第9話 王立学園(2)
今日は入学式が終われば学園では何もすることがなくなる。在校生による委員会の勧誘が始まるけれど、誰かに出くわしても面倒であり、今回はどこかの委員会に入るつもりはないので大人しく自室にこもるつもりでいた。
王太子でもあれば今後の政治手腕を試すためにも生徒会への入会が必須となり、生徒会長として生徒を引っ張っていくのが慣習であるけれど、王太子以下はそうとも限らない。ただすでに王太子はこの学園を卒業済みであり、それならばこの学園を引っ張っていくのは自分だとルドルフが周囲にそう言いふらしほぼ立候補のような他薦で、今では彼が生徒会長だ。それは今も変わっていない。
当然、前回の人生では彼をサポートすべくオリヴァーも生徒会に入っていたけれど、ルドルフとの接点は回避していきたいので、よほどのことがない限り生徒会には近づかないつもりだ。
「オリヴァー様。アレクシス殿下がいらしていますが、どうしますか?」
自分の後を追ってきたであろうアレクシスに対し、話す気などさらさら無いオリヴァーはふいと視線を逸らす。
「疲れて寝ているとでも伝えておいてくれ」
カミラはわずかに眉間に皺を寄せたが、すぐに「かしこまりました」と頭を下げ部屋を出て行った。
朝はゆっくりとお茶を飲んでから登校する。
「オリヴァー様。アレクシス殿下がお見えでございます」
オリヴァーは静かにカップをソーサーの上に置く。これまでバルナバスが来ていたので無視を続けていたが、さすがに王族相手にそれは通用しない。だが不服ぐらいは全面に出しても不敬にはならないだろう。
大人げないですよ。なんて十三歳を相手にそれこそ大人げない発言をしてきたバルナバスは訪問禁止にしたのでカミラによって門前払いされたはずだ。だからわざわざ御自ら来たのか。ゆっくりと身なりを整え、十分に時間をかけてから扉を開けた。
「……大変お待たせいたしました」
オリヴァーはちらりと彼の背後を見る。どうやらバルナバスは連れてこなかったようで誰もいない。それもどうなんだ? と疑問を抱きつつも目下にいるアレクシスに視線を移す。
「いえ、先触れもなしに訪問したのはこちらですから、構いません。……ただ、一言、謝りたくて」
「殿下が謝る必要はございません」
「でも、結果的にはあなたを欺くことになりました」
そう言うけれど、別に騙されたとはオリヴァーも思っていない。あの時、彼がスコット領にいたという事実を伏せなければならなかったのならば、いくら領主の息子とは言え容易に打ち明けることはできなかっただろう。
それならばなぜここまで腹を立てているのか。怒りの矛先をアレクシスに向けるのはお門違いだ。
大人げないですよ。と呆れ顔で言われたのをもう一度思い出して、羞恥心が込みあがってきた。
「いや……、本当に気にしていませんから、謝らないでください」
ここ数日の自分を思い出して居た堪れなくなる。
「それなら、オレと仲良くしてくれますか?」
輝かしい目を向けられて、オリヴァーは息を吐く。それとこれは、また別の話だ。
学園生活が始まると予想していたよりも忙しくなった。
この学園に入学した女生徒は大半が結婚相手を探しに来ている、と言うのもあって、好条件であるオリヴァーの周囲には自然と女生徒が集まった。英雄と呼ばれる祖父を持ち、王の右腕として文官のトップに立つ父を持ち、なおかつ侯爵家の次男とあらば引く手あまただ。前回の人生でもそれなりに女生徒に人気があったけれど、自分よりもオリヴァーが目立つのを許せなかったルドルフの妨害により徐々に数を減らして卒業時にはほとんど女生徒が寄り付かなくなっていた。
男女ともに好意を持たれることが多かったけれど、オリヴァーは一応、異性愛者だ。ルドルフに隠れて女性と遊ぶことも多かったが、今回は隠れる必要もないわけだし大っぴらに遊ぶつもりでいたけれど、予想に反して手を付ければ後々面倒になりそうな気配もあり、なんやかんや誠実な毎日を送っている。この学園に来ている女生徒に後腐れのない関係を求めた自分がバカだった、と反省した。
オリヴァー自身、女に飢えているのか、と言えばそうでもない。ただ前回の人生で出来なかったことをしたいと思っただけだったので、意外とルドルフに抑制されていたことを知る。好奇心で身を滅ぼすのも避けたい。
そうなると必然的に絡む相手は同年代の男になっていくのだが、あまり嬉しくないことにバルナバスが同じクラスとなってしまいやたらと絡んでくるのでいつの間にか行動まで共にするようになってしまった。
重ねて残念なのが選択した科目も剣術で被ってしまっている。
「その顔、どうにかなりません?」
「どうして組む相手がお前なんだ?」
二人一組になっての打ち合いも、大体がバルナバスと一緒だ。
「俺だって勘弁してほしいところがあるんですよ。どうしてオリヴァー様と仲がいいのかって問い詰められるんですから」
「仲良くはないだろう」
「そうなんですけど、周りから見たらそうでもないようで」
ちらちらと注目を浴びているのに気づいてオリヴァーがそちらに視線を向けると、パッと逸らされる。
「でも、俺のおかげでルドルフ殿下から逃げられてるんでしょう?」
にこりと人懐こい笑みを向けられて、オリヴァーは眉間に皺を寄せる。近寄ってくるバルナバスをしっかり拒絶しないのは彼の言うとおりだ。どうしてか嫌われているバルナバスが傍にいれば、ルドルフが近寄ってこない。おかげで快適な学園生活が送れている。
「オリヴァー様ってやたらと王族から気に入られてますね?」
「…………全く、嬉しくない話だ」
オリヴァーは力なくぶんと剣を振った。
ルドルフのことならば性癖から野心までそれなりに知っていることが多いけれど、第三王子のアレクシスに関して持っている情報は少ない。
彼が表舞台に姿を現したのはオリヴァーが十七の時、学園の卒業を目前に控えた新年に行われる騎士の叙任式だった。
王族が騎士になるのも珍しいのでそれだけでもかなり目立ったが、それ以上に最年少という箔までついて王も身内には甘いなどと批判まで出てしまったけれど、それは決してお飾りではなかった。彼の剣の腕はかなり高く、王国内でも最強と呼ばれた騎士団長ですら彼には勝てなかった。
彼が騎士になった理由は剣の腕だけではない。王太子が健在でありルドルフも控えている以上、第三王子のアレクシスが王位を継ぐ可能性はそう高くない。あまりに認知されていなかったのもあり後ろ盾もなかった。公にはなっていなかったもの、ルドルフを支持する勢力もいることは王も知っていた。これ以上の後継者争いを起こさないためにも、アレクシスが王位を継ぐつもりなどないことを周知するためにも彼を騎士にしたのだろう。
ならばなぜ、今になって学園になど入学したのか。オリヴァーはさっぱり分からない。自分の取った行動で未来が変わりすぎている。ルドルフの従者になることを拒み、領地に引きこもっただけだったが、そのちょっとした行動が少しずつ形を変えて大きな波へと変化してしまった。
もうこれからどうなるかなど、オリヴァーには分からない。
「オリー兄様、どちらへ行かれるんです?」
くるりと振り返ると人懐こい笑みが飛び込んでくる。珍しく周囲に人はいないけれど、その呼び方だけはやめてほしい。
「殿下。どうぞ呼び捨てでお願いいたします」
「……ですが」
「敬語も必要ございません」
そもそもスコット領にいたことも隠さなければならないのだから、オリヴァーに対して敬語や兄様呼びはおかしい。身分も彼のほうが圧倒的に上だ。いくら年下であろうとも、王族が臣下に対して遜るなど言語道断だ。まだ短い人生のほとんどをザセキノロンで過ごし、ここ三年はスコットで身分を隠していたのだから王族としての自覚が足りないのは十分に承知しているが、それでもここは小さな国家だ。学園内では身分などなく平等を謡っているけれど、ここでの立ち居振る舞いは今後に影響する。王族が侮られることなど、決してあってはならない。
わずかな躊躇いを見せるアレクシスに対し、オリヴァーは目で訴える。誰かに聞かれても困る内容だ。
「申し訳……、いえ、すまなかった」
「分かっていただけて光栄でございます。それでは失礼いたします」
悲しそうな瞳をするアレクシスに後ろ髪を引かれながらも、そんなことは微塵も表に出さずオリヴァーは速足で寮へと向かった。
学園は四月から八月、十月から二月までの二期制である。期間の一ヶ月は休暇となり大半が王都の邸宅や自領へ戻ったりするが、その前に学生たちは論文を提出しなければならない。
「やあ、オリーじゃないか」
論文の資料を探しに図書館へ行くと、出来ることならばあまり目にしたくなかった黒髪の男が近寄ってくる。ルドルフの姿を見た生徒たちは頭を下げ、オリヴァーもそれに倣って黙ってお辞儀をする。
「ここは一応、身分差などないんだから、そうかしこまらなくていい」
「そうは参りません」
「オリーは律儀だな。まあ、それもいいところではあると思うが」
ぽんと肩を叩かれて、オリヴァーは顔を上げる。さっさとここを引き上げなければ、自習やオリヴァーと同じように資料を探しに来た生徒の邪魔になる。口では平等であり身分差などないと言うが、人一倍、王族であることを誇りに思っているのもあって敬わない人間には容赦ない。彼の執拗な嫌がらせに遭い、退学していった生徒も少なくなかった。
そう考えるとアレクシスは謙虚で温和だ。クラスメートに対して自分が王族であることを忘れてほしいと言い、誰に対しても平等だった。同じ王族でありながらもどうしてこうも性格に違いが出るのか。まあ、アレクシスの場合は王族として育てられていないから仕方ないのかもしれないが、それでもルドルフとの差は大きい。
「オリー。これから王都へ行って食事でもしないか?」
「申し訳ございません、ルドルフ殿下。まだ論文が終わっておりませんので……」
そろそろ学期が終わろうとしているのに遊んでいる時間などない。それはルドルフも同じのはずだが、思い返せば彼は面倒のほとんどを従者のオリヴァーに任せて遊び惚けていた。
ここで必死になって論文を仕上げていないというならば、新しい従者でもできたのだろうか。そんな話は聞いていなかったけれど、王都から離れていたのもあって情報が入ってきていないだけかもしれない。
「それならば俺が教えてやってもいい」
「……え?」
「ここでは俺のほうがいる時間も長い。部屋に食事を用意させる」
にやりと笑うルドルフに拒絶は許されない気配を感じた。
王族が過ごす部屋は寮の一番奥にある。警備の問題もあるからだ。前回は従者だったのでルドルフの隣の部屋にされていたが、今回は程よく離れているのでこちらまで来るのは初めてだ。
ルドルフに肩を抱かれて部屋の中に入るとオリヴァーが来ることを知らされていたのかティーセットが並んでいる。果たして論文を教えてやるつもりはあるのだろうか。テーブルの上にはずらりと菓子が並んでいて、教材を置くスペースなど存在しなかった。
「――でん」
「さぁ、オリー。まずはゆっくり茶でも飲もう」
有無を言わさずソファーに押し付けられてオリヴァーはしぶしぶ腰掛ける。反論を許さない態度にかなり機嫌が悪いことが伺える。オリヴァーが思うように動かないのが気に入らないのだろう。学園生活が始まってからもずっとバルナバスと一緒だったのでルドルフは近づいてこなかった。もしかすると今日は図書館で待ち伏せをしていたのかもしれない。
今後の行動を改める必要が出てきたが、あからさまに避けるのもルドルフの機嫌を損ねる原因にもなる。結局のところ、彼が王族である以上、オリヴァーはルドルフの機嫌を気にしながら行動しなければならない。さっさと縁を切ってしまいたいものだが、繋がった縁を切るのは容易ではない。
どうせなら十歳からではなく生まれたときからやり直したかった、なんて我儘なことを考えながら、オリヴァーはカップに口を付ける。
ジワリとねばついた視線を感じるが、オリヴァーは無視してゆっくりと紅茶を飲み込む。王族の使用人が淹れたとあってかなり美味い。
するりとルドルフの手がオリヴァーの太ももを撫でた。
「…………どうかしましたか、殿下」
ぞわりと鳥肌が立つのをこらえてオリヴァーは笑顔を貼り付ける。フラッシュバックのようにルドルフにされた行為が脳裏をよぎったけれど、決してそれは表に出さない。ルドルフを相手に弱みなど見せたくなかった。
気づけば使用人たちが下がっている。ここで何をされてもオリヴァーの味方になってくれる人間など誰一人としていない。下手に騒げばすべてオリヴァーのせいにされる可能性だってある。十三歳の男を相手にここまでする彼の余裕のなさに笑いが込みあがってきた。
どうせ逃げることもできない。少々なら我慢はできる。
「オリー――……」
「しっ、失礼いたします」
ガチャ、と扉が開いて反射的にルドルフがオリヴァーから離れた。チッと舌打ちをしてあからさまに不機嫌な顔をするルドルフが無言で入ってきた使用人を睨みつける。それを見た使用人はすくみ上って体を震わせる。
「あ、あ、アレクシス第三王子殿下がいらっしゃいました」
「……アレクシスが?」
「はい。どうしてもルドルフ殿下に御目通り願いたいと……」
使用人は絶対に扉を開けてはならないと厳命されていたはずだが、アレクシスからも通す様に命令をされて板挟みになっていたのだろう。気づかれないように距離を置き、オリヴァーはカップをソーサーの上に置く。またもや不覚にもアレクシスに助けられた。
「チッ、待っていろと伝えろ」
同じ王族同士、いくら第三王子だと言っても無視はできない。
「それでは俺は失礼いたしますね」
ルドルフは何か言いたそうにしていたが、「……分かった」と返事をしたのを聞いてオリヴァーはさっさと部屋を出る。扉の向こうで待たされていたアレクシスに一礼をして足早に自室へと戻った。
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