第11話 佐世保っ子
猫の手も借りたい。いや、そんな生易しい形容が及びつかないのが四人の七月だった。まず転校準備。高校への連絡、住所変更、引っ越し荷物の梱包・・・数え上げれば切りのない雑務であった。本務もおろそかにできないのは当然で、転校直近の定期テストである期末(テスト)。これに全力投球せねば、転入可能性は限りなくゼロに近づくのだ。
本務に追われ、雑務に急かされ、スイッチヒッターもままならぬところへ、頭がパニクるドでかい悩みのおまけまで付いたからたまらなかった。そう、大きな山場に差し掛かったのだ。これは、優一の空想ゲームワールドでも同じで、畿内大和説同盟軍とクマソ帝国軍の主戦場に匹敵する場面が訪れたのだった。
クマソ帝国は、熊本県に邪馬台国があったと主張する国家で、ここも〈九州のオナゴは強かとよ、コワカとよ!〉を地で行く女優位の専制国家だった。精鋭はすべて女性軍なのだ。
「くそっ! 右翼は、邪馬台国九州説の中のクマソ国説をたてまつる、クソ―――いやクマソ族の精鋭部隊ではないか。月ノ輪グマの身ぐるみはいで、何という格好なんだよう! あれじゃぁまるで、クマそのものじゃありゃせんか」
見るからに強そうな精鋭部隊を前に、ビビリ司令官優一は真っ先にトンズラしたい衝動に駆られるが、ここは踏ん張りどころであった。名司令官として明日・ひみロードに名を刻む、絶好の機会であったのだ。
「よし! これで行こう」
情報収集と分析。それらを元に、優一は勝利方程式を立て、解を導いて行く。
「ほう‥‥‥。精鋭部隊の指揮を執っているのは、三百代言ミサイルを口からかっ飛ばす、悪名高きカマはげマッチョ将軍ではないか! おまけに左翼は、すべての武器を無力化するという、お目々小さい・ずんぐりブトッチョのブラックホール河馬族が占めているではないか! ようし、右翼はカマはげマッチョ将軍の天敵・ヒカル将軍を雇い、〈ヒカルちゃん〉の正直戦略で突き崩すぞ! それ! おのおの、かかれ!」
総司令官優一は、お雇い将軍〈ヒカルちゃん〉の戦略に則って、的確に指示を出し、クマソ軍の精鋭〈月ノ輪グマ乗り移り〉コワカと女部隊をバッタ、バッタと薙ぎ倒していく。
「‥‥‥あのう、戦闘中の戒厳令下でこんな愚問を発しますれば軍法会議にかけられ、股裂きの刑で我があんよが河馬の尻尾にくっついたまま、胴から逃げていくのではとの恐怖に怯えながらもお尋ねしたいのですが」
というような、控え目な読者からのご質問、などありゃしませんが、いきなりの〈カマはげマッチョ〉に〈ヒカルちゃん〉、それに〈ずんぐりブトッチョのブラックホール河馬族〉が解説なしに登場しましたことを衷心(ちゅうしん)よりお詫び申し上げます。近未来の予知能力取得、というよりゲームとウツツワールドがごっちゃ混ぜ優一の手抜きパタンでありまして、間もなく三名がウツツ世界に登場しますので、その際、ああ成るほどとお分かりいただけると思います。それまでほんのしばらくご辛抱願い、本文に続けます。説明省略手抜きを再度お詫びして、はい、ゲームワールドへスキップ。
「次は河馬族だぞ! キャツラには攻撃は不要ぞ! エネルギーを吸い取られるだけなのじゃ! 眠らせよ。眠らせるのじゃ。さ、この生薬兵器・眠るボーンを撒き散らすのじゃ」
このように空想ゲームワールドでは初の雇い入れ将軍と環境安全生薬兵器を使い、難局を乗り切ったツワモノたちであったが、さてウツツ世界はどうなっているのでありましょうか。空想ワールドと同じく危難回避可能でありましょうや。では、スイッチ・オンでウツツワールドの幕開けとまいります。
さて現実世界に戻ると、まずは竜児の母の夜逃げ事件が発覚。月が明けて二日目の金曜日に生活費を貰いに行くと、店はモヌケのカラだった。酒屋はおろか、電気・ガス・水道の公共料金まで踏み倒し、トンズラしてしまったのだ。せめて行き先でも分かれば―――。祈る思いで隣の同業店の裏口ドアをたたくと、中年の女主人が二目と見られぬ素(顔)、眠気まなこのカバあくび、ふりふりの付いたピンクの花柄パジャマで出てきた。
「ちょうど二週間前、朝ん四時頃ゴソゴソ音立てとったけん、あん日に逃げたんばい。ダンナがスロットに入れ揚げて、店ん売り上げ、全部スッちゃうって澄ちゃんこぼしとったけんさ。マチ金にいっぱい借金しとったらしかばい。―――さあ? 行き先は知らんばい。誰も知らんのやなかと。酒屋さんがカンカンやったばい。『借金踏み倒しゃがって』って、大声で怒鳴りちらしとったばい。―――ところであんた、澄ちゃんの息子さん?」
ゴシップを食うバクなのか、小さな目が急に生き生きと意地悪く光った。情夫の愚痴をこぼすが息子は隠す、二人の間に友情のカケラもなく、男客を取り合う仲であった。
「―――いえ、ちょっとした知り合いばい」
優一の友情を思うと、竜児は背筋が寒くなり、苦しいウソでその場を逃れた。ハウステンボス近くまで走って、しばらくベンチに腰掛け、親子三人で訪れたときのことを思い浮かべていたが、パラパラと雨のしずくに、ここも逃げるようにバイクのキックを踏んでアパートへ戻った。親には裏切られっぱなしで少々のことは屁でもなかったが、今回は正直いってきついダメージだった。最優先日課の、優一との勉強にも足が向かず、部屋から動きたくなかった。
時間厳守・突撃・切り込み隊長未着にあわてたのは司令官優一で、心配になってアパートを訪れると、内でのり子に愚痴っていた。
「‥‥‥ほんとうに、こがんことって、ありかよ! 無責任すぎるばい。こないだまでんおいやったら、完全にキレてたばい。何て親なんばいぅ! 息子がどうなってん、よかってんかよう! ‥‥‥」
「竜ちゃん。お母さんは、きっとやむにやまれなか事情があったんばい。そがんお母さんのこと、悪う言うたらイケンわ。当座ん生活費はうちん貯金でなんとかなるし、後は転校してからアルバイトばすりゃよかとやけん。ね、頑張ろうや。‥‥‥それにね、うち、感謝しとーと。もし、これが一ヶ月早う起こっとったら、竜ちゃん、きっとヤケ起こして取り返しんつかんことになっとったけん‥‥‥」
のり子はやはり、並の女ではなかった。優一は、竜児がチョッピリうらやましくなってしまうのだ。
「ね、竜ちゃん。こないだ、のぞみたちと一緒に勉強したとき、〈他山ん石、もって玉ばおさむべし〉って諺、あったやなか。うちらもそうしようや。竜ちゃんのお父さんとお母さんば他山ん石にして、うちらはりっぱな親になろう。そして竜ちゃんの分まで、子供たちば何倍も何倍も可愛がろうや。ね―――」
優一の目に思わず涙が溢れた。何度完敗を味わうことやら。心境は釈尊に帰依する孫悟空で、すがすがしい感動の涙だった。自分も竜児も、のぞみとのり子の手の中の存在に過ぎなかったのだ。優一はドアを開けることもできず、黙って自宅へ帰ると、竜児が来るまで長い間、本も開かず暗い部屋にたたずんでいた。
さて場面の展開が急であるが、次にのぞみに降りかかってきた第二のド肝抜き事件に触れねばならない。あろうことか、奇想天外、最終兵器攻撃のスイッチボタンがついに押されてしまった。みどりとアイが、抜き打ちのイタ・フレンチ(イタリヤとフランス)旅行をやってのけたのだ。顧問弁護士のツルぴかヘッドから絞り出された、臭すぎる味噌っカスで、かのハゲタカさえ鼻つまみであった。転校阻止の最有力手段は親権行使―――以前からくだんの彼(のぞみにカマはげマッチョとアダ名をつけられている)が口をすっぱく説くところで、法律上、親が持つ子供の居所指定権を行使し、岸和田への住所変更阻止が臭い兵器の中身だった。真っ向勝負のキメ球に出来なかったのは、のぞみの逆襲が恐ろしかったからだ。激怒は当然として、試合放棄、果てはリーグ離脱に匹敵するファミリー離脱も想定範囲内であった。躊躇していたところ、カマはげマッチョが悪魔ならぬ、屍肉のささやきを漏らしたのだ。
「それじゃ明らかな権利行使ばやめ、同じ効果ば生み出す、こがん手段はどうやろうか。つまりですね―――」
長年のトラブル処理は、かくも怪しき腐りドタマをもたらすものであろうか。CTスキャンも、輪切りヘドロ満載かと思わんばかりの脳の中身だった。みどりの長期不在は、積極的阻止行動と同じく、転校手続き続行不能をもたらすのだ。親権者たる母親の承諾および印がないため、のぞみは事実上、住所変更、学校間の転校手続き、いずれも取ることが出来なくなってしまう。結局、二学期の転校阻止には、二カ月程度の旅行で必要十分。確かにその通りであった。
みどりとアイはこの案に飛びつき、稲垣ワイナリー設立第一次調査団派遣と称する、イタリヤ・フランスのぶどう畑、ワイン工場見学に名を借りた、ただ時間を潰すだけの優雅な旅に、コソコソと人目を忍んで出発したのだった。
少々場違いで恐縮であるが、ここでお堅い話をさせていただくと、稲垣ワイナリーの設立構想は、のぞみの父・稲垣和之の発案であった。
「焼酎の可能性は限りないものがあって、日本酒は旗色が悪いように思うんだ。だから、稲垣酒造生き残りのためには今の日本酒オンリー路線じゃなく、日本酒以外の何らかの手当が必要なんだよ」
幼い頃から、のぞみは父の語り口調を何度も聞いていた。あるときは母に、又あるときは腹心の部下に真剣なまなざしで語っていた。
父の焼酎に対する危機意識の源は、〈めぐり逢い〉という古いハリウッド映画であった。一世を風靡した美男・美女共演のメロドラマであるが、そこでの主人公の会話に衝撃を受けたのだった。
「僕は貧しいから、シャンペンじゃなく、ビールしか飲ませられないけど、いいかい?」
このプロポーズの会話の中に、父は焼酎の限りない可能性を読み取ったのであった。ビールを焼酎に置き換え、シャンペンを日本酒に置き換えて対比したのだ。
以前は労働者階級の飲料であったビールと、上流階級の飲み物だった甘いシャンペン。いくら辛口と銘打っても、原料が米ゆえに甘味が漂う日本酒に、シャンペンのビールに対する衰退を嗅ぎ取ったのだった。
「消費者の舌がこえた現在では、甘味はウリではなく、むしろマイナスイメージなんだ。キレとコク。これが時代の流れだよ。悔しいが、この点では焼酎の方が、日本酒より数段有利だな」
試作品を味わいながら、父の背中が何度も同じつぶやきを漏らしたのを、のぞみも鮮明に覚えている。だから日本酒と並行する路線として、稲垣ワイナリー設立準備はのぞみも反対はしない。が、今回は目的が完璧に不純で、父の描いた戦略とかけ離れていた。
さて、頭のテッペンにヒョロッと二本だけ残るウブ毛からつま先まで、どこを取っても不純だらけの〈不純の塊〉。この不純劇団の座長、カマはげマッチョの不純舞台に話を戻すと、七月三日の土曜日のことである。
「チー、ただいまー」
のぞみが出迎えのチー太郎の頭をなでなでしてニコヤカ笑顔で学校から帰ると、家にはお手伝いの孝江さんしかおらず、彼女の口から目も眩む毒ガスパッケージの存在を知らされたのだった。中身はかぐまでもなかった。カマはげマッチョ同行と聞いただけで明らかであった。
―――しまった! やられた!
敵ながらアッパレと賞賛を送りたいところだが、そんな余裕は全くなく、
―――どうしよう! ‥‥‥。
ガクッと膝から、その場にヘタリ込んでしまった。
「二学期がダメだったら、三学期にすればいいジャン。そんなに気を落とすなよ」
優一の家へ駆けつけると、蛍光灯の昼あんどんは、神経逆なでの、当たりもしないテポドン慰めを見舞うのだった。
「何よ! ユウ! ヒトのことだと思って―――。わたしは、みんなと一緒にかわりたかったのよう!」
諦め切れないのぞみは、優一のベッドで足をばたつかせ、子供のようにダダをこねてしまった。
「困ったねぇ。のぞみに悪かけん、二学期ん転校はユウと竜ちゃんだけにして、のぞみとうちゃ三学期まで待とうか」
同盟軍間のホットライン、という大げさなものでなく、単なるスマホのメール連絡網であるが、集合指令で駆けつけたのり子は、親友に同情しきりで、自らも三学期まで待つ覚悟だったが、レスキュー隊長奥村智子の名采配がキラリと光った。岸和田にも秀でた弁護士があまたおわしまし、カマはげマッチョなどものかは(物の数ではない)、なのである。お祖母ちゃんの顧問弁護士ともいうべき、ペリーメースンならぬ、頭皮光弁護士に登場願ったのだ。
「待ってました! 光ちゃん!」
思わず声を上げたくなる場面で、真打ち登場とはかくあるものかと舌を巻く鮮やかな手並みだった。やはり餅は餅屋であったのだ。まずクライアントのぞみの処置は、親権者(みどりのこと)の長期不在を攻め、祖母が孫を預かり自宅に住まわす―――非の打ち所のない論理で、学校及び役所の手続が進んだ。竜児の処理も抜かりなかった。南澄江の失踪手続が取られ、息子竜児は奥村智子が身元引受人、という手筈であった。
「竜児君。人生は山あり谷ありやさかいね、クサったらアカンよ。おばあちゃんもな、これ以上の不幸はないっちゅうドン底を味わったけど、生きてて良かったとつくづく思うわ。アンタらみたいな、元気のエエ子が家族になって、一緒に暮らせるんやさかい」
十七日の土曜日に訪れると、智子おばあちゃんは顔をクシャクシャにしての喜び笑顔で四人を迎えた。
「さあ、昨日で手続、全部終わったさかいね。あとはアンタらのガンバリにかかってんやで。―――さあ、さ。いつまでも抱きついてんと、自分の部屋へ上がって、勉強、勉強」
抱きついたままの、のぞみとのり子の尻をたたいて、おばあちゃんは四人をトレーニングルームへ駆り立てる。七月以降、土・日はあばあちゃんちが四人の前線基地で、一泊二日の訓練メニューをこなすのだ。転校判定最重要基準の期末テスト対策立案も、この岸和田基地がメインだった。四人とも、佐世保大好き佐世保っ子だが、岸和田もいい。特に戦略ムードは、おばあちゃんちが最高だった。目の前のお城高(岸和田お城高校)が、闘志とエネルギーを間断なく注ぎ込み、四人を奮い立たせるのだ。
「パイオニアだー! ハウステンボスで、パパがママにプロポーズしたように、新しい人生を、切り開くぞー!」
チーまねパーフォーマンスの雄叫びが、いつの間にか四人のモットーになってしまった。レストタイムのなごやかムードもたまらなかった。
「ティー・タイムやでー!」
おばあちゃんの美声一響、
「はーい!」
戦士たちはリビングを目指す。ペチャクチャとたわいない会話にひとときの安らぎを求め、紅茶と手作りクッキーが花を添える。最高のティー・タイムで、至福の時間であった。
今日も呼ばれて、優一と竜児が、
「ワー! 俺が先だ! 俺だ! 俺だー!」
ワンパタンの先頭争いをくりひろげ、階段を脱兎のごとく駆け下りる。
「さあ、裏の畑でとれた完熟トマトとスイカ、それに揚げたてのドーナツやで」
ダイニングのテーブルに、真っ赤に熟れたトマトに四つ切りスイカ。ワゴンの上では、ホカホカと山盛りドーナツが湯気を立てていた。
「あー! 暑い! 暑い!」
四人の部屋と違って、ダイニングはクーラーが御法度。のぞみとのり子が早速、おばあちゃんの膝を守るため、膝保護条例を立案し、クーラー禁止令が早々と制定されたのだ。血気盛ん・体力オンリー・脳味噌スカンピーには、サウナで囲った蒸し風呂気分で、地獄とまでは行かないが、極楽には程遠い状況であった。
「もう! やめてよ、ユウ。お祖母ちゃんに失礼じゃない」
両手をTシャツの背中に回し脱ぎかけの優一に、のぞみが口をとがらせ、脱がせまいとスソを引っ張る。
「かまへん、かまへん。気にせんと裸になり、なり。暑いんやさかい、しょうないわな」
おばあちゃんのおスミツキをもらい、優一が裸になると、
「お祖母ちゃん。あんまり甘やかすと、すぐ図に乗っちゃうんだから。ユウなんか、暑いからってパンツまで脱いじゃうよ」
ドーナツをかじりながら、のぞみが減らず口をたたく。
「バーカ! チー子と一緒にすんなよ。俺はここまでだって」
鼻までスイカに埋没させ、優一はギョロリと目だけ上げた。
「おうおう、ほんまに楽しいな」
ヤングソルジャーたちは、おばあちゃんのパワーとスマイルの泉なのだ。キッチンのチェアーから目を細め、四人を見回していたが、
「それはそうとな、ちょっと気になることがあるねんやけど」
戦士たちの食欲がおさまると、おばあちゃんはまじめ顔でキッチンから出てきた。懸念材料はお城高の角田先生にギブされた、ショッキングな情報だった。
「角田先生って、おばあちゃんと昨日、菜園で話しとった先生んこと?」
菜園の水やり当番でベジタリヤンのり子が、トマトを口に運ぶ手を止め、フォークを皿に戻した。
「そうやねん。角田先生、愛媛の田舎の出身やさかい、野菜の作り方がうもうてな。おばあちゃん、先生に教えてもらってんねん」
「へぇー、あの先生。角田っていうのか。どっちかというと、丸田って顔だな」
いつものように、優一が余計なことを言う。
角田先生は国語の先生で、歳は五十歳過ぎ。ナチュラルパーマの髪をショートに刈って、童顔にさわやかスマイル。外見は限りなくソフトであるが、人は見かけによらないもので、剣道部顧問の肩書きに四段の腕前付きだった。
「昨日、角田先生に聞いてみたんや。孫とその友達が岸和田お城高校へ転校するつもりなんやけど、大丈夫やろかって」
ことが転校に及ぶと、ピーンとダイニングに緊張の糸が張る。四人とも口をつぐみ、真剣な顔でおばあちゃんの次の言葉を待っている。
「ほならね、角田先生はこう言わはるんや。四人いっぺんやったら、ちょっとまずいんやないかって」
「なして?」
竜児が一番ハンディを負っているのだ。青くなって、おばあちゃんの顔をのぞき込んだ。
「というのはな。お城高校、生徒さんが一人、お父さんの転勤で転校しただけなんやて。そんなとこへ四人いっぺんに行ったら、転校の判定も辛なるやろ。ひょっとしたら、よその高校を受けるよう学校が指示するかも知れへんでって」
「‥‥‥そうだよねー、そう言われてみれば―――四人いっぺんじゃ、まずいよね。どうしよう」
ショッキングレポートに、のぞみが不安な面持ちで皆を見回す。
「いやだよなー、この中の誰かが落ちるのって」
蛍光灯男も、ようやく深刻灯が頭にともる。
「おいが一番危なかとやけん、困るよー。実力はだいぶ伸びたけど、ばってん、やっぱり一番下だしなー。それに工業高校からん転校じゃなー」
事態の深刻さに、竜児がしょげてしまう。
「大丈夫よ、竜ちゃん。どがんしてんダメんときは、うちが三学期からかわるし。―――それに、他ん高校に転校することも考えればよかし」
男たちには気丈な女性軍がついているのだ。ショックを吹き飛ばすのり子の励ましが、打開策直結の妙手だった。
「のりちゃん! それそれ! 角田先生が言わはるにはな、二人だけお城高校へ転校して、あと二人は土生(はぶ)高校にしたほうがええんやないかって」
「土生高校! 」
四人の同時合唱は連帯の証で、かくもそろうと気持ちがいい。
「そうやねん。アンタらはお城高校しか知らんやろうけど、岸和田駅の東っ側にもう一つ高校があるんや。そこも結構ようてな、クラブ活動も盛んで、おまけに進学率も高いんや。場所は駅から―――」
ピンチの後にチャンスあり。ベースボールの醍醐味で、父がサインを出せば、行け! 行け! だろう。岸和田駅東1000メートルに本塁弾を叩き込め! おばあちゃんの説明を聞く間、優一はまさにドラゴンズのホームランバッター〈ドラゴンけんしろう〉であった。
「ね、今から土生高校へ行ってみんね?」
おっとっと。ドラゴンズの四番バッターを差し置いて、のり子が真っ先に提案してしまった。
「賛成!」
誰に異論があろうか。ダイニングの片づけをハチ鳥の速さで終え、めいめいのチャリに乗り家を出る。おばあちゃんちの在庫は三チャリだったので、騎兵たちには馬ならぬチャリが一台足りなかった。誰かのチャリを佐世保から宅配で、との案も有力であったが、送料を考えると新チャリ購入案が急浮上し、有力案を凌いでしまった。ニューフェイスはのぞみ・のり子共同出資の赤いママチャリで、のり子の足に収まり、スーパーへの買い出しや家の用足しに重宝がられている。
「あー! 暑いー!」
サンサンとまではゆかないが、六時前でもまだ日差しは強く、軽いといっても、上り坂のペダルこぎは体内からの汗汲み上げポンプに連動する。上半身にドッと汗が吹き上がり、Tシャツの胸と背中が世界地図を描く。ふー! ふー! 顔から汗をしたたらせ、優一が斥候さながら先頭で、エディオン駐車場前の府道を駆け上がる。
「あー! 快感!」
ピンチの後はチャンス。上りの次は下り。世の中、結構うまく出来ていて、このフォーミュラ(公式)が身につけば、少々の苦痛は凌げるのだ。土生高手前の緩い下り坂で、緑の風がほてった体にクール、クール。実に心地よかった。
町中の細い道を走って、幼稚園手前を右に折れると、その先に土生高校があるのだ。お城高校と違って、目立った目印がないが、細い道の先から、部活の元気声が鳴り響いて来る。通用門の表示前にチャリを立てかけ、声に誘われるように、四人はグラウンドへ入る。期末テストが既に終わっていてグラウンドは解放感に満ち、歓声のなか、クラブ活動に励む部員たちが生き生きと躍動的だ。
「‥‥‥いい高校じゃん! グラウンドが広くて、‥‥‥パワフルで、スペーシィで、アクティブな高校ね。お城高は落ち着いて気品が漂っているけど、この高校はどっちかというと、野性的な感じがしない?」
通用門前に自転車を立てかけ、のぞみが喜び笑クボで三人を見回す。
「それって、グラウンドにやたら男が目につくからじゃないの」
言葉尻をとらえ、優一がのぞみの肩を抱いてニヤッとからかう。
「ばかなこと言ってないで、ユウも小・中と同じくサッカー部にでも入って、もっとたくましくなりなさい! ‥‥‥ね、家へ帰って、割り振りを早く決めよう」
優一を見上げる瞳が急にマジになり、するどい決意がキラリと光った。二高への四人の割り振りを早く決め、迷いなく転入対策に打ち込む必要を感じたのだ。
「‥‥‥分かった、分かったよ。割り振りが決まったら、―――俺はサッカー部に入って、ボールを蹴りまくるからサ、のぞみは剣道部に入ればいいだろ。剣道部のあるとこへかわって、竹刀を振り回したいって言ってたから。さ、学校の正確な情報を仕入れ、四人で早く転校先を決めよう」
優一は興奮を抑えきれずに、竜児とのり子の肩をたたいて帰宅を促した。おばあちゃんちへ帰って、できれば今日中に転校先の割り振りを決めたかったのだ。
「‥‥‥ばってん、何か寂しゅうなるね。あがん好いとった、佐世保ば離れて暮らすんかと思うと」
高校を目の当たりにし、転校がもはや動かしがたい事実に直面すると、のり子はおセンチになる。佐世保を思うと、帰りのペダルが急に重くなってしまうのだ。そう、佐世保と佐世保東高には未練がありすぎて、夕陽の空を見つめる瞳に涙がにじんでしまう。
「弱気はダメよ、のり子。わたしたち、どこにいても佐世保っ子なんだから。今、へこたれたら、佐世保に笑われちゃうよ。さあ、感傷は捨てて頑張ろうよ。佐世保と岸和田を繋ぐ、強くて長ーい懸け橋になるんだから」
のり子を励ますのぞみの顔が、夕陽に映えて、優一には震い付きたくなるほど愛しかった。
―――佐世保っ子‥‥‥。
豪雨禍直後、なぜ佐世保を離れられなかったのか。父の思いを、のぞみがたった五文字で言い当てたのだ。
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