第5話 スコット侯爵領(3)
明日など来なければいいのに、と思っていたが、突然の来訪に昨日はバタバタとしていてあっという間に翌日になった。
「お待ちしておりました、ルドルフ殿下」
出迎えたのは領主代理をしている祖父だ。今、ここにいる中で彼が一番偉い。その後ろに祖母、そしてオリヴァーが立ち、客の立場であるバルナバスは後ろの方に控えていた。
アランは昨晩のうちから騎士団の寮に移動して朝から部屋に篭っていると聞いた。
「ようこそ我がスコット領へ。移動も大変だったのではございませんか?」
あれほど嫌がっていたのにも関わらず、歓迎するそぶりは見せている。熱血漢の祖父も大人な対応ぐらいはできるんだな、と感心してから、世の中の熱血漢に失礼だと自嘲する。
「暑っ苦しいところだな、ここは」
馬車から降りての第一声がこれだ。心底嫌そうな声音に、さっさと帰れと怒鳴りたくなる。こめかみがひきつるのを感じながら、オリヴァーは頭を下げたまま地面を歩く蟻を見つめていた。
「オリー! オリーじゃないか!」
聞いたこともない上機嫌な声に思わず顔を上げてしまう。にこやかに駆け寄ってくるルドルフを見てオリヴァーは叫びそうになるのを必死に堪えた。なぜこんなにもフレンドリーなのか。ルドルフはオリヴァーの正面に立つと「会いたかったぞ」など一番聞きたくないセリフを吐き、オリヴァーの手を握りしめた。
「お……、お待ちしておりました、ルドルフ殿下。お会いできて光栄でございます」
出来るだけ感情を込めて言ったが、自分でも驚くぐらいの棒読みだった。しかしルドルフはそんなこと歯牙にもかけず、ぎゅうと強く手を握りしめる。汗ばんだ掌がとても気持ち悪い。海風になびく黒髪が視界を狭めた。今にも口づけしてしまいそうなぐらいの至近距離にオリヴァーは失神しそうになった。
「まあまあ、殿下。孫のことをとても気に入っていただけて儂はとても嬉しく思いますぞ」
祖父は笑顔でぐいと首根っこを引っ張るとルドルフを引き離してくれた。嫌がっているのが伝わっていたのか距離を置けて安堵する。
「ああ、スコット将軍。オリーは幼馴染だからな」
それにしては距離感が近すぎはしないだろうか。前々からこんなぐいぐい来るようなタイプではなかったのに、一体、どうしてだろうか。そこでふと、オリヴァーはルドルフにも巻き戻った記憶があるのではないかと疑う。それならばまるで恋人のような距離感も納得はできる。御免こうむりたいが。
「どうして俺の従者になるのを断ったりしたんだ? オリーから説明があるのかと思って王宮で待っていたが、なかなか来ないどころかこんな田舎にいると聞いてすっ飛んできたよ」
「父から説明があったかと思いますが、俺ではまだ殿下を支えるには力不足です。ここで祖父の教えを請い、一人前になってからお支えするのほうが殿下のためと判断いたしました」
建前としては十分だろう。ルドルフのために身を引いたと言えば、彼だって気を悪くしないはずだ。従者になることなど一生無いけれど、今はこうして逃げ道を用意しておくしかない。まだオリヴァーにはルドルフを敵に回したところで、後ろ盾がない。
「オリーは謙虚だなあ。そんなの俺と一緒に成長していけばいいだろ?」
「とんでもございません。殿下の目覚ましい成長に俺などがついていけるはずがないではないですか」
さっさとこの茶番のような問答を終わらせてくれないだろうか。石造りの城内ならまだしも来客を迎えるエントランスは屋根こそついていても屋外なので暑い。じわじわと汗が流れ出てきて頬を伝っていく。
「殿下。簡単ではございますが、中で歓迎の準備をしておりますので、どうぞ」
祖父に促されて、ルドルフはようやく城の中へ入っていく。うだる暑さだというのに、手がカタカタと震えていた。
豹変した態度に驚きすぎた。冷静になって考えるとルドルフの挙動はどうも可笑しい。幼い頃から遊び相手として傍にいたけれど、恋人のような扱いはもう少し成長してからだった。
ルドルフがオリヴァーを口説くようになったのは王立学校に進学してから間も無く、家柄と見栄えの良さに結婚相手を漁りに来た令嬢達に群がられ、青春を謳歌してやろうと思った時だった。劣等感だったのか独占欲だったのか、おそらく彼よりも人気が高かったところがプライドを刺激してしまったのだろう。そもそも王族相手にぐいぐい来る令嬢など、地雷以外の何物でもない。
まあ、見目だけなら、男も女も寄ってくるのは分からなくもない。自分自身の性格がよくないのはオリヴァーも十分に分かっていて、寄ってきた連中も身分をかさに着てにぞんざいな扱いをしたら自然と去っていった。
それに加えてオリヴァーに近寄ろうとする者全員を敵視したルドルフのせいもあって、半年が過ぎるころにはもう寄り付く人間は全くいなくなった。思い返すとふひどい学校生活である。
昔を懐かしみながら現実逃避をする。斜め向かいに座るルドルフの視界にはオリヴァーしか入っていない。本来、主賓の斜め向かいには祖父が座るはずだが、ルドルフに言われてオリヴァーが座る羽目になった。その時の祖父の口元が緩んだのをオリヴァーは見落としていない。
もう腹を括るしかないとわかっていても本能ではまだ抗おうとする。互いに利用しあって破滅したのだから恨みなんかは抱いていない。ただもう二度と関わりたくないだけだ。侯爵家の子息として生まれた以上、それも難しい話だが。
気持ちを切り替えたら簡単に笑うことができた。けれど身体は素直で三ヶ月でそこそこの量を食べられるようになったのに、あっという間に元通りの量に戻ってしまった。
「そう言えば、殿下はいつまでこちらにいらっしゃる予定ですか?」
食後のティータイムにオリヴァーはルドルフに今後の予定を尋ねた。
「なんだ、オリー。俺がいなくなるのが寂しいのか?」
ぴたりと寄り添うルドルフに口元が引きつる。早く帰れと言っているのが通じないのは脳みそがめでたくて何よりだ。
「暑くて農地と海しかない田舎なので、殿下を退屈させないか心配なんですよ」
気遣うようなことを言うとルドルフが満足そうに笑う。彼の扱いは嫌と言うほど分かっているので、多少の嫌味を言っても通じなければ機嫌を損ねることはない。
そしてルドルフは遠回しな表現など気づかないタイプだ。それが腹立たしくなる時もあるが、こうして逃げられないときのストレス発散には丁度いい。
「それならお前も一緒に王都へ帰らないか?」
「まだ祖父から何も教わっていないんです。まずは体力を付けろと言われて、基礎トレーニングばかりです」
「別にお前が筋肉を付ける必要はないだろう」
そう言いながらルドルフはオリヴァーの手を撫でる。ぞわりと粟立つのを笑顔で隠し、「俺だって男ですから」と言ってそっとルドルフの手を離した。
「少しだけ剣を握らせてもらってるんですが、なかなか面白いですよ」
「…………ふん」
不貞腐れた子供のような顔でそっぽを向いたのを見て、オリヴァーは心の中でガッツポーズをする。興味のない話をしたぐらいで怒ったりはしないけれど、明らかに機嫌が悪くなっている。
「殿下もよろしければ、明日、一緒にいかがですか?」
どうせ来ないだろうと踏んでの誘いだ。ルドルフの声音は更に低くなり、少し経ってから「考えておく」と答えた。
夏の夜は短い。日が昇り始めたと同時にオリヴァーは起床して身支度を整えてから訓練場へ向かう。これまで使用人に全てを任せていたが、ここでは自分のことは自分ですると祖父の命が下されている。三ヶ月も経てば慣れてスムーズに行えた。
さすがに王子相手に同じことは言わないだろう。最低限しかいない使用人のほどんどをルドルフに付け、今はまだぐっすりと眠っているはずだ。夜が明けたばかりのほのかに冷たさを含んだ風が頬を撫でる。一日のうちで一番心地よい時間帯だ。
昨日はひどく長い一日だった。その割にぐっすり眠ってしまったせいで翌朝がすぐにやってきた。今日も一日、あれと対峙するのかと思うと、胃がキリキリする。
パシャ、と水の音が聞こえてそちらを見ると井戸の前にアランが立っていた。丸一日会わなかっただけだが、昨日が濃すぎたのかとても久しく感じてしまった。どこに誰がいるか分からない以上、声を掛けるのは控えておくべきか。そんなことを考えていると視線を感じたのか、アランがこちらを見た。
「オリヴァー様」
「おはよう」
「おはようございます」
オリヴァーがにこりと微笑むと、アランも破顔する。そのまま訓練場へ向かってもよかったが、彼の人懐こい笑みに誘われてオリヴァーは少し会話しようと彼に近づく。
「昨日は一日寮にいたのか?」
「はい。騎士団の皆様も良くしていただきました」
そうか、と頷いて次に何を言おうか迷う。避けている以上、ルドルフの話はしにくいし自分もしたくない。かと言って知り合ってさほど時間が経っていないのもあり、何を話せばいいのか分からない。一瞬だけ沈黙が続くと、「アレっ……」と声がしたと同時にオリヴァーとアランの間にバルナバスが割って入った。
「なんだ、オリヴァー様でしたか」
「なんだってどういうことだ」
呆れたような表情にオリヴァーはムッとする。
「アラン様。エッカルト様からの言いつけ、忘れたわけではないでしょう?」
オリヴァーのことは無視してバルナバスはアランと向き合う。ピリピリとした空気にため息を吐き、オリヴァーは踵を返して訓練場へと向かう。なんだか自分がここにアランを連れ出したようで気分が悪い。
「あっ、オリヴァー様……」
名残惜しそうにアランが名前を呼んだので振り返ってみたもの、バルナバスから向けられる敵意にオリヴァーはすぐに向き直る。
「ば、バルナバス! ここへ来たのは俺の判断だ。オリヴァー様に失礼なことをするな」
「……そうなんですか? それでもこっちのほうに来ちゃダメじゃないですか」
二人の会話が遠ざかっていくのを背中で聞きながら、オリヴァーは訓練場へ向かった。
「さっきはすみませんでした」
剣の素振りをしているところにバルナバスがやってきた。ぺこりと深く頭を下げているのを見て、何に謝っているのか理解できなかった。
「……どうした?」
「先程の態度はとても失礼だったと反省しているんです」
「ああ……」
思い出したらむかむかとしてきたけれど、特段、気にしていたわけでもないので「別に構わない」と答えて素振りを続ける。以前ならば相手のミスに付け込んであれこれと理不尽なことをしてきたが、ずいぶんと丸くなったな、などと感慨にふけってしまう。
「オリヴァー様は何も尋ねないんですね」
顔を上げたバルナバスは不思議そうにオリヴァーを見ている。
「何をだ?」
「疑問には思っているでしょう。アラン様のことですよ」
止まってしまっていた手を再び動かす。ブン……、と木製の剣が空気を切り裂いて音を立てる。
「それは――……」
誰も説明しないのは、今は自分に話すべきではないと判断しているからだ。そう思うからあえて尋ねもしないのだが、話そうとしたところで「オリー!」と上機嫌な声が聞こえて、オリヴァーはぎくりとしながら入り口を見た。至福な時間の終了のお知らせだ。
「で……、殿下」
ずんずんと進んできたルドルフはバルナバスを一瞥するとオリヴァーの前に立つ。
「使用人に聞いたらとっくに起きて訓練していると聞いて飛んできたよ。いつもこんなに早く起きているのか?」
「ええ。大体、日の出と同時ぐらいには起きております」
「それなら俺も明日から同じ時間に起きて、一緒に訓練しよう」
「えっ……、ですが、殿下は……」
剣はあまり好きではないですよね、とは言えない。これは前回の人生で知ったことだ。
「ん? どうしたんだ? オリー」
ニコニコとほほ笑みながら顔を覗き込まれて、オリヴァーは反射的に一歩引いてしまう。ルドルフはそんなことお構いなしにずんずんと進んでくる。
ふと、視界にバルナバスの足が入った。強引ではあるが話を変えてしまおう。
「あ、殿下。ジュノ辺境伯のご令息をご存じですか?」
「ああ……、何度か挨拶はしたことある。なあ」
ルドルフは興味なさそうにバルナバスを見る。バルナバスは胸に手を当て、頭を下げたまま何も言わない。
「バルナバス、と言ったか」
「はい、殿下」
「二度と俺の前に立つな」
ルドルフはニコニコと笑いながらそう言う。ピシャリと騎士達の空気が凍るのをオリヴァーは感じた。
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