第4話 スコット侯爵領(2)

 祖父の訓練はまだ夜も明けきらぬうちから始まる。


 訓練場の周りを十周。それから腕立て伏せや腹筋などの基礎トレーニングを二時間。それが終わってからようやく朝食にありつける。


 元々、少食だったとはいえ、朝からそれほど動けば腹だって減る。食べるのもトレーニングだと山盛りの食事に見ているだけで満腹になるかと思いきや、体は素直でペロリと平らげてしまった。それからアランやバルナバスの皿に盛られた量を見て、まだまだ手加減してくれていたのだと知る。


 そんな生活を一ヶ月も続けていると背も体重も増えてここへ来た時よりも一回り大きくなった。全体的に筋肉も付いたけれど、あまり付きやすい体質ではないのでパッと見ただけでは華奢だ。一年も続けていれば変わるだろうか。 


 ここでの生活はやはり思い通りにいかない。あまり仲良くするつもりのなかったアランに懐かれてしまい、どちらかと言えば仲良くしたかったバルナバスには一線引かれているようだった。なぜかバルナバスはアランに敬語を使っていて、アランが何をするにも傍に付いていた。彼が自由行動を取るのはアランの傍に祖父がついている時だけだった。


 辺境伯嫡子であるバルナバスが敬語を使う相手。もしかして身分を隠しているのだろうか。その可能性は高いけれどわざわざ隠さなければならないのなら、どこぞの公爵の庶子だったりとややこしい立場なのだろう。やはり関わらない方が自分のためだ。


 それなのに勉強をするときも、鍛錬をするときも、食事をするときも一緒だ。何か話すわけでもないのに。嫌そうな顔をしてしまうとバルナバスの表情も厳しくなるので邪険にできない。 


 やはりここでの生活は一筋縄ではいかない。




 祖父に課された毎日の訓練も卒なくこなせるようになって早三ヶ月。季節は夏真っ盛りだ。ギラギラと照りつける太陽に立っているだけで汗が流れてくる。南東部に位置するスコット領は冬場こそ雪など滅多に降らず温暖でとても過ごしやすいが、夏場は王国内でもかなり気温が高くなり日中の行動は制限され、余裕がある人は避暑に北部へ逃げていく。


 しかしアランとバルナバスはまだスコット領に滞在している。いつまで居るのかと聞くのは早く帰れと言っているようで聞けずじまいだ。むやみやたらと敵を作らないためにも、オリヴァーは二人に対して出来るだけ平等に親切に接していた。


 オリヴァーが朝の訓練を終えて城に戻ると城内はいつになく慌ただしかった。


「殿下が入る客間の布団は新しいものに変更して。あの方は好き嫌いが多いから食事には十分に気を付けて」


 矢継ぎ早に祖母の指令が飛んでいく。彼女がそんなふうに指示を出しているのは見たことがない。ピリピリとした空気に話しかけられずにいると、ようやくオリヴァーの存在に気づいた祖母が「オリー。もう終わったの?」と優しく声をかけてくれた。


「はい。朝の訓練は終わりました。慌ただしいようですが、何かあったんですか?」


 オリヴァーがそう尋ねると祖母は困ったように頬に手を当て、


「ルドルフ殿下が避暑にこちらへ来られるそうなの」


 と、言った。


 ――避暑。一時的に涼しい場所に移ること。夏の暑さを避けること。


 思わず言葉の意味を反芻してしまうほどに驚いた。


「ひ、避暑、ですか?」


 未だ言っている意味が分からず、口元が引きつってしまう。


「ええ。王都よりもこちらのほうが暑いのにねえ」


 スコット領は海に面しているのもあって夏場の観光地としても人気である。しかしルドルフは泳ぐのが苦手で海水浴なんてもっての外だ。避暑するならば北部の方が良いはずなのに、わざわざここへくる理由が分からない。


 それにルドルフは王都からあまり出たことがない。前回での人生でもそうだった。以前、スコット領は農地と海しかないと酷くコケにしていて、自分が馬鹿にされているわけでもないのにとても腹が立ったのを覚えている。そんな認識だったのにわざわざここまで来ると言うことは、オリヴァーが領地に来たこともあって少しずつ前とは変わってきているのだろうか。


「それでいつ来られるんです?」


「明日だそうよ。いきなりで困るわあ」


 ほとほと困った顔をしている祖母を見て、ヒッと悲鳴を上げそうになった。かなり怒っている。祖母は穏やかで優しい人ではあるが、怒らせるとあの祖父ですら慄くぐらい怖い人だ。一国の王子相手に説教などしないだろうが、それでも苦言ぐらいは言いそうである。嫌味でないだけマシだろうか。


「お祖父様からも話があると思うから、執務室へ行ってくれる?」


「分かりました」


 この領地で平穏な生活を送るにはまだまだ時間がかかりそうだ。


 正直、真っすぐで世辞など知らない祖父と、見栄だけで中身などないルドルフは水と油のようだ。


 確実に気が合わないだろうし、お互いにそんな予感がしているのか、関わっているところを見たことがなかった。特に祖父は当主の座を父に譲ってからは自領に籠りっきりで、時たま国王から呼び出されて登城する程度だ。その際、王太子であるフリードリヒには挨拶をしているようだが、残りの王子や王女と会話をしているのは見たことも聞いたこともなかった。


「失礼します」


 扉をノックするとすぐに返事があった。中に入るとアランとバルナバスが机の前に立っていて、椅子に座った祖父は険しい顔をしていた。夫婦そろって第二王子がここへ来ることを歓迎していないようだ。オリヴァーも同じであるが勘づかれないよう表情には出さない。


「オリーか。ビアンカから聞いたか?」


「はい。ルドルフ殿下が避暑に来られるとか」


 こちらを向いているアランもバルナバスも無表情で何を考えているのか分からない。アランの出自が隠されている以上、彼がルドルフと顔見知りなのかは尋ねられないけれど、バルナバスは辺境伯家だ。王家主催のパーティには参加しているだろうし、嫡子ならば王子達と挨拶だって交わしているだろう。ジュノ家は確か王太子を支持する保守派だった気がするけれど。


 どちらにしろルドルフを歓迎する人物は少ない、と言うことだ。ルドルフと出来る限り関わりたくないオリヴァーはもちろんのこと、身元を明かしたくないアラン、保守派のバルナバス、政争とは無縁でありたい祖父母夫婦。


「アランを殿下の前に出すわけにはいかんからな。いつまでいるのか知らんが、当面の間は騎士団の寮へ行っていてくれるか?」


「分かりました」


「バルナバスは……、分かっておるな?」


「ええ、もちろん」


 任せてください、と言わんばかりに笑みを浮かべるバルナバスに対し、祖父は難しい顔をしたままだ。まだ三人の関係性を理解していないオリヴァーは黙って三人を見つめていた。


「そう言えば、オリーは殿下と仲が良かったな?」


 どこでそんな噂を聞きつけたのか、祖父の問いかけに二人がバッとこちらを向く。驚愕の顔をしているアランに、無表情のバルナバス。王都で暮らしていたのだから、王子と関りがあることぐらい二人も分かっているはずだが大げさな反応に少したじろぐ。


「仲がいい、と言うほどではありません」


 そこはきっぱりと否定しておく。


「けれど従者になる予定だったんじゃろ?」


「俺には務まらないと思って断りましたけどね」


 思わず舌を出しそうになって思いとどまる。内心ではルドルフに関わるなんて断固拒否だが、この城内で彼を相手できるのは自分しかいないだろう。一体、どれぐらいの日数滞在するのか不明だが、多少の我慢は仕方あるまい。従者で毎日一緒だった日々を思い出せば、これぐらいは大したことない。


 それでも嫌なものは嫌だが。強い視線に根負けして、オリヴァーは「俺が相手をしますよ」と自ら言い出す。


「どうせ、お祖父様も、お祖母様もそのつもりだったんでしょう?」


「お前しか適任がおらんのじゃ。仕方あるまい。儂が相手をしてもいいが……、王家に歯向かうことになっても厄介だしなあ」


 それならばもう少しぐらい立ち振る舞いを見直してほしいところだが、祖父にはその気は更々ないようだ。祖父は国王が決めた後継者に異を唱えるつもりがないから、登城しても王太子にしか挨拶をしないのだ。線引きはしっかりしている。


「殿下は暑いところが嫌いですし、スコットの暑さに嫌気が差して、さっさと帰ってくれるでしょう」


 そう祈るしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る