第6話 スコット侯爵領(4)
「で、殿下、いきなり何をおっしゃるんです?」
オリヴァーは無理やり声を捻りだして尋ねた。斜め後ろから冷たい空気が流れてきているが無視だ。
辺境伯嫡子となれば、王子の機嫌を損ねたぐらいどうってことない。それにジュノ辺境伯家は王太子フリードリヒを支持しているから余計だ。ルドルフに嫌われたところで嫌味を言われる程度で家門には傷一つ付かない。辺境伯家と言えばそれだけの強みを持っている。
現に辺境伯家にそっぽを向かれて困るのは王家だ。ジュノ辺境伯領の隣は王国と同等の大きさを持つ帝国があり、先の戦争でぎりぎり王国が勝利したもの、今も国境付近では時折小競り合いが発生している。それもジュノ辺境伯家が帝国との国境を防衛しているから小競り合い程度で済んでいるのだ。
ジュノ辺境伯家がいなくなれば帝国は再び王国に攻め入るだろう。
それを知ってか否か、ルドルフの強気な態度に訓練をしていた騎士たちからも不穏な空気が流れる。
「何ってそのままさ。俺の目の前に立つなと言った。ほら、さっさと下がれ」
しっしと追いやるように手を振るルドルフに、バルナバスは一礼すると何も言わずに訓練場を後にした。バルナバスの何がルドルフの機嫌を損ねてしまったのか。困惑しているオリヴァーなど気にもせず、ルドルフはオリヴァーの肩を抱き、「朝から疲れただろう」と勝手に決めつけここから連れ出そうとする。
「ちょ……、待ってください。まだ終わっていません」
来ている間はルドルフを優先するつもりでいるが、勝手に来てあれこれ決められるのは癪だ。拒否するとルドルフの眉間に皺が寄る。
「オリー。いくら君でも、俺の言うことを聞かないのはどうかと思うぞ?」
引きつった口元から機嫌の悪さが滲み出ている。これまでオリヴァーがルドルフに対して反抗的な態度を取ることはなかった。これまで取り繕ってきた過去に一瞬だけ怯みそうになったが、今のオリヴァーはルドルフに嫌われても困らない。それにここはスコット侯爵家の城だ。味方は多い、はずだ。ぐっと拳を握りしめる。
「お言葉ですが、殿下。俺はここで遊んでいるわけではございません。お休みになられるのであれば、どうぞ使用人にお申し付けください」
肩に置かれた手を振り払って、オリヴァーは剣を握り直す。ルドルフは不思議なほど静かになり、背を向けたオリヴァーに一言も発さずに訓練場を後にした。
ルドルフに前回の記憶があるのではないかと懸念していたけれど、バルナバスに対する態度、使用人への暴言などを聞いていたらそんなことはない、と思い始めた。失敗した記憶があるなら、オリヴァーのように自分の行動を顧みる……、はずだが、自分が正しいと思っているルドルフに果たして反省などと言う言葉はあるのだろうか。
間違っていないと思っているならば、前回と同じように進むのではないか。それならば自分に対する執着も頷ける。ただオリヴァーと計画して失敗したのだから、ルドルフの性格を考えたら切り捨てそうなものだ。やはりやり直した記憶など、自分にしかないのか、とオリヴァーはわずかながら寂しい気持ちになった。
訓練場での一件でルドルフが機嫌を損ねてくれたのならば上々、と気分が晴れやかになっていたが、時間が経つと忘れてしまう短絡的なところもあってか、晩にはいつも通りに戻っていた。
ルドルフが思い立ったように王都へ戻ると言い出したのは、ここにきてから一週間が経過してからだった。
「そろそろ戻ってこいと母上からのお達しもあってね」
ルドルフが不在になってから王城内の均衡もわずかに崩れだしたのだろう。優柔不断でおっとりとしたところを除けば、フリードリヒは王としての才覚はある。彼が王となれば、このヴォルアレス王国は安泰だ。
ルドルフなどに任せるより断然いいが、それでも傀儡として操るには彼が最適だ。オリヴァーもそれを狙っていたし、味方に付いた新興貴族なども同じだ。国をよくするというよりも自分たちが住みやすい国にしようというエゴだ。
自分が死んだ後のことは分からないし、自分の死が起点となって時間が巻き戻ってしまったのかは分からないが、あの後も続いたとするならばオリヴァーとルドルフの行動でこの国の膿をだし切ることに成功したと言っても過言ではない。オリヴァーの死後に続いた歴史は平穏だったことだろう。
「なあ、オリー。本当にまだ王都に戻らないつもりか?」
いつになく真剣な眼差しにオリヴァーはため息を付きそうになって唇を噛む。
「学校に通うまではこちらに滞在する予定です」
帰るつもりはないとはっきり意思表示をする。以前までのように曖昧な言葉で誤魔化そうとすれば、ルドルフは自分の都合のいいように解釈して後でオリヴァーが困る。
「……どうしても俺の従者にはならないと?」
声音が低くなり、機嫌の悪さが露呈してきた。どうやら本当に従者にするためわざわざスコット領まで来たようだ。断られたのが許せないのか。そもそもルドルフがオリヴァーを従者に指定したのではない。ルドルフがオリヴァーを従者に、と言えばスコット家は断らなかっただろうし、断るとしたら王家に背く覚悟をしなければならなかっただろう。
やはり行動は不可解だ。断られるはずがないという自信を砕いてしまったのか。
オリヴァーがゆっくり頷くと、ルドルフはガタンと派手な音を立てて立ち上がる。大股で近づいてくるとオリヴァーを壁に押し付け、ぐいとあごを掴まれ無理矢理に上を向かされる。
炎のような赤い目がオリヴァーを捉える。
「誰に物を言っているのか、よく考えろ」
「……あなたの従者になるとしたら、それは王命が下された時です」
グッと顎を掴む手の力が強くなった。
その時丁度、モスグリーンの髪が窓の外で揺れた。気づいた瞬間、バリンと激しい音を立てて窓が割れた。窓を背にしていたルドルフは反応に一瞬遅れる。
「っ、曲者か!?」
オリヴァーはルドルフの手の力が緩んだのを感じて、手を振り払って足払いをするとそのまま組み敷く。扉の向こうに待機していた騎士たちは窓ガラスが割れた音を耳にしてすぐに室内へ入ってきた。足の下でルドルフが苦しそうな声を出しているが、これは非常事態だ。決してこれまでの憂さ晴らしをしているわけではない。彼の身を守るための仕方ない行動なのだ。だからやめるわけにはいかない。
「オリヴァー様、ご無事ですか」
声をかけてきた騎士にオリヴァーは頷く。そこはまず王子の心配をしてほしいものだが、ルドルフの横暴さに城内の騎士、使用人は辟易している。ちょっとは痛い目に遭ってくれた方が清々するだろう。
「ああ、俺も殿下も無事だ。誰かが窓に向かって石を投げた」
犯人を目撃していたが、オリヴァーは自分の胸の内に秘めておく。きっとこの状況を外で見たアランが助け舟を出してくれたのだろう。やり口はあまりに過激だったので当面の間警備が厳しくなるだろうが、折を見てオリヴァーが祖父に話をすれば解決する。どうせルドルフもそろそろ帰ると言っているわけだし、何より助けられた恩がある。
「第二隊に追わせます。殿下とオリヴァー様は一旦避難を」
「分かった」
まだ組み敷いたまま苦しめてやりたかったが、オリヴァーは「失礼しました」と謝罪してからルドルフに手を差し出す。とっさの判断だったとは言え、自分よりも背が高かったルドルフを組み敷ける程度には力が付いているのに驚いた。祖父の訓練は無駄ではなかった。
悔しそうにこちらを見上げ手を取ったルドルフに、オリヴァーは僅かな優越感を覚えた。
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