第15話 モルドペセライ帝国(4)
オリヴァーは以前からスコット侯爵家と縁のあったマスグレイブ伯爵家に身を寄せている。オリヴァーが失敗したときのことも考えて、マスグレイブ伯爵家には事情を説明していない。名目としては工業が発展しているので、それを農業に転用できないか勉強しにきた、と言うことになっている。けれどすでに目的を達成してしまったため、勉強するふりをする日は来なさそうだ。
ルドルフと食事を終えようやく解放されたオリヴァーはマスグレイブ伯爵と挨拶を交わし、さすがに疲れていたので茶会は遠慮してオリヴァーの部屋としている客間へ向かった。
「おかえりなさいませ、オリヴァー様」
中に入るとパトリックが立ち上がって頭を下げた。オリヴァーの従者として付いてきてもらっているが、二人きりのときまでその真似をする必要はない。
「そこまでしなくていい」
「そうですか。分かりました。それで第二王子との食事はいかがでした?」
オリヴァーは購入したばかりのコートを脱いでハンガーに掛けようとしたところで、それをパトリックに奪われ、彼はてきぱきと片づけてしまった。さっさと話せ、と言うことなのか。オリヴァーがソファーに座るとパトリックは用意していたティポットに湯を注いだ。ここまで用意周到なのを見ると、彼はオリヴァーが帰ってくる時間を把握していたのだろうか。
「どうもこうも……、あれこれ聞かれたから、計画通りに話してある」
「第二王子が仕立て屋に来た理由は分かりました? 偶然にしては出来すぎているように思うんですよね」
パトリックの問いにオリヴァーは首を振る。今日はルドルフがオリヴァーに質問するばかりで、会話の主導権は常にルドルフにあった。一緒に居る間は緊張しているのもあってか気にしていなかったが、よくよく考えると根掘り葉掘り聞かれてこちらの様子を伺っているようでもあった。
「まだ信用はされていないかもな」
「ただの色ボケ王子ってわけではなさそうですね。よっぽど、オリヴァー様にフラれたのが効いたのでしょう」
ふふ、と面白おかしく笑っているが、あちらが疑ってかかっている以上、オリヴァーには何としても信用を勝ち取らなければならない。いっそのこと色仕掛けでもしようか、と思うが、まだ決心が鈍っていてそのことを考えると体が震える。自分の目的のためなら何でも捨てることが出来たのに、大切な人たちを守るために何も差し出せない自分が酷く薄情に思えた。
「悠長なことは言っていられませんが、まずは信用を得られなければ先には進めません。慎重に行きましょう。くれぐれも先走ったりしないでくださいよ」
じろりと睨まれて、オリヴァーは「分かっている」と答えた。パトリックにはどうやら周囲の制止を無視して国境までやって来たことが知られているようだ。
「あとシェフィールド大公の側近であるリンドバーグ侯爵に父を通じて手紙を出します。経由するので少し時間はかかるでしょうが、まだ怪しまれている以上、目立った行動は避けるべきですね」
「やり取りに関してはお前に任せる。俺は殿下が王国を裏切っている証拠集めに集中するつもりだ」
密偵として動きながら、帝国の要人と戦争を止める交渉をするのは難しいと判断した。自分に出来ることは多そうに見えてあまりない。
「戦争を止める交渉はお前に任せたいんだ」
「俺に、ですか」
「ああ。俺は結果として戦争が止めれればいい。ルドルフ殿下が王国を裏切っている証拠を見つけ、帝国は彼に協力するために戦争を起こそうとしていると主張すれば、反対する奴も増えるだろう」
「王国を属国に出来るなら賛成する人も増えそうですけどね」
オリヴァーは「なるほどな」と答え、顎に手をやる。
「だが実際、王国を属国にしたら、帝国は海を渡った大国からの侵略も警戒しなければならなくなる。海軍も持っていない帝国が領地を守り続けることは可能か? 戦争が終わった直後に攻められれば、なすすべもなく攻め込まれて帝国も終わるぞ」
きっと戦争になればスコット家は最後まで抵抗を続けるだろう。海を渡ってやってくる脅威から国を守り続けたスコット家がいなければ、あっさりと侵略を許すだろう。それに王国との戦争で疲弊しきった帝国が、勝てる保証はほとんどない。
「そうですよね」
「ちょっと考えれば分かることだろ」
オリヴァーはパトリックの淹れた紅茶に手を伸ばす。
「分かりました。交渉のほうは俺に任せてください」
「ああ、頼んだ」
これまでこうして人を頼ることなんてなかった。それはこれまでオリヴァーにとって信用できる人が側に居なかったからだった。
今日は朝から呼び出されていたので、オリヴァーはルドルフが身を寄せているオブライアン公爵邸へと向かっていた。マスグレイブ伯爵には偽りなくルドルフのところへ行くと伝えてあり、あわよくばオリヴァーがルドルフと接触している噂を広めてくれることを祈っていた。
雨は降っていないけれど、スモッグのせいで太陽の光は弱い。馬車の窓からは相変わらず薄暗い空が広がっていて、早速、王国の鮮やかな青空が恋しくなってしまった。先行きの不安が空にも表れているようで僅かに怯む。
公爵家にはすでに話が通っていたようで、オリヴァーが到着すると門番が馭者に身分を確認してすんなりと門が開く。オブライアン公爵家は比較的新しい公爵であるが、帝国では一番の資産を持っていて発言力もかなり強い。おそらくオブライアン公爵は戦争に賛成派なのだろう。そうでなければルドルフが帝国を巻き込んでまで戦争を起こそうとはしないはずだ。
「待っていたぞ、オリヴァー」
馬車から降りると公爵家の面々がオリヴァーを出迎えた。公爵令嬢ならまだしも現当主までいるとは思わず、オリヴァーは慌てて胸に手を当てて頭を下げる。
「公爵、紹介しよう。わざわざ王国から俺を追ってやってきたオリヴァーだ」
「存じ上げておりますよ。スコット侯爵家のご令息ですよね」
すっと手を差し出されてオリヴァーは顔を上げる。
「オリヴァー・フォン・スコットと申します。オブライアン公爵閣下にお目通りが叶い、大変光栄でございます」
「そう硬くならなくて結構。あなたはルドルフ殿下にとっても特別なお方だとお聞きしております」
オリヴァーは緊張をほぐすように微笑み、オブライアン公爵の手を受け取った。どこまで信用されているのかまだ計れないので油断はできないが、一応は協力者として歓迎されているようだ。
「ありがとうございます、公爵閣下。私は殿下とは長い付き合いですが、まだまだ役に立てるほどの者ではございません。ただ……、殿下のために尽力したいと思っております」
それを聞いたオブライアン公爵は穏やかに笑ったが、その内では何を考えているのかは読めない。ルドルフが手を組んでいるオールディス伯爵もオブライアン公爵の腰巾着だと聞いている。実際にルドルフを操っているのはこの人ではないかとオリヴァーは疑っていた。
「そうか、それは心強い」
「公爵。この辺にして、そろそろ中に入らないか?」
まだ夫人と公爵令嬢もいるのだが、ルドルフにそう言われては前に出ることもできず、静かに下がった。
「そうでしたね。軽く食事を用意させました。どうぞ、スコット侯爵令息」
「ありがとうございます、公爵閣下」
屋敷の中に入ると大理石で出来た床は自分が映りそうなほど磨かれていて、天井には水晶で出来たシャンデリアがいくつも吊られていた。今は加工がしやすいガラスで作られることが多いけれど、さすがは帝国一の富豪とも呼ばれるオブライアン公爵家だ。
「素晴らしい水晶のシャンデリアですね」
蝋燭の明かりと乱反射させる水晶があまりに綺麗でオリヴァーは思わず感想を漏らしてしまう。それに気づいたオブライアン公爵がくるりと振り返って笑みを見せる。
「よく水晶と分かりましたね、令息。実はこの水晶、王国から輸入された物なんですよ」
資源の乏しい帝国では水晶はあまり取れない。輸入された水晶もかなりの値段がするはずだ。
「王国産の水晶と言えば、ラルーゲ男爵領の物ですか。あそこの水晶は上物で有名ですね。王国内でも滅多に手が入らない希少品ですよ」
「伝手がありましてね」
ラルーゲ男爵と言えば、この水晶で財を成した新興貴族だ。当然、ルドルフを推す急進派でかなりの金額をこの王子に掛けていると聞く。おそらくルドルフを通じてラルーゲ男爵を紹介してもらったのだろう。
「そうなんですね。こういった美しい物には目が無くて、是非とも私にも教えていただきたいですね」
にこりと微笑みながらそう言うと、オブライアン公爵は「機会があれば」と答えさらりと流されてしまった。
それからも案内された客間の豪勢な内装にオブライアン公爵と話が盛り上がってしまった。美しい物は好きでもそれに対する知識が乏しいルドルフは会話に入れず、終始、不貞腐れた顔をしていた。不機嫌を察知したオブライアン公爵は仕事があるからと退席し、気付けば二人きりになっていた。
かちゃんと荒々しくカップを置くと、ルドルフはオリヴァーを見る。ようやく本題に入るのだろう。てっきりオブライアン公爵を交えて今後の話をするのかと思っていたが、どうやら公爵を交えての話に参加させてもらえるほど信用はされていないらしい。
「そろそろ帝国も社交界のシーズンになるのは分かっているな?」
「はい」
王国も帝国も七月から社交のシーズンに入る。まだオリヴァーが帝国に来ているとあまり知られていないので招待状は届いていない。だが情報を集めるにはパーティやら狩りに誘われることだろう。これまで狩りはさほど好きではなかったけれど、祖父にビシバシ鍛えられたのもあって今年は狩りも参加したいと思っていた。
「まずオールディス伯爵家でパーティが開かれる。俺はエミリアと共に行くが、お前にも参加してもらうつもりだ」
「分かりました」
それなら服を仕立てなければならない。帰ったらマスグレイブ伯爵に経緯を説明して仕立て屋を呼んでもらうつもりだ。
「オールディス伯爵も俺が王位を継ぐべきだと言っていて、色々と協力してもらっている。粗相のないように頼むぞ」
「承知しております」
オリヴァーがそう答えるとルドルフは立ち上がってオリヴァーの隣に座った。ざわっと全身に緊張が走ったけれど、気付かれないように拳を握りしめた。自分が側に行けばこうやって言い寄られるのは分かり切っていたことだ。
「オリヴァー」
名前を呼ばれてルドルフを見ると目前まで迫っていた。悲鳴を上げそうになるのを笑顔で取り繕い、オリヴァーはゆっくりと目を瞑る。唇が触れそうになった瞬間、コンコンと扉の叩く音が聞こえてオリヴァーは反射的にルドルフの体を押した。
「殿下、失礼いたしますわ」
中に入ってきたのはオブライアン公爵令嬢、エミリアだった。対面にいるはずのルドルフが押されて距離を置いているとはいえ、オリヴァーと同じソファーに座っているのを見て眉を顰める。こんな光景は前回の人生でもよく見た。
「父から言われて上物のワインをお持ちいたしましたの。スコット侯爵令息も是非ご一緒に」
「……………………ああ、わざわざすまない、エミリア」
邪魔をされたルドルフは苦々しい表情が消せていない。オリヴァーは立ち上がってエミリアからワインのボトルを受け取った。その時、つま先に衝撃が走ったが、彼女に救われたオリヴァーは笑みを絶やさなかった。
オリヴァーが帝国にやってきてから二ヶ月が経過した。本格的に社交のシーズンに突入し、王国貴族であるオリヴァーの元にも次々と招待状がやって来た。
頻繁にルドルフの所へ外出していたかいあって、オリヴァーがルドルフと共に何かを企てているという噂はあっと言う間に広がった。事情を知らないマスグレイブ伯爵に遠回しな苦言を言われたので、密偵が長期化するのであれば住居を別に用意する必要も出てきそうだ。
帝国でもスコット侯爵家の名前はそれなりに知れ渡っているようで、オリヴァーがオブライアン公爵を始め、オールディス伯爵などルドルフを支援する陣営と仲良くしているのを知りながらも、保守派からも招待状は届いてきた。きっと裏で動いているパトリックのおかげだろう。全てに出席はできないが、支持を増やすために出来る限り参加するとルドルフには伝えてある。
今、目前に迫っているのはルドルフから言われていたオールディス伯爵家の夜会だ。着ていく服は一ヶ月前に注文してようやくこの前完成した。シーズンが始まって地方にいる貴族たちもこぞって帝都にやってきているので、仕立て屋は多忙を極めていた。特にお得意でもないので間に合わないかと思ったが、何とか参加できるだけの格好は出来そうだ。
この二ヶ月間、頻繁に呼び出されていたけれど、ことごとくオブライアン公爵令嬢の邪魔に遭い、オリヴァーは何とか貞操を守れていた。オリヴァーとルドルフの距離が近くなればなるほど、前回と同じように彼女の嫉妬心もオリヴァーに向けられて痛い目は見ているけれど、何とか自分を守れているのでそれぐらいは我慢できる。それにしてもやけに邪魔されているような気がするが、気のせいだろうか。登場するタイミングが絶妙すぎて作為的な物を感じていた。
「それでシェフィールド大公とはどうだ?」
「順調ですよ。大公もオールディス伯爵の発言力が日々強まっていることに危惧しているようで、ここで一網打尽に出来るのであれば協力するとのことです」
「そうか。何とか間に合ったな」
やはり大公の協力を取り付けるのはそう容易ではなかった。いくら間にジュノ辺境伯が入っていても、オリヴァーの存在を信用させるのに時間がかかった。パトリックとジュノ辺境伯が根気よく交渉を続けてくれたおかげで、オリヴァーの集めた証拠で彼らを失脚させて戦争を止めるつもりだ。それには戦争を企んでいる決定的な証拠が欲しい。
「オールディス伯爵家に入り込んでいる密偵を教えていただきました。イーデン子爵です」
「イーデン子爵か。何度か顔を合わせたが特に印象はないところを見ると、うまく溶け込んでいるようだな」
「まあ、密偵は目立たないのが一番ですからね」
パトリックにじろりと睨まれてオリヴァーは目を逸らした。確かにこんなに目立っている密偵など存在しないだろう。
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