第12話 家族の絆 

お城高校と土生高校。この二校への四人の割り振り決定は驚くほど早かった。のぞみと優一がお城高で、のり子と竜児は土生高に決まったのだ。お城校の入学試験における偏差値がかなり高く、転入判定基準も厳しいものになるとの判断が割り振り決定に際し、重視されたのだった。確かに土生高も高い進学率を誇っているが、お城校の転入判定基準よりは若干緩いであろうと、角田先生もおばあちゃんにアドバイスをくれていて、決定はスムーズに運んだのだった。


お城高と土生高への四人の割り振りは決まったが、これですべてクリアなら言うことはないのだが、単なるスモールステップに過ぎなかった。転校に至るさらなる難敵ハードルが、この先も待ち受けているのだ。孫子の兵法よろしく、よく敵を知ろう。百戦危うからずの心境に達するため、翌日の日曜日、戦士たちは晴高の国語教室を目指した。

 

教職が天からの授かりもの―――自他ともに認める教育人間で、角田先生は生徒と学校をこよなく愛し、日曜日も普段通りの登校。早朝から部活の指導、授業の準備に余念がなかった。文化サークルでは邪馬台国畿内大和説立証に心血を注ぎ、〈明日香クラブ〉と名づけた部室には、畿内大和説関連資料が山のように積み上げられていた。


「おうおう。邪馬台国の民の子孫の方々が、われらに声援を送ってくれおるぞ」

 

何と! いきなり空想ワールドへスキップし、司令官優一がゆったりと愛馬〈ヘナチョッコ〉に揺られながら、明日・ひみロードの民に手を振り感謝の気持ちを表わす。空想ワールドでの敵との戦いに傷ついたとき、身命を賭してかくまってくれ、手厚いもてなしを何度受けたことか。数に勝る敵には竹やりを携え、何度も助っ人に駆けつけてくれたのが明日・ひみロードの民たちなのだ。その民の長(おさ)が何を隠そう、角田の連(むらじ)であった。


「おう、おう! 角田の連。その節は世話になったのう。ソチも元気で何よりじゃ」

 

などと調子づいてふんぞり返っていると、迷司令官はヘナチョッコから落馬してしまいますがな。というより、ウツツ世界の角田先生に出会えないのであった。

 

というわけで、空想ワールドからウツツ世界への舞台装置切り替え係の登場であります。「スイッチ・オン!」で四人とおばあちゃんの会話場面が出現でーす。


「日曜日いうてもな、角田先生のことやから、ちょうど今頃の時間は期末テストの採点してはるかも知れへんから、ちゃんと都合をうかがわんとアカンよ」

 

おばあちゃんに念を押され、四人は神妙な面持ちで、静かにお城高の正門をくぐる。


「‥‥‥お城が見渡せて、ほんなこてしっとり落ち着いた高校ね。こがん高校は、ちょっとなかやなか? まるで、ハウステンボスにおる気分って言うたら、ハウステンボスにおこらるるかな」

 

お城高の出迎えは素晴らしきかな、スプレンディド・シーイング。緊張気味のビジターも、たちまち和み、お城の抱擁に満喫してしまうのだ。玄関前を素通りして、四人は正面校舎一階東端の国語教室へ歩き、窓から室内をうかがう。


いる、いる。角田先生が椅子に腰を下ろし、年代物のワープロをたたいていた。

 

四人の気配に気づくと、


「うん?」

 

立ち上がって、窓から顔を出した。


「こんにちは。奥村の家の者ですけど、先生にお話をうかがいたいと思いまして―――今、お暇でしょうか?」

 

のぞみの挨拶に、


「おお、そうか。君らが奥村さんとこの」

 

角田先生は、メガネの中の細い目をいっそう細めた。


「うん。かまへん、かまへん。入って、入って」

 

四人に玄関から回ってくるように言う。


「あのう、いいんですか。期末の採点中じゃないんですか」

 

再び、のぞみが恐る恐る尋ねる。


「うん、もうとっくに採点、終わってんねん。国語は最初の日やったから」


「それじゃ、お言葉に甘えて」

 

四人は、玄関へ迎えてくれた先生の指示に従い、来客用のスリッパを履いて国語教室へ入る。


「コーヒー、入れたるわな」

 

四人を教室のソファーに座らせ、もてなしのため右隅の厨房に向かうが、


「あ! 先生。―――あの、おい、いや、僕がやります」

 

竜児があわてて立ち上がった。


「角田先生、モカがお好いとーけんって。おばあちゃんが、これ、持っていくごとって」

 

持参した豆をミルで挽き、竜児がカップに注ぐ。ペアカップルはのり子で、五人分をトレイに乗せテーブルへ運ぶ。


「佐世保から、奥村さんとこへ引っ越してくるらしいね」

 

コーヒーを一口味わい、先生は感慨深げである。


「僕も大学が長崎やったから、君らのことは他人ごととは思われへんねん」

 

奇遇とはこのことだろう。大学の四年間、先生は長崎で過ごしたのだ。


「転入の仕組みについてはすでに知っていると思うけど、知らんとこもあるやろから説明したげるけどな。まず最初に、カリキュラム調整があるんや。あんまり違うカリキュラムをとっているとこやったら、転校は難しいな。次に、転校理由。これは君らの場合、こっちへ引っ越してきたんやから、別に問題はないやろね。以前は転入試験があったんやけど、引っ越しによる一家転住の場合は直近の定期テストの成績で判定するのが最近の傾向やね」


「先生。一家転住って、どういう意味ですか?」

 

優一が聞き慣れない言葉に反応した。


「一家転住っていうんは、文字通り、家族全員での引っ越しのことなんや。全員ていうても、両親か、それともお父さん、お母さんのどちらか一方と一緒の引っ越しやったら、それで十分やろけどな」


「えーっ!!」

 

四人とも真っ青になる。各人の住民票をおばあちゃんちへ移せば事足りると考えていたのだ。


「いや、それやったら、一学期の期末試験の成績だけを判定材料にする転校は、ちょっと認められへんやろな。無理からぬ理由ある場合の転校として、転入試験を廃止し、直近の定期テストの成績で転入を認め易うして、転校生の便宜を図ろうという、この趣旨から外れるからな」

 

のぞみの調査不足で、四人の転校の可能性は潰えたかに見えたが、

「ちょっと待っててや。教頭先生に相談してみるわ」


やはり角田先生は〈明日・ひみロードの民〉の長であったのだ。一家転住の形をとれない理由を聞くと、教頭先生に電話を入れて打開策を練ってくれる。


「‥‥‥転入試験を受ける覚悟はあるんやろうか?」

 

受話器から、教頭先生の悩んだ末の声が漏れてくる。


「受けます!」

 

固唾を呑んで耳を傾けていたのぞみが、ソファーから身を乗り出した。


「僕も受けます!」

 

中身もよく分からず、優一がのぞみに続くと、


「僕も!」


「私も!」

 

と、四人全員の意思の合致を見たのであった。ただ、この旧来の制度復活ともいうべき転入試験は、お城高校のみの判定で、のり子と竜児が関わる土生高校には当てはまらない。


「先生! 土生高校はどうなんでしょう?」

 

のり子と竜児が同時に身を乗り出した。昨日わが母校と決めた高校なのだ。転入判定基準が気にならないはずがなかった。


「うん、ちょっと待っててや」

 

さすが〈明日・ひみロードの民の長〉角田の連で、のり子と竜児のサポートも抜かりなかった。岸和田お城高の前任校が土生高校で、同じく土生高の教頭先生に連絡を入れてくれて、お城高と全くイーブンの条件を引き出してくれたのだった。


「ラッキー! 先生、ありがとうございます」

 

土生高校教頭の声が耳に届くと、のり子と竜児は右手のハイタッチで喜びを共有して、角田先生に礼を言う。


「先生。僕、転入試験に受かるでしょうか?」

 

予期せぬ試験実施に、竜児は不安指数がマックスに達してしまっていた。


「‥‥‥そうやな。工業高校からの転校は、お城高はもちろん、土生高の時も一度もあらへんかったからな。カリキュラムのハードルはなんとかクリアできそうやけど、転入試験となると、どうやろな‥‥‥」

 

先生は厳しい顔で腕を組んだ。竜児の高校と土生高のレベルが違いすぎるのだ。


「‥‥‥学年でトップ言うても、現実にはどれくらいか分からへんからな。結局、八月三十一日に実施する試験結果いかんちゅうことになるやろな」

 

最後は実力がものをいうのだ。


「おい、いや、僕、頑張ります! 晴高へ入りたかばい。新しゅう人生、やり直したかばい。‥‥‥今まで、あんまりよかことなかったけん」

 

竜児はテーブルに身を乗り出し、先生に決意を述べた。シーンと室内が静まり返るほど、重く存在感ある前向きの決意表明だった。


「‥‥‥ともかく、この夏休みやな。死に物狂いで勉強したら何とかなるやろ。英・数・国の三科目やさかい、対策も立てやすいやろしな。それに、高校へ入って四カ月間にしたとこが範囲で、それだけなんや。―――ま、いずれにしても、夏休みが勝負やな。がんばりや」

 

角田先生は四人に念を押したが、ハッパはもっぱら竜児にかけられていた。教職歴二十年。眼リキは磨ぎ澄まされているのだ。


「お忙しいところ、ありがとうございました」

 

廊下へ出て、四人並んで、もう一度、深々と頭を下げた。


「絶対、受かるぞ! 絶対、受かってやる!」

 

校門を振り向き、竜児はこぶしを突き上げ、何度も何度も力を込めた。

 

岸和田城の天守閣に見送られて家へ戻ると、おばあちゃんが昼食の準備を済ませて四人を待っていた。


「どうやった? 角田先生の話を聞いてきて」

 

ダイニングから、緊張気味の竜児とのり子を笑顔で迎える。


「八月三十一日の、転入試験の成績いかんやろうって」

 

急に受けることになった試験の説明をしてから、のり子がしんみりとおばあちゃんに笑顔を返した。


「ガンバルゾー! ガンバルゾー!」

 

竜児はテンション・ハイで、プレッシャーとの闘いなのだ。昼食も忘れ二階へ上がりかけるが、おばあちゃんに呼び止められてしまった。


「そうやそうや、竜児君。その意気、その意気。―――せやけど腹が減っては何とやらやさかい、まず腹ごしらえせんとな。さ、スタミナ一杯の焼肉やで、今日のお昼は」


「そういえば、腹ぺこだったんだよなー。もうフラフラ」

 

軟体動物よろしく、タコ真似パーフォーマンスで、優一がヘナヘナとダイニングへ倒れ込んだ」


「角田先生。エエ先生やろ」

 

ジャーを開け、微笑みながら、おばあちゃんがテーブルの茶碗に手を伸ばすと、


「おばあちゃん、うちがやるけん」

 

キャベツを水洗いする手を止め、のり子があわてておばあちゃんに駆け寄る。


「そうそう。おばあちゃんは座っててよ。動くのは若いモンに任せときゃいいんだから」


「何よ、ユウ! アンタは座ってちゃダメでしょ! 冷蔵庫から焼肉のタレ出して。五人分、お皿に入れてよ!」

 

おばあちゃんの横に腰かけ、チャッカリと澄まし顔の手抜き男に、のぞみがキッチンからお灸をすえる。

 

おばあちゃんは目を細め、テキパキ・だらだら―――対照的作業工程を楽しんでいたが、


「さっきも言うたけど、角田先生ってエエ先生やろ。おばあちゃん、角田先生とそのお友達の、堀川先生にはホンマに世話になってしもて‥‥‥」

 

堀川先生の名前は声が震え、大粒の涙が頬をつたった。


「おばあちゃん! どうしたの!? ‥‥‥ねぇ、いやだー!」

 

のぞみとのり子が同時に駆け寄り、わけも分からず、おばあちゃんの肩に顔をうずめて泣きじゃくった。優一と竜児もなす術がなく、呆然と立ち尽くした。


「―――ゴメン、ゴメン。かんにんやで。おばあちゃん、つらかったときのことを思い出してしもて―――、もう泣かへんて決めたのに‥‥‥。ゴメンやで。―――さあ、メソメソ婆ちゃんは、おしまい、おしまい。はよ、ご飯にしよう」

 

ハンカチで目頭を押さえ、ぎこちない笑顔で四人を見回すが、あふれる涙は悲しみを倍加するのだった。


「おばあちゃーん! ‥‥‥ねぇ、なんでー!」

 

のぞみとのり子はお祖母ちゃんから離れられず、オー、オー、声を上げて泣いた。


「―――さあ。‥‥‥ごめん、ごめん。もうエエから、もう泣かんといて。な」

 

おばあちゃんは細いやせた手で、二人の体をやさしく撫でた。


「‥‥‥おばあちゃん。―――ね、おばあちゃんのつらかったときのこと、話してくれないかな。俺らサ、おばあちゃんに甘えてばっかりで、おばあちゃんのつらかったこと、よく知らないからサ。知りたいんだよ―――おばあちゃんのこと、もっとよく。‥‥‥な、皆もそうだろ」

 

大きな皿を持ったまま、優一がボソボソと口を開いた。泣きじゃくるのぞみがいとおしかった。祖母と孫。二人に流れる血を意識せずにおれなかった。


「―――うん」

 

優一に促され、泣き虫たちもコックリと涙の顔でうなずくが、声が震え蚊の泣くようにかぼそかった。


「‥‥‥そうやね、そんなら聞いてもらおうか―――。みんな家族やさかいね」

 

やはり孫が惚れるだけのことはある。きっちり押さえどころを心得ているではないか。智子は優一を再認識したのだった。封印したまま墓まで運ぶつもりだったが、四人には聞いてもらおう、いや、聴いてほしい。智子は照れを「家族」という言葉にかくして、つらかったときのことを話し始めた。


「‥‥‥お父ちゃんと達之が亡くなったときは、この世の地獄やと思たね。なんであの二人が火だるまになって、苦しんで死ななアカンのや‥‥‥て。おばあちゃん、二人の苦しむ姿が頭から離れんで、―――もう、つろうて、つろうて。こんな苦しい思いするんやったら、よっぽど二人の後を追おうか思て‥‥‥」

 

当時を思い浮かべ、うつむいて目をしばたいたが、もう泣かなかった。


「―――せやけど、なんとか頑張って生きていこう。せめて三年の間だけ、二人の墓を守ろう。三年たったら、その先のことを考えよう、思てな。そない思て、やっと身の回りのものを片付け始めたその時なんや―――のぞみちゃんのお父ちゃんが亡くなってしもたんは」

 

のぞみの手を握って見上げる瞳が、うるんで寂しかった。言葉では言い尽くせない悲しみをたたえているのだ。


「もうアカンと思たわ。もう生きられへん―――なんぼ何でもあんまりや。この世に神さんなんかいてへん。こんな無茶苦茶なことてないわ―――そう思たね。和之の葬儀が済んで帰ってからいうもの、おばあちゃんは死ぬことばっかり考えてたんや。そんなとき、角田先生と堀川先生が毎日、家に寄ってくれてな。ご飯のまわりから家の掃除まで、全部してくれるねん。おまけに代わり番こに家に泊まってくれてな―――きっと分かってたんやな、おばあちゃんが死のう思てんの。‥‥‥堀川先生がな、『おばあちゃん、僕も火事で家族を亡くしてしもて、もう生きる気力も何もかも失せてしもたときがあったんや。‥‥‥なんでよりによって、気乗りのせんかった主幹教諭研修に、出かけてしもたんや。もし僕がいてたら、せめて子供だけでも助けられたのに‥‥‥。後悔と、家族にすまん気持ちで、何も手につかんで、死んだほうがなんぼましやと思たんやけど、生徒らにな、先生! わたしらのこと、忘れんといて! そんな抜け殻みたいな先生、見てるのいやや! て、泣いて励まされて、気を取り直したんや。そうや、死ぬのはいつでも出来るんや。もう一日だけ生きたろ。ひょっとしたら、何か起きるかも知れん。そう思て、一日、一日、だましだまし生きてきたんや』って、言わはって、おばあちゃんの手を握って泣かはるんや。おばあちゃん、ホンマはその日に死ぬつもりやったんや。そやけど、堀川先生に言われて、もう一日だけ延ばすことにしたんや。そしたら、次の日に誰が来たと思う―――のぞみちゃんが優一君連れて、おばあちゃんに会いに来てくれたんや。―――死んだらアカン! この子らがいてるやないか! あのとき、おばあちゃん、目が覚めたんや。せやから、こうしてみんなと楽しく暮らせるのは、堀川先生のおかげなんや」

 

―――最高! 最高! 最高!

 

優一は全身飛び跳ねて、大声で叫びたかった。おばあちゃんの自殺思いとどまらせ人―――の一人に自分も入っていたのだ。震える感動を、震えながらこらえていたが、こらえ切れないにわか泣き虫がいたのだ。


「お祖母ちゃーん! ‥‥‥なんで言ってくれなかったのよう! ねぇ、なんでよう‥‥‥」

 

のぞみはお祖母ちゃんを背中から抱きしめ、オーオー泣きながら、だだっ子のように何度も何度もお祖母ちゃんの細い体をゆすった。

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