第14話 モルドペセライ帝国(3)

 モルドペセライ帝国はヴォルアレス王国より更に北に位置しているので、初夏だというのに上着が必要なほど冷え込んでいた。資源があまり多くないがこの国は工業が発展していて、帝都も工場から流れてくる煙で常に薄暗く空気もあまり綺麗とは言い難かった。しとしとと降り注ぐ雨が更に体を冷やした。


「大丈夫ですか、オリヴァー様」


 対面に座るパトリックが不安げにオリヴァーを見る。帝国には両親とともに何度か足を運んだことがあるけれど、社交シーズンの夏だったのでここまで寒くなかった。指先が氷のように冷たくなってしまい、オリヴァーははあ、と息を吐きかける。


「ああ、思ったより寒いだけだ。服をいくつか増やさなければならないな」


「屋敷に到着したら仕立て屋を呼びましょうか」


 オリヴァーはちらりと窓から外を覗く。帝都オルカーヌの繁華街にはいろいろな店が並んでいて、そこには仕立て屋もあった。わざわざ呼びつけるぐらいなら、さっさとそこで購入してしまったほうが早い。


「いや、そこで買おう」


「分かりました」


 パトリックが馭者に馬車を停めるよう指示する。ドアが開くと更に冷たい空気が吹き付けてきて体が震えた。真昼間だというのに太陽の光は遮られていて雰囲気までも気味悪い。行き交う人々も足早でどこか侘しさを感じさせた。


 オリヴァーが馬車から降りると視線が集中するのを感じる。まあ、どこへ行っても目立つから仕方ないと思っていたが、よくよく考えたらこの国の男性は黒い帽子を被っている。帝国には茶色や黒色の髪が多く、オリヴァーのような透ける金色はとても珍しかった。目立つのを避けるためにも上着だけでなく帽子も必要だ。帝都ではどのような服や小物が流行っているのかチェックもいる。偶然ではあるが、仕立て屋を呼びつけるよりもこうして自らの足で向かったほうがよかった。早足で軒先に向かうと、店の中から店主が出迎えてくれた。店の前に停まった馬車を見て、貴族が来たと分かったのだろう。


「ようこそいらっしゃいませ」


 ずらりと店員が並んでオリヴァーに挨拶をする。


「どうぞこちらへ」


 そう案内をされて店の奥に移動しようとしたところで、一瞬だけ店内がざわついた。しっかりと教育されている店員達がどうしたのだろうか、とオリヴァーも振り返ると、そこには……。


「おい、店主を呼べ!」


 従者にドアを勢いよく開けさせ、中に入ってきたのは目的の人物だった。さすがに今日、出会う予定にしていなかったオリヴァーも驚いて目を見開く。わざわざ仕立て屋に自分から来るなんて、どういう風の吹き回しなのだろうか。腐っても国賓だろうに。


 ふと彼の視線がこちらに向けられた。オリヴァーがにこりと微笑むと初めは怪訝な顔をしていたが、「オリヴァーじゃないか」と大股でこちらにやってくる。


「お久しぶりです、ルドルフ殿下。お元気でいらっしゃいましたか?」


「ああ。君も帝国に来ていたのか。驚いたよ」


「ええ……。俺も少し外の世界も知っておくべきかな、と思いまして」


 それが本心ではない、と言うようにオリヴァーはルドルフに目配せをするが、本人にそんな意図は通用しない。良くも悪くも額面通りにしかとらないルドルフは「それなら、俺が帝国を案内しよう」と言って手を叩く。


「ありがとうございます、殿下。その前に少し服を揃えようかと思っておりまして。予想していたよりもこちらは寒いですね」


「ここは俺も愛用している仕立て屋なんだ。店主、彼に合うものを全て俺が買おう」


「え!?」


「折角、帝国まで来てくれたんだ。これぐらいはしてやる」


 何を考えているのかよく分からないが、こちらの思惑通り、都合のいいように解釈をしてくれたようでオリヴァーは安堵した。



 工業が発展している帝国にはレディメイドという既製服が出回っている。これはとても画期的で古着しか手に入らなかった庶民までも新しい服を着ることができた。すでに仕立ててあるので待つ必要がなく、急ぎ上着の欲しかったオリヴァーは初めて既製服と言うものを手にする。


「悪くないな」


 袖を通してみると確かにオーダーメイドと違ってサイズの違いを実感した。自分の体に合わせた服を着るのが当然だっただけに多少気になるけれど、生地は上物なので一枚羽織っただけでも暖かかった。


「あとはこちらで流行っている帽子が欲しい」


「かしこまりました。何点か持って来ましょう」


 オリヴァーが服を選んでいる間、ルドルフはソファーに座ってこちらを見つめていた。用があるからここまで来たのではないか、と疑問に思ったが、何も口出しせず静かにこちらを見ているのが奇妙に感じて口を噤んだ。


 オリヴァーもルドルフも屋敷に仕立て屋を呼んでいたので、こうして服を買うところを見られるのは初めてだ。あれこれと口出ししてきそうなものだが、帝国だからなのか、オリヴァーが帽子を選ぶまでルドルフはこちらを凝視していた。


「申し訳ございません、殿下。お待たせいたしました」


「気にしなくていい」


「……殿下も用事があったのでは?」


 結局、最後までルドルフはソファーから動くことはなかった。オリヴァーの質問にルドルフはニッと笑って「俺は急ぎでないから構わない」と言ってオリヴァーの肩を抱くとそのまま店を出ていく。今日は一日中雨なのか相変わらずしとしとと降り注ぎ、冷やされた空気が足元から体を冷やす。


「オリヴァーはいつから帝国に来ていたんだ?」


「実は今日からなんです」


 オリヴァーはこっそりとルドルフに耳打ちする。


「殿下にお会いしたいと思っていたんです」


 ちらりとルドルフを見ると彼はにやりと笑う。


「食事でもどうだ?」


「ありがとうございます。是非、ご一緒させてください」


 オリヴァーは満面の笑みを浮かべ、ルドルフからの誘いを喜んでいるように演じた。


 ルドルフと接触する前にシェフィールド大公かその関係者に挨拶をしたいと思っていたが、本当に偶然ルドルフと出会ってしまったのだから仕方ない。本来であればオールディス伯爵家や皇宮にいる協力者からルドルフの情報を聞き出して装うつもりだったが、その手間が省けたと思おう。


 けれどオリヴァーは気味悪さを覚えていた。全てが順調に進むとは思っていないけれど、最初から躓くのは幸先が悪い。だがすでにいろんな人を巻き込んだ以上、こんなところで引くわけにはいかない。慎重なのはいいことだが、悪い考えを引きずるのは今後の行動にも影響する。


「パトリックは先に戻って片づけを」


「畏まりました」


 一旦、パトリックは当面の間生活をする屋敷に行かせ、オリヴァーはルドルフの馬車に乗ってレストランへ向かった。


 王族の馬車はオリヴァーが乗っていた物よりも広く、幾分か揺れも軽減されていた。前回の人生ではよくこの馬車に乗っていたが、やり直してからは初めてだった。やり直しの人生が始まってそろそろ十年。初めの頃は前回の記憶が鮮明に残っていたけれど、月日の経過と共にそれはどんどんと薄れていき今では大まかな出来事しか覚えていない。


 けれどこの流れはもうオリヴァーが知っている過去ではない。自分の行動がどう繋がるのか不明だ。


「……それで俺に会いたかった、と言うのはどういうことなんだ? オリヴァー」


 いきなり本題を切り出されてオリヴァーはどきりとする。てっきり自分と出会って浮かれてくれているのかと思ったが、卒業パーティでの一件もあり、ルドルフはこちらを警戒しているようだった。


「侯爵家の次男として領地の一つでも与えられて、親に紹介された令嬢と結婚して兄を支える人生に嫌気が差したんですよ」


「どういうことだ?」


「領地に居たことで祖父から剣術を習い、学園では成績も上位でした。人脈もそこそこ作れたのに、それを兄のためにしか使えないのは可笑しいと思いませんか?」


 元々、オリヴァーは上昇志向の強い人間だ。成り上がりたいという気持ちは今も変わっていないけれど、幸いにもルドルフにはオリヴァーが前回の記憶を持っていることを知らない。例え聞かれても否定するつもりだ。


 これまで紆余曲折あったが、最終的にはルドルフを王太子に立てて自分が成り上がるつもりでいることを知れば、ルドルフは信じるのではないかとオリヴァーは考えていた。


「それはルドルフ殿下にも言えることですよね」


 オリヴァーはにこりと微笑んでルドルフを見る。気持ちを理解しているふりをして、自分は味方だとルドルフに訴えかける。


「ここだけの話ですが、俺は前々から殿下のほうが王に相応しいと思っていたんですよ」


「その割に、俺に辛辣な態度を取っていたように思うが?」


 これまでのことはしっかりと覚えているようでオリヴァーは「申し訳ありませんでした」と謝る。


「祖父から、あまり殿下に近づくなと言われてました。あの人は陛下が指名した人物が後を継ぐべきだと思っていましてね。まだ幼かった俺は祖父のいうことが正しいと思っていて、それで殿下とは一定の距離を置かせていただいてました」


 ルドルフは「ふん」と言ってオリヴァーの話を聞いている。あまり表情が変わらないので何を考えているのか読めない。ここでオリヴァーが少しでも怪しい素振りを見せれば、ルドルフは密偵で入り込んでいることに気付くだろう。あくまでもルドルフを王太子にするため、わざわざ帝国までやって来たふりをしなければならない。


「けれど俺も学園の卒業を目前にしてようやく将来を考え始めた時に、本当にこのままでいいのかと疑問に思いました。俺の努力してきたことは全て兄の影に隠れてしまう。誰も俺自身を見ることはない、と思ったら、なんかバカバカしくなってきましてね。どうせなら兄を引きずり降ろして、俺がスコット侯爵になってやろうかと思ったんですよ。そのためには、ルドルフ殿下。あなたのお力が必要だと知り、恥を忍んで帝国までやってきました」


「ほお。別に俺でなくても、アレクシスを使えばよかったのではないか? あいつは腐っても王妃の子供だ」


 まさかルドルフの口からアレクシスの名前が出てくるとは思わず、オリヴァーは息を呑む。


「……アレクシス殿下、ですか」


 はあ、とわざとらしくため息を吐いてから、心底、呆れているように鼻で笑った。


「あの方は清廉潔白すぎるんですよね。物事を正しいことでしか考えていない。騎士としてはいいかもしれませんが、あれでは王になれませんよ。なったとしても、今までと変わりません」


 そもそもアレクシスは自分が王になることなど全く考えていない。情勢が不安定ならまだしも、平和が続いている現在では第三王子が王になることはほとんどない。頭の回転も悪い方ではないし、剣術に長けているが、アレクシスが王になる姿は似合わな過ぎて想像したくもなかった。


「その点、ルドルフ殿下はこうやって他国に留学したり、学園では生徒会長を務められたり、王になるための努力しているのは知っております。だからこそ、俺はあなたの傍で仕えたいと思ったんです」


 ルドルフは「そうか」と言って深く腰掛ける。


「俺のためなら何でもするんだな?」


 そう言ってルドルフは右手をオリヴァーに差し出す。


「ええ、俺にできることなら何でも致します」


 オリヴァーは差し出された手を掴んで、その場に跪く。それから忠誠を誓うため、手の甲に口づけをした。

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