第2話 ルドルフ・ジークムント・エメリヒ・ヴォルアレスという男

 オリヴァーがルドルフの従者として傍で仕えるようになったのは十歳の誕生日が過ぎて少し経ってからだった。


 国王には正室でもあるアンネマリー王妃との間に子供が三人、側室のリーゼロッテ妃との間に二人の子供が居た。王太子フリードリヒ、第三王子アレクシス、第二王女のレーナはアンネマリー王妃の子であり、第一王女のイザベラ、そして第二王子のルドルフはリーゼロッテ妃との子供であった。


 当然、二人の女性から王家の血を引いた子供が生まれれば派閥も存在する。特に成り上がりの一族、新興貴族は、旧来からの由緒の正しさだけを誇りに思っている貴族達による差別などの現状を打開すべく、側室との子、ルドルフを支持していた。


 スコット侯爵家も建国時に拝命された以来続く貴族のため後者であるもの、どちらにも属さない中立であったため、兄のリュディガーはフリードリヒと公私ともに仲良く、次男のオリヴァーはルドルフと居るよう父親に言われていた。最初、野心家で尊大なルドルフの機嫌を取るのはあまり容易でなく、気に入らないことがあれば殴られたり物を投げつけられたりとまあ悲惨な目に遭った。


 一緒にいる年数が長くなると扱いもよく分かってくるようになり、むしろ扱いやすい性格だと思うようになった。本心はどうあれルドルフは素晴らしい人間だ。ルドルフこそ次期国王にふさわしいとおだてておけばいい気になってくれる。ただ一つだけ誤算だったのはオリヴァーの見てくれを気に入ってしまった点だ。


 男女ともに恋愛対象になるルドルフから口説かれ、仕方なく応じてしまった。断れば面倒くさいことになると予感していたし、何より多少我慢すれば将来的にいい地位へと昇れると確信があったからこそ、女のように抱かれるのも我慢できたというものだ。


 最終的には全てはオリヴァーにそそのかされてしたことであり、自分は関係ないと言い張って、あれほど見下していたフリードリヒに命乞いをしていたわけだが。


 細く柔らかい金糸のブロンドを持ち、くっきりとした紺碧の海を思わせる瞳、筋の通った鼻に血色のいい唇。見目には自信があるし、嗜み程度にしか体を鍛えていなかったので、麗人に見えてしまうのも無理はない。上級貴族であることも踏まえて両手では数えきれないほど女性から言い寄られたし、男から好意を寄せられることも少なくなかった。


 この見た目を利用するならもう少しまともな相手がいい。


 メイドが淹れた目覚めの紅茶を飲みながらオリヴァーはこれからのことを考える。普通であれば懲りてもう成り上がることなど諦め、穏やかな人生を送る、というのが当然だろうが、オリヴァーは一度ぐらいの失敗で諦めがつくほどさっぱりとした性格ではない。誰がチャンスをくれたのか分からないけれど、やり直せるのなら次こそは成り上がってやる。


「……とりあえず、あのクソ王子と縁を切るところから、だな」


 同じ轍は踏まない。オリヴァーはカップに残った紅茶をすべて飲み干すとメイドににこりと微笑み、「ありがとう」と礼を言う。前回の人生ではこんなこと口にしたこともない。けれど同じことを繰り返せば結末も一緒だ。自分が見下していた人たちに裏切られ、全ての罪を擦り付けられたのはさすがのオリヴァーでもショックを受けた。


 けれどルドルフに裏切られたことに関しては思うことは何もなかった。失敗に終わればこうなる未来は予感できていたからだ。何事においてもあの男は自分が中心なのだ。元々、オリヴァーは異性愛者でもあるし、さっさと関係を断ってしまったほうが身のためだ。


 痛いだけで気持ちよくもなんともないルドルフの自慰に使われていただけの行為は思い出すだけでぞっとする。


 まず父に根回しをしてルドルフの従者になることを断らなければならない。十歳になったばかりの今であれば、従者になっていないはずだ。


「オリヴァー様、朝食の準備ができました」


「……分かった」


 気持ちを落ち着かせるように胸元のリボンの位置を正してオリヴァーは自室を出た。


 食堂に入るとすでに両親が所定の位置に座っていた。


「おはようございます」


 挨拶を済ませて父から一番離れた席に腰掛けると続いて兄が入ってきた。オリヴァーを一瞥するなりすぐに目をそらし、「おはようございます」と両親に挨拶をして隣に座る。全員が揃うと食事がゆっくりと運ばれてきた。


「父上」


 オリヴァーはさっそく話を切り出す。新聞に目を通していた父は顔を上げると「なんだ」とオリヴァーを見る。兄との関係はあまりよくなかったもの、オリヴァーが反逆罪で拘束されるまで両親とは良好だった。それはオリヴァーが行儀正しい次男を演じていたから、だろうが。


「ルドルフ殿下の従者になる件ですが、もう一度、考え直してはいただけないでしょうか」


 フォークを握ろうとした兄の手がぴたりと止まり、視線がこちらを向くのを感じた。母もまた静かにオリヴァーを見つめている。


「理由は?」


 父の声は穏やかだった。


「父上の意向は理解しているつもりですが、我が家の中立を守るために二人も王族の傍に就けば良い気のしない人たちも多いのでは?」


 実際のところ、こういった批判はオリヴァーがルドルフの従者になった際、スコット家をよく思わない貴族からぽつぽつと出ていた。王家を意のままに操ろうとしているのではないか、などと荒唐無稽な話ばかりで相手にしていなかったが。それでも自分にケチを付けられているようで当時のオリヴァーは不服に思っていた。


「それだけか?」


「いえ……、あとは自分の未熟さが招いたことになりますが、自分ではルドルフ殿下の従者になるのは力不足かと」


 ルドルフの気難しさについては父も十分に知っているはずだ。だが今更になって断りを入れることに多少なりとも引け目を覚えるからこそ、遠回しな表現で訴えかける。それに感づいた父は「率直に言いなさい」とほのかに笑いながらそう言った。


「従者になりたくありません」


 きっぱりいうと今度こそ父は噴き出す様に笑った。兄も食事を再開し、母も紅茶に口を付ける。


「断るのは簡単だが、お前はそれで本当にいいのか? ルドルフ殿下の従者になれば王宮での職に就ける可能性だって出てくるから構わないと最初は承諾していたではないか」


「確かにそう思うところもあります。けれどルドルフ殿下が所々で問題を起こしているのは父上も知っているでしょう? この前だって……」


「それ以上は不敬に当たる。やめなさい」


 オリヴァーはぴたりと口を閉じる。


「お前の気持ちは分かった。陛下にも私から伝えておこう」


「当面の間、王都から離れようと思っております。そのほうが言い訳に使いやすいのでは?」


「そこまで気を使う必要はない、が、どういうつもりだ?」


 ただ今は状況を整理するためにも領地でゆっくりしたいだけだ。どうせあと三年もすれば王立の教育機関に進学するため、再び王都に戻ってくるのだ。そこでは嫌でもルドルフと顔を合わせることになる。


「少し……、見聞を広めたいだけですよ」


「そうか。では早速手配しよう」


 こうしてあっさりとオリヴァーが領地へ行くことが決まってしまった。



 

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