第6話 ウツツは空ワより、遙かに怖かよ!

【忘却とは、忘れ去ることなり】。そうそう、そうなのだ。優一に限っていえば、嫌なことは忘れ、中間テスト対策に励むに如(し)くはなし、なのである。が、然るにここに、忘れえずして復讐を誓う、悲しき―――いや、あな恐ろしき二人の【めのこ】がおったのじゃ!


「やっぱり、あのとき東田に見られてたんだ。なんてヤツなの! 小学校のときからタレ込みナマズって呼ばれてたけど、高校へ入っても全々性格変わってないジャン! あの大ナマズ口にデカ串刺し込んで、こんがりローストナマズにして、カラスとハゲタカにハイエナ、それにピラニアも仲間に入れて、かれらにしゃぶらせてあげたいわ!」

 

優一が停学を伝えに行くと、のぞみの頭は火を噴いたのだ。


「もう済んだことだから。いいよ、もう何とも思ってないから」

 

被害者がなだめ役、というのも可笑しな話だが、怖いほどの烈火の怒りであった。


「何よ! ユウ。腹が立たないの! わたしは決してあのタレ込みナマズを許さないわよ! 見てらっしゃい、ひどい目に遭わせてやるから」

 

心頭に発した怒りは鎮めようがなく、ナマズの串刺しのみが唯一の鎮火剤なのだ。


「そうよ、そうそう、のぞみちゃん。―――げに恐ろしきは女の怒りじゃぞえ。ゆめ、あなどってはいけませぬぞえ、東田君」

 

東田のタレ込みと知り、千加子まで怒髪を逆立て、のぞみに加担したからたまらない。東田は猫に睨まれた―――金魚鉢の中の―――オタマジャクシ同然だった。


「そうなのじゃ。実は拙者も、きゃつめは許せんと思っておったのじゃ。やはり、きゃつはナマ屯族のスパイであったのじゃな」

 

おっと、やはり空ワの窓が開きましたか。空想ワールドでは、明日・ひみロードに災いなす者は根こそぎ撃退。これが優一のポリシーですからね。


「よし! 捕えたナマ屯族はすべて頭の皮を剥ぐ、のは少々残酷なので、ナマズひげを切り落とすのじゃ。そして二度と、邪馬台国がカムチャッカまがい半島にあるなどというたわごとを吐けぬようにするのじゃ」

 

と、東田を捕え、優一は空ワで高らかに勝利宣言をするはずであった。が、しかし今回はパス。そう、パスなのであった。なぜなら、空想ワールドで撃退する必要など、全くありゃぁせんのだ。ファクト・イズ・ストレンジャー・ザン・フィクション。事実は小説よりも奇なり、なのです。いや、もっと、もっと、【もっと】の百乗ほど、今回は怖いのであります。そうなのです、東田君。アナタのことですよ、怖がるのは。空想ワールドはパスして、ウツツ世界で地獄へドッスーン! と真っ逆様に引き摺り落ちて、マグマ囲炉裏の上でアッチッチー! とのたうち回るのじゃ! ということで、怒れる二人の【めのこ】が繰り出す、あな恐ろしき工夫というか、策謀を拝見しましょうね。ではスイッチ切り替え係さん、スタンバイですよー!


「はーい! スイッチ・オンでーす」

 

と、パチンコ店の愛嬌お姉さんの笑顔でウツツ世界へカムバック。すると、さにあらん。密告者の常で、東田も翌日、偵察と責任転嫁を兼ね、自宅謹慎中の優一を【表敬訪問】と称し、見え見えの意図で訪れたのであった。


「おお! 倉田、元気にしとーか? まあ、災難やったな。しっかし、こすかヤツもおってんやなぁ、密告するなんて」

 

密告があったなどと言った覚えはないのに、東田は臆面もなく口にした。地震を体で語れば良いだけなのに、密告ナマズは語るに落ちてしまった。のぞみや千加子なら舌鋒鋭く迫るところであるが、優一はあえて触れず、


「まあな。一週間休みが出来たと思って、家でグルメして、ゴロゴロ寝るよ。そしたらお前みたいに、少しは太れるかも知れないから」

 

チョッピリの嫌みだけにとどめたが、同居人はナマズに手ぐすねの釣り糸であったのだ。


「まあまあ! たれナマ、いえ東田君。なんて友情に厚いの! ユウをなぐさめに来てくれるなんて。のぞみちゃんも、きっと大感激だわ!」

 

東田名図馬の声を聞くと、千加子は揉み手で玄関へ出てきた。ナマズ解体ショーの幕開けで、天才料理人は生ナマズのドたまに五寸釘をぶち込むべく、到着を今か今かと待ちわびていたのだ。


「いやぁ、そがんでもなかばい。そうと、稲垣さんに感激さるるなんて」

 

東田は鼻の下をでれっと伸ばして頭をかいた。


(バーカ!)

 

優一を振り向き千加子はベロを出したが、それすらも気付かないほど東田は照れのぼせていた。


「ね、ね、東田君。東田君がユウをなぐさめに来てくれたのに、このまま帰したんじゃ、私、のぞみちゃんに叱られるわ。一緒にのぞみちゃんとこへ行って、報告しましょ。きっと、おいしいケーキで迎えてくれるわ」

 

のぞみんちへ東田を誘う理由が、今いちピンとこない。もちろん額面どおりであるはずはなかった。


「えっ! 稲垣さんが、ケーキで迎えてくるるんと!」

 

釣ったナマズにエサなどくれるはずはないのに、東田は警戒心のカケラもなかった。


「そうよ、私と一緒にのぞみちゃんとこへ行きましょう」


「そうやなあ、そがんらそうしようか」

 

優一の存在などすっかり忘れ、シアワセ丸出し顔で、東田はいそいそと玄関へ出ていく。


「チーちゃん。僕も行こうか」

 

ナマズの串刺しあぶり焼きはないと思うが、漠然とした不安感に優一は襲われてしまう。


「アンタは家にいればいいの! ―――ね、自宅謹慎中なんだからサ」

 

とんでもない、と言わんばかりの顔で、千加子は振り向いたが、


「じゃぁね、東田君。先に歩いて行っといて。私はバイクで追っかけていくから、ね」

 

一八〇度の回転で、顔相まで一気に変えるところが恐ろしい。千加子はニコニコ顔で東田に手を振り送り出すが、


「じゃぁね、バイバイ。―――今に見てろ! くそナマズ!」

 

視界から消えると、再び顔相は豹変してしまうのだ。ヘルメットを抱いた手にキィをぶら下げ、空いた右手でスマホを取り出し、


「のぞみちゃーん。すぐ行くからね。ちゃんと、用意して待っててね」

 

猫なで声で、これが犬猿の二人かと信じられない口調であった。


「東田に一体、何をするつもりなんだよ」


「何もしないから、アンタは心配しなくていいの。タリオ、タリオ。タリオなんだから」

 

ニヤッと意味有り気に目くばせと投げチューすると、千加子は玄関を飛び出し東田の後を追った。

 

―――あーあ、やられちゃうな‥‥‥。

 

タリオ(同害報復)! 何と的確な近接未来の暗示であろうか。姉のヒントは弟に、ビー・ゴーイング・ツーを明確に予測させてくれたのだった。わざわざ千加子がバイクで行くこと。のぞみはカメラマニアで、気に入った被写体をパチリパチリとデジカメでゲット収集。東田がノコノコと出かけて行ったこと。不可解極まりない、二人の謎の共同戦線。これらの事実もすべて同じニャー・ヒューチャーにズッキューン! と吸い付くものだった。


〈哀れ! タレ込みナマズの運命やいかに‥‥‥〉

 

のぞみ宅前では、復讐の鬼、というには余りにニコやかで満面笑みの二人の、おどろおどろしき企みが、静かに、寸分違わぬ精度で、あっけらかんと動き始めていたのであった。


「東田クーン。ユウをなぐさめに行ってくれて、ありがとー!」

 

スマイル、スマイル。ここはあくまでスマイルなのだ。坂道を見下ろし、門前でのぞみが朗らかに手を振って迎える。背後に千加子と二人のバイクが並び、大道具・小道具も準備万端整っていて、後は頓死ナマズ―――ではなくて哀れな東田を待つのみであったのだ。


「いやぁ、慰めだなんて―――、友人として当たり前んことばい」

 

はあはあ息を弾ませ、東田は照れ笑いを浮かべ頭をかいた。


「えらいわぁ、そのあたりまえのことが出来ないのよねぇ、みんな。ねぇ、のぞみちゃん」

 

千加子も東田をおだてる。


「いやぁ、そがんことなかばい」

 

警戒心のカケラもないと分かると、二人は仕上げにとりかかった。


「本当にひどいわねぇ、バイクの免許とったくらいで停学なんて。わたしたち二人とも、いつも乗り回しているというのに。大体、バイクぐらい乗れないで、男とはいえないもんね。わたし嫌いよ―――バイクに乗れない人なんて」

 

東田の口に、のぞみがエサをちらつかす。


「そうやなあぇ。男やったら、バイクぐらい乗れんば。遅れとーっさ。ウチん学校」


「でも、東田君は免許持ってないから、バイクには乗れないんだ」

 

千加子は東田の自尊心をくすぐる。


「とんでんなか! 僕だっていつも、隠れて家んバイクば乗り回しとーとやけん。ちょっと貸してみてくれん」

 

パクッ! とエサに食いついた瞬間で、東田はとうとう引っかかってしまい、千加子のバイクに股がり、家の前をタタタタターと、三度も往復したのだった。


(あー! 快感!)

 

後ろのシャッター音が、ブルッ! と震えるほど千加子の耳に心地よかった。


「♪ 春よ 来い ♪」

 

の心境で、


「♪ ドリーム カム ヒャ ♪」

 

と、何度も、何度も歌いたいほど時の流れが緩慢に感じられる、日がな一日で、千秋の一日が過ぎ、再び千秋の一日が訪れ、耐え難い三千の秋も終わる三日後の金曜日のことであった。のぞみと千加子はようやくこの日、待望のシーンが網膜に飛び込んで来たのだ。われらが愛する中佐世保駅が舞台であった。学帽ヘッドなど一度も記憶になかったのに、深々と東田が学帽をかぶりコソコソ逃げるように、駅へ吸い込まれる人混みにまぎれようとする。が、ヒュー! と一陣の風が彼を襲い、学帽を奪い去ってしまった。


「キャッ!?」

 

不意を突かれ、のぞみと千加子は同時に声を上げ、ムンクの【叫び】ならぬ、驚きフェイスがしばし【フリーズ】。ワンテンポ置き、


「アハハハ―――」

 

破顔ゲタ笑いで、二人は涙を飛ばしながら抱き合って笑った。東田の頭はカミソリで剃り上げられ、真っ青のテカテカのピカピカだった。無免・ノーヘル・片手Vサイン運転が、学校への郵送写真でバレてしまったのだ。罰は優一より数段重く、一カ月の停学処分であった。父親の政治力で停学を免れたが、交換条件は三カ月間の一枚刈りだった。


「‥‥‥ちょっとやりすぎたかなー。半ベソかいた東田の顔見ちゃうと、かわいそうになっちゃった」

 

下校途中、優一の家に寄ったのぞみは、少々、同情的だったが、


「なに言ってんのよ、のぞみちゃん。タレ込みナマズはあれくらい懲らしめて、ちょうどいいのよ。私なんかまだ腹の虫が治まらなくて、将来、腹黒ナマズの後を継いだとき、今日のことをネタに、東田をチクリチクリといじめてやろうと思ってるくらいだもの」

 

まだやり足りないらしく、千加子は同情心のカケラもなかった。


「そうだね、チーちゃん。あの性格は死んでも変わんないもんね。半ベソかいた東田の顔、写真に撮っといたら良かったな。【タレこみナマズの泣きベソは、スキンヘッドの嘆きか、はたまたタレ込みのザンゲか】なんてタイトル付けてさ。きっと最優秀賞とれたのに、残念、まっこと残念じゃぞえ」

 

大賞を逃し、のぞみも千加子の武家言葉を真似て、しきりに残念がる。


「‥‥‥のぞみ、やめろよ。チーちゃんの真似するの」

 

宇宙人への急接近は、異常行動感染の危惧、大なのだ。宇宙人千加子の非常事態宣言は、ほんの一週間前だった。


「緊急事態発生! 緊急事態発生!」

 

急に自室から飛び出して来たかと思うと、


「本日よりわらわは羞恥心をかなぐり捨てて、受験体勢に突入しますからして、皆の者も気になさらぬよう」

 

あっけにとられている家族を前に、受験準備最終エリア初期ステップ・オン、を宣言したのであった。以来、言動の異常、不可解かつ大胆さは右肩上がりで、入浴後、バスタオル抜きの闊歩など最たる例である。さすがの父も、これには困り果て、


「チー子、目に毒! 目に毒!」

 

両手で目を覆って、自室へ遁走する。



「洋どの。個人の家はその城なのじゃ、それがいかにみすぼらしくとものぅ。かのエゲレス人も、ワンズホーム・イズ・ワンズキャッスル・ハウエバー・イッツ・ソー・ハンブルと申して、殊勝にも同じ意味をあらわす諺(ことわざ)を伝えおるではないか。じゃからして、お城の中では、わらわも羞恥心を放棄することにしましたのじゃ。さもなくば、わらわの身が持ちませぬ。それにのぅ、そこもとも娘の裸形ぐらいでうろたえおるようでは、みどり殿の誘惑には勝てませぬぞえ。のう、恵美子どの」

 

英語の諺とヌードの脈絡が弱く、全く説得力が無いと思ったが、母へのさりげない注意の喚起はスゴ過ぎで、優一は感心とともに、ますます姉への謎を深めたのであった。


「ユウ、何よう! どうして、のぞみちゃんが私の真似、しちゃいけないのよう」

 

ピーナツをポリポリかじりながら、千加子が口をとがらせ抗議する。


「‥‥‥だって、困るだろ。のぞみにまで、チーちゃんみたいに裸で家の中、ウロウロされると」

 

言わなきゃ良かったが、完全に後の祭りであった。


「―――ちょっと、ちょっと。何よ!? チーちゃんが裸で家の中、ウロウロするって。‥‥‥まさか、この栄養タップリのオッパイ出して、ウロウロしてんの!?」

 

のぞみが驚いて、ガチャン! とコーヒーカップをテーブルに戻した。


「のぞみ殿。その、まさかであるぞよ。やはりうらやましいかえ。そこもとも、わらわのようなグラマーが望みであるなら、ピーナッツをよく食べ、牛乳をタップリと飲むことじゃ」

 

呆れてものが言えないのぞみに、千加子はデカパイを作る講釈を垂れる。


「‥‥‥ね、ユウ。ひょっとしてチーちゃん、オッパイだけじゃなく、オールヌードで家の中、歩き回っているの?」

 

講釈師の仕草を見れば答えは決まりだが、否定してほしい。そんな願いが、のぞみの顔に表れていた。


「‥‥‥うん」

 

期待を裏切って申し訳ないと思ったが、優一は正直にうなずいた。


「キャー!! ヘンタイ女!! わたしのユウの前で、何てことをしてくれるの!!」

 

千加子のお株を奪う、突然の、のぞみの御乱行。


「姫! 殿中でござる! お鎮まりを!」

 

と、抑えたかったが、事態は深刻で、笑いでゴマカせる状況ではなかった。


「俺の前だけじゃ、ないって―――」

 

必死の弁明のみが最良の策であるが、悲しいことに、のぞみの耳には届かなかった。


「なによう! 誰が『ヘンタイ女』なのよ! なにが『わたしのユウの前で』よう! グラマーの秘訣、教えてあげてんのに、いきなり〈浅野のタク(内匠頭【たくみのかみ】)ちゃん〉することないジャン!」

 

のぞみが口を開く前に、先に講釈師がタイムマシーンを作動させてしまったからややっこしい。


(ほんなら、アンタは吉良ちゃんかい!)

 

と、思わず優一の口から漏れかけるほど、予告もなんもなしに江戸時代へタイムスリップしてしまい、江戸城・松の廊下と刃傷シーンがハイビジョンムービーで網膜を襲う。が、幸いなことに、タイムマシーンの故障なのか、現代版・松の廊下の敵役は、スルリと背を向けプリプリ怒ってダイニングから消えてしまった。


「播州赤穂の、浅野家を愚弄する、不届きなヤカラめ! 今度、ユウの前でおかしな恰好したら、ワイセツ物陳列罪で逮捕してもらうからね! 検閲じゃ! 検閲じゃー!」

 

警告を装ってはいるが、悪態以外の何ものでもない、のぞみの興奮であった。

 

二人が犬猿の仲に戻り、優一はなぜか妙な安堵感に浸れたが、停学と一枚刈りが持ち出しで、ソロバン勘定は男どもの大負けであった。

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