第8話 王立学園(1)

 十三歳の誕生日を迎えた春、オリヴァーは王都にある王立学園に入学した。直前まで領地で過ごしていたが準備は両親が済ませてくれていたのもあり、入試を受けただけで特に何かをすることはなかった。久々に家族と再会したのも束の間、学園の寮に入ることとなった。


 何だかんだ領地に居た三年間、アランとバルナバスもオリヴァーと同様にスコット領の城に滞在していた。一年ぐらいで自領へ戻るのかと思っていたが、気付けば年月が経過してオリヴァーが帰る時まで一緒だった。結局、彼らがどうしてあんなにも長い間、スコット領に居たのかは不明のままだった。


 三年も一緒に居たのだから別れ際はアランも泣いたりしてしまうのかと思っていたけれど、二歳年下の弟分はけろりとした顔で「またお会いするのを楽しみにしています」と笑って、馬車に乗り込むオリヴァーを見送った。揺られている中、自分のほうが寂しくなってしまい唇を噛みしめた。


 後になって思ったことだが、手紙のやりとりぐらいは提案すべきだった。いつまでスコット領に居るのかも聞けずじまいで、手紙を書いたところでどこへ送ればいいのか。そこまで考えて、そう言ったことを全く聞いてこなかったアランに憤りを覚えた。彼は今後のやり取りなど望んでいないだと気付かされて不覚にもショックを受けた。


 三年もほとんど毎日一緒にて、あれほど「オリー兄様」と慕ってくれたのだから、絆されるのも無理はない。あの態度は見せかけだけだったのかと思うと、鼻の奥がツンとした。自分にもこんな人間らしい感情が残っていることに、オリヴァーは驚かされた。前回の人生では自分が成り上がることしか考えておらず、自分以外の人間に興味など持たなかった。そう言う点ではルドルフとあまり変わらなかった。


 自分を客観的に見て冷静になる。別れ際、アランは「また」と言ったのだから、もしかしたら領地で待ってくれるのかもしれない。そう思ってから、結局のところ、アランの素性については三年間、誰も教えてくれなかったことに気付く。途中から気にしなくなったけれど、彼はずっとスコットの城にいるつもりなのか。


 だとしたら彼とは本当に兄弟なのでは? と父の不貞を疑った。




 領地にいる間、武術にしても勉学にしても人並み以上にやっていたので、入試は首席を取れたと確信があったけれど、オリヴァーは次席だった。その結果を突きつけられまず最初に感じたのは悔しさで、その後、首席を取った相手に興味が沸いた。


 王立学園では学生の間に身分はなく、誰もが平等であるという校訓がある。なのでオリヴァーも学校内では侯爵令息という仮面は外して一学生になるけれど、そう簡単に無くなるものではない。前回の人生ではルドルフは王族として校内でもふんぞり返っていたし、侯爵令息であるオリヴァーに近づく人間も少なくなかった。


 だからオリヴァーが入る学生寮も王族に次いでいい部屋だ。広い部屋に使用人も一人までなら付き添い可能である。領地では自分のことをほとんど自分でしていたため使用人は不要だったけれど、両親があまりにも心配するのでカミラを連れてきた。


 領地内では誘拐事件以降、大人しくしていたのにどうしてこんなにも心配しているのか。けれど前回の人生では当然のように使用人を連れてきていたし、両親からしたらこれは当然のことなのかもしれない。


「……オリヴァー様、身支度は私にお任せください」


「ああ、すまない。つい癖で」


 鏡を見ながら胸元のリボンの位置を正す。服を着るぐらい自分で出来るけれど、カミラの仕事を奪ってしまうのも忍びない。次からは気を付けなければ、と自責し、オリヴァーは部屋を出た。


 今日は王立学園の入学式だ。


 寮から出て講堂へ向かう。スコット領は春が来るのも王都より早かったので、ここの風はまだ冬をはらんでいて冷たい。花を咲かせる木々の蕾もまだ硬い。


「オリー兄様!」


 後ろから聞きなれた声がしてオリヴァーは反射的に振り返る。ぶんぶんと手を振ってやってきたそれは確かに二ヶ月程前、領地の城で別れた弟分、アランだった。


 けれど彼には一つ足りないものがあった。モスグリーンのくるくるとした髪の毛は、新雪を思わせる銀色に変わっていた。


「アラン……、なのか?」


「はい」


 髪色一つで人の印象がこんなにも変わるとは思ってなかった。いつも通りに返事をする彼に戸惑っていると、アランもそれに気づいたのか「ああ」と言って自分の髪を抓む。


「オリー兄様にはお話していませんでしたね」


 アランがそう言ったところで、カーンと鐘の音が鳴る。入学式まで時間はあまりない。


「あっ、あの、式が終わった後でも構いませんか?」


「構わないが……、そもそもお前はまだ十一だろう」


「ええ。一応、この学園は満十歳を迎えた者ならば、誰でも入学可能だったはずですよ」


 ただし、入試に受かった者、という決まりがある。アランはオリヴァーより二つ年下で今年で十一になるので、一応、王立学園の入学基準には達しているけれど、この学園に入学するのはかなり難しい。大体の貴族の子は十五でこの学校に入学する。


「ほら、急ぎましょう」


「……分かった」


 喉に小骨が引っかかっているような違和感を覚えながら、オリヴァーはアランに手を引かれて講堂に向かった。




 中に入ると既にほとんどの生徒が着席していて、オリヴァーは決められた席に着席する。アランとは入り口で別れてしまったので、彼がどのあたりに座っているのか分からない。父の不貞が原因だとするならば、私生児は後方に座らせられる。もしも上級貴族であるならば席は前方になる。


 オリヴァーに素性を隠し続けていたことを考えると、それなりの理由があったのだろう。不義の子、だとするならば、祖母にしても祖父にしてもこっそりオリヴァーには説明してくれそうな気がする。アランの側に居続けたバルナバスもアランのことには詳しそうだった。


 もしかしたら知らないのは自分だけだったのでは、と考え込んでしまい、また僅かに凹むこととなった。


「新入生代表、アレクシス・ロルフ・ヒルデグンデ・ヴォルアレス」


「はい」


 オリヴァーよりも左からその声は聞こえた。バッと立ち上がる音が聞こえて視線をそちらにやると、それは先程までオリヴァーと会話をしていた「アラン」と紹介された男だった。


「……え、アレクシス殿下?」


「この学園に入学されたの?」


「新入生代表ってことは首席よね? まだ十一にもなっていなかったはず」


 周囲がざわつく。こそこそと話す声がやたらとオリヴァーの耳に入った。壇上に立ち、その男は下にいるオリヴァーの存在に気付くと少しだけ微笑み、真っすぐに前を向いた。


 アランが、第三王子のアレクシス?


 前回の人生で彼と顔を合わせた回数はあまり多くなかった。幼い頃から彼は王宮を離れていた。学園に入学した話も聞かなかったし、突然、騎士に叙任されて彼の名が世に知れ渡った。ルドルフは自分よりも王位継承権の低いアレクシスのことは歯牙にもかけず、オリヴァーも気にしたことがなかった。


 だから彼の顔をしっかりと見たのは隠れ家に突入されて計画が発覚したときだ。


 風になびく銀色の髪の毛と深い森を映したような目。姿こそは幼いけれど、確かにそこにいるのは自分を捉えた男だった。


「…………ッ」


 急に吐き気が込みあがってきて、オリヴァーは口元を押さえる。これまでそんな奴と仲良くしていたのかと思うと、腸が煮えくり返りそうだった。アレクシスは職務を全うしただけだろうが、それでもオリヴァーにとっては敵だった。その認識は多少の年月が経過しても簡単に消せるものではない。


 それに祖父がアランを紹介したときに言っていたザセキノロンと言う土地は王妃の実家がある。彼が療養か何かで王妃の実家に戻っていたのだとするなら、ザセキノロンから来たのはあながち間違ってはいない。王子を秘匿していたのならば、オリヴァーに説明ができないのも納得だ。そしてルドルフが来た時の対応も。


 誰が悪いのか、と言えばもちろん王太子を暗殺しようとしたオリヴァーだ。けれどそれを認めて、彼との仲をこれまで通りにしてやれるほど、オリヴァーは大人になりきれていなかった。


「お、オリヴァー様じゃ、ないですか」


 軽い口調で話しかけられ、オリヴァーは眉間に皺を寄せながら振り返る。真新しい制服を慣れたように着崩した男がそこに立っている。バルナバス・フォン・ジュノ。彼もまたオリヴァーの中で勝手に敵認定をした一人だ。


「何の用だ」


「うわ、冷たいなあ。二ヶ月程前は涙目で別れたって言うのに、もう王都の風に慣れちゃったんですか?」


「心当たりはあるだろう」


 意外そうな顔をするバルナバスにはっきり告げると、軽薄そうな笑みを消して「ああ、アレクシス殿下のことですか」と答える。


「でも殿下に何か秘密があるのは、オリヴァー様もご存じだったでしょ?」


 それが自分には告げられない理由も、彼が王子ならば納得している。納得しているがこれは頭で考える範疇を超えている。


「何を怒っているんです? オリヴァー様だって物分かりが良かったじゃないですか」


 ただでさえ機嫌が悪いと言うのに、昔話を蒸し返されてプチンと自分の中で何かが切れる音を聞いた。オリヴァーは口元を緩ませてにこりと微笑んでバルナバスを見る。これは前回の人生でいろんな人に使った愛想だけを良く見せる笑顔だ。


「殿下にあんな態度を取っていたんだ。不敬罪と捕まらないか心配していただけだ」


「……へえ、そんな感じには見えませんけどね」


「どうせお前は殿下の護衛か何かなんだろう? ジュノ家と言えば、保守派としても有名だ。ほら、女生徒に囲まれている殿下を助けに行ったらどうだ?」


 バルナバスの後ろできゃーきゃーと女生徒に囲まれているアレクシスを指さす。まだ十一にもなっていないのに、狙われてしまっていて憐れになるが助けてやろうとは全く思わない。


「そうすることにします」


 にこりと微笑み返され、バルナバスが背を向けてからオリヴァーはべっと舌を出した。この学園で関わりたくない人間が三人に増えてしまった。





 去っていく金色の髪の毛を見つめて、アランことアレクシス・ロルフ・ヒルデグンデ・ヴォルアレスは伸ばした手をそのまま下ろした。ちゃんと説明をしたかったのに、壇上で自分の正体を明かすことになってしまった。あまり驚かないオリヴァーが目を見開いていたのが印象的だった。


「はいはい、みなさん。アレクシス王子殿下が困っておいでですから、話しかけるなら順番にまずは俺に用件をお話しいただけますか」


 面倒くさそうに割って入ってきたのは護衛のバルナバスだ。アレクシスの前に立つと「はい、そこのご令嬢。ご用件は?」とぐいぐい来ていた令嬢の勢いを削いでくれる。間に人が入ると急に大人しくなった令嬢たちは、そそくさと解散していく。


「殿下も適当にあしらわないと駄目ですよ」


「オリー兄様と何を話していたんだ」


「ああ、見ていたんですか。相変わらず、オリヴァー様のことが好きですねえ」


 にやにやといやらしい笑みを浮かべるバルナバスにアレクシスはムッとする。


「……怒っていたんじゃないのか」


「何に?」


「俺が……、王子であることを隠していたから」


「でもそれはオリヴァー様が領地に来るって聞かされた時から、エッカルト様との約束だったじゃないですか」


 エッカルトの孫であるオリヴァーになら自分が王子だと言うのも話していい、とアレクシスは言ったけれど、エッカルトは決して首を縦に振らなかった。秘密は出来る限り隠しておくべきだ、と言って、いくら可愛い孫でもそれだけは譲らなかった。時折、アレクシスの扱いに疑問を抱いていたようだが、オリヴァーもそれが並々ならぬ理由だと気付いて何も言わなかった。


 ただそれが奇妙な方向だと言うのはアレクシスも察していた。言えない関係など、どこかの庶子であることが多い。他の人間ならばそれで好都合だったけれど、アレクシスにとってオリヴァーは特別だった。


「……説明してくる」


「今は聞いてもらえないと思いますけどねえ」


 バルナバスはやれやれと両手を広げる。それを尻目に見ながらアレクシスはオリヴァーの後を追った。

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