第10話 智子おばあちゃん

〈二学期はだんじりの町―――岸和田で〉がいつの間にか四人の合い言葉になってしまい、心は既に岸和田の住人であったが、のぞみの祖母・奥村智子の住む岸和田市は、海があり山があって、そして岸和田城とだんじりで有名な大阪南部の都市だった。

 

岸和田をこよなく愛する奥村智子は、岸和田城のま近く、二階からお城と堀が見渡せる―――緑あふれる閑静な住宅地に居を構え、はるか彼方の佐世保を望み最愛の孫に心をはせる毎日であった。

 

奥村家は四十年余り前、地区の開発による分譲とともにこの地に越して来、当時としてはモダンな鉄筋の二階建て住宅を夫則之の設計で建てたのだった。幸福を絵に書いた家庭で、夫則之、長男和之、そして次男達之の四人家族だった。


智子のわずかな不満といえば、長男和之が稲垣みどりと結婚し稲垣姓を名乗ったくらいで、その不満も、のぞみという孫が生まれたときには意識にすら上ることなく、完全に消え去っていた。


「のぞみちゃん、アンタはお祖母ちゃんの宝や!」


のぞみを抱くときの、智子の口癖だった。父に連れられ南海本線岸和田駅に着くと、祖母はいつもニコニコ笑顔で、一時間の待ち人であった。


「お祖母ちゃん、うれしい?」

 

六歳のときの記憶が鮮烈で、手を引かれながらのぞみが見上げると、


「うれしい、うれしい! お祖母ちゃん、うれしてたまらんわ。のぞみちゃんの体に、お祖母ちゃんと同じ血が流れてると思うと、お祖母ちゃん、死ぬほどうれしいわ!」

 

急にしゃがみ込んで、祖母は涙の頬ずりをしたのだった。

 

ほんとうに家族の絆を大切にする人で、次男達之の結婚と孫の出現を待ち望んでいたのに、四年前、夫と息子を同時に事故で亡くしてしまった。二人の同乗車が、追突事故で炎上したのだ。二人とも焼死だった。追突車のドライバーはスマホのながら運転による前方不注視。皮肉なことに加害者にはカスリ傷一つなかった。

 

悲しみの涙が渇く間もなく、長男和之の死。新製品開発のプレッシャーで神経をすり減らし、過労死と言えるものだった。


「なんで命を削ってまで、新しい製品を開発する必要あるんや! たかがお酒やないか‥‥‥。何でもっと体を大切にしてくれへんかったんや。なんでなんやー!」

 

息子の遺体にしがみついて、長い間、泣いていた。十二歳ののぞみは父を亡くした言い表しようのない喪失感とともに、祖母の言葉の中に稲垣家に対するぬぐいようのない〈恨み〉を感じとってしまい、体が金シバリにあって動けなくなり、抱き合って一緒に泣くこともできなかった。

 

祖母が気がかりで、のぞみは優一を伴い可能な限り岸和田を訪れた。最初に彼を連れていったとき、


「へぇー、この子が、のぞみちゃんのボーイフレンドの優一君か。‥‥‥おおきに、おおきに。もう、お祖母ちゃん、二度と弱音をはかへんわな。必ず、ひ孫ができるまで、長生きするわな。ホンマに、おおきに。―――おおきにやで」

 

気丈にも前向き長生きライフを誓ったのだった。


「くそー! 死神一族め。お前らは、決して許さんぞ! さあ、のぞみ。明日・ひみロードに巣くう死神どもは、みんな、のぞみ大尉の餌食だ!」

 

空想ワールドにスイッチ・オンすれば、優一の怒り爆発で、道端に隠れる死神たちは皆、ボール弾とブーメラン、それに竜児の〈必殺・掃討回転キック〉で焙り出されるのだ。


「わたしの前から、消えて!」

 

ダーツの矢が額のどくろマークに突き刺さるたび、死神たちは「キキ、キキ!」と、声にならない声を上げ、海の藻屑ならぬ、ロードの砂塵となって舞い上がるのであった。

 

優一の怒りが呼んだ、一瞬の空想ワールドから、ウツツのお祖母ちゃんに話を戻すと、前向き長生きライフを誓ったお祖母ちゃんはその後、決して泣き言を口にすることはなかった。


「春休みと夏休み、それに冬休みには絶対、来てや。お祖母ちゃん、ごちそう作って待ってるさかい」

 

春・夏・冬休み前、優一にもEメール攻勢がかかるほど、孫のボーイフレンドがお気に入りなのだ。のり子と竜児もむげに扱うはずはなく、四人の引っ越し要員を告げ、電話で同意を求めると、


「かまへん、かまへん。あんたらの友達やったら、何人でも連れといで。ずっと、この家に住んでもかまへんのやで」

 

うれしそうに高音の声をはずませ、奥村王国へのビザ(入国許可証)を与えてくれたのだった。

 

四人の、最初のビザ行使は六月二十七日。日差しの強い、暑い日曜日であった。共通の目的は強い連体を生み出し、男たちは恋人の先導のもと、違和感なく訓練メニューをこなし始めていた。短期かつ急激な実力アップのため、土・日は超々ハードな学習予定が組まれたが、優一と竜児は文句も言わず、ひたすらのぞみとのり子のレクチャーを受けたのであった。特筆すべきは竜児の変化で、番やツッパリは完全に抜け切り、三人に必死に追いつく気概がありありと現れていた。


「ユウ。ようおいば仲間に入れてくれたな。もし仲間に入っとらんかったら、おいはオヤジん二の舞いやったやろ。ホントにありがとう。もうケンカ売られてん、買わへんねん。殴られても、殴り返さんかったら、相手にしよらんごとなりよったわ」

 

優一の部屋で一緒に勉強しながら、竜児はよく礼を言った。


「気にすんなよ」

 

いつも同じ言葉で照れを隠すが、優一はすがすがしい気分でいっぱいだった。この自分が、竜児の更生に役立っているのだ。九州豪雨禍や地震のとき、多くのボランティアの援助を受けたが、わずかでも借りを返せる気分にもひたれ、うれしくて、つい気負ってしまうのだ。それに竜児の飲み込みも早かった。番を張っていた、あの落ちこぼれの竜児と別人ではないかと疑いたくなる頭のキレなのだ。やる気と環境。成績が右にも左にも転ぶ最大の要因に思えてならなかった。中学のワルなんて、ヤル気とわずかな環境変化でいかようにもなったと思う。と同時に、これらの生成がいかに困難か。これも優一にはよく分かっている。竜児がここまで来れたのは、偶然に偶然が重なり、確率的には限りなくゼロに近い状況で、他人には滅多に起こり得ないことなのだ。

 

竜児の変ぼうは千加子の驚嘆の的でもあるが、ストレートに出すほどヤボでなく、


「南クーン! キンキラキンのバリバリやんきー、もうやめちゃったの? 『爆音ばりばりライダー、どこ行ったのー!』って、ファンクラブ結成の動きあんのよ。飢えた鼓膜が求めんのよねー、バリバリの快感。なのに汝は―――ああ! 弱き者、汝の名は男‥‥‥。ハムレットの気分よ、強き〈めのこ〉は」

 

コーヒーをダシに油を売りにやって来ては、駄賃に竜児をからかうのだった。


「すんません、迷惑かけてしもうて」

 

普通、普通。普通人になりきろうとしている竜児なのだ。反省しきりで頭をかくと、


「いーのよーん! 若いうちは、一杯いろんなことして恥じかけば。ウチの弟なんか、いっくら『ダメ、ダメー!』って言っても、いまだに『お姉ちゃんと一緒に風呂入るー!』ってダダをこねて泣くんだから」

 

千加子は根も葉もない大ボラを吹いては、真顔で二人を笑わすのだった。

 

前置きが長くなってしまって、四人の奥村王国到着が危ぶまれる雲行き加減であるが、王国へのめでたい到着前に、転校阻止計画の頓挫をチラリと一瞥したいと思う。計画策定者はみどりとアイの二人で、みどりのファーストプラン不発はすでに我々の知るところであるが、懲りない二人はセカンドプランにとりかかった。ターゲットはのり子の両親であった。二人に、娘の翻意を促すよう懇願したのだ。


「‥‥‥稲垣さん。のり子はこうと決めると、テコでも動かんばい。それにね、今回はのり子ん思い通りにさせてやろうって、主人と話し合うたばい」

 

よし子の回答は、みどりには不本意極まりないもので、ここにセカンドプランもついえてしまった。


「‥‥‥お母さん。奥村のお義母さんに頼んでも断られるに決まってますから、学校に頼んで、のぞみを説得してもらうのはどうかしら。理事長さん、懇意だから」

 

気落ちした母を励まし、みどりは学校の説得に望みをかけたが、


「本人が転校したかとおっしゃっとーんやったら、本人ん意思ん尊重が本学院の基本方針やけん、無理ばいな。あとはご家族で話し合うて解決していただく問題と思うけん」

 

スルリと、スマート過ぎる正論でシャットアウトされ、サードプランもジ・エンドであった。結局、残された最終プラン―――最も有効ではあるが、のぞみの反撃も超ド級が当然予想される、最終兵器使用ボタンを震える手で押すべきか否か。みどりとアイは寝苦しい、長い、長ーい、夏の夜を過ごす羽目に陥ってしまった。

 

さて、四人の奥村王国到着シーンに場面を戻すと、時は二十七日午前七時、中佐世保駅改札前が舞台である。


「用意、スタート!」

 

監督の合図でカメラが回り始めるが、準主演級の役者が一人足りず、場面の展開が不可能であった。


「‥‥‥もう! ユウったら、遅いんだから! いくら便秘だからって、トイレ、長すぎるわよ。猫のヒゲとか柿のタネ、昔から貯めなくていいもんばっかり貯めるんだから!」

 

十五分過ぎてもまだ来ないので、のぞみが怒り出す。


「のぞみ。そがん怒らんでん、もうすぐ来るばい。飛行機ん時間は十分よゆうばもってセッティングしてあるし、大丈夫ばい」

 

丸ぽちゃ美人が親友をなだめる。彼女の横では、竜児が制服、といっても黒ズボンに白の半袖カッターで、二人分のリュックを両手に下げ微笑んでいた。


「おーい! スマン、スマン!」

 

三十分過ぎに、ようやく最後のメンバーが現れた。


「ゴメン、ゴメン。チーのトイレが長くて、なかなか出来なかったんだ」


「もう! 似なくていいとこばっかり似てるんだから‥‥‥。でもその格好、なによ!?」

 

背中の特大リュックに、のぞみはふきだしてしまった。


「奥村のおばあちゃんちへ行ったら、おみやげがスゴイから、チーがこれ持って行けって」

 

優一が照れながら頭をかくと、


「言っとくけど、おばあちゃんは、わたしのお祖母ちゃんで、アンタのじゃないんだからね」

 

欲ボケにあきれ、ふくれっ面ののぞみに戻ってしまった。


「どっちみち、二人んお祖母ちゃんになるとやけん」

 

穏やかな笑顔が何ともいえない。のり子はなだめ役が板についている。


「‥‥‥しかしユウ。小学校ん時から、わいん特技ばい。おいにはそがん真似、出来っこんばい。女もんの真っ赤なリュック背負って、電車に乗るなんざ」

 

竜児も赤いリュックを持ち出し、優一に助け船を出す。


「それを言うなって! 欲ボケ姉の、陰謀じゃー!」

 

苦笑いを浮かべ、優一も竜児の助け船に乗って茶化してしまった。


「飛行機は初めてだばってん、なんか、格別ばい‥‥‥」

 

ピーチの窓から雲海を眺め、竜児は幼稚園児のように神妙だった。


「新幹線利用もよかが、ばってん、格安航空やと費用が安うつくし、それに時間ん節約にもなるやろう」

 

竜児の隣の席から、のり子が通路を挟んだ優一とのぞみに微笑みかける。のり子の主張が入れられ、空路で大阪への旅となったのだった。

 

遅刻常習犯がサプライズでなくオフコースな行動をとってくれたおかげで、南海本線岸和田駅到着は予定より約一時間遅れの午後二時十二分だった。


「三時頃着くって電話しといたから良かったけど、お祖母ちゃんが待ってたりすると、どうしてくれるのよ。これからはもっと、時間を厳守すんのよ。パンクチャルのかけらもない、時間クシャルなんだから。ねぇ、ユウ。聞いてんの!」

 

のぞみのブツブツ小言に追われながら階段を下りると、


「のぞみちゃーん! こっち、こっち、こっちやでー!」

 

何と、智子おばあちゃんが改札前で手を振っていた。


「‥‥‥お祖母ちゃんったら、もう! 迎えに来なくていいって、あれほど言っといたのに!」

 

のぞみのふくれっ面のタネは尽きそうになく、開口一番、おばあちゃんにぷぅっとふくれた。


「これは欲ぼけユウで紹介の必要はないけど、―――こちらが電話で話した、のり子にボーイフレンドの南君」

 

邪魔にならないよう、改札を少し離れ、のぞみがおばあちゃんに二人を紹介する。


「お世話になります」


竜児がコチコチに硬くなって挨拶すると、


「転校が決まってから、決まってからだよ、お世話になるのは。南クン」

 

優一が合の手を入れ、皆を笑わす。


「‥‥‥お祖母ちゃん。もう髪が真っ白だね。これからは、ツエついてまで迎えに来ないでね。お願いだから」


「うん、うん。分かった、分かった」

 

孫のやさしい配慮は百薬の長で、健康の泉であった。うれしそうに目を細め、おばあちゃんが歩き始めると、


「おばあちゃん! おい、体力には自信あるけん、おいん背中に乗ってくんさい」

 

竜児がしゃがんで、おばあちゃんに背中を向けた。


「ええよ、ええよ。気ぃつかわんで。ホンマに大丈夫やさかい」

 

おばあちゃんは遠慮するが、


「おぶってもらいなよ、おばあちゃん。ホント、南クンて体力あるんだから」

 

外野の声援ならぬ、内野の声に急かされ、おばあちゃんは竜児の背中に乗せてもらった。


「どうする? いつもはタクシーで行くんだけど、今日はおばあちゃんち迄ゆっくり歩こうか」

 

のぞみの提案に、


「賛成! 賛成!」

 

三人が童心の笑顔で賛意を表明した。


「何か、佐世保みたいに、にぎやかで生き生きした町ね」

 

暑い日差しの中、家々の緑に守られ、五人の賑やかおしゃべり行進が続く。


「あれがお城高校やねん」

 

自宅近くの坂に差しかかると、おばあちゃんが太閤殿下よろしく、竜児の背中から指をさした。


「ヘェー! カッコイイ高校ばい。―――な、のり子」

 

竜児が立ち止まって、右手ののり子に日焼け顔の目を細めた。岸和田城の天守閣に守られるように校舎が建っていた。


「ホント!」

 

こぼれるような笑みを浮かべ、のり子も学校に見とれている。桃と桜はすでに花弁を散らし華々しさはなかったが、常緑樹の緑に囲まれ、堀と天守閣の借景も見事で、まさに気品ある学び舎というたたずまいであった。


「ガンバルゾー! 二学期から、俺らの学校だ!」

 

優一と竜児が大声で気合いを入れる。


「ホント、ガンバローね!」

 

のぞみとのり子も顔を見合わせ、ハイタッチの手を握り合って右手に決意を込めた。二学期から、この地で新しい高校生活が始まるのだ。四人は鳥肌が立ち、武者震いが出るほど真剣だった。


「さあ、さあ。ガンバルのはもちろんやけど、今日は初日やさかい、ちょっとリラックスしような。とりあえず家へ入って、皆でスイカでも食べよ。昨日から大っきいのを二つも冷やしといたんやで」

 

広々とした敷地に建つ、形状のよい二階建て家屋。枝ぶりの良い二本の高野槙に守られた簀戸門を開けて、祖母ちゃんが、四人に手招きすると、


「そういえば、暑かったんだよなー! いっただきまーす」

 

優一が真っ先に抜け駆けして、庭の芝生へ転がり込んだ。


「―――それじゃ、のり子と南は、二階のこの部屋と、この部屋。ユウとわたしは、ここと、ここにするからね。―――これでいいね」

 

縁側で、着替えたキュロットスカートの足を組み、左手にスイカ、右手で部屋の割り振り。のぞみはリーダーの貫禄十分なのだ。


「アンタが大将。ワシらは家来じゃけん。文句なかよ」

 

芝生に、プッー! と種をまいて優一が笑わす。


「‥‥‥よかね。おい、あがん広か部屋ばもろうて」

 

二階を見上げ、竜児は感慨深げである。


「異論はないけどサ、大将。でも俺ら、ここで共同生活を送るんだから、呼び方を統一しようよ。竜児がのぞみのこと、稲垣さん、て言うの―――あれ、やめてほしいんだな。俺ら二人と一緒で、『のぞみ』って呼んでほしいんだ。それと、のぞみが竜児のこと、『南』っていうのも、やめようよ。『竜児』って呼んでよ。―――な、のり子」

 

頭かきかきのボソボソ提案だったが、締めはのり子への笑顔できめた。


「うん」

 

笑顔もいいが、提案の中身は格別だった。のり子もひまわりのような笑顔を返して、


「ありがとう、ユウちゃん―――、じゃなかった、ユウ」

 

あわてて言い直すと、照れながら頭をかいた。


「急に直すんは無理だばってん、なるたけ改めるごとするばい。な、のり子」


「そうだよ。ユウの気持ちは分かるけど、急には無理だよ。とりあえずは、南がわたしのことを『稲垣』って呼ぶことで、いいんじゃない」

 

竜児がのり子をかばうと、のぞみも同調して妥協案の提示と相成る。


「さあ、話がすんだんやったら、お昼にしよう。今日はおばあちゃんがふんぱつして、お寿司をとったげたから、皆で食べよう、食べよう」

 

頃合を見はからい、ダイニングからおばあちゃんが朗らかに招く。


「ハーイ! いっただきまーす!」

 

部屋の割り振り完了、妥協案に見る友情の確認、モリモリと湧く戦闘意欲。さあ! 腹ごしらえだー!

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