第8話 終幕 腕時計に残る彼女の気遣い

カナと別れてから初めてのお正月も明け、実家から大学へ戻るために在来線から新幹線に乗り換えようとしたとき、偶然予備校帰りのカナに会った。


時間も夕方だし、もしかしたら・・・と思ってたけど、本当に会えるとは思ってなかった。


仕事帰りの人たちが行き交う中、高校時代とは違う雰囲気の服を着たカナと目が合う。


「あ」


「ひさしぶり。今帰り?」


「そうだよ。そっちも大学に戻るの?」


「明日から寒稽古があるから、どうしても戻らないといけなくて。また成人式には戻ってくるから、正直メンドー。」


「そっか、大変だね。」


「そっちももうすぐ受験だろ?」


「今年は大丈夫だと思うけど、去年みたいな思いはしたくないから、もう少し頑張る」


「無理しないようにね」


「ありがと。そっちも風邪ひかないようにね」


「じゃあ行くよ」


「待って」


カナがこちらに手を伸ばす。

手を伸ばした先は、僕の手首の腕時計。


「ちゃんとつけないと」


カナの指が僕の腕時計のバンドを直す。


「じゃね」



ほんの数秒。


少しだけ、昔に戻ったような感覚。

でも、それは勘違いでしかない。

そう自分に言い聞かせる。


カナは1度も振り向かず足早に、雑踏の中に消えていった。




下宿について荷物を置くのもそこそこに、僕はボトルキープをしている店に向かった。

VSOPのボトルを出してもらう。


グラスに琥珀色のブランデーをワンフィンガー、注ぐ。


ゆっくり、一口だけ口に含む。

初めて匂いと味を感じた気がした。




まだ吹っ切れたわけじゃない。

それでも。



グラスを持つ腕には、カナが直してくれた腕時計。

まだほんの少しだけ、指が動いているときの感触が残っている。

嬉しいけど、少しだけ残酷だよね。


僕は、少しだけ満たされた想いと、

未だに胸の奥に残る、カナへの想いとともに、グラスに残ったブランデーを飲み干した。



タバコはもう吸わなかった。

僕は先生を目指すために、ここに来たのだから。






**************



あれから。


カナは無事志望校に合格した。

でも、その年の夏には長々とした手紙が2通に分けて届いた。


「ふられた」「いまでもあの人のことを愛している」

「あなたなら聞いてくれると思って手紙を書いた」



いや、しんどいって!なんでこんなん俺に送ってくるかなあ?

まだこっちは引きずってるんですけど!!!


・・・と思いつつ、わざわざ電話代使って話を長々と聞いたりした。


カナは大学を卒業後、大学院へ進み、中学校の理科の先生になった。先に先生になってた僕に、時々ぐちや悩みを書いた手紙が届くようになった。

けれど、いろいろあったらしく、しばらくして休職した。

数年後、いろんなところへ旅をして少しずつ気持ちが回復し、今では小学校に勤務している。


今では年1回、年賀状か電話で少しだけ近況報告するくらい。

毎年、旅行に行った写真を載せていて、相変わらずアクティブだ。

写真の笑顔を見るたびに、相変わらずだなあ、と思う。

最近は忙しくても安定しているのだろう、お悩み相談は聞かなくなった。



でも、いくつになっても、いつでも、

カナが「助けて」といえば、

僕は何を差し置いても動くだろう。



あの時から相当の年月が流れてしまった。

もう、直接伝えることは叶わないけれど、



それでも。


彼女に伝えたい想いがある。

それをここに記しておこう。





カナへ



いまでも いつまでも


あなたは私にとって誰にもかえがたい、

「大切な人」です。


あなたの行く末に幸多からんことを、心より願っています。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る