❖イケメン騎士様が「殺したくないから俺の言うことに従って」と言ってきます。
オディール王国近衛騎士団長、サイラス・エルドラン。金髪碧眼という甘いマスクに見惚れるご令嬢も多いとかなんとか。ただわたしはいま見惚れるどころではなかった。
それもそのはず――サイラスは笑顔のまま、ちゃきんと銀色に輝く剣を私の喉元に突き付けているのである。
「リーリエ・アルデバラン嬢」
「ひ……ゃい」
声が震える。当たり前だ。少し動いただけで彼の剣はわたしの喉を切り裂いて、あっという間に血が噴き出てあの世行きである。びくびくしながら涙目でサイラスを見上げる。わたしは尻もちをついていて、実に情けない格好だった。
「俺と結婚していただけますか」
「は……?」
いまなんて。
「返事はイエスか、はいでお願いします」
「ひゃ、ひゃい……?」
わけもわからぬまま、わたしは頷……けないので、またもや嚙みながら「はい」と応じた。
応じてしまった……。
サイラスは安堵の表情を浮かべ、突きつけた剣を収めてくれた。なんだったんだ、いまのは。心臓がばくばくとうるさく鳴っている。悪い夢だと言ってほしい、誰か。お願いだから。
ぎらりと輝く切っ先が引っ込められ、遠ざかったことでわたしは大きく息を吸い込むことが出来た。すうはあすうはあ、数回繰り返しているうちに落ち着いては来たがまだ現実は受け容れきれていない。サイラスは手を取ってへたり込んだわたしを優しく引っ張り上げる。そして、恭しく手の甲にキスを落とした。なにこれ怖い。
と思ったときだった。
「わわわわっ!」
「ではこのまま我が家へとお連れしましょう、どうぞご安心を。皆、リーリエを歓迎すると思います」
何故。心の中で叫びながら、わたしはよく知らない異性の家に連れ込まれるような事態に陥ってしまったのだった。
さて。事の発端は
わたしは友人のドロシア・ダーレンが主催する茶会に出席していた。
悪い子ではないのだが派手好きで、わたしだけではなく手当たり次第に声をかけて呼び集めたという感じだった。それなのに特に知り合いもいないテーブルに放り込まれたわたしは、話の輪にも入れずぼんやりとお茶を飲んでいた。特別配合のハーブティーらしく、のど越しも良く香りも素晴らしい。
そのとき、彼女の兄である近衛騎士フィリップ・ダーレンが帰宅したのだった。彼女はこの自慢の兄を、おそらく招いた令嬢たちに自慢したかったのだろう。
近衛騎士団は王立騎士団に所属する騎士の中でも選び抜かれた精鋭が集まっており、鍛え抜かれた肉体に涼やかな容姿を併せ持つ兄をドロシアが大好きなことは周知の事実だった。
確かに美形ではあるので目の保養ではあるのだが――好みではなかったので、皆が注目しているあいだにわたしはひっそりと焼き菓子に手を伸ばした。可愛い天使のような八歳の妹がこの手の菓子に目がないのである。ハンカチにでも包んで持ち帰ろうと思ったのだった。
そのときだった。
「美味しそうですね」
「……ん?」
背後に誰かが立ったことでテーブルクロスに影が差した。そしてテーブルについていたご令嬢が一気にざわつき始めた。
「ねえ此方の方って」
「ええ、間違いなくてよ!」
ちょうどわたしの背後に立たれているので何が何やらまったく想像がつかない。恐る恐る振り返った瞬間に、わたしは掴みかけていたクッキーをぽろりと落としてしまった。
「……あの、あなたは」
「失礼。申し遅れました、俺はサイラス・エルドラン。近衛騎士団長をしています。リーリエ――アルデバラン嬢?」
「はあ……随分お若いんですね。ところで、どうしてわたしの名をご存知なのでしょう? お会いしたことはなかったような……」
とわたしが口にした途端、同じテーブルのご令嬢たちから「まあ!」と抗議の声が多数上がった。
「ご存じないのですか? サイラス様は最年少の19歳で近衛騎士団に入団し、その後団長から認められ、24歳にして団長をお勤めなのです!」
「そうですわ、ドロシア嬢の兄上とはご友人ですからよくダーレン家にはお立ち寄りになられるというのに……」
「はあ、そうなのですか。皆さまよくご存じなのですね」
早口で語られる情報を整理する間もなくサイラスとやらはわたしの椅子の背もたれをがっしり掴んで離れようとしなかった。正直そこにいられると普通に飲み食いするのも憚られるので勘弁してほしい。
と思っていることを顔に出さないようにわたしは笑みを張り付ける。いちおう
家がいくら財産管理もロクに出来ないような先代のせいでかつかつの生活を送っていたとしても、いま着ているドレスが昨年の社交シーズンに流行した型であることを影で笑われているのを知っているのだとしても、にっこりと笑っていなければならない。
それがアルデバラン男爵家に生まれたわたしの処世術であった。
主催者ドロシアの兄上だけではなく、サイラス・エルドラン騎士団長が現れたことによって茶会ではちょっとした混乱が起きつつあった。彼に以前から興味があったご令嬢が席を立ち、サイラスの周り――すなわちわたしの座席のすぐ後ろあたりを取り囲み始めたのである。
この状況では、わたしが席を立つことも叶わないので、自然とその会話に紛れ込まざるを得なくなってしまった。この騎士団長様に微塵も興味がないにもかかわらず、である。
「あの……サイラス様、今度の剣術大会にご出場なさるのですよね」
「きゃあ、応援に行かせてくださいね。きっとサイラス様が優勝なさるのでしょうけれど」
「当たり前よ。サイラス様はお強いのだもの、敵なしだわ!」
「ありがとう、そうだといいんだけどな」
はにかむように微笑むサイラスにご令嬢たちは骨抜きになっている。そんななかで黙って愛想笑いを浮かべながら話を聞いていたのだが、鐘音がなって気付いた。
「あ……わたし、そろそろお暇しなくては」
と言ったわたしの声に誰も気づかない。そりゃそーか、みんな夢中になってるもんな。ドロシアまで兄上を引っ張って来てこのにぎやかな輪に加わってしまっている。仕方がないのでちょうど後ろに立っている子たちに謝りながら席を立ったとき「待って」と何者かがわたしの手を掴んだ。
この艶のある甘い低音の持ち主は――推測する前にぱちりとサイラスと目が合った。
「帰るなら馬車まで送るよ、リーリエ」
「あらリーリエは変わり者ですもの。馬車なんて使わないんじゃない?」
ドロシアが嘲るように言ったので、わたしは胸を張って応えた。
「ええ、健康のためにも歩いて帰るわ。わたしの家まではほんのすぐ近くですもの」
そう、わたしは見栄を張っているだけでありそれに皆が気づいていないわけでもない。もうアルデバラン家は馬車を動かす馬もいなければ、御者も雇えないのだ。
何かの行事があれば近隣に住む裕福な叔父夫妻の所有する馬車を借りるのが常だが――わたしのお茶会づきあい程度では当然のことながら借りることはできない。だから――みっともないことは百も承知の、徒歩である。
「皆さま、ごきげんよう」
スカートのすそをつまんでご挨拶をすると、わたしは早足でドロシアの家の庭を抜けて門まで歩いた。どうせいなくなったのを幸いに、噂話に花を咲かせていることだろう。ドレスも買えず、馬車にも乗れない家の娘。
それがわたしである。
みじめだとは思わないが、せめて妹のエミリアにはまともな淑女教育を受けさせたい。そのための家庭教師代だけは捻出させなければ……と物思いに耽りながら歩いていた。
「リーリエ」
そのとき、わたしを呼び留める声があった。
振り返ればそこに立っていたのは令嬢たちの話題の中心であったサイラス・エルドランそのひとだった。
門を出てすぐの曲がり角まで来たら乗合馬車にでも乗ろうと考えていたのだが、彼がいてはそれも出来ない。痛む足を堪えながら立ち止まり彼が歩み寄るのを待った。
「よろしければ俺に送らせてもらえないか」
「え……何故?」
思わず本音がぽろりと飛び出てしまった。おっといけない、笑顔、笑顔が大事だと母も言っていた。口角を上げておほほ、とわざとらしい作り笑いを浮かべたわたしを前に彼は「仕方ないか」と息を吐きながら言った。
何が仕方ないのだろう、怪訝に思っていると豪奢な鞘から白々とした剣をすらりと抜き放った。一瞬、目を疑い――それがわたしに向けられた瞬間にわたしは尻もちをついた。
え、わたし……もしかしていまからサイラス様に殺されるの? 何故?
疑問符が飛び交う中、背中には冷や汗が伝う。友人宅の門前でなんという物騒な事態に巻き込まれているんだ。こんなのはもう悪夢でしかない。
きら、と夕陽を浴びて白剣がオレンジに染まって煌めいている。それを綺麗だなんだと思えるのは切っ先が自分の喉元に向けられていない場合に限るだろう。
そして満面の笑みを浮かべてサイラスは言ったのだった。
俺と結婚していただけますか、と。
この状況下で断ることができる令嬢がいたらぜひともその秘訣を伝授していただきたいほどだった。大体サイラスとわたしはほぼ初対面である。言葉を交わした記憶もない。
あまりにも危険すぎる求婚を受けてしまったわたしは、世にも気まずい空気が流れる中サイラスが待たせていた馬車に乗っていた。どうやらこの馬車の行き先はサイラスの自宅らしい。サイラスはエルドラン伯爵家の後継者としても知られている。
エルドラン伯爵家に強制連行されたわたしは、手厚くもてなされた。
もうまったく状況についていけていない。
ご両親にも引き合わされ「かねてから交際していたリーリエ嬢です」とにこやかに紹介をうけ、素敵なお嬢さんだことなどと型にはまった誉め言葉を頂戴した。
そして困惑するわたしをよそになんだかとんとん拍子に話が進んでいくので気味が悪い。
アルデバラン家には使用人を行かせたから、と押し切られるようにして部屋に案内され……わたしは否応なしにサイラス・エルドランの婚約者となったのだった。
「死にたくなければ、俺の言うことに従って」
翌朝、メイドによって流行最先端のドレス(しかも恐ろしいことに採寸して作ったかのようにサイズがぴったり)に着替えさせられたわたしのもとへサイラスが訪ねてきた。
そしてメイドを下がらせて言ったのがこれだった。
やっぱりこいつ何か隠してやがったな、と薄々考えていたことが見事的中してしまったことにわたしはげんなりしていた。
そりゃそうだ、わたしごときが未婚女性の憧れの男性として五本の指に入るサイラス・エルドラン近衛騎士団長に求婚されるわけがないのだ。しかも殺意をあらわにしながら。
いまもなんだか物騒なことを言われた気がするけれどおそらくそれはわたしがうっかり聞き間違えたのだろう。
「ええっと、あの唐突な求婚には何か理由があったということなんですよね」
「うん。物分かりが良くて助かるよ、さすがリーリエ」
褒められてしまった……とはいえ、よくわからないところで褒められてもこちらとしても反応に困ってしまう。
「俺は君には死んでほしくない。ただそれだけなんだ」
「……ん?」
いったい何を言っているんだろう。戸惑いの視線を向けるとサイラスは笑顔で言い切った。
「だから今後一切、うちの屋敷から出ないでくれるかな?」
「いやなんで⁉」
さすがにツッコミを入れざるを得なかった。サイラスは困ったように眉を下げた。
「あの、あの……ちょっと意味がわかりかねるといいますか。外出不許可というのがどうも解せないのですが」
「君は此処から出たら死ぬ」
ぞっとするような低く冷たい声音でサイラスは断言した。死ぬ。持病もなくて健康そのものであるわたしとは無縁のものだと思っていたその言葉が急に目の前に持ち出されて戸惑ってしまう。死ぬ。わたし、死ぬのか。
突きつけられた刃のつめたい光を思い出した。
この男に殺されて……死ぬ。それは現実離れした状況の中で唯一、現実に近しいものとしてわたしは受け止めてしまった。生々しく血が噴き出し事切れる瞬間まで想像してしまい青ざめる。
「俺は君には死んでほしくない」
「は、はあ……」
愛おしむようにサイラスの手がわたしの頬に触れた。かたくてぶあつい掌の感覚は初めてのはずなのに、なぜか懐かしい感じがしたのは何故だろう。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
俺はもう二度と失わないと決めていた。
大切なものはすべて必ずこの手で守ってみせる――たとえどんな手を使ったとしても。リーリエに嫌われようとも、必ず今度こそ間違えることなく正しい道を選ぶのだ、と。
リーリエと俺が出会うのは本来ならもっと先のはずだった。
王宮が開いた祝勝会のセレモニーでクリーム色のドレスにぶどうジュースをぶちまけられた彼女を休憩室に案内したのがきっかけだった。ドレスが汚れたことよりも、緊張のあまり手を滑らせた幼いレディを気にする優しさに惹かれ、交際をするようになった。
彼女はあまり社交的な方ではなく、ぎこちない笑みを常に仮面のように張り付けていた。いつか彼女の氷のような心を溶かしたい、と思うようになった。
それなのに……彼女は死んでしまった。
俺が仕事で陛下について他国に訪問しているところに届いたその訃報に、俺は目の前が真っ暗になった。足下が、がらがらと崩れ落ち――どことも知れない深淵の闇に鎖されるようだった。
それ以後、俺は彼女を死に追いやったものを探し出して抹殺したがその結果として、死刑を言い渡された。満足だった。やれるだけのことはやった、そんな実感は確かにあった。
死の瞬間に頭に浮かんだのは
そして、何の因果なのか
彼女を守るためには何をすればいい。
どうすればいいのか、考えた結果わかったのだ。
俺の手元で守り、愛を注げばいいと。
「死にたくなければ、俺の言うことに従って」
今度こそ守るよ、リーリエ。だから、ねえ。
笑って?
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