第10話 王立学園(3)
自室に戻ると付いて来ようとするカミラを下がらせ、オリヴァーはベッドに突っ伏した。二人きりの時はあまり怖いとは思わなかったが、今になって体が震えて全身に気味の悪い汗が噴き出してくる。痛い思いはするだろうが今後が過ごしやすくなるならば、抱かれるぐらい我慢してやろうと思っていたのに、ルドルフとの関りを避けていた三年の月日は大きかったのか予想に反して自分の体は彼を拒絶していた。
受け入れたら受け入れたで今後も求められそうだったので、出来ることなら拒否したかった。それにしてもあんなあからさまにアプローチしてくるとは、こちらの都合など全くお構いなしだ。断られるなど思ってもいないのだろう。むしろ、求められることが名誉なことだと思い込んでいるのか。
彼は前回の人生でもそうだった。オリヴァーの気持ちなど無視して、自分の欲望のままに求めてきた。痛いだけの気持ちよくない行為。正直、抱かれるぐらいなら女を抱いているほうが断然に気持ちよかった。
そんなことを考えているとだんだんと気持ちが落ち着いてきた。二十五年生きてきた人生とやり直しの三年間で精神的には三十に近いぐらいだから、この程度のアクシデントなら少しの時間で平静を取り戻せる。十三と思春期を迎えたにも関わらず、性欲なんかもほとんどない。ごろりと寝返りを打って天井を見上げる。緊張が解けてきたら少し眠たくなってきてしまった。
まだやることは残っていたけれど、今日は気疲れしたのでそのまま眠気に任せて目を瞑る。とんとんと扉を叩く音が聞こえてきたが、オリヴァーの目が開くことはなかった。
どうやって手を回したのか分からないが、それからルドルフが接触してくることはあまりなくなった。たまに廊下などですれ違えば声を掛けられることはあるもの、オリヴァーが一人でいたとしても近づいてこなくなった。
安心したけれど、疑問は残る。正妃の子だとしても、ルドルフのほうが王位継承順位は上だ。釘を刺されたぐらいでルドルフが行動を改めるとは思えない。初めのうちは気味が悪かったけれど、時間が経てばそれが当たり前となり、いつしかルドルフの存在など気にもならなくなった。
学園に入学してから、四年の月日が経つ。一年先に入学しているルドルフは今年で卒業だ。
卒業前には大きなパーティが開かれ、よほどの理由がない限り生徒は全員出席するよう命じられている。この卒業パーティ間近になると生徒たちが色めき立つ。わざわざ今回のために新しい衣装を仕立て、恋人関係にある人たちは色を合わせたりなどせわしない。なんだかんだ婚約者も恋人も作らなかったオリヴァーは前年同様に地味な礼服を仕立てている。最初の一時間だけ出席して、さっさと寮に戻るつもりだ。
パーティなど社交界のシーズンになれば嫌と言うほど誘いが来る。それにそろそろ卒業した後のことを考えなければならない。前回の人生ではそのままルドルフに付き従う形で王宮での仕事を与えられたが、今はそんなコネなどない。それに成り上がってやるとは思っているもの、何をどうやって成り上がるのかオリヴァーは分かっていなかった。
前回の人生は次男に生まれ、侯爵家を継げるわけでもなく次男として人生を終えるのが嫌で抗った。その結果が国家反逆罪となって処刑されるに至ったが、目的に向かってなりふり構わず突っ走るのは見っともないようでいて今の自分には羨ましさもある。結果が分かっているからこそ、成り上がることに対しても情熱を感じなくなった。
まだ王国内にある他の領地を継いで、ゆっくり領地経営するほうがいい人生なのだろうか。もしくは伯爵以上の令嬢の家に婿入りするとか。選択肢は色々とあるがオリヴァーの中でピンとくるものはない。
――やはりこの人生だって地味に終わりたくない。
卒業まではあと一年もある。成り上がると言っても手段を選ばなければ前回の二の舞になる。前の人生は成り上がるために他人を使うという楽な道を選んでしまったのが失敗だった。
「オリヴァー様。そろそろお時間でございます」
扉の向こうからカミラの声が聞こえてオリヴァーは部屋を出る。パーティの初めに生徒会長だったルドルフの長い話があるかと思うとこのまま踵を返して自室に戻りたくなるが、どうせ彼とは当分の間会わなくなるのだから少々は我慢しよう。
講堂に近づくと煌びやかに着飾った生徒たちで溢れかえっている。歩いているだけでも目立つ見目をしているオリヴァーに人々の視線が集中するのを感じたが、無視して講堂の中に入っていく。王国内で一番の学園とは言え、全校生徒が一堂に集まるとさすがに講堂も狭く感じる。早速、給仕からシャンパンを受け取りオリヴァーは一口含む。十五を過ぎた生徒はこの時だけ飲酒を許可されている。
「あ、オリー兄様」
振り返るとにこにこと微笑むアレクシスがオリヴァーに近づいてくる。ルドルフとの一件以降、邪険にするのはやめた。兄様と呼ぶのもやめてほしかったが、侯爵家であれば王族との縁も深く言い訳のしようはあったので拒絶しないようにした。すると彼はまるで犬のように懐いて何をするにもオリヴァーの側に居るようになった。
そうなってくると前回の人生での出来事など時間の経過と共に忘れられるようになった。きっとルドルフのように人生の大半を共にしたわけでもなく、彼のことをあまり知らなかったからだろう。スコット領での三年間と学園生活での四年間、彼が悪い奴でないのは十分に分かった。ルドルフと比べたら断然マシだ。
「アレクシス殿下。どうされました?」
「その話し方、やめてくださいって言いましたよね」
不貞腐れた顔をするアレクシスにオリヴァーは仄かに笑う。
「人前だからな」
「もうみんな気にしてないですよ」
オリヴァーはシャンパンを飲みながらアレクシスを見上げる。彼は成長期になってから身長がぐんぐんと伸びて、オリヴァーの背をあっという間に抜いてしまった。オリヴァーも平均より少し高めであるが、頭一つ分ぐらいはアレクシスのほうが高い。幼い頃の印象が強くまだまだ子供にしか見えていないが、客観的に見れば顔つきも少年から青年へと変化を始め男らしさが滲み出てきた。
深い緑色の瞳がオリヴァーを捉えてゆっくりと微笑む。
バンと大きく扉の開く音が講堂に響く。
「ルドルフ・ジークムント・エメリヒ・ヴォルアレス殿下のご入場です」
卒業パーティが始まった。
目立ちたがりな性格が顕著に出ている派手な登場に周囲の視線は入口へと向けられた。煌びやかな衣装と隣に寄り添う美女に周囲がざわつく。ルドルフもまた在学中に婚約をしていなかったが、この前王宮で行われた新年の宴で帝国の公爵令嬢との婚約が発表された。
これは国家間の外交のようなものだから、オリーは気にしないでほしい、なんて気にも留めていなかったことを懇願されて笑いをこらえるのに必死だった。別にルドルフが誰と結婚しようがオリヴァーには関係ない。ちょっと体を重ねたぐらいで何を勘違いしているのか、と思ったけれど、そこは期待に応えるように寂しそうな顔で「分かりました」と頷いてやった。その時のルドルフの満足げな表情は今でも忘れられない。
今回もまた前回と同じようにこの卒業パーティに彼女を連れてきたようだ。ゆるいウエーブのかかった栗色の髪の毛が歩くたびにふわふわと揺れている。笑みを絶やさず一見穏やかそうであるが、公爵令嬢とだけあって人一倍プライドは高い。常にルドルフの傍にいたオリヴァーに対してキツく当たることもあったけれど、最後はオリヴァーに篭絡されて公にはできない関係まで発展した。
自身に満ち溢れた表情で手を振る彼女を見ているとなんだか昔の彼女に出くわしたような気まずさに襲われる。まあ、人生をやり直している記憶などオリヴァーにしかないので、勝手な感情だが。
「どうかしました?」
そんなオリヴァーを見ていたのかアレクシスに話しかけられてハッとする。
「美人過ぎて見ていられなかっただけだ」
「オリー兄様のほうが綺麗ですよ」
さらりとそんなことを言うアレクシスにオリヴァーは鼻で笑い、「野郎に言われても嬉しくない」と一蹴した。
妙に長いルドルフの挨拶が終わり、パーティが本格的に開始する。このまま帰っても良かっただろうが、一応は王族に所縁のある家門なのでルドルフに挨拶をする。
「ルドルフ殿下、ご卒業おめでとうございます」
「オリヴァー、わざわざありがとう」
しつこいぐらい愛称で呼んできていたのに、婚約者の手前からか名前呼びに変わっている。それでもルドルフと親しいというのは分かる。令嬢の視線が一度だけオリヴァーに向けられ、すぐに逸らされる。新年の宴で家族と共に挨拶をしているので一応は顔見知りだが、兄が王太子と仲良くオリヴァーもルドルフの従者を断っているのであまり印象が良くないのだろう。さっさと下がれと態度で訴えている。
言われなくても挨拶が済めば自室へ戻るつもりだったが、彼女の態度に気づいているのかいないのか、ルドルフが「ゆっくりしていくといい」と社交辞令のようなことを言う。そんなことを言う性格ではないのに、と気づいた時には先手を打たれた。
「おい」
ルドルフが手を挙げると控えていた使用人が飲み物を持ってくる。用意されては断ることもできない。三人分のドリンクが盆の上に置かれている。まずはルドルフが自分の分を取り、次にオリヴァーへとグラスを手渡す。
「ありがとうございます」
「オリヴァーは卒業したらどうするつもりだ?」
ぐい、と飲み込んだのを見て、オリヴァーも口を付ける。しゅわしゅわと炭酸が唇を刺激する。
「卒業まで一年あるのでゆっくり考えようと思っております」
「そうか。オリヴァーさえ良ければクラスメートを紹介したいんだが、どうだ?」
突然の誘いにオリヴァーは目を見開く。
「お前の将来に役立てば、と思っただけだから、嫌だったら断ってくれていい」
そう面と向かって言われては断れずに「ありがとうございます」と頭を下げると、ルドルフは「すまないが、少し傍を離れる」と公爵令嬢の腕を解いて歩き出す。それを追うと背中からじわじわと焼かれるような圧力を感じたが、オリヴァーは無視するしかなかった。
予想以上にルドルフはまともな人間をオリヴァーに紹介した。てっきり自分の派閥の人間ばかりを並べるのかと思いきやそれなりに人脈を広げていたようで、スコット侯爵家と同じような中立派から敵対している保守派まで揃っていた。
ほとんどがオリヴァーよりも年上だったのでオリヴァーは話を聞いているだけだったが、志の高い人間ばかりでルドルフに媚を売っている様子もない。渡されたドリンクをゴクリと飲んでいると、「もう一杯、飲むか?」と尋ねられて「ありがとうございます」と答えた。
ルドルフから渡された二杯目のシャンパンに口を付ける。やはり彼が飲むものは生徒に配られているものと別物なのか、かなり味がいい。飲みやすい酒ほど用心しなければならない。まだルドルフに対して警戒は解いていないので、そろそろ酒に酔ったと言って抜け出すつもりでいた。
じわり、と汗が滲んでくる。春が近いと言ってもまだ残雪がちらちらと地面に残っている季節。室内は暖房が効いているけれど、暑いと言うほどではない。まさか本当に酔ってしまったのだろうか。
「……どうした、オリー」
耳元で名前を呼ばれてぞわりと背中が粟立つ。いつの間にかルドルフが背中にぴったりとくっついてオリヴァーの尻を撫でる。思わずびくりと体が跳ねると、くく、と笑い声が聞こえて耳たぶを噛まれた。
「ぅ、あっ……」
自分でも驚くほどの甘い声が飛び出してきて口を押える。何を考えているのか。前にいる人間たちのことなどお構いなしに続けようとするルドルフに助けを求めようと顔を上げると、彼らはオリヴァーからパッと目を逸らした。
――やられた。
さすがに場所を考えろ、と怒鳴りたくなるのを堪えて、オリヴァーは唇を噛みしめる。こんなところで喚いたとしてもオリヴァーの落ち度にされるのは目に見えている。体が熱い。この程度で酔ったりするわけがないので、酒に何か仕込まれていたのは明白だった。
「具合が悪そうだな。少し休憩でもしようか」
「手伝いますよ、ルドルフ殿下」
「さぁ、こちらへ」
ずるずると半ば引きずられながらオリヴァーは出入口へ連れていかれた。
「いっ、ん、やめ、て、ください。殿下」
ずるずると講堂から引きずり出され、我慢ができなくなったのか茂みに押し込まれて顔や服が木の枝に引っかかる。端々に痛みが走ったけれどそれよりも自分の貞操のほうが危ない。気にしている余裕はなかった。
上に乗っかったルドルフはオリヴァーの唇を塞ぐと生暖かい舌を差し込んでくる。受け入れるつもりはなく嚙みつくと思いっきり頬を叩かれた。おかげで少しだけ熱っぽさが引いていく。
「お前がさっさと俺の物にならないから悪いんだぞ」
「それならばこの場で切り捨てればよろしいでしょう」
殴られようとも切られようともルドルフに屈するつもりはなかった。自分が楽なほうに流されたとしても、待っているのは死だ。それならばわざわざ嫌なことを我慢する必要もない。
ルドルフに媚を売ったとしてもオリヴァーにメリットはない。
「素直になれ、オリー。俺の言うことを聞けば、今後こそお前は兄よりも上に立てるようになる。誰もお前を次男だからと見下さない」
「その確証は? 今のあなたに俺を成り上がらせるだけの実力がおありだと?」
オリヴァーは二ッと笑ってルドルフを見上げる。
「俺はあんたと一緒に沈むつもりはないんだよ」
ルドルフの返事は平手打ちだった。パシ、パシ、と乾いた音が響き渡る。口の中が切れて鉄の味が広がっていくのを感じながら、オリヴァーは決して自分の言葉を取り下げはしなかった。
「オリー兄様!」
遠くからアレクシスの声が聞こえルドルフの手が止まった。ルドルフに挨拶をすると言ってから姿を消したため、心配になって見に来たのだろう。ジンジンと両頬から襲ってくる痛みに仕込まれた薬の影響などどこかへ消えてしまっていた。
「アレっ…………!」
名前を叫ぼうとするとルドルフの手で口を覆われる。茂みの周りには取り巻きもいたからこの場所はいろんな意味で目立っているはずだ。ルドルフはアレクシスに見つかりたくないようだが、見張りを立てたのが逆に不自然だった。
「そこを退きなさい」
聞き覚えのある声がして不覚にも安堵した。いくらルドルフから見張るよう言われていても、第三王子から命じられては大人しく引き下がるしかない。ガサガサと草をかき分ける音が聞こえて、すぐに銀髪の男が飛び出してきた。
「オリー兄様!」
ルドルフはアレクシスの姿を見るなりちっと舌打ちするとオリヴァーの上から退いて距離を取る。
「大丈夫ですか?」
駆け寄ってきたアレクシスはオリヴァーの叩かれた顔を見て悲痛そうに表情を歪める。それからこうなった原因を睨みつけて、
「ルドルフ兄様。俺との約束をお忘れですか?」
と、問い詰め始めた。
「そもそもお前の問題とオリヴァーのことは別問題だろう」
「だからあなたが俺にしたことを黙っておく代わりに、オリー兄様には手を出すなと言ったはずです。それを反故にしたんですから、あなた方が俺に何をしたのか、公表しても構わないということですよね」
いつになく低い声にオリヴァーは身震いする。いつも明るく穏やかなところしか見ていなかったのでそのギャップに身震いする。
「っ、それは……。そもそもっ、そいつは俺の物だ! お前が手出ししていい相手じゃない」
オリヴァーを指さしてそう言うルドルフに心底辟易した。いつ自分がルドルフの物になったのか。従者になるのも断ったし、学園内でもあまり接してこなかった。そんな勘違いをする理由が分からず、オリヴァーはルドルフを見た。
やはりコイツ、前回の記憶があるのではないか?
だとしたら自分に対する執着も理解できた。そしてルドルフの性格を考えれば前回の失敗だって自分のせいではなく、周りのせいにしたに違いない。だからやり直したとしても彼の行動なんて変わるはずがないのだ。
自分は悪くないと思っているのだから、当然だ。呆れて乾いた笑いが漏れてくる。
「何を勘違いしているんですか、ルドルフ殿下」
「……何だと?」
「俺があなたの物になったことなんて、一度たりともないですよ」
淡々と話すオリヴァーにルドルフの表情が見る見るうちに変わっていく。怒りを堪えて真っ赤になっているのを見ると更に面白くなってきてオリヴァーは腹を抱えながら笑った。
「手に入れたと勘違いさせたのなら申し訳ございません。俺は自分が成り上がるために、あなたを利用しただけです」
「きっ、さま…………、スコット家がどうなっても構わないのか!?」
「建国から続く侯爵家相手に王子一人の力でどうにか出来るとでもお思いですか?」
オリヴァー一人だけならまだしも、家を相手にするのなら国王ですら手を焼くに違いない。相手にすればするほどルドルフの小物加減にはほとほと呆れて言葉にならなかった。
「あまりしつこいようなら侯爵家から王族へ正式に書面で抗議させていただきます」
親に迷惑を掛けたくなかったのもあるし、これぐらいのことなら我慢しようと思っていたけれど、飲み物に薬物を混ぜてまで犯そうとしたのはさすがに見過ごせない。今までアレクシスが陰ながら守ってくれていたようだが、自分の身ぐらい自分で守れる。
「オリヴァー、覚えておけよ……」
ルドルフは憎々しげにそう呟くと二人に背を向けて歩き出した。
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