第12話 モルドペセライ帝国(1)

 学園を卒業して間もなく、領地にいる祖父から手紙が届いた。社交界のシーズンに入れば、パーティに出なければならない。それを考えたら領地にいるほうが断然マシだと思ったオリヴァーはすぐに祖父の元へ向かった。


「おお、しばらく見ないうちに大きくなったな、オリヴァー」


「お久しぶりです、お祖父様」


 五年も経てばさすがの祖父も老いたように見えたけれど、久々に稽古を付けてもらって前言撤回した。まだまだ元気が溢れている祖父はあと五十年ぐらい生きるのではないかと感じさせた。


「その、アランのことはすまなかったな」


「え? ああ、事情が事情ですから、気にしていませんよ」


 アレクシスの話が出て心臓が飛び出そうになった。ルドルフの卒業式以来、彼はいつも通りに話しかけてきたので、オリヴァーも告白されたことは忘れるようにしていた。けれど彼の一挙一動が自分に好意があってのことと考えてしまうと、気恥ずかしくなったり罪悪感を覚えたりと忙しかった。


 同じ年に入学したので、アレクシスもこの前一緒に卒業した。彼はルドルフと違って成績は優秀でテストでは首席を取ることもしばしばあった。卒業後はバルナバスと共に騎士団へ入団した。彼らはそこで雑用などの下積みを経て正式に騎士へ叙任される。突然、騎士になった前回とは大きく違ってしまった。


 ただアレクシスの剣の腕はかなりの物で、すでに騎士としても十分なほどの力量があった。学園で行われる剣術大会でも毎回と言って良いほど優勝していた。むしろ、彼と競わされる相手のほうが憐れなほどだった。


「あやつは命を狙われておったからな。ここにいることもごく一部しか知らないことだったんだ」


「そうなんですか?」


 アレクシスが命を狙われているなんて初耳だった。


「だからここであやつが王子だと知っていたのは、儂とビアンカとバルナバスだけだったんじゃ」


「…………そうなんですね」


 バルナバスが知っているのは当然のことかもしれないが、何だかもやっとした。今も騎士団で仲良くしているらしいし、護衛なのか何なのか知らないが四六時中べったりしているイメージがある。


「それでお祖父様、俺を呼んだ理由は何ですか? まさかアレクシスもバルナバスもいないからって暇つぶしに俺を呼んだわけじゃないですよね?」


「お前が暇にしているとクリストフから聞いたから呼んだんじゃ」


 暇、とはっきり言われてムッとしたが、あながち間違いではないので仕事を与えられるのはオリヴァーとしても好都合だった。この祖父から任される仕事なんて過酷以外の何物でもないだろうが。


 それにしても父がそんなことを祖父に告げ口しているとは知りもしなかった。知らないうちに働きも勉強もしない息子に頭を悩ませていたのか。オリヴァーは真剣な顔をする祖父を見つめる。


「隣の帝国が今、きな臭い動きをしている」


「……え?」


 突然、隣国の名前を出されてオリヴァーはすぐに理解できなかった。隣国のモルドペセライ帝国とは祖父の時代に大きな戦争を起こして緊張状態が続いているけれど、一応は終戦時に和平条約が交わされて国交も開かれている。


「ジュノ家からそう連絡が入って、儂も調べてみたらどうやら第二王子が一枚噛んでいるらしい」


 オリヴァーは黙って祖父の話を聞いていた。ルドルフは卒業後、勉学のため隣国に留学している。自分が従者にならなかった未来がどうなるかもう読めず、とりあえず彼が離れたことに安堵していた。けれど国を裏切るつもりだとは想定外だった。彼はなんやかんや王子としてのプライドぐらいは持ち合わせていると思っていた。


「とりあえずお前には国境付近で情報を集めてもらいたい」


「分かりました」


「ジュノ家には話を通してある。まずはジュノ家に行って指示を受けるように」


 オリヴァーは頷いてすぐに荷物をまとめた。


 南東にあるスコット領から北にあるジュノ辺境伯領まではこのヴォルアレス王国を縦断する旅となる。馬での移動でも三日は要する。状況が状況だけに大人数で行けば時間がかかるため、オリヴァーは少数だけ引き連れてジュノ辺境伯領へ向かった。


 ルドルフが隣国へ留学すると聞いたときは、国内では足りない自分の支持勢力を伸ばすために他国を利用するのかと思ったが、まさか戦争を仕掛けようとしているとは想像していなかった。祖父が出兵した戦争ではかなりの被害が出たと聞く。今でこそジュノ辺境伯のおかげで和平は保たれているけれど、国内のことを詳しく知っている王子が情報を流せば帝国が勢いづくのは当然だ。戦争となれば騎士達だって駆り出される。隠居しているけれど劣勢になれば祖父だって呼ばれるかもしれない。


 騎士が出兵するとなると、今は下積みをしているアレクシスだって戦場に向かうこととなるだろう。オリヴァーはぎゅっと手綱を握りしめる。自分が知っている未来とはかけ離れてしまった。自分の行動が何を引き起こすのか、もう分からない。


「オリヴァー様、お待ちしてましたよ」


 ジュノ領にある城へ到着すると出迎えのはバルナバスだった。


「……なんでお前がここにいるんだ。王都で騎士団に入ったんだろう?」


「さすがに実家に危険が迫っていれば戻りますよ。嫡子ですし」


「お前がここにいるってことは……」


 アレクシスもいるのだろうか。オリヴァーがパッとバルナバスから目を逸らすと、噴き出すような笑いが聞こえる。


「アレクシス殿下は王都ですよ」


 考えを読まれたようにそう言われて、オリヴァーは「聞いてないっ!」と怒鳴る。必死になって否定したのが余計に可笑しかったのかバルナバスは腹を抱えて笑っていた。




 バルナバスに案内されてジュノ辺境伯の執務室に入る。バルナバスの父とあって一見爽やかな雰囲気があるけれど、しっかりと鍛えられた体は屈強な戦士を彷彿とさせる。オリヴァーの姿を見るなり、ジュノ辺境伯は立ち上がった。


「お待ちしておりましたスコット侯爵令息。ご足労頂きありがとうございます」


 ぴしっと礼儀正しく挨拶する様は出会ったばかりのバルナバスを思い出した。


「どうぞオリヴァーとお呼びください、辺境伯」


「ではオリヴァー殿。どうぞそちらにおかけください。バルナバス、お前も一緒に」


「分かりました」


 ジュノ辺境伯に促されてオリヴァーはソファーに腰かける。


「早速ですが、エッカルト様から帝国の話はお聞きになりました?」


「帝国の動きが活発になってきているのと、それに第二王子が絡んでいるということしか聞いてません」


「それでは時系列順に話をしましょう」


 先の戦争が終わってからジュノ家では帝国に間者を放って様子を伺っていた。いくらヴォルアレス王国が勝利し和平を結んだとは言え、彼らは虎視眈々とヴォルアレス王国の土地を狙っていた。彼らは最初小さな国だったが、地続きの国を侵略して大きくなった経緯がある。敗北した程度で簡単に引き下がったりなどしない。


 数年前に流行り病が蔓延してから帝国は不作が続いていた。首都でも死者が発生するほどの病で、ヴォルアレス王国からも援助を出していたがそれだけでは足りなかったようだ。民の不満を逸らすため病はヴォルアレス王国から持ち込まれたと嘘の情報を流布して王国へのヘイトを集めていた。


 そんな中、王国の王子が留学に来たのだから、民は余計に反発した。タイミングも読めずに訪問するなんて、やはり頭が悪いな、とオリヴァーは内心で貶したけれど、ルドルフは武闘派であるオールディス伯爵と接触して上手く帝国で立ち回っていた。


「うまく情報を小出しにしているみたいですが、全て流れるのも時間の問題でしょう」


「早急に動く必要がありそうですね」


「ええ。オールディス伯爵も武器を集めていると情報が入っています。すぐに開戦はしないでしょうが、帝国内の状況も踏まえたら開戦する可能性は高いと言えます」


 祖父はどうして自分にジュノ辺境伯の所へ行けと言ったのか。祖父から剣術を教えてもらったと言っても、多少腕に自信があるぐらいで本職とは相手にもならない。スコット領とジュノ領を行き来して情報の伝達だけを任せるつもりだったのかもしれないし、オリヴァーがこの現状を知ってどう動くのか見たいだけなのか。


 祖父は何かを試すような人間ではない。信頼のおける人物に伝令を任せたかったのだろう。けれどオリヴァーとしては自分が下手に動かなければルドルフが帝国に行かなかったことを考えると、何としても戦争を止めなければと使命感が生まれる。


「分かりました。俺がルドルフ殿下の所へ密偵として入り込みます」


「は?!」


「ちょ、ちょっと! オリヴァー様、何を考えてるんですか!」


 親子そろってそんなに驚くとは思わず、オリヴァーは僅かに身を引かせる。


「俺だったらきっと向こうも受け入れるでしょう。今、あの人に近づける人物は限られているはずです」


「あまりに危険ですよ、それは」


 オリヴァーが裏切っていると知れば、今度こそルドルフは自分を殺すかもしれない。けれどオリヴァーは何としてでも帝国との戦争を止めたかった。


「危ないと思ったら引きます。辺境伯、万が一を考えて向こうに入り込んでいる密偵を数人教えてもらえますか。俺もルドルフ殿下の後を追って帝国に留学することにしたと言えば、あちらは喜ぶでしょう」


 ついでに目を覚まして、これまでの行いについても謝罪すればルドルフは受け入れるはずだ。辺境伯は「一先ず、エッカルト様とスコット侯爵に話をします」と言って、この場では返事を貰えなかった。


 祖父や父に潜入の許可を取ろうとしても、確実にダメだと言われる。結果が分かり切っている以上、返事を待つつもりもなくオリヴァーは身支度を始めた。


「ちょ、オリヴァー様。何やってるんですか!?」


 煩い奴に見つかってしまった。辺境伯から見張るよう言われていたのかもしれない。眉間に皺を寄せて振り返ると「ダメですよ」と念を押される。


「煩い、お前は見なかったことにして黙っていればいい」


「いくら次男とは言え、あなたは侯爵家の人間なんですよ? 帝国に捕まれば人質になる可能性だってあるの分かってます?」


「それぐらい、分かっている」


 自分の価値がどれほどの物なのか、わざわざ説明されなくても理解している。けれどそれ以上に潜入して調査するのに適した人間が自分以外に居ない。戦争を止められる可能性があるなら、それに賭けたかった。


「それに第二王子とは一年以上も疎遠なんでしょう?」


「スコット領に居た時は三年ぐらい疎遠だったが、学園に入学してからは普通に話しかけてきた。あの人の中で時間なんか関係ないんだよ」


 ただ卒業パーティでの一件があるから手土産ぐらいは持って行かないと納得しないだろう。彼が好きな煌びやかな宝石でも一つぐらい持って行き、あなたのほうが王に相応しいと気付きましたと改心したふりをすれば受け入れてくれるだろう。


「けど……」


「けどでもなんでも、もう決めたことだから、お前に何と言われようが俺は帝国に行く」


 バルナバスは困った顔をするがそれ以上は何も言わなかった。





 ジュノ辺境伯が城を留守にすると耳にし、オリヴァーはその日に帝国へ行こうと決心した。バルナバスはあれ以降、何も言わなかったけれど、オリヴァーの行動を快く思っていないのは態度でよく分かった。


 帝国に開戦の気配があると分かった以上、ジュノ辺境伯は多忙を極めた。国境にある砦と城を頻繁に行き来し、時折、王や祖父に手紙を出している。祖父が知っているのだから、この状況は父や王も当然知っていた。


 ルドルフが国を裏切ったことも知っているはずなのに、王家が動くことはないのだろうか。まだ確証を持てていないのか。それさえ掴めれば動きようだってある。まずはルドルフの陣営に入り込むのが優先だ。


「オリー兄様!」


 バンッ! と勢いよく扉が開いて振り返るとアレクシスが息を切らして部屋に入ってくる。自分では引き留められないと分かったバルナバスが呼んだのだろう。後ろでしれっとした顔をしているバルナバスを睨みつけて、オリヴァーは必死な顔をしているアレクシスを見た。


「何だ、騒々しい」


「バルナバスから聞きましたよ。ルドルフ兄様の所へ行くって。ダメです、絶対にダメです!」


 誰もがそうやって引き留めるけれど、戦争が始まっては確実に犠牲が出る。それにオリヴァーが侵入のが一番手っ取り早いと分かっているから、みな、ここまで必死に引き留めるのだ。それだけ危険な任務だと言うのも分かっているし、オリヴァーのこの行動で祖父を傷つけるのも分かっている。けれど決めた以上は誰に何と言われようが曲げるつもりはない。


「ルドルフ兄様があなたにどれほど執着しているかご存じでしょう?」


「けど、このままじゃ戦争が始まる。それを止めるには懐に入り込むのが一番だ」


 オリヴァーはぐっと拳を握りしめてアレクシスを見る。


「俺は戦争を止めたいんだ」


 前回の人生ではこんなこと起こりもしなかった。自分が側にいなかったからルドルフが帝国へ留学することになり、敵と手を組んで戦争を引き起こそうとしている。どちらが勝つかは分からないが、大きい戦争が起これば王国だって軽傷では済まないだろう。


「……バルナバス、ちょっと席を外してもらえますか」


「分かりました」


 ぱたんと静かに扉が閉まる。少しの間静寂に包まれると、アレクシスがやっと口を開く。


「オリー兄様は自分の行動のせいで、未来が変わったと思っていますか?」


「…………は?」


「時が戻ったことを、オリー兄様はご存じなんでしょう?」


 アレクシスは真剣な顔でオリヴァーを見る。まさか彼からそんな言葉が出てくるとは思っていなかったオリヴァーは目を見開いたまま何も言えずにいた。


「王族には自身の命と引き換えに奇跡を一度だけ起こすことができます。……俺が時を戻したんです」


「お前が……」


 それなら彼にやり直した記憶があり、これまでと違う行動を取っていたのも納得だった。おそらくアレクシスも前回の人生とは違う行動をしているオリヴァーに記憶があるのではないかと疑っていたはずだ。


「オリー兄様が殺された後、ルドルフ兄様は帝国へ渡って国を裏切りました」


 自分が殺された瞬間に時が戻ったので、その後も続いていたとは思わなかった。だが前回は接点もほとんどなかったアレクシスが自分のために時を戻すのはあり得ない。


「ルドルフ兄様が帝国にほとんどの情報を与えたせいで、ヴォルアレス王国は戦争に負け、彼はその見返りに王位を望みました」


「それなら尚更、俺が行ったほうが……」


「実はルドルフ兄様にも前回の記憶があるんです」


「え?」


「彼の中でも多少、誤算はあったと思います。オリー兄様が自分の物になるとかなり小さい頃から思い込んでいましたから。でも帝国に渡ったのはオリー兄様が原因ではありません」


 アレクシスはオリヴァーの手をぎゅっと握った。彼がどれほど真剣に引き留めようとしてくれているのか、さすがのオリヴァーにも十分伝わってきた。


 だからこそ、オリヴァーはルドルフの所へ行こうと思った。何としてでも戦争を止めたかった。


 自分が成り上がるためではなく、今回の人生で出来た大切な人たちのために。


「ルドルフ兄様は王位を取るよう、リーゼロッテ妃から洗脳されてきました。彼は王になることしか考えていません。ただそのためなら、手段を選ばないんです」


「それは俺だって知っている」


 そんなルドルフだったからオリヴァーは前回の人生で彼を利用しようとしていたのだ。


「だからオリー兄様。戦争を止めたという功を立てなくても、他に手段は色々あります」


「…………は?」


「お願いですから、ルドルフ兄様のところへ行かないでください!」


 必死に懇願するアレクシスを見ていたら、だんだんと冷めていくのを感じた。別に功を立てようと思ってルドルフの所へ行くのではない。前回の人生でオリヴァーが何をしてきたのか知っているからそんな誤解をされるのも無理はないけれど、自分を好きだと言ったアレクシスだけには誤解されたくなかった。


 そもそも他人を利用して成り上がろうとしたあげく大失敗した人間のどこが良いのか。さすがに男の趣味が悪すぎないだろうか。顔か? 見てくれで全部判断しているのか? と、言いたいことはたくさん出てきたが、全てを飲み込んでオリヴァーはアレクシスの手を乱暴に振り払った。


「成り上がるつもりで行くわけじゃない」


「………………え?」


「小言を言いに来ただけならさっさと王都に戻れ。お前の言うことだけは絶対に聞かない」


 殴りそうになるのを堪えながらそう言い放ち、オリヴァーは部屋から出る。外ではバルナバスが気まずそうな顔をしていたが、オリヴァーの表情を見てアレクシスの交渉が失敗したことを悟り、「お気を付けてくださいね」と頭を下げた。

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