第5話 変身妖怪チンくプレ族

五月も半ばを過ぎると、〈狂うらー〉の出番で、彼か彼女か分からないが、三人称であることは確かなポンコツクーラーが教室を騒音で埋め尽くす。

 

―――やっぱり、ダメだな‥‥‥。

 

教室を見回して、優一はため息をついた。暑さと〈狂うらー〉のガラガラ音で、不快指数はとっくに一〇〇を超えているが、それだけではなかった。まんまん中の席で、自分一人、浮き上がって異次元に浮遊しているのだ。死ぬまで、いや、死んでも、九州俊英の校風には馴染めないだろう。ここに来て、確信に近いものがようやく形成されたが、‥‥‥では、どうしたらいいのか? ミジュクモノに、打開策など思いつくはずがなかった。

 

―――中間テストを乗り切れば‥‥‥。

 

逡巡はとどまることはないが、かろうじて卒業に漕ぎ着けるだろう。結局、五月病のピークが、入学後、最初に巡って来る定期テストなのだ。


「こらぁッ! 倉田ッ! こん、バカたれ! さっきから、何ボケッとしとっとや! こん文、訳してみィ!」

 

いきなり担任で、笑顔が可愛い愛犬チン似、怒るとプレディターに変身する久保先生の大声が飛んできた。空想ワールドでは、邪馬台国畿内大和説阻止論者の五番手、変身妖怪チンくしゃプレディター族の出現と相成るシーンであった。


チンくしゃ県プレディ郡ハゲ村に卑弥呼が眠ると主張する一族で、頭部から熱性硫黄ガス、口からはウィルス性の毒くしゃみを発射して、畿内大和説論者を論破ならぬ、毒ガスしびれプッツーン・黙らせ一族なのだ。


「ええい! 敵は少数だが、手強いぞ! まず防毒マスクをかぶるのだ」

 

おっと、緊急事態発生で、いきなり空想ワールドの扉が開きましたか。空ワでは、変身妖怪チンくしゃプレディター族の領地は備前から赤穂に至る平野部であった。ここを通る明日・ひみロードのど真ん中を占拠し、組み立て通センボ要塞を築くという、オッソロシイ離れ業をやってのけるのが変身妖怪チンくしゃプレディター族であった。


「よし。熱性硫黄ガスは盾で防ぎながら要塞突破だ。兵士には下半身に攻撃を入れよ!」

 

低く身をかがめ、変身妖怪チンくプレ族(ごめんなさい、長いので省略表記にしました)の足にキックを入れて敵陣突破。優一の空ワでのシナリオで、これで第五の関所はかろうじて通過、のはずであった。が、どうやら今はウツツ世界であるらしい。いや、本当にそのようなのだ。


「は、はい!」

 

眠りガスに眠らされてしまっていたのか、立ち上がって初めて、優一は六時限目のリーダーと気づく体たらくであった。


「‥‥‥あのぅ、この文って?」

 

周りを見回すと、テキストのページが自分と全く違うのだ。


「こん文や! こん文!」

 

左手で黒板を叩き、久保先生はイライラがマックスだった。


「ええっと、‥‥‥あのう―――ルイ十四世は、チンは国家なりと述べ、フェイス、ではなくて、フォース、そうです、強い権力を持っていた、です」

 

しどろもどろだったが、日本語らしき文ができあがると、


「‥‥‥うん。まあ、それでよか。それからな、ホームルームが終わったら、職員室へ来るごと。帰ったらアカンで! アカンのやで!」

 

苦虫をかみつぶすチンなのか妖怪プレディ顔なのか、判別困難な顔で、久保先生は二度も念を押した。

 

十分間のホームルームの後、怪訝顔で担任の後から職員室へ入ると、なぜか母が先客だった。

 

―――どうしてなんだろう? 

 

母の呼び出し理由が思いつかない。


(だ・い・じょう・ぶ・よ)

 

不安顔の息子に気づくと、恵美子は唇で語りかけ、安心の苦笑いを浮かべた。


「ここじゃ何やけん、隣へ行きまっしょ」

 

久保先生に促され、隣の生活指導室へ入る。


「ちょっと、待っとってくれん。書類が一枚足らんけん」

 

失念書類を取りに担任が職員室へ戻ると、


「バイクの免許がバレたみたいよ」

 

母は小声で教えてくれた。


「えーっ!?」

 

優一は真っ青になる。


「大丈夫だから」

 

恵美子は息子の左手を軽くたたいた。


「お待たせしました」

 

久保先生が戻ってきて、「エヘン!」と、これ見よがしのせき払いの後、二人に呼び出し理由を説明する。すでに警察の確認もとってあり、免許取得は申し開きの立たない状況だった。


「校則上は一週間ん停学ばってん、事故も起こしとらんし、中間テスト一週間前んことでもあり、今回に限って特例ば認めようということになったんばい」

 

二人を前に、担任の恩着せがましい特例伝達。その一、反省を表わす、丸刈り。その二、免許証の、返納。その三、誓約書―――内容は、在学中の免許不取得―――の提出。以上の三つであった。


「帰って、主人と相談してみますから」

 

恵美子の返事に、


「えっ!? え、エッー!?」

 

今度はチンが目をむいた。これほどの恩恵を与えてやったのに、何とバチ当たりめ! と、顔にかいてあった。


「‥‥‥ありがとうございました」

 

生活指導室を出て、母と並んで廊下を歩く。すでに情報が伝わっているのか、生徒たちの好奇の視線とヒソヒソ話。実に不快で、母に済まなくて、優一は自己嫌悪に陥ってしまう。


「ユウ、もっと堂々と歩いてよ。ママ、ユウのそんなしょげた姿見るの、嫌だから」


「うん」


「そうそう。ちゃんと胸を張って。何も悪いことしたわけじゃないんだから」


「そうだね」

 

笑顔を浮かべ、廊下のはずれの、一年一組前にさしかかる。ドアの陰から、東田がこちらを窺っていた。

 

―――嫌なヤツ‥‥‥

 

優一は顔をしかめた。


「ユウ。ママ、ユウの高校、好きになれそうにないな‥‥‥」

 

佐世保駅へ歩きながら、恵美子はため息をついた。


「‥‥‥うん」

 

母の寂しそうな顔が、今日の優一には一番こたえる。


「チーちゃんと同じ高校にしといたら良かったね」

 

各停の車内で、恵美子の本音がポロリともれた。


「‥‥‥ね、どうする?」

 

駅を降り、帰宅の足を少しゆるめて、恵美子はさりげなく息子の意思を確認する。


「うん?」

 

質問の意味がよく分からない。


「特例を、のむ?」


「さあ?」

 

はっきり言って、どうでも良くなってきた。


「ママは?」


「‥‥‥いいのかな、言っても?」

 

恵美子もようやく笑顔が戻って、イタズラ仲間の仕草で息子の顔をのぞき込んだ。


「うん」

 

優一も立ち止まって、母の答えを待つ。


「丸刈り、ぜったい、反対!」

 

こぶしを突き上げ、天に決意の反対表明だった。

 

賑やかな笑い声を交わしながら帰宅すると、千加子が玄関へ飛んできた。


「もう! 何よう、二人とも。心配して待ってたのに―――でもその顔じゃ、心配することなかったんだ」

 

プーとふくれっ面が、破顔一笑、愛嬌満点美人に変わった。


「チーちゃん、残念ながら事態は全く変わってないわよ。好転したことといえば、ユウもママも、少しは気持ちが楽になったことかな。ね、ユウ」

 

母の目くばせも、千加子に負けず劣らず、愛嬌がある。


「ティータイムにしようか。アイスティーで頭を冷やしながら話すから」

 

ダイニングのドアを明け、買ってきたケーキと紅茶を味わう。


「何よぅ、その特例って。メチャクチャじゃん! わが弟の頭を、何と心得てんのよ!」


【特例その一】で、千加子はすでにカンカンだった。


「ちょっと、ひどいよねぇ」


 母も相槌を打つ。


「ユウ、そんな学校、やめちゃえ、やめちゃえ」


「やめちゃえって、そんな無責任な‥‥‥。弟に中浪(中学浪人)しろって言うのかい」

 

頬張りかけたイチゴショートを、優一はフォークごと皿に戻してしまった。


「バーカ。そんなこと、私が勧めるとお思いかい。―――そうではなく、転校せよと申しておるのじゃ」


「転校!!」

 

母と息子が、同時に声を上げた。何と! 耳に心地よい響きであることか。


「私んとこの学校、結構、転校生が多いのよ。一年の時に、‥‥‥三人。二年は五人だったかな。それから、高三の三人。ほら、バレーボール部で一緒の、久美にユリに貴子も転校生なんだ」

 

チームメイト三人まで転校生とは驚きで、知った顔が頭に浮かび、優一にはリアルで鮮烈だった。

 

―――転校か‥‥‥。

 

姉の提案は、夢想だにしなかった新世界へ、弟をいざなったのである。

 

帰宅した父に事情を話し、夕食の席で彼の意見を聴く。


「ユウが決めることで、パパん意見は参考程度にとどめてほしかとばってん」

 

母の説明が終わると、父はフォークとナイフを置いて、おもむろに口を開いた。


「おそらく独断と偏見に満ち満ちた、ママとチー子ん意見と同じやろうけどね、特例はのんでほしゅうなかね。恩着せがましゅうて、おまけに高圧的で、ユウん人格ば無視するもんばい」

 

さすが木場田町ジャイアンツのオーナー兼事務所長、と思わせる言動で、ちょっと笑わせ、クセのない正論を吐くと、父は息子に微笑みかけた。


「エー。それでは、不肖、ワタクシめがチェアーマンとして、表決をとりたいと思います。倉田優一君の一週間の停学に、賛成の方は挙手願いマース」

 

千加子がもったいぶって、フォークでチン! と皿をたたくと、


「異議なか!」

 

四人が同時に右手を上げた。ここに優一の停学が確定したが、参加者は皆、にこやかだった。中間テストまで一週間―――ラッキーなスペアタイムも四人の大いなる味方であった。

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