第11話 アレクシス・ロルフ・ヒルデグンデ・ヴォルアレスという男
アレクシスはルドルフが見えなくなるまでその背中を睨みつけると、隣にいるオリヴァーへと顔を向けた。
「大丈夫ですか、オリー兄様」
「……大丈夫だ」
ほっとしたら飲み物に仕込まれていた薬の存在を体が思い出してしまう。先ほどまで緊張していたせいかすっかり忘れていたけれど、それなりに強いものを使われていたようで体が熱くなってくる。アレクシスに感づかれたくなくて必死に堪えるが、彼が肩に触れただけでも甘い声が出そうになる。
「悪いが……、離れて、くれないか」
「どうしました?」
心配して顔を覗き込まれた。パッと顔を背けたけれど、様子がおかしいのには気づかれている。
「どこか具合が悪いんですか?」
強く肩を掴まれて、びくりとオリヴァーの体が跳ねる
。
「ん、ッ……」
声を殺しきれなかった。居た堪れない静寂があたりを包む。辺りは凍えそうなほど寒いというのに、顔だけは湯気が出そうなほどに熱い。
「だから、離れろって言ったんだ。分かったらさっさと行ってくれ。頼むから」
「……いくらオリー兄様の頼みでも、それは聞けませんっ」
そういってアレクシスはオリヴァーを抱きかかえると立ち上がって茂みを抜けていく。
「ちょ、おい! 何をするんだ」
「俺の部屋でいいですね」
「よくないっ!」
必死に抵抗するがアレクシスとの対格差は大きく、オリヴァーがもがいたところでただ腕の中で暴れている猫のようなものだ。歩みを止めないアレクシスにオリヴァーは抵抗を諦めておとなしく目を瞑った。
あまり使用人を置いていないのか、アレクシスが自室へ入っても誰もついてこなかった。ゆっくりとオリヴァーの体をベッドに横たえ、丁寧に靴を脱がす。その仕草だけでも感じそうになってしまい、オリヴァーは口の中を噛む。かわいい弟のような存在にみっともないところは見せたくなかった。
「部屋に帰してくれ」
「一人でいても辛いだけでしょう?」
「お前に見られたくないんだ」
そうつぶやくとなんだか泣き出しそうになってオリヴァーは横を向く。見る見るうちに悪事がバレていったときと同じぐらい惨めだ。その時もアレクシスが傍にいたことを思い出して嘲笑する。
「お前にはみっともないところを見られてばかりだ」
「……そんなこと、ないですよ。そもそも全部ルドルフ兄様のせいですし」
アレクシスはじっとオリヴァーを見つめる。逸らされることのない真っすぐな目にオリヴァーは苦しさを覚える。
「オリー兄様、いえ、オリヴァー・フォン・スコット侯爵令息。俺はあなたのことが好きです。だから俺はあなたのすべてを知りたい」
オリヴァーは冷めた目でアレクシスを見つめていた。
好きだと言われてまず先に浮かんだのは、なぜ、という疑問だった。一世一代の大告白だっただろうが、オリヴァーにはその言葉はあまり響かない。そもそも先程まで彼の半分だけ血のつながった兄に好意を押し付けられて貞操の危機だったのに、その弟から告白されたところで、お前もか、としか感想は出て来なかった。
ルドルフのように彼を嫌っているわけではない。いい奴だと思っているけれど、恋愛対象になるかと問われれば否だ。
オリヴァーは頭上に居るアレクシスを見る。
「お前は俺をどうしたい」
「ど、どうって、オリー兄様も俺のことを好きになってくれたら嬉しいですけど、ただ俺はあなたのことが好きだからどんな姿を見せられても嫌いになったりしないと伝えたかっただけなんです」
自分とは正反対の純真無垢なアレクシスにオリヴァーは自嘲に近い笑みを浮かべる。ルドルフのように欲望を向けてきたのなら彼もそこまでの人間だと見下げ果てることも出来たのに、彼は真っすぐに下心なくオリヴァーを想っていた。どうしてそこまで好意を抱いているのか分からないが、抱きたいぐらいだったら抱かせてやってもいいなんて思っていた自分が情けなくてたまらなかった。
そう言う点でもオリヴァーとアレクシスは違う。彼に好かれる資格などない。
「お前に手伝われなくても大丈夫だ。もう一度言う。放っておいてくれ」
はっきりと告げるとアレクシスはほのかな笑みを浮かべて、「差し出がましいことをしました。すみません」と謝った。
第三王子というのは正直に言って微妙な立ち位置だとアレクシスは思っている。しかも側妃でなく、王妃の子供。王子が増えれば後継者争いが生まれるのは必然で、争う人数が増えれば消そうと考えるのも当然だった。
王である父が側妃を娶ったのも、国内でのパワーバランスを考えた結果だったから余計に争いを生んだ。だから自分には王位を継ぐ気はないと証明するためにも、アレクシスは幼いころから騎士を目指した。それが王宮で住む上での処世術だった。
アレクシスは三歳まで王宮で過ごしていた。王妃と側妃の宮は大きく離れているので、アレクシスは第一王女と第二王子のことを余り知らなかった。アレクシスが生まれて間もなく第二王女のレーナが生まれ、王妃の宮であるアメジスト宮はとても賑やかだった。
事件が起きたのはレーナが生まれて二ヶ月後。王国騎士であるダニエルに剣の稽古をつけてもらうため訓練場へ移動しているときだった。
どこからかやってきた野犬にアレクシスは襲われて重傷を負った。アレクシスの周囲に護衛もいたけれど、王宮内とあって人数はさほど多くなく獰猛な野犬に太刀打ちできなかった。ある上級貴族の子がダニエルを呼びに行ったためアレクシスは一命をとりとめたが、彼がいなければアレクシスは命を落としていた可能性もあった。
それが建国以来、忠臣として名高いスコット侯爵家の次男、オリヴァー・フォン・スコットだった。
厳重な警備が敷かれている王宮内で野犬に襲われるというこの事件は関係者に箝口令が敷かれた。誰かが故意にアレクシスを襲ったのは明白であり、王宮にいる者ならば誰が仕組んだことなのかうすうす気づいていたけれど、はっきりとした証拠もなかったのでそのまま迷宮入りした。
偶然ではあるがアレクシスが公の場に出たことがなかったことと、アメジスト宮の外で起こった事件だったこともあって、オリヴァーがアレクシスの存在に気づくことはなかった。
この事件があってアレクシスは王妃の出身でもあるザセキノロンへ行くことになり、彼は六つまでザセキノロンで過ごし、その後はスコット領で剣術を学んだ。
国の英雄でもあるエッカルト・フォン・スコットは先王の親友であった。現国王もエッカルトのことを信用しており、彼ならばアレクシスをしっかりと鍛えてくれるだろうと期待もあった。エッカルトはその期待に応えるようアレクシスを厳しく指導し、彼を一人前の騎士に育て上げた。そしてスコット領で生活を始めて九年の月日が経ったとき、アレクシスは王都へ戻り騎士の叙任を受けた。十五で正式な騎士になったのは建国史上初めてのことだった。
エッカルトに厳しく鍛えられたこともあって、剣の腕は国内随一だった。王国内で行われる剣術大会でも優勝するほどの腕前だったがアレクシスは鍛錬を怠らず自分に厳しくあり続けた。
そんな中、アレクシスは恩人でもあるオリヴァーの噂を耳にした。彼が兄である第二王子の従者をしているのは当然知っていたし、自己顕示欲の強い第二王子が王太子の地位を狙い、それに賛同する貴族がいるのも知っていた。オリヴァーもまた次男に生まれたというだけで家を継げるわけでもなく、数多くあるスコット家の領地の一つをもらうか、子息のいない家へ婿入りするしかない人生に抗おうと必死だった。彼が成り上がるため、ルドルフに協力するのは手っ取り早い手段だった。
オリヴァーが悪に手を染めていくのを、アレクシスは見て見ぬふりをしていた。彼らが国家を転覆させるような大事件を起こすとは思っていなかったのだ。
王太子のフリードリヒは、一見、穏やかで優柔不断なそぶりをしているが、実のところは冷酷で手段を選ばない人間だ。第二王子とオリヴァーが自身の殺害を企んでいると確証を得てから行動は早かった。彼らを捕まえるため証拠を集めると、近衛騎士を派遣して潜伏先に突入する計画を立てた。それを知ったアレクシスはフリードリヒに指揮権を自分に与えてくれないかと直談判した。フリードリヒは難色を示したけれど、アレクシスの存在も利用できると思ったようで了承した。
きっとオリヴァーも目先の欲に眩んだだけで計画が失敗に終われば目を覚ますと思った。王太子を殺害する計画はあまりに罪が重いけれど、彼が名門スコット侯爵家の生まれであることを考えれば重くても流刑だろうと予想していた。けれどアレクシスが想像した以上にみながオリヴァーに罪を擦り付け、挙句の果てには主犯の一人でもあるルドルフですら彼を見放した。
そうなっては後ろ盾も何もないアレクシスがオリヴァーを庇うことなんて不可能だ。フリードリヒに情状酌量を訴えたけれど、オリヴァーが国家転覆を目論んだ大罪人として王国中に知れ渡ってしまったのもあって、彼の処刑は避けられなかった。
もっと自分に力があれば、オリヴァーを守れたかもしれない。せめて彼の最期ぐらいはこの目に焼き付けようと処刑場に向かったが、彼は処刑場に向かう道中、山賊に襲われて殺された。罪人を乗せた馬車が襲われるという不自然な事件に、オリヴァーは殺されたのではないかと噂された。ただ処刑が決まっているオリヴァーをわざわざ殺す意味も不明だ。口封じのためなのか、それとも本当に山賊がたまたま襲っただけなのか。
謎のまま月日は経過し、そして命だけは助かったルドルフが隣国のモルドペセライ帝国に亡命し、戦争を起こした。
圧倒的な戦力差にヴォルアレス王国は帝国に蹂躙されるだけだった。ルドルフは王国の情報を帝国に流し、その見返りに終戦後は自分が国の王になることを約束していた。彼の玉座に対する執念の凄まじさを知る。おそらく彼の母親でもあるリーゼロッテ妃の影響だろう。
リーゼロッテ妃は王妃であるアンネマリー王妃を憎んでいた。公爵家の生まれであるアンネマリー妃と伯爵家の生まれであるリーゼロッテ妃では家格も王妃のほうが上であったが、彼女は自分のほうが愛されていると思い込んでい
た。王が貴族間の力関係を重視したため側妃を娶ったのだがそれを愛によるものと勘違いしていたのだ。
リーゼロッテ妃はルドルフが生まれると、彼を厳しくしつけた。ゆくゆくはフリードリヒを退けてルドルフが王になるよう教育という名の洗脳を続けた。それがルドルフの玉座に対する執念へと変わり、国を裏切ってでも王になろうと画策した。
王と王太子が責任を取る形で処刑され、ようやく終戦した。戦争に敗れて荒廃した国に帝国の操り人形が王として即位。王都ですら餓死する者が現れ、平民へと落とされたアレクシスは国が滅んでいく様を目の当たりにした。
戦争の動乱でオリヴァーの殺害を指示したのがフリードリヒだと判明した。ルドルフがオリヴァーを連れて帝国に亡命する計画がそあり、決定打となったのはアレクシスが処刑場へ向かったためだった。アレクシスは彼の最期を見届けたかっただけなのに、自分もまたフリードリヒに信用されていなかったようで処刑するのを待っていては彼が誘拐される可能性もあるとして山賊に襲われたと見せかけて殺害した。
第一王子のフリードリヒにも信用されず、第二王子のルドルフの視界にも入らず、ただ血筋だけがアレクシスを王族たらしめていた。
あまり知られていないが、王族には太古の昔に存在した力が宿っている。それは心臓に眠っていて、自身の命と引き換えに奇跡を起こせるというものだ。
これまでの人生、アレクシスは後悔ばかりで何もできなかった。命の恩人も救えず、戦争も止められず、せめて王族の血筋を引いている者として、最期にこの国のため命を散らそうと決心した。
一番の気がかりだったのは命の恩人でもあるオリヴァーを助けられなかったことだった。もっと自分に力があれば、彼を助けられたかもしれない。せめて彼だけでも助かってほしいと祈りながら、アレクシスは自分の心臓に剣を突き立て、時を戻すという奇跡を起こした。
アレクシスが目を覚ますと、そこはあまり記憶に残っていないアメジスト宮の自室だった。
バタバタと廊下からせわしない足音が聞こえてきてアレクシスは体を起こした。広くて大きいベッドにポツンと座っていると、「アレクシス殿下。お目覚めですか?」と声を掛けられ、隣を見た。
「おめでとうございます。妹君がお生まれになりましたよ」
にこりと微笑む使用人を見つめて、時間が巻き戻ったことを知った。
自分の命を散らしたのだから、てっきりそのまま死ぬのかと思っていた。どうやら奇跡は自分にも作用してくれたらしい。神が憐れんでくれたのかどうかは分からないが、次こそは後悔のない人生を歩もうと決心した。
今から二ヶ月後に自分は野犬に襲われる。前もって分かっていれば避けられる運命だが、ただ避けただけでは別の手段で命を狙われる。王妃の子がこの年齢になるまで公の場に出たことがないのは、嫉妬深いリーゼロッテ妃からアレクシスを遠ざけるためだ。自分が生まれてしまったことでルドルフの王位継承が遠ざかったと思ったのか、執拗にアメジスト宮のことを調査しているのは公然の秘密だった。
リーゼロッテ妃のいるエメラルド宮に間者を入れるのが手っ取り早いが、三歳の子供がそこまで用意周到なのはさすがに怪しまれる。かといって閉鎖されたアメジスト宮で出来ることも限られていて八方塞がりだ。だがこのまま大人しく野犬の餌食になどなりたくない。自分が力を付けるまでは避ける方向のほうがいいのかもしれない。
そうして護衛の人数を増やして当日を迎えた。アレクシスは訓練着に着替えてアメジスト宮を出る。一度、経験しているとはいえ、アレクシスの脳内にしっかりと刻まれているこの事件は思い出すだけで体が震える。いつになくきょろきょろとしながら訓練場へ向かったが、野犬が彼らの前に現れることはなかった。
予想外の展開にアレクシスは呆然とする。やり直してからの二ヶ月間、アレクシスはできる範囲で前回と同じように過ごした。もちろん、三歳の記憶などほとんど残っていないから憶測だが、中身が二十八の男であることなんて周囲は気づいていないはずだ。ほんのわずかな行動の違いによって未来はここまで大きく変わるものなのか。
未来を変えたいを願っていても、わずかな歪で大きく変化してしまうと途端に恐怖が襲ってきた。より良い未来のための行動が、最悪の結果を生むかもしれない。そう思ったらアレクシスは何もしないほうが平和なのでは、と考えてしまった。自室に籠っていると国王から食事に招待された。自室から出たくなかったが、王である父の誘いを断ることなどできない。しぶしぶ食堂へ向かうと、珍しく兄たちもそこにはいた。
「久々に家族水入らずで食事をしよう」
朗らかに笑う父を見て、気を遣わせているようで申し訳なかった。
「おい、アレクシス」
食事を終えてアメジスト宮へ戻ろうとしたところで四つ上の兄、ルドルフに声を掛けられた。彼があからさまに不服そうな顔をしている理由は分からないが、アレクシスは彼を逆なでしないよう「なんですか」と無表情で答える。
「ちょっとこっちに来いよ」
ぐいと腕を掴まれ無理やりに連れて行かれそうになり、アレクシスは「やめてください」と抵抗する。三歳の力は弱く抵抗などほとんどできていなかったが、暴れるのが鬱陶しいのかルドルフはぴたりと足を止めてアレクシスを見る。
「いいのか? お前が王族の力を使って時を戻したこと、父上や母上に言うぞ」
アレクシスは目を見開いてルドルフを見る。
「やっぱり、お前にも戻った記憶があるんだな。……せっかく、王位に就いたのに、邪魔をしやがって」
ぎりぎりと腕を掴む力が強くなり、アレクシスは顔を顰める。
「まあ、でも、これでオリヴァーも生き返ったことになる。お前には感謝しているよ」
「……彼があなたに協力するとは限らないでしょう」
「なあに、あいつは自分が次男に生まれて爵位も何も継げないことを不満に思っている。やり直したってあいつは成り上がることを目指すだろうよ。オリヴァーの兄がフリードリヒにつく以上、中立を保とうとするスコット家としてもオリヴァーを俺に付けさせたほうがいい。そうなったら俺と手を組むほうが手っ取り早い」
そうして前回の人生では王太子殺害まで目論んで処刑された。彼の不満に思うところは分からなくもないが、成り上がる方法はいくらでもある。ただそれに気付けるかどうかはオリヴァー次第だ。彼が前回と同じ人生をそのままやり直すとしたら、待っているのは死だ。
「でも俺が野犬に襲われなかったように、彼だって何が起こるか分かりませんよ」
出来る限り同じ未来をたどらないよう努力するつもりでいるが、ルドルフにそれを感づかれたくない。今のままでは邪魔をされても彼に勝てるだけの力はなかった。
「ふん、それは俺が止めてやったからだ。お前が時間を戻した以上、俺と同じように記憶がある可能性がある。前回はたまたま犯人が見つからずに済んだが、あんなお粗末な計画では前回と同じようにはいかないだろうからな」
アレクシスはぎゅっと拳を握りしめた。前回の記憶を持つ人間が自分だけだと思っていたから対応が後手になった。そう考えると何も考えずに自分の手の内を晒してくれたルドルフには感謝しかない。やはり彼の眼中に自分は存在していないのだと分かり安堵した。
絶対に前回と同じことは繰り返させない。アレクシスはそう誓った。
野犬に襲われた事件をルドルフが止めたと言っても、リーゼロッテ妃はアレクシスがルドルフの邪魔になると判断しているのだから、再び襲う計画を立てているに違いない。彼が言ったようにリーゼロッテ妃の計画はあまりにお粗末で自身がやったと言っているようなものだった。だから彼女の機嫌を損なわないようアレクシスは一命をとりとめた後、母の実家へと身を寄せていた。できたらその未来は避けたくない。
北東にあるザセキノロンの隣にはジュノ辺境伯領がある。ジュノ家は代々保守派で当代も王太子にはフリードリヒを支持していた。フリードリヒが王になるのはアレクシスの望むところでもある。ジュノ家を味方につけるのは得策だろう。前回の人生では騎士団に入っている時にジュノ家の嫡子、バルナバス・フォン・ジュノと交流があったので、出来ることなら彼とは早めに繋がりを持ちたかった。
だがいきなりザセキノロンへ行きたいと言っても誰も許してはくれないだろう。夏になればまだ幼いレーナを連れて母が実家へ戻るだろうから、それまで我慢するべきだ。王宮内で味方を見つける必要があるが、まだ三歳と幼いアレクシスが何を言おうとも信じてくれる大人はいない。
そうなると信じてもらえる人物に協力を仰ぐしかない。アレクシスは既に王太子として教育が始まっているフリードリヒの元を訪れた。フリードリヒならば王族の力のことも知っているし、時間を戻したことを信じてくれるはずだ。
「……お兄様、失礼いたします」
「どうぞ」
返事が聞こえてアレクシスはフリードリヒの部屋に入る。彼の机の上には本が山ほど詰んであって、まだ九つと幼いのにどれほど努力しているのかが伺える。
「お前が私の所へ来るのは珍しいな」
「お兄様……、いえ、兄上に話があって参りました」
三歳らしからぬ話し方をすると、フリードリヒは顔を上げてアレクシスを見た。
「そこに座りなさい」
この一言でただ事ではないと判断してくれたようで、フリードリヒは立ち上がってソファーの前に立つ。アレクシスも「ありがとうございます」と礼を言って言われた通りに腰かけた。
前回の人生の話をすると、フリードリヒは「なるほどな」と言って納得した。王族の持つ奇跡の力を知っているからこそ、アレクシスの話を否定できなかったのだろう。
「それでお前はどうしたいんだ、アレクシス」
「俺はルドルフ兄様が王になる未来を変えたいんです。あの人が王になればこの国は再び滅びます」
きっと手順を踏んでルドルフが王と認められたとしても、この国は戦争をしたときと同じように悲惨な末路を辿るだろう。あの男はこの国をどうしたいのかという目標がない。フリードリヒを排し、王になったところで彼の目的は達成されてしまう。そうなればその後のことなど気にも留めず、きっと好き勝手して他国に乗っ取られるかそのまま滅ぶか。どちらにしろ、ルドルフが王になるのは反対だった。
「それならば、お前が王になるか?」
そんなことを聞かれると思っていなかったアレクシスは驚いて顔を上げる。
「まさか。俺は王になるような器ではありません」
「そうか? 国のために命まで差し出せる男が王に向いていないとは俺は思わないがな」
アレクシスはぶんぶんと首を横に振る。フリードリヒには話さなかったが、アレクシスはただ国のことだけを想って命を差し出したわけではない。純粋に国のことだけを考えたのならば、こんな昔に時が戻ったりしなかっただろう。
「俺はフリードリヒ兄様が王にふさわしいと思っています。それは昔も今も変わりません」
「そうか。お前が俺を裏切らない限り、俺はお前の味方でいよう」
アレクシスは俯いて下を見る。フリードリヒは信用しているけれど、信頼はしていない。オリヴァーのことまで話せばアレクシスがオリヴァーを優先したときに切り捨てられる可能性がある。
「おそらく、俺はリーゼロッテ妃かルドルフ兄様に命を狙われると思います。その時、兄上には証拠集めをお願いしてもいいですか」
「ああ、それぐらいなら問題ない」
「よろしくお願いします」
一先ず、フリードリヒが味方になったことにアレクシスは安堵した。
見捨てられる可能性は高いけれど、フリードリヒを味方につけたのは大きい。方々に間者を放っているので、アレクシスの身に何かあれば調査してくれるだろう。きっと前回の襲撃事件もフリードリヒは犯人が分かっていただろうが、下手に動いて相手の陣営を刺激したくなかったのでだんまりを決め込んだはずだ。
だが今回はアレクシスとの約束もある。フリードリヒは冷酷であるけれど、血の繋がった弟との約束を簡単に破る人ではない。味方が出来て少しだけ肩の荷が下りた気がした。
それから数ヶ月が経過し、王家主催の狩猟大会が行われている最中のことだった。まだ幼いアレクシスたちは王宮で留守番をしていた。主催者である国王とリーゼロッテ妃たちが狩猟大会に参加していて、王宮は普段より静かになっていた。
アレクシスがいつものように訓練場へ向かっているとき、それは起きた。基本的にアレクシスがアメジスト宮を出るのは王から呼ばれた時か剣術の稽古をする時ぐらいなのでこのタイミングを狙われるのは仕方ない。目の前に現れた刺客にアレクシスは訓練用の剣を構えた。
護衛の人数も増やしたままだったので、前回のように殺されかけることはない。相手は手練れでそこそこ苦戦し、アレクシスも含めて軽傷を負うものがいたが命の危険までには及ばなかった。
「お父様! こっちです!」
バタバタと複数人の走る音が聞こえてきてアレクシスはそちらを見る。眩しいまるで太陽のような髪をした少年が大人の腕を引いてこちらにやってきた。
「……あれは」
「どうしたんだ、オリヴァーって……。殿下!? 大丈夫ですか」
駆け寄ってきたスコット侯爵を見て、アレクシスは「はい」と返事をする。どうしてスコット侯爵がこんなところにいるのか、と考え、すぐに答えが出てきた。先代のスコット侯爵は将軍まで務めた武官だったが、現当主は文官だ。狩猟大会では活躍できないからと留守番を買って出たのかもしれない。
「今日の稽古は中止しましょう。陛下へ伝令を出します」
「はい。よろしくお願いします、侯爵」
アレクシスは手を引かれて立ち上がる。視線を感じて侯爵の奥を見ると、オリヴァーがジッとこちらを見つめていた。彼はアレクシスより二つ年上だからまだ四歳なのに、人目を引く美しさを持っている。見られていると気恥ずかしくなってきてアレクシスは俯いた。
「アメジスト宮の警備の心配はいらないと思いますが、念のため、今日は数を増やします」
「はい」
「それではアメジスト宮までお送りしましょう。オリヴァー。お前は母様のところに戻っていなさい」
「分かりました」
ぺこりと頭を下げるとオリヴァーは走って行ってしまった。自分たちで何とか出来たが、またもや彼が目撃して助けを呼びに行ってくれたみたいだ。
「彼が……、侯爵を呼びに?」
「ええ。息子のオリヴァーです。奇妙な風体の男が王宮内に入り込んでいると教えてくれました。まさか殿下を狙っているとは思いませんでしたが……」
「彼にお礼を言っておいてください」
「いえ、臣下として当然の務めですから」
にこりと笑うスコット侯爵を見て、アレクシスは仄かに残念な気持ちになった。
結局、その後、アレクシスは前回と同じように王妃の実家があるザセキノロンへと向かうことになった。フリードリヒにはすぐ襲撃した男やその背景を調べてもらうよう依頼したところ、やはり背景にはリーゼロッテ妃とルドルフが絡んでいた。これは彼らにとっての弱みになる。
そうして少しずつ未来は変わりながら、ほぼ前回と同じように進み始めた。ザセキノロンに到着したアレクシスは国境を見学したいという名目でジュノ家へ赴きバルナバスと出会った。彼とは剣の話で盛り上がり、ゆくゆくはスコット領のスコット元将軍に師事する話をしたところ、彼も付いてくることになった。
そうしてスコット領へ移動し八歳になった時、突然、スコット家の次男、オリヴァーが領地にやってきた。前回の人生ではそんなこと一度もなかったのに、どうしてだろうか。しかもルドルフの従者になる話を蹴ってわざわざ領地までやってきたと言うのだから驚きの連続だった。
オリヴァーは決して、性格のいい男ではなかった。自分の見目が飛びぬけていることをよく知っていて、その容姿を利用して男女問わず誑かせた。傲慢で高飛車だと噂されていた彼だったが、領地へ来たときはそんなこと一切なく、騎士や使用人を労わり礼儀正しい少年だった。
時間を戻して彼が変わった理由は何なのか。もしかしたら前回の記憶があるのか。時間を戻したときの奇跡が不完全だったから、自分は死なずにルドルフにもオリヴァーにも記憶が残ってしまったのかもしれない。けれど怖くて聞くこともできなかった。
前回の人生ではスコット領での生活が終わった後に騎士の叙任を受けたけれど、アレクシスは人脈を作るためにも王立学園へ行く予定にしていた。どうせならオリヴァーと一緒に入学したいと考えていて、猛勉強した甲斐もあって首席で入学できた。
何だかんだ学園生活も順調だったけれど、ルドルフの卒業パーティでアレクシスとオリヴァーの関係は一変してしまった。
「……ああ、俺、絶対に言うタイミング間違えたよな」
オリヴァーのいなくなったベッドを見つめ、アレクシスはがっくりと項垂れた。
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