いたと思うよ」

 

優一だけでなく、誰にとっても初めての経験だったが、感謝の気持ちが自然と湧く、掛け替えのない素晴らしい夏であった。


「思い残すことといえば、せめてもう一週間、千加子さんの特訓ば受けたかったわ。ねぇ、竜ちゃん」

 

お世辞でなく、千加子ティーチャーの特訓はそれほど素晴らしかったのだ。


「ああ! のり子、サン! アナタは何て先輩思いの優しい後輩なのよ! 私、感激したわ!」

 

千加子はのり子に駆け寄り、わざと大根役者ぶって、大仰な仕草で彼女の顔をギュッと胸に抱きしめた。


「チーちゃん! のり子が死ぬー! デカパイで窒息しちゃうよー!」

 

ピタッと息の合う観客が、すぐさま名演技に応える。ボイン・ボイン・アンドロイドには最高の賞賛で、合宿生活最後を飾るオチでもあった。

 

さて翌日の火曜日は待ちに待った、いざ、出陣! と言いたいが、ちょっぴり気後れのする転入試験。のり子と竜児、それに千加子が第一陣であった。二陣二名の戦場は、基地からわずか三分のお城高。あってないような距離なのだ。二十分前の出発でも、タップリお釣りが出る時間勘定なのだ。


「ユウ、早くしなさいよ! ―――もう、何してんのよ! ユウの自転車は、こっちじゃないの!」

 

先陣出発からまだ十分しかたっていないが、八時ジャストの出陣にこだわり、上官よろしくのぞみが門横のガレージで優一を急かせる。


「今日は、のり子のチャリに乗って行くことにするよ」

 

さり気なさを装い、赤いママチャリに股がろうとするが、


「もう! ゲンを担いだりして! 実力、実力。実力を信じなさい!」

 

のぞみにキッチリ見抜かれてしまった。赤が好きで相性が良いのだ。ゲン担ぎと、のり子の福というか運貰い。ママチャリ借用は今朝の至上命題であった。

 

スイスイと漕ぐほどもなく、あっという間に二人がお城高正門前に着くと、


「エッ!」

 

何と! 意外や意外。恵美子が正門前で、天守閣とお堀を背に二人を待っていた。昨夜遅く関空に着いたが、試験に影響が及ばないよう、近くのホテルに泊まったとのこと。


「もう! わざわざ来てくれなくてもいーのにィ! もう子供じゃないんだから」

 

ジーンと! 胸と目頭が熱くなったが、ここは踏ん張りどころなのだ。久しぶりの笑顔に、優一は見え見えのふくれっ面を向けた。


「分かってるわ。ちょっとユウの顔を見たかっただけ。―――おはよう、のぞみさん。頑張ってね」

 

やはり母は最高なのだ。言い過ぎず、言わな過ぎずの名セリフ。のぞみまでぺコンと頭を下げてしまう、千両役者だった。


「さあ、どうぞ、こっちですから」

 

中年の白髪男性事務の人に案内され、臨時試験場の応接室へ入る。長いテーブルの両サイドに椅子が二十脚ほど並んでいて、最初の椅子に教頭先生が腰かけていた。


「お早ようございます。教頭の石谷です。これから、ちょっとだけ簡単な受験上の―――」

 

教頭先生から、受験事項の説明を受ける。最初は数学で、時間は九時から五十分。


「さあ、それでは始めてください」

 

教頭先生の合図で二人そろって問題を解き始める。


「エヘン!」

 

一分もしないうちに、のぞみが咳払いと、正面の優一に余裕スマイル。千加子ティーチャー解説の、ドンピシャ難問が第二問目に出ていた。


「コホン」

 

控え目、控え目。肝チョロ男はうつむいて、小さくガッツポーズならぬ、蚊の鳴くような咳払いなのだ。

 

―――なんと!

 

鉛筆がすらすらと滑らかに走ること、走ること。最難問が苦もなく解けると、あとは赤子の手をひねるようなものだった。二人とも時間前、全問解答の快挙を成し遂げたのだ。


「はい、止めてください」

 

終了の合図が告げられたとき、優一は二回見直し満点確信で、のぞみにVサインを送る余裕すっトボケ笑顔だった。

 

英語も国語もこれといった不安箇所はまったくなく、実力アップのたまものか、それともラッキーなのか、はたまた不注意の見落としか、はかりかねる優一であった。


十一時五十分に国語が終わり、のぞみと並んで試験場を出る。


「ユウ。何だかコワイね。こんなにすらすら解けちゃうと」

 

ぜいたくな悩みの主は、ニヤッと不敵スマイルで優一の左腕を抱いた。アンタも出来たんでしょ! とのランゲッジが腕を通して伝わってくる。実力、実力。よくできたのは矢張り実力アップのたまものであったのだ。


♪ ―――燃ーえよスワローズ ♪

 

鼻歌交じりに廊下を寄り添って歩く二人。この信じられないカップルが、アンビリーバブルな得点ゲッターとは、教頭先生も信じられなかった。


「どうだった? うまく出来た?」

 正門を出ると、恵美子が遠慮がちに近寄ってくる。のぞみと視線が合うと、二人ともバツが悪そうだった。


「ドンマイ、ドンマイ。あなたの息子を信じなさい。これくらいの試験、屁でもないんだから」

 

とりあえず、優一は明るいムードメーカーに徹する。それなりに気を遣う役回りなのだ。胸をたたいてイキがると、


「もう! どこの誰なのよ! ゲンを担いで、赤いママチャリに乗ってきたのは!」

 

のぞみがキッチリ突っ込みを入れる。いやはや、ボケ役も結構疲れるのだ。


「さて、試験の好調を維持して、最後の面接に臨むとしますか」

 

優一はアサッテ上空に視線が泳ぐトボケ顔で、のぞみのゲン担ぎ攻撃を無視すると、ゆっくりと面接会場へ向かったのだった。

 

三十分ほどの簡単な面接を終え、優一が教室を出ると、隣の教室からのぞみも出てきた。二人並んで玄関横のチャリ置場へ行くと、食堂で待っているはずの恵美子が、黒のレースの日傘をさしてチャリの横にたたずんでいた。優一が左手でVサインを送ると、にっこりと微笑みが返ってくる。


「後ろに乗ってもいいんだけど、歩いて帰ってもすぐそこだから」

 

三人並んで高校裏のおばあちゃんちへ着くと、すでに土生高の三人は帰っていた。


「ママー!」

 

恵美子の声が耳に入ると、千加子が血相変えて玄関から飛び出して来た。


「どうしたの、チーちゃん」

 

貫禄の差か、それとも娘の行動パタンを見切っているのか、恵美子は鷹揚で動ずる気配もなかった。微笑みながら、泣きべその娘の顔をのぞき込んだ。


「ママ。どうしよう! 一番得意な国語で、しかも古典で、大失敗しちゃったのよー!」

 

国語の出題は堤中納言(物語)だったが、問題文を読み違えてしまったのだ。


「堤中納言は一番嫌いな物語なのよねー。虫めずる姫君の話なんかが入っているから。―――もう、ジンマシンが出ちゃうのよねー、クモなんか連想しちゃって」

 

恨みタラタラで、千加子は恨めしげにチラッと、のぞみに視線を送った。


「くそー! いえ、これはチョットお下品ですわね。このヤロー! ま、これも同じか。よくもワラワに恥をかかせてくれましたわね。さあ、これでも食らいなされ!」

 

空想ゲームワールドでは、明日・ひみロードに巣くうクモ一族はことごとく千加子ボールの餌食になる予定であるが、予定はあくまで未定なのであります。しかも今はウツツワールドの出来事でありまして、より一層シビアな現実に曝されているのでありんす。


「大丈夫ばい、千加子さん。数学に英語は完璧なんやけん。それに角田先生も、あれくらいんミスやったら問題なかっとおっしゃっとったし」

 

試験なんて受けてみないと、本当に分からない。自信満々だった千加子が、一番自信の無かった竜児に慰められているのだ。試験と政治の世界は、一寸先は闇。所信表明演説後の代表質問前に、体調不良も重なり総理をやめざるを得なかった〈無念のシンゾーちゃん事件〉。おまけに次の総理までやめちゃった〈アーア、なんでアンタまで、ヤスオちゃん事件〉。ダブルの口あんぐりサプライズが政治の世界を襲い、またまた疑惑献金にポッポくん総理の脱税事件。結局、ダブル、トリプル、クアドラプルのアンビリーバブル舞台。で、これで終わりと思いきや、シンゾーちゃんが期待の奇跡復活アベノミクス。わずか六年間の出来事で、復活遂げたシンゾー丸は順風満帆の記録ずくめ航海。の、はずが、またまたトラブル発生なのだ。森友学園に加計学園問題。あー、しんど! でも、これでも終わらず、シンゾー元総理が凶弾に倒れ、出るわ出るわの宗教問題と巨大被害。ホント、政治の世界は闇まみれで際限がない。


さて、それでは我らが試験世界も、政治世界の二の舞か。夢想だにしなかった事態に、優一の楽勝気分も水をさされてしまうが、


「さあ、さあ。みんな、中へ入って、入って。千加子さんもせっかくお母さんが来てくれはったのに、そんな情けない顔してんと。さあ、入って入って。お昼にしよう」

 

おばあちゃんに促されてダイニングへ入り、七人がテーブルを囲んだ。


「―――わが家は二人もお世話になりまして、本当にありが―――」

 

恵美子は恐縮至極なのだ。立ち上がって再び礼を述べようとするが、


「お母さん、気にせんといて。私が一番嬉しいんやさかい。さ、皆でいただきましょ」

 

おばあちゃんの朗らか笑顔が、堅苦しい謝辞を寄せつけなかった。

 

昼食後、智子と恵美子はダイニングで親交を深める楽しい会話。五人はゲストルームでハラハラドキドキの検討会であった。


「ああ! 運命のときは来たり! 何ゆえ、美人はかくも苦しまねばならぬのじゃ! ―――さあ! みなの者、いざ出陣、いや、合格確認に向かうのじゃ!」

 

二時二十分前、千加子の絶叫で簡単な検討会が終わり、各自、母校―――と呼びたい、お城高と土生高へ向かう。


「ユウ。わたしたち、大丈夫だよね」

 

千加子の絶叫が不安をかき立てるのか、ペダルをこぎながら、のぞみまでガラにもなく弱音を吐く。


「大丈夫に決まってるジャン! ―――そうだよ。そう思わないとサ、運が逃げちゃうよ」


闇、闇、闇。闇ワールドは、太陽光にめっぽう弱いのだ。朗らかに振るまい、運をゲット。この手で未来を拓くのだ! この心もて、近き母校に向かわばや! の心境なのだ。

 

優一の一念、岩をも砕いたか。お城高校に着き、玄関前でチャリを立てかけていると、事務室からニコニコ笑顔の教頭先生のお出まし。


「おめでとう。二人とも、良かったね」

 

いやー! 最高! 丸ぽちゃ髭(教頭先生)の笑顔、大好き! のぞみと抱き合いながら、優一は天空の城〈舞い上がり城〉に駆け上がってしまった。


「エヘン!」


「あ! どうも、ありがとうございます」

 

教頭先生の咳払いで、照れながら二人は離れたが、青い空が急にまぶしく、お日様とお城の天守閣が日焼けした腕に痛いほど新鮮だった。


「ヤッター! ヤッター!」

 

大声でチャリをこぎ家へ帰ると、土生高の三人も無事合格していた。


「良かったねー。本当に良かったねー」

 

ダイニングに集い、皆で喜びを分かち合う。フワフワと天上を飛び跳ねる気分で、ハイ! ハイ! ハイ! であった。


「さぁさぁ。よう冷えたジュースで、乾杯、乾杯」

 

おばあちゃんの音頭で冷蔵庫からジュースを取り出し、各自のグラスにつぎ合う。


「―――さて。不肖、わたくしメが年の順も顧みませず、乾杯の音頭をとらせていただきますが、その前に」

 

宴会男優一が、大根役者風ブレイクを入れ、立ち上がって四人に目くばせする。


「―――さあ、ハイ! 一緒に。―――おばあちゃん! ありがとうー! これからも、お世話になりマース!」

 

名指揮のもと、五人の合唱がダイニングに響きわたった。

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