やり直しの人生、今度こそ絶対に成り上がってやる
カイリ
第1話 プロローグ
この馬車が向かう先は地獄だ。
馬車は舗装されていない悪路を容赦なく突き進んでいく。時折、ぴしゃりと馭者が鞭打つ音が聞こえ、気味の悪い鳥の鳴き声が木霊している。木の根や大きい石を踏みつけると、ガタンと大きい音を立てて馬車は揺れる。暗い森の中を進む馬車の車内には体格のいい二人の騎士と対面に一人の男が座っていた。
重厚感のある鎧を纏う騎士に比べ、男は薄汚れた襤褸を着せられ、痣だらけの体は貧民街を歩く浮浪者のようにしか見えない。
そんな彼をよく見てみると貴族特有の美しいブロンドを持ち、南国の海のような透き通った青い瞳は高貴さを伺わせる。
建国以来の長い歴史を持ち忠臣として名高いスコット侯爵家。その次男、オリヴァー・フォン・スコット。
国家転覆を目論んだ――大罪人だ。
こんなはずではなかった。オリヴァーは歯を噛みしめる。向かう先は丘の上にある処刑場だ。失敗すれば自分の命が取られることぐらい容易に分かることだったが、失敗することまで考えていなかった。自分の計画は完璧で、なおかつ正しいと信じていた。
オリヴァーは王太子である第一王子フリードリヒを事故に見せかけて殺害し、協力関係にある第二王子ルドルフを王太子に立て、自分もルドルフの右腕としてそれなりの地位に就くことを約束されていた。
侯爵家の次男なんぞに生まれてしまったため、成り上がるにはこうするしかなかった。上級貴族であるスコット家は複数の領地と爵位を持っているため次男のオリヴァーにも爵位と領地を与えることぐらい造作もないが、たかだか数年先に生まれた兄の下で一生を暮らしていくのはオリヴァーのプライドが許さなかった。
――兄よりも自分のほうが優れている。
それを証明するため、ルドルフと共謀し王太子の殺害を企んだ。それが罠であるとも知らずに。
第二王子のルドルフはオリヴァーと同様、いや、オリヴァー以上に自己顕示欲の強い男だった。自分が中心となってこの世は回っていると思い込んでいるところもあり、オリヴァーはその性格を利用してフリードリヒを排しようと動いた。自分の目的のためなら手段を選ばないオリヴァーと、自信過剰なルドルフが意気投合するのはあっという間だった。
計画はとんとん拍子で進み、王家主催の狩猟大会でフリードリヒを殺害すると決まった矢先だった。隠れ家に第三王子のアレクシスとその配下たちが突入してきてすべての目論見が暴かれてしまった。
その時のルドルフの変わり身の早さは…………、思い出すだけで笑えてくる。使用人のようにこき使い、時に恋人のように愛を囁き、欲すらも受け止めてやっていたのにあっさりと裏切られた。
「ふ……」
思わず声が漏れてしまうと、「何を笑っている」と厳しく叱責され対面の騎士から剣を突きつけられる。その切っ先を見つめ、オリヴァーは首を横に振る。抵抗する気などもうとっくに失せてしまった。罪もすべて認めたのだからさっさと終わらせてほしい。
カチンと剣が鞘に収まる音が聞こえると、「わぁ!」と外から悲鳴が聞こえて馬車が急停止する。
「何事だ!?」
後ろ手に縛られていて受け身も取れなかったオリヴァーはそのまま前につんのめって倒れ込む。騎士たちは素早く外に出るとドアを閉めてしまった。外からはわあわあと男の声が聞こえて、「ぎゃああ!!」と断末魔が響き渡った。誰か助けに来てくれたのだろうか、なんて希望はオリヴァーの中にはない。王太子の殺害計画が明るみになると全員が掌を返した。きっと山賊か何かが金目のものでも積んでいると勘違いして襲ったのだろう。乗っているのは大罪人だけだと言うのに。
ものの数分で辺り一帯は静かになった。けれどなかなか騎士が戻って来ない。さすがに不信感を覚えたオリヴァーはゆっくり立ち上がってドアの前に立つ。窓に掛かったカーテンを頭で動かそうとしたところでドアがガチャリと開いた。
「オリヴァー・フォン・スコット、だな?」
目下に居るのは騎士ではなかった。下卑た笑みを浮かべる男はオリヴァーをじろじろと見つめると「もったいねえなア」と言って髪の毛を掴む。
「いっ!?」
ずるずると引きずるように馬車から下ろされ、ブンと乱暴に投げられる。ガツンと硬い物にぶつかり顔を上げると、男はニヤニヤと笑いながら剣をオリヴァーの首元に突きつけた。
「どうせ、明日には死ぬ予定だったんだ。それがちょっと早まっただけだ」
オリヴァーが最後に見たのは薄汚い男の笑みだった。
目を突き刺す眩しい光にオリヴァーは起床した。自分の欲のため、人を殺そうとしたのだ。死後は地獄に落ちて当然だと思っていたのに、温かく柔らかい感触に違和感を覚えた。
最近流行りの地獄は新入りに優しいのだろうか。
そんな冗談を考えながら目を開けると、見慣れた天蓋が見えた。ぴちぴちと鳥のさえずりが聞こえ、自身を包む柔らかい感触は布団だった。牢での布団と呼んでいるだけのペラペラの布などではなく、綿がしっかりとつまった高級品だ。さすがに新入りに優しすぎはしないだろうか。むくりと体を起こしてあたりを見渡すと、そこは慣れ親しんだ自室だった。
どう考えてもおかしい。首を切られた感触は生々しく残っていて、思い出すだけで血の気が引いていく。恐る恐る首元に触れるとそこは傷一つなかった。ベッドから降りてふかふかの絨毯の上を素足で歩く。壁にかかる鏡を見てオリヴァーは目を見開いた。
そこにはまだ幼い自身の顔が映っていた。
「……どういうことだ?」
にわかには信じがたい状況に思考が止まらなくなる。先ほどまで絶体絶命だった、と言うよりも、死んだはずだ。王族への反逆罪で処刑が決まり、このスコット家にも塁が及んで領地没収の上に爵位まではく奪された。一族諸共処刑されてもおかしくなかったが、スコット家は建国からの忠臣として名高かったのもあり、現当主である父も王の側近としてこれまで尽くしてきたおかげで当事者であるオリヴァーだけの処刑で済んだ。
それでもスコット家をめちゃくちゃにしたのは紛れもない事実だった。見下していた兄からの侮蔑、両親からは嘆かれ絶縁され、オリヴァーに残されたものは自身の命以外何もなかった。それすらも山賊に奪われ、誰に見届けられることもなく命を落とした。
そのはずだった。オリヴァーは自分の手をまじまじと見つめる。年相応の幼い手。年齢的には十歳ぐらいだろうか。
かちゃと静かに扉が開き、オリヴァーがそちらに視線を向けると「きょ、今日はお早いですね」とメイドが気まずそうに顔を俯かせ、「申し訳ございませんっ!」と勢いよく頭を下げた。
「……いや、今日は少し早く目が覚めただけだ」
オリヴァーの返答にメイドは驚いたような顔を見せ、「湯を持ってまいりました」と中に入ってくる。
「ええ……、と、カミラだったか」
「は、はい」
おどおどとした表情を見せるカミラにオリヴァーは不審がる。そういえば十歳ぐらいと言えば、自分がこの世で一番優れていると勘違いし始めたころでもある。使用人など人以下の家畜だとひどい扱いをしていた。
オリヴァーは目的を遂行するためには手段を選ばなかった。部下に対しても協力者に対しても尊大な態度を取り、権力者であるルドルフには媚びへつらっていたのだ。裁判となると彼らはくるりと手のひらを返し、あることないこと全ての罪をオリヴァーに擦り付けた。それはこれまでの意趣返しもあったのだろう。
人心は掴んでおいて損はない。オリヴァーがにこりと微笑むとカミラの表情が緩んだ。
「朝早くからありがとう」
「ひっ、え、あ……、はい」
カミラの口元がまだひきつっている。わざとらしかっただろうか。
「すまないが、今が何年か分かるだろうか」
「え? あ、はい。王国歴394年です」
処刑が決まったのが王国歴409年だから十五年ほど前にさかのぼったことになる。そもそも処刑されたことが長い長い夢だったのだろうか。オリヴァーにはまだ分からない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます