第16話 モルドペセライ帝国(5)
オールディス伯爵家の夜会当日、オリヴァーは控室でルドルフ達の到着を待っていた。何度かオールディス伯爵家に訪問したことがあったけれど、ぴったりとルドルフがくっ付いていたので単独での行動は出来なかった。今日は絶好の機会だ。このチャンスを逃してはならない。
オブライアン公爵家ほどではないが、オールディス伯爵も自領の工業品でかなり儲けていて裕福だと聞いている。大規模な工場を作って領民の半分は工員として働いている。野心家でもある彼は伯爵という地位では満足できず、功を立てて侯爵への陞爵を企てていた。やはり成り上がることを考えている人間の傍には、こうして野心家が集まるのだな、とオリヴァーは感心までした。
「オリヴァー様、飲み物はいかがですか?」
声を掛けられて顔を上げるとシェフィールド大公の密偵として、オールディス伯爵家に入り込んでいるイーデン子爵が飲み物を片手に持って立っていた。
「ありがとうございます」
それを受け取る際、グラスと一緒に何か金属のようなものが手渡された。イーデン子爵はこっそりと「夜会の最中は執務室ががら空きになります」と耳打ちし、オリヴァーは手元の金属を見た。小さい真鍮で出来た鍵だった。扉の鍵、と言うより、引き出しの鍵のようだ。オリヴァーが顔を上げるとイーデン子爵はにこりと微笑む。
どうやら彼の所にもオリヴァーが協力者である旨の連絡が入ったのだろう。長年、オールディス伯爵家の使用人として働いてきただけあって、ほとんど証拠を掴んでいるようであった。
それならば彼が動けば早かったのでは? と思ったが、戦争の話も今春に出てきたばかりで、目立つ行動をすればこれまでの努力が水の泡となる。突然やって来た他国の人間に任すほうが安全なのかもしれない。
オリヴァーが頷くとイーデン子爵は「ルドルフ第二王子殿下が来られたそうです」と告げて控室から出て行った。オリヴァーはグラスに入ったシャンパンを一気飲みして、続くように部屋から出た。
王国の夜会も帝国の夜会も大きくは変わらない。まずは高位の貴族たちが先に入場して、主催者たちと挨拶をする。オリヴァーもルドルフより先に到着していたが、彼らより下位になるので控室で来るのを待っていた。
今日は皇族の出席はないけれど、王族のルドルフが一番となる。到着の知らせを聞いたオールディス伯爵達はこぞってルドルフとオブライアン公爵令嬢に挨拶へ向かった。
「オールディス伯爵、今日はこのような素晴らしい夜会に招待してくれてありがとう」
ルドルフが片手を差し出すと、オールディス伯爵はその手を両手で握って「とんでもございません!」と大きい声を出した。
「シーズン最初の夜会に我が家を選んでいただいてとても光栄でございます」
「伯爵には世話になっているからな。さあ、中に入らせてもらおうか」
「ええ」
エミリアはにこりと微笑んでからちらりと後ろにいるオリヴァーを見た。またコイツが側に居るのか、という邪魔者を見る表情だ。オリヴァーはとりあえずにこりと笑顔を見せた。
大方の挨拶が終わればダンスが始まる。その前にオリヴァーはイーデン子爵から聞いていた執務室へ急ごうと思っていた。これから続々と伯爵以下の貴族がやってくる。そうなったらオールディス伯爵は挨拶で忙しくなり、席を外す余裕も無くなる。ルドルフの傍にはエミリアがいるので、オリヴァーが姿を消しても多少はルドルフを引き留めてくれるだろう。この広大な屋敷でオリヴァーがどこへ行ったのか探すのは困難だ。
「殿下、エミリア様、何かお飲み物をお持ちしましょうか?」
「ああ、頼んでもいいか」
「ええ、少々お待ちください」
オリヴァーは使用人に飲み物を二人に渡すように指示をすると大広間から出た。もう日は暮れて窓の外は暗く、珍しく晴れた今日は薄く星の明かりが見えていた。ガラス張りの大廊下を進み、オリヴァーは誰も付いてきていないことを確認すると二階にある執務室を目指した。
帝国にやってきてからオールディス伯爵家に連れて来られたのは五回程度だ。それでも一度、執務室も案内されていたのでどこにあるかは把握している。先に進んでいくと遠くから夜会の音楽が流れてきた。そろそろダンスが始まるようだ。そんなに時間が経っていないが、招待客を絞っていたのだろうか。悠長なことをしている場合ではないと、オリヴァーは歩みを早めて階段を上っていく。
執務室の前に到着するとさすがに鍵がかかっていた。イーデン子爵からもらった鍵を差し込んでみたが明らかに合わない。仕方なくオリヴァーは内ポケットに仕込んでいた針金で解錠すると中に入ってすぐに鍵を閉めた。
引き出しの鍵の前に部屋の鍵が欲しかったけれど、普段は執務室に鍵を掛ける習慣がないのかもしれない。それならばやはりこの部屋にはとんでもない秘密が眠っている可能性がある。まずは部屋の中央奥に置かれた机に向かい、鍵に合う引き出しを探した。
そう簡単に重要な書類が見つかるはずもなく、引き出しは全滅だった。続いてオリヴァーは両壁に備え付けられた本棚に手を掛ける。まだ広間からはダンスの音楽が流れてきている。しかしあまり時間をかけていてはオリヴァーが不在にしていることを疑われる。もう少し詳細を教えてくれても良かったのではないか、とイーデン子爵を恨めしく思っていると異様に軽い本を見つけた。
「……これか?」
その本には鍵がかかっていて、開くことはできない。オリヴァーはポケットに入れていた小さい鍵を取り出して差し込んでみると、それはぴたりと合って回すとかちりと解錠する音が聞こえた。
錠を外して本を開くと中は空洞になっていた。そこには大小いくつかの書類が挟まっていて、オリヴァーは机の上にそれを広げた。
「地図……?」
一番大きな紙は王国の全体図だった。地図を作るのはもちろん、国外に持ち出すのは大罪だ。こんなことができる人物など一人しかいない。いくらオリヴァーでも国を売るような真似だけは絶対にしなかった。自分が王になるだけで、後のことなど全く考えていないのだろうか。
それから二枚目の紙に手を伸ばしたところで、バンと扉の開く音が聞こえてオリヴァーは振り返る。
「やっぱり、こんなことだろうと思ったよ。オリヴァー」
そこにいたのはオールディス伯爵を始めとする帝国の急進派と、ルドルフの姿だった。
「これまで音沙汰もなかった男が急に近寄ってくるなんて、さすがに警戒するに決まっているだろう?」
出入り口はオールディス伯爵達に守らせて、ルドルフはゆっくりとこちらに近寄って来た。武器も何もないオリヴァーは前を睨みつけたまま、じりじりと後退る。気づけば夜会の音楽はぴたりと止み、不気味なほどに静まり返っていた。
「つまり俺は……、泳がされていた、ということですか」
そう言い終わったと同時にカタンと背中に衝撃を受け、オリヴァーは拳を握りしめる。ルドルフの腰には剣が下げられている。今回こそはオリヴァーの命を取るつもりなのだろう。卒業パーティの一件でオリヴァーは完全に見放されていた。
「お前が密偵として帝国にやってくる情報が入ってきたとき、オブライアン公爵からそう提案があったそうだ。下手にお前を拒絶するよりも、受け入れて側に置いているほうコントロールできる、とね」
オリヴァーが突発的に考えた作戦がルドルフ側に流れていたのは意外だった。
「それにしては俺に手を出そうと必死でしたね。婚約者をないがしろにして男に走るから嫉妬されるんですよ」
主導権を握っていたように話すけれど、隙あらば言い寄ってきたことを考えると満更でもなかったのではないだろうか。オリヴァーが嘲笑を交えてそう言うと、カッとなったのかルドルフは剣に手を当てた。
「お前……、状況を分かっているのか?」
「元から俺を殺すつもりだったんでしょう? それとも情が沸いて、俺が懇願したら助けてくれるつもりでした?」
オリヴァーの発言に扉付近にいる貴族たちがざわついた。作戦ではオリヴァーは殺すつもりだったのだろう。約束を違えれば彼らとの信用問題にかかわるけれど、ルドルフは基本的に自分本位だ。自分の考えが全て正しいと思っていて、途中で作戦を変更するのも自分の判断だから正しいと言い張る厄介な男だ。
「ルドルフ殿下っ! それは約束が違いますよ!」
このままではオリヴァーに丸め込まれると判断したのか、オールディス伯爵が叫ぶ。
「分かっているっ!」
ルドルフは急かされるように剣を抜いて大股でこちらに近づいてきた。ここから逃げ出すには窓を突き破って二階から飛び降りるか、もしくはルドルフを倒して剣を奪い、全員を倒していくか。祖父から訓練を受けていたとはいえ、大人数を相手できるほどオリヴァーは剣の腕に自信はない。しかし二階もまあまあ高く、飛び降りたとしても怪我をするのは間違いない。
絶体絶命だ。
「お前が俺に付かないのが悪いんだからな」
「……俺は俺の選択を後悔なんてしてませんよ」
振りかぶってきたルドルフの動作を見て一撃を避ける。ガチャンと大きな音を立てて本棚に剣が突き刺さった。剣の訓練などほとんどしてこなかったから動きも大きくて太刀筋も読みやすかった。前につんのめって転びそうになっているルドルフの尻を蹴って、オリヴァーは転がっている本を窓に向かって投げた。
「逃がすか!」
ルドルフでは相手にならないと察知したオールディス伯爵達が室内になだれ込んでくる。ぶわりと冷たい風が割れた窓から入ってきて、その風に混じって雑音が聞こえてきた。
「第三隊、正面から突入!」
ザザザと土の蹴る音に混じって人の叫び声が聞こえる。オリヴァーは割れた窓枠に足を掛けて外を見ると屋敷の入り口にはずらりと軍人が並んでいて、中心でそれを指揮しているのはオブライアン公爵だった。
「オリー兄様!!」
軍人の中にぶんぶんとこちらに向かって手を振る人物がいた。兜をかぶっているが、見た瞬間にそれがアレクシスだとすぐに分かった。ドクンと胸が高鳴り、オリヴァーは心臓を握りしめる。
「お前だけでも殺してやるっ!」
オリヴァーが振り返るとオールディス伯爵が背後まで迫っていた。バリンと再び窓が割れてガラスを浴びたオールディス伯爵は「わあ!」と叫んでその場に蹲った。外を見るとアレクシスがこちらに向けて弓を構えていた。
「オリー兄様、そこから飛び降りてください! 必ず受け止めますから!」
考える前に体は動いていた。オリヴァーは大きく穴が空いた窓に足を掛けてそのまま向こう側に向かって飛び降りる。ひゅっと胃の浮く感覚に気持ち悪さが込みあがってきたけれど、執務室の下で布を広げていた兵士たちに受け止められて落下は終わった。
「大丈夫ですか?」
布を持っていた一人の兵士に話しかけられ、オリヴァーは体を起こす。
「ああ、ありがとう。無事だ」
窮地ではあったけれど傷は一つもない。腕や足を擦るが、今のところ痛めている場所はなさそうだった。
「オリー兄様!」
自分を呼ぶ声が聞こえてそちらを見ると、がちゃがちゃと鎧の擦れる音をさせながらアレクシスが近づいてくる。屋敷の中からはきゃあ! と叫び声が響き渡り、自分は無実だと訴えたりと混沌としている。次々と軍人たちが屋敷に突入していき、夜会の参加者がずるずると縄で縛られて軍人に連行されていた。
きょろきょろと辺りを見渡してようやく安全な場所にいるのだと分かると一気に力が抜けてオリヴァーはもう一度その場に倒れ込んだ。
「オリー兄様!? ど、どこか怪我でも!?」
「……安心した」
「え?」
「お前が来てくれて、安心したって言ったんだ」
ガバッとそのまま上から覆いかぶさられ、オリヴァーは強い力で抱きしめられた。カタカタと小さく震えているのを感じて、オリヴァーはゆっくりと自分の手をアレクシスの背中に回した。
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